20 : 現実を否定した。6
つかの間、意識を手放していたシャナは、しかし温かい手のひらを感じて目を開ける。肩は、熱を感じるのではなく、引き攣るような痛みを持っていた。
「……っ」
「シャナ! ああ、吃驚した……目を覚まさないかと」
「……わたし」
「うん、撃たれた。狙撃手を今探してる。もうだいじょうぶだよ。痛いと思うけど、だいじょうぶだから」
温かい手のひらは、クロのものだった。シャナを腕に抱き、その目に未だ涙をためながら、シャナの様子にほっと安堵している。
「撃たれたって、なに? なにがあったの?」
「聖国の最新兵器に、銃、という遠距離攻撃型の武器があるんだ。小さな鉛玉を火薬で発射する武器。大砲は知ってる? その小型版。原理は同じ。けど、すぐに壊れてしまうから、聖国から持ち出すことが難しい武器だ」
「……それに、わたしが?」
「デイランの誰かが、わざわざ聖国にまで行って、手に入れたんだ。それでシャナを……」
悔しそうに、クロの顔が歪む。
「ごめん、ごめんシャナ…っ…おれが、いたのに」
「……あなたのせいなの?」
「おれは銃の存在を知ってる。デイランが所持していたとは、知らなかったけど……でも、そういう武器があるって、知ってたんだ。なのに、ここにはないと、油断して……っ」
クロの油断が、シャナのこの怪我なら、シャナも同じだ。油断していたのだ、勝利したと。気を抜かないようにしていたのに、ネフィスの登場で勝利を確信したシャナは、周囲の警戒を怠った。
この怪我は、クロのせいではない。
「あなたが無事なら、それでいいわ」
シャナは痛みを耐えながら身を起こし、クロの胸に手をつくと微笑んだ。
「あなたが、銃という武器の的になっていなくて、よかったわ」
クロの言う通り、銃というものがそういう武器なら、シャナよりもクロのほうが危険は大きかった。まるで切り札かなにかのように銃がシャナを狙ったのは、その銃をもってしてもクロを狙えなかった理由があるだろう。たとえばそう、クロの剣の腕だ。なにを見ることもなく投擲された矢を切り落とすことができるクロなら、きっと銃の鉛玉も避けられる。デイランは、だから標的をシャナに切り替えたのだ。敗戦確実なった、その意趣返しに。
「シャナ……ごめん、ごめんね、痛かったよね、痛いよね」
「もうだいじょうぶよ」
「ごめん、シャナ」
クロに深く抱き込まれて、互いに無事であることを漸くシャナは確認する。
しばらくそうして互いの体温を感じていると、ふたたび目の前が陰った。クロの肩口から顔を上げれば、そこにはノエが立っていた。
「……おかえりなさい、ノエ。そしてありがとう。あなたのおかげで、間に合ったわ」
「おれは姫の命令に従ったまでです」
シャナの目線に合わせて屈んだノエは、複雑そうな顔をしていた。どうやら、シャナが怪我をして動揺したのは、クロばかりではなかったらしい。ノエにとっても、契約主たるシャナは、心配になる存在のようだ。
「すみません。姫に怪我なんて、させるつもりなかったんですが」
「少し痛むけれど、泣き叫ぶほどではないわ。それに、ここは戦場だったのよ。わたしよりもひどい怪我を負った人は、たくさんいるわ」
「ネフにも同じこと言われましたよ。けど、おれはそうだったんです。かっこよく帰ってきたかったんですよ」
気分は騎士だから、と口を尖らせた精霊は、シャナにしがみついているクロをついでのように撫でまわし、そうして立ちあがった。
「ネフ、狙撃手は?」
気づかなかったが、ここはまだ城門の監守台で、シャナが意識を手放したのは本当に一瞬であったらしい。近くにはまだ医師も控えていて、ネフィスと金髪の青年もまだ城下を見下ろしている。
「サリヴァンのところの騎士が、捕まえてくれる。こちらも、後ろに控えていたデイラン兵は捕縛した」
「狙撃手は王子か?」
「そのようだ。手間取っているね、サリヴァン?」
