27 : 花咲く歌を夜明けにつなぐ。2
先の戦争で被害が出た城下の復興は、戦争の期間が一日だけであったことから、それほど難しくはないようだった。壊れたのは城門前のいくつかの家の屋根くらいで、終わればその賑わいをあっというまに取り戻し、戦争があったことなど微塵も感じさせない。加えて勝利したとなれば、誰もが安堵の笑みを浮かべて生きている今に感謝し、被害が最小限であったことを大いに喜んだ。
意外なのは、クロが随分と城下で有名になったことだ。
「なんでも王女さまの旦那さまが、ひとりで全部を蹴散らしたらしいわよ」
「飛んでくる矢もさっと剣で一振り! そりゃあ見事な腕前だそうよ」
「おまけに死者がでなかったそうじゃないかい。うちの国は本当に戦争なんかしたのかい?」
どこで見ていたのかは不明だが、クロの雄姿は城下の女性たちの心を鷲掴みにしたようで、戦争をした、という事実が城下では少しずつ埋もれていった。
「殿下、このようなものが売られていましたよ」
城下の様子をお忍びで見に来ていたシャナは、エリオンが見つけてきたものに、思い切り目を見開いた。
「に、似ているわね……」
それはクロの肖像画で、おまけに剣を手にして矢を払った瞬間のものを、まるで見ていたかのように描写されている。クロの姿がとても上手く表現されていて、思わず見入ってしまう。
「買いますか?」
う、と言葉に詰まる。
「こちらはお守りのようなものになっていて、女性の方々に人気のようです。あちらでは大判を売っていましたよ」
エリオンが見つけてきたのは手のひら大のもので、持ち運べるものだ。お守りにされるのは、クロのこの姿からもよくわかる。あれだけ淡々と、射られた矢を弾いていたのだから、邪まなものから護ってもらえると女性なら思うだろう。シャナですら思ってしまう。
「ふだんは、こんな姿ではないのだけれど……」
がっかりさせたいわけではないが、あのときのクロは本当に大国の皇子っぽかった。衣装だけであれほど見映えが変わる人はそういないだろう。ふだんは神官服を着て、ふにゃっと笑いながら王城内を歩いているけれども。
「どうします? 大判のほうも、買いますか?」
式典ののち姿を国民の前に曝したら、城下はとても大変なことになるかもしれない。
「……買うわ」
「では行ってきます」
「待ちなさい」
「はい?」
「その……これを描いた画家を、調べておいてちょうだい」
「……。わかりました」
エリオンが、にやり、と笑っていたのを見逃さない。恥ずかしくて俯いた。
手に力が入りそうになって、慌てて手のひら大の肖像画を懐にしまう。いい買いものをした。
「わたしも若かったのね……」
たかが肖像画、と思う。だが、父王がたまに画家を呼んで母后を描かせていたことを思えば、父王のその血が確実に自分にもあることを考えずにはおれない。
エリオンが大判の肖像画を購入してくるのを待って、シャナは場所を移動した。
目的は城下の様子見であるが、昨夜熱を出したクロが昼には目を覚まし、神殿に行ったというので、病み上がりなのに無茶をしてくれる婿どのを迎えに行く都合がある。
神殿は王城の真隣りにあって、一本の通路で王城から向かうことができる。城下からは、正面の大門を潜って入ることになる。ちなみに大神殿は、王城の隣にあるこの神殿ではない。大神殿は王城の後ろ、南側の山の麓にあって、クロとの婚姻式の際に使うことになる。王城の隣にある神殿は、王家貴族、城下の人々のために建立された小さな神殿だ。
正面の大門から神殿に入ると、予めシャナがこちらから入ることを通達されていた神官がその姿に気づき、恭しく頭を下げてくる。一貴族を装っているので華々しい出迎えはない。
「若さまはあちらに」
クロの居場所だけ教えてもらうと、あとはさり気なく王族用の廊下へ向かい、そこからクロのところへと足を向けた。
いつもは本殿で祈りを捧げてから神官長の座学を受けるというクロは、しかし今日は本殿の奥、静かで小さな祈祷室に籠っているという。
「アイルアート?」
部屋の前には、ノエやクロにつけた騎士のほかに、なぜかアイルアートがいた。
「漸くお迎えですか、殿下」
「城下の様子を見てからこちらに来たのよ。なぜあなたが?」
「クロさまは本調子ではありませんから、そばに控えておこうと思いまして」
いつのまにか、アイルアートのクロの呼び方が「クロさま」になっている。なんだか微妙な呼び方で笑いそうになったが、笑ったらたぶんクロが怒るだろうなと思って、必死にこらえる。
「クロが籠っていると、聞いたけれど」
「ええ。呼びかけても出てきません。ちなみにノルイエどのも拒否されています」
どうしたのでしょうね、と言うアイルアートには、クロが祈祷室に籠ることになった理由がわからないらしい。ノエはそっぽを向いているからなにか知っているかもしれない。
