21 : 現実を否定した。7
怪我を心配してクロが随分と丁寧に誘導するので、階下へ行くのにかなりの時間を費やした。数分で降りられるところを、十数分もかけて歩いたので、逆にそちらのほうにシャナは疲れてしまう。それをクロに言ったら、抱え上げられそうになったから慌てた。ふたりで揃って転びたくはない。それも言ったら、寂しそうな背中を向けられた。男の矜持を傷つけてしまったらしい。そういうつもりで言ったのではなく、純粋に体重を気にしてのことだったのだが、それでもクロには矜持に傷がつく言葉であったようだ。
「おれってそんなに頼りないのか……そこまで貧弱に……いや、貧弱だけど……うう、自分で肯定しておいて虚しくなってきた」
「そうだね、おまえはよくわたしやノルイエに抱えられていた」
「余計なことは言わないでください、ネフ!」
「事実だろうが」
「シャナの前ですよ! ああシャナ、違うからね、小さい頃の話だからね」
「最近だとー……」
「ネフ!」
クロにきついことを平気で言うネフィスだが、それなりにクロのことは可愛がっているようで、クロもその愛情はわかっているようだった。仲がいい兄弟というのは、たとえやり取りが物騒でも、見ていて微笑ましい。
「あなた方……緊張感はないのか」
「おっと、そうだった。これから甚振らねばならない王子がいたね」
金髪の青年が呆れた眼差しで振り返ったとき、そこはもう、戦争の首謀者たるデイランの王子カルトを捕らえている部屋の前だった。
警戒するように扉の前で警備する兵士が、シャナとクロを見つけて慌てて敬礼する。
「今、所持品を改めているところなので」
完全に改めるまでもう少しだけ待たなければならないようだが、待つというほどの時間も経たずに、部屋の中から騒々しい声が聞こえてきた。
「なにかあったか?」
騒々しさに金髪の青年が首を傾げ、警備の兵士を促して扉を開けようとした。
その、一瞬。
「! シャナ!」
いつかのように、クロに大きな声で呼ばれた。
また、と思った。
またわたしなのか、と思った。
耳に聞こえてきたのは、銃という武器が発するという音。とても耳に痛くて、不愉快な音だ。
顔をしかめると、不愉快なその音から護るようにいつのまにかシャナの前に立ったクロに、両耳を塞がれた。
「だいじょうぶ?」
「……クロ?」
青褪めたクロは、シャナが怪我をした衝撃の名残が色濃く、ずっと瞳が潤んでいた。吸い込まれそうな夕焼け色の双眸に、けれどもシャナは、違和感を覚える。
なぜ、わたしの前に立っているの。
「シャナ、だいじょうぶ?」
再び問うてくるクロに、シャナも手のひらを伸ばした。
「クロ……なにが」
銃声がした。不愉快な音は、シャナを狙っていたわけではないようだが、開けられた扉の向こう側からこちらに放たれていた。扉の前には、ネフィスも金髪の青年もいたが、どうやら彼らは無事のようで、銃声の対処をしている。
「耳、痛かったね。おれも、痛かった」
ふと苦笑したクロの、その額に汗を見つけて、シャナは手を伸ばして拭ってやった。擽ったそうにしたクロは、なんだか嬉しそうに肩を竦め、シャナの耳から手を放す。そのまま抱きついてきた。
「よかった……」
「え?」
耳元で囁かれた。
病み上がりでよかった、と。
目先のものに急いで走ることができるから、と。
「……クロ?」
「今度は、護れた」
シャナの肩に頭を預け、にこりと笑ったクロから、とたんに力が抜けた。ずるりと滑り落ちていくクロの身体を、シャナは呆然と見詰めてしまう。
どさりと、クロが床に倒れた。
「クロ……?」
じわりと、床に広がっていく赤いもの。自分の胸元にも、べったりと赤いものが付着していた。
「クロネイ!」
ノエが、ネフィスが、いきなり倒れたクロに驚き、駆け寄ってくる。
「……クロ?」
シャナは呆然と、クロの名を呼ぶ。だが、倒れたクロは動かない。赤い水溜りも、止まりを知らず広がり続けていく。
「く、ろ……っ」
赤いもの、それは、血だ。
クロが、血を流して、倒れている。
その瞬間、シャナは現実を否定した。