ネフィスの刺すような視線に、金髪の青年は睨み返す。うるさい、と低く声を出すと、その双眸は再び城下に移された。
「このところ、あちこちで聖国の武器を見かける。数は少ないが……いったいどういうことだ」
「きみの目があっても、行き届かない場所はある。そういう穴を、彼らは見つける。まあ、きみばかりの責任ではない。これを期に、自国の状態を見直すといいよ」
「それはあなたにも言えることだ。自国に開戦宣言をされていながら、同盟国がこの状態だ」
「痛いこと言うねえ……さて、王女が目を覚ました。これからの話をしようか」
金髪の青年と話していたネフィスが振り向き、苦笑にも似た笑みを浮かべる。
「申し訳なかった。と、その言葉だけでは謝罪にならないか……セムコンシャスを戦場にしてしまったのだからね」
改めて謝罪されたが、シャナがなにか言葉を返す前に、クロがシャナから離れてネフィスを睨んだ。
「なぜデイランを放置していたのですか、ネフ」
「けしかけたのはおまえだろう、クロ」
「シャナに無礼な態度を取ったからです!」
「だからといって、祖国を売るような発言は、控えるべきだと思わないか?」
「売るなど……!」
「だからデイランは攻めてきたのだろうが」
ネフィスがクロを睨み、その威勢を挫く。
「自分の立場がわかっていないようだね、クロ。おまえはなにもしなくていいと、わたしは常から言っていたはずだが。父上も、母上も、昔からそう言っていたと思うが」
「おれ、は……今は、シャナの、夫、で」
「おまえのせいで父上の計画は台無しだよ」
ネフィスの言葉は、シャナの耳にもひどくきつく聞こえる。きつめに言っておこうとかなんとか言っていたが、これは本当にきつい。
「だいたいにして、その失態はなんだ? 前線へ立ったわりには、デイランの王子を捕らえてもいない。おまえは、どうやって責任を取るつもりでいたのかな?」
「おれは……」
言葉に怯え、相手の威圧に挫けているクロなど、初めて見る。あの飄々とした態度もない。
シャナは改めてネフィスを見やった。
クロの兄上さまは、クロが黙っていればそうであるように、ひどく玲瓏だ。その中身も、クロとは違い、容姿に見合った性格なのだろう。
ネフィスの言葉も、クロの想いも、どちらも理解できるシャナには、そのときなにか言うことはできなかった。クロの味方をすることも、ネフィスの言葉に反論することも、どちらも選べなかった。
けれども。
「なぜ、クロに自由意志が与えられないのですか」
「……王女?」
「なぜクロに、なにもしなくていいと、あなたは言ったのですか」
疑問を投げることはできた。
「クロの身を案じてのことですか? ですがそれなら、理不尽が過ぎるというものです」
「……王女、これは兄弟の……そうだね、喧嘩のようなものだ。無茶をする弟を、わたしは叱っているだけだよ」
たいしたことではない、とネフィスは笑い、そのくせひどく冷めた瞳をする。それがシャナの言葉に対する怒りであるというのは、すぐに知れた。
「狙撃手を捕まえましたよー……っと、おや?」
どこからかいきなり、侍従が現われた。いや、恰好は侍従だが、腰には剣がある。騎士だろうか。金髪の青年と同じ特徴を持っている。
「ご苦労だった、ラク。今はどこに?」
「すぐ下に連れてきてますけど……駄目でした?」
「いや、いい」
騎士のような侍従は、金髪の青年が連れてきた者らしい。話が終わるとすぐ、金髪の青年がシャナを振り向いた。
「王女、こちらの好きにさせてもらってもいいか」
「……え?」
「王女の怪我は、こちらの責任でもある。始末はこちらでつけたい」
なぜそれを訊いてくるのかわからなかったが、どうやらシャナが肩に負った怪我は、クロやネフィスたちトワイライ帝国にばかり問題が向くわけではないらしかった。
「サリヴァン、それはわたしが。きみはこちらでは客人だよ」