なにか不安に思うことでもクロにはあったのだろうかと危惧したが、シャナの声が聞こえたのか、祈祷室の扉が僅かに開く。ちらりと顔をのぞかせたのは、少しだけ顔色の悪いクロだ。
「シャナが来たの?」
「クロ、帰るわよ」
声をかけると、扉が思い切り開き、白い物体がシャナに飛び込んでくる。それほど勢いはなかったので軽く受け止めると、神官服姿のクロが、なぜか必死にしがみついていた。
「? どうしたの?」
「アルアトルが」
「……。誰のこと?」
おそらくわたしのことです、とアイルアートが言う。
「アイルアート?」
「しゃ、シャナの、叔父さんだった……っ」
そのことか、と思う。てっきり知っているものだと思ったのだが、そう言えばシャナからは教えていないので、知らなかったのだろう。しかしなぜ恐慌状態にあるのかが不明だ。
「わたしのところへは挨拶に来ませんでしたからね」
と、アイルアートが言うと、ぎっくん、と明らかにクロは怯えた。
「だ、だって、いな、いなかったんだもん!」
なんのことだと首を傾げると、どうやらクロがセムコンシャスの王城に到着してすぐの、貴族への挨拶回りのことらしい。大体のところへは挨拶に赴いたというクロは、アイルアートのところへももちろん挨拶に行った。しかし、ファルム公爵家の跡取りではないアイルアートは、公爵邸に居があるわけではない。一代貴族として自身の邸がある。そちらにふだんいるはずのアイルアートだが、王族が抱える御典医であるため、確実に自身の邸にいるとは限らない。むしろ王城内の医務局に詰めている。
「医師だって、知らなかったんだもん!」
「だもん、て……」
「挨拶に行くたび主人はまだ仕事から戻りませんって、言われて……どうしようかと思ってたら目の前にいたんだもん!」
しぶとく挨拶には行っていた。しかし逢えなかった。だが実際は、こうして目の前にいる。しかも医師その人だった。
となれば、吃驚したのも頷ける。
だからといってなぜここまで怯えるのか、とシャナは半ば呆れたが、クロには大問題なのだろう。ノエがそっぽを向いている理由がわかった。
「怒らない、と言っているのですがね」
仕事で王城に詰めているのは当たり前であるアイルアートにとって、それは些細なことなのだろうが、クロには重大なことのようである。
「その笑顔が怖いんだよっ」
「発言のほうに問題があるといつになったら気づくのでしょう……」
混乱しているクロに、シャナは苦笑する。
クロが祈祷室に籠っていたのは、セムコンシャスに来てから初めて慣れた場所であったから、逃げ込んだ、ということのようだ。
「落ち着きなさい、クロ。教えなかったわたしも悪いけれど、アイルアートも自身のことを教えなかったのだから、あなたが悪いわけではないわ。そもそもわたしから言う前に自分から挨拶に動いたあなたは偉いわ」
これだけアイルアートの正体に怯えているということは、必要な挨拶回りができなかったのはアイルアートだけなのだろう。それを考えると、アイルアート自身、わざとクロに自分のことを言わなかった可能性が高い。クロが気づいていないことをいいことに、クロという人間を観察していたと思われる。
「わたしばかりが悪いように聞こえますが、わたしに気づかなかったクロさまも悪いのですよ?」
「ごめんなさいってばぁ!」
泣くのが得意なシャナの夫は、アイルアートの遊んでいるような発言に半ば涙目だ。
「アイルアート、それくらいにしてあげて」
「失礼。殿下を前に不敬でした」
「まあ、今後はクロのことであなたに一番頼ることになるのだから、あまり強くは言えないけれど」
クロとアイルアートがよい友好関係を築ければいい、とシャナは思っている。この国でクロの味方は未だ少ない。そんな中で、クロを護ることに協力は惜しまない、とはっきり口にしたのはアイルアートだけだ。叔父ということもあってシャナは全面的にアイルアートを信じているが、クロにもそうあって欲しいと思う。アイルアートにさまざまなことを教えてもらいながら、少しずつ、この国セムコンシャスに馴染んでいって欲しい。
「ううう、シャナぁ」
「はいはい。アイルアートにいじめられたら、わたしのところに来るといいわ」
「! うん」
涙目ながら、シャナの言葉にクロは嬉しそうに笑う。
わたしはこの笑顔に絆されたのだ、とつくづく思う。
シャナの中にするりと入り込んできた青年は、愛されるように育っている。末っ子という立場を最大限に利用していると思う。うっかりシャナも絆されるくらいだ。その代わりシャナはクロに苦しい選択を科した。お互いさまではないだろうかと、今なら思う。
「そろそろ冷えてきますね……帰りましょうか、殿下方」
「そうね。帰るわよ、クロ」