「使用された武器はわが国のものだ」
「だとしても。きみの責任は、見届けることだ。そして経緯を知ることだよ。わたしが行こう。だが……王女、あなたにも来てもらいますよ。狙撃手は、あなたを狙ったのだからね」
ネフィスが動き、そしてさらに言葉を続ける。クロ、とその名を呼んだ。
「責任を取りなさい。わかっているね?」
青褪めたクロは、それでもなお挑むようにネフィスを見やり、立ち上がるとシャナに手を差し伸べてきた。
「ごめんね、シャナ」
なぜ謝るのだろう。
なぜ、謝られているのだろう。
「クロ?」
青褪めているクロの双眸に、涙はない。
けれども、悲しみがある。
「この戦は、おれに責任がある……ごめんね、シャナ」
「……言ったでしょう。こちらにも、相応のものがあったと」
まだそんなことを言うのかと、少し腹を立てながら、シャナはクロの手を取って立ち上がる。僅かばかり肩に痛みが走ったが、真っ直ぐ立つことに問題はない。歩くこともできる。
クロが首を左右に振った。
「ネフを怒らせた……だから、ごめん」
シャナが思っていたような「責任」とは違うと、クロは唇を噛んでいた。
「……なにをそんなに謝るの?」
問いに、クロは口を噤む。
「王女、クロ、おいでなさい。首謀者を捕らえたのだからね」
ネフィスの冷ややかな、夕焼け色の双眸。彼は怒っていた。クロに対して、クロのために、怒っているように見えた。
ハッとする。
ネフィスが怒っている。それはクロのためなのだ。クロが無茶をしたからでも、クロがトワイライの意思に反するような発言をしたからでも、なんでもない。
ネフィスは知っている。
クロが、この先長くないことを、知っている。
だからネフィスは怒っている。
なにもしなくていいと、クロから自由意志を奪ったのは、クロの命を知っているからだったのだ。
クロがネフィスの言葉に怯え、威圧に挫けたのは、自由意志を奪われたからではなく、そうまでして自分を護ろうとしてくれている兄に、何を言えばいいかわからなかったからだろう。
「……なんて人たちなの」
だいじょうぶだろうか、とシャナはため息をつく。するとすぐに、クロが「幸せが逃げる」と慌てた。
「……本当に逃げてしまいそうだわ。いえ、逃げてしまったのね、きっと」
「え、シャナ?」
クロの口を手のひらで塞ぎ、シャナは先を歩き始めたネフィスを呼び止める。
「ネフィス殿下、一つだけ」
「……なにかな?」
「戦はわがセムコンシャスにも責任があると、憶え置きくださいませ」
金髪の青年が言っていたように、戦争を回避するすべは、考えればなかったこともない。迎え撃つと、決めたのはシャナであり、それは国の総意にもある。そのことを忘れて欲しくない。
「……では、わたしは弟の嫁であるきみも、叱らなくてはならないね」
ぞくりと震えがくる。ネフィスは怒らせてはならない人であったらしい。
「あとでゆっくり話をしよう。ノルイエとの契約についても、訊きたいことが山とあるのでね」
「……承知しました」
「では、行こう。指揮官は王女だね? 王陛下は、王女に一任しているのだったよね?」
「はい。この戦、わたしが総指揮を任せられております」
「なら、いいね」
にこりと不気味に微笑んだネフィスに、シャナはクロとふたり、ふるりと震える。
「あなたの兄上さまは怖いわ」
こっそりと告げると、
「ネフは特別怖いんだよ」
兄弟の誰も、ネフィスには逆らわないという。これならクロが言葉に怯えるのも、威圧に挫けるのもわかる。
「あなた、よくあの兄上さまがいて、国を出られたわね」
「こっそり出てきたに決まってるだろ」
「あら……」
「ネフの怖さは、あれだけじゃないんだから」
ネフィスはものすごく怖い、と恐怖心に負けてクロがシャナの手を握る。怪我を労わるようにクロはシャナの足許に気を配り、そうしてシャナたちは階下へと移動した。