いつまでもしがみついたままのクロを容赦なく引き剥がすと、クロは少し寂しげにしたが、その手を差し伸べるとまた笑って、手を伸ばしてきた。
「帰ろう、シャナ」
いつもより温かいクロの手のひらは、本調子ではないと言っていたアイルアートの診断を確かなものとする。また今夜にでも熱を出すかもしれないと思うとゾッとしたが、シャナのその不安を吹き飛ばすかのようにクロは微笑む。
「シャナ、笑って」
「え?」
「笑って、シャナ」
手を引いていたのはシャナのほうだったのに、いつのまにかシャナがクロに手を引かれるようにして歩いていた。
「シャナは笑って。おれを見て、笑って」
力をちょうだい、と言われているように聞こえた。
「シャナが笑うと、おれは幸せになれる。おれを幸せにさせて、シャナ」
お願い、とねだるその笑みに、優しさを感じて、シャナは微笑んだ。
「あなたも笑っていて。あなたの笑みに、わたしも幸せを感じるわ」
罪悪感は一生抱えていく。苦しみも悲しみも、痛みもなにもかも、分かち合うと誓った。
それはクロだから、抱いた感情。
「……シャナ」
神殿から王城へ入る廊下の終わりで、手を引いていたクロが立ち止まり、シャナを振り返った。
「花咲く歌を、夜明けにつなぐ」
「? なに?」
「宝を見にいくと言った人が、最後に口にしたんだ」
なんのことかわからなかったが、クロの双眸はシャナの奥にあるなにかを見つめていて、目を反らすことができない。
「花咲く歌を夜明けにつなぐ、そのことが一番の宝だって」
「歌を、夜明けに?」
「シャナだよ」
「わたし?」
「シャナがおれの、花咲く歌」
繋いだ手のひらが離れて、温かいというよりも熱を感じる両の手のひらが、シャナの頬を包んだ。
「シャナという花咲く歌を、おれは夜明けにつなぐ」
そういえば出逢った頃、クロは言っていた。
シャナという花を、明日につなげるために、自分はここにいると。
「明日を迎えよう、シャナ。おれと一緒に」
「明日、を……?」
「おれには不似合いだと思っていた。けれどシャナに出逢って、違うんだってわかった。本当に、それは宝だった。おれはただ目を背けていただけだったんだよ、シャナ」
「……明日を迎えたくなかったの?」
「迎えられないと思っていたんだ。おれはこんな身体だから……でも、シャナがいてくれた。シャナがおれと出逢ってくれたから、おれは変わることができたんだよ」
明日を迎えたいと、思うようになった。それはシャナがいてくれたからだと、クロは言う。
「おれは宝を得られた」
嬉しそうに、幸せそうに笑んだクロは、シャナの額に口づけし、頬に口づけし、シャナの両手を取って指先にも口づけしてくる。
「行こう、シャナ。だいじょうぶ、おれはシャナがいてくれる限り、シャナを夜明けにつなぐために、地盤で在り続けるから」
揺らぐなと、罪悪感など抱えなくていいと、言われているようだった。選んだのはシャナだけではない、自分でもそれを選んだのだと、クロは言っているのだ。
「……あなたを苦しませるわ」
ぽろりとこぼれた言葉は、謝ることなんでできなくて、言えずにいたことだった。
「わたしは、あなたを苦しませる選択をしたの。あなたを苦しみから解放させることなんて、わたしにはできないの」
ごめんなさい、と掠れた声は小さかった。
「責任は取ってくれるんだろ?」
陽気な声に、俯きかけていた視線が戻る。
「苦しいことさえ、おれには幸せなことになるよ」
クロは相変わらず笑っていた。
「シャナがおれを欲しいと思ってくれたんだから、それはとても幸福なことなんだよ、シャナ」
だいじょうぶ、とクロは言う。
「おれがいるんだから、シャナの足許は揺らがないんだよ?」
もうそんな顔をするなと、言われて。
選んだ道に間違いなんてないのだと、言われて。
「シャナにその選択をさせたのは、おれなんだから」
逃げ道を作ってくれるクロの優しさに、溢れたのはいとしさだった。
「……っ、わたし、あなたがいいわ」
「おれ以外にシャナに相応しい夫なんて、いないよ。おれにも、ね」
シャナだけだよ、とクロが瞳を細める。潤んでいるのは熱のせいだろうけれども、いとしさゆえに泣き虫のクロは涙を浮かべてくれたのかもしれない。
クロにつられて泣きそうになった。半ば涙目で見つめていると、目じりに口づけされる。
「おれと一緒に明日を迎えよう、シャナ」
これが最後の求婚、もう二度と受け入れることのない囁きに、シャナは頷いた。
「あなたがいいわ」
人目など気にするクロではないから、それが伝播してしまったらしいシャナは、想いのままにクロへと腕を伸ばしてしがみついた。
これにて【花咲く歌を夜明けにつなぐ。】は終幕となります。
読んでくださりありがとうございました。
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