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花咲く歌を夜明けにつなぐ。  作者: 津森太壱。
【花咲く歌を夜明けにつなぐ。】
19/56

18 : 現実を否定した。4





 闇に乗じて攻撃がなされるかもしれない。そう判断した北方将軍と西方将軍の意見に、シャナは頷いた。警戒を怠ってはならない。父王の先触れに反応しなかったデイランの王子カルトは、愚かだの浅はかだのと言われる王子だが、それなりの賢さはある。どんな戦略が立てられているかはわからないが、こちらがトワイライ帝国の側につくというのはわかっているだろう。闇に乗じての攻撃は、確実に在り得ることだ。

 なにか少しでも動きを見せたなら知らせるようにと念を押し、見張りを頼むとシャナは城門の塔へと移動して、父王と今後のことを話すと休ませてもらうことにした。状況が状況なので、クロとは部屋を隣同士にし、いつもは別々で摂る食事も、今晩ばかりは一緒だ。さすがに夜酒は振る舞われず、クロが自らお茶を淹れてくれた。


「休めと言われても、休めそうにないね」

「あなたは休みなさい。怪我は完全に癒えたわけではないのよ」

「おれはだいじょうぶ」


 クロだけでも休ませようと思ったのだが、シャナがそうであるように、クロも着替えない。剣も腰に帯びたままで、気配を探るように空気を張りつめている。


「……おれがここに来たせいで、デイランと争うことになってしまったね」

「まだ言うの? 遅かれ早かれ、デイランとは問題が起きていたわ。あなたも知っているでしょう? 銀山のことだけではないのよ、デイランとの微妙な関係は」


 主な問題はデイランが所有する銀山ではあるものの、だからといってそれだけて戦争に発展するわけもない。デイランとの関係は、少しずつ、崩れ始めていたのだ。


「とりあえず賢王、なんだよね?」

「ええ」

「女性関係のことで、他国を巻き込むような事態に発展するかな?」

「どうかしら……けれど、少なからず関係はあるでしょうね。賢王とはいえ、私生活が充実していなければ、いつか心は壊れるわ」

「ああ……なるほどね。それであの王子か……王子がああなったのは、デイランの国王の存在が、とても大きかったせいかもしれないな」

「そうね……」


 カルトにとって、国王の存在は、確かに大きかっただろう。かけられる期待も、半端ではなかっただろう。だが、だからといって、同情はできない。王族とは、そういう世界に在る象徴なのだ。乗り越えねばならない。シャナが、そうして立っているように。クロが、強くあろうとしているように。


「どう出るかな」

「将軍たちと話したように、最初の矢は射られたのだから、おそらくこちらの手は伝わったでしょう。こちらが持つ力も知られたわね」

「う……本当にごめんなさい」

「挑発に乗ったこと? もう過ぎたことよ。それに、あなたが悉く矢を斬り落としたことで、デイランは踏み止まったわ」

「少しは役に立てた?」

「ええ。あなたの実力も、知ることができたわ。本当に武闘派だったのね」


 北方将軍や西方将軍とも話したが、クロの剣捌きは目を瞠るものがある。試しに打ち合ってみませんか、と北方将軍に誘われて数分だけ剣を交わしたクロは、無理なく相手をし、北方将軍だけでなく西方将軍を驚かせた。クロの実力は、大隊の隊長を凌ぐほどであるらしい。今度皆に指導して欲しい、と頼まれてもいた。


「まあ大体のことは、ノエに教えてもらったからね。そもそもおれ、体力がまず続かないから、相手の武器や動きを見ることとか、その頃合いの測り方とか、そういう最小限の体力で済むように訓練したんだ。武闘派だけれど、長くはもたない。ごめんね」

「それでいいわ。無理はして欲しくないもの」


 クロが気配なく動けるのは、そういった訓練の賜であるようだ。そういうことなら、気配なく動くことが当然となっても、仕方ない。


「ねえクロ、本当に、休んでちょうだい? だいじょうぶ、なにかあればすぐに起こすから」

「そう言われても……シャナは、休まないだろ? おれだけ休むなんていやだ」

「……頑固だわ」

「シャナも一緒に休んでくれるなら、いいよ?」

「そういう我儘はちょっと……」

「なら……シャナが膝を貸してくれるなら、休む」

「え?」


 休まない、と頑固だったクロは、椅子を離れるとシャナの隣にきて、シャナの膝を枕にして寝転がった。


「クロ!」

「おれが少し休んだら、次はシャナの番だよ」


 そう言って、瞼を閉じてしまう。

 緊張感がないといえば嘘になるが、それにしてもこの状況でシャナの膝を枕にするとはいい度胸だ。

 シャナは苦笑すると、肩の力を抜いた。


「わたしにも膝を貸してくれるの?」

「もちろん」


 自分が休んだら次はシャナだ、と言ったクロは、シャナにも自分と同じことをさせるつもりらしい。少しすると、寝息が聞こえてきた。寝つきはいいらしい。


「まったく……あなたはわたしをよく振り回すわね」


 甘えられるのは素直に嬉しい。そう思っている己れに、やはりわたしはクロに好意を寄せているのだと、つくづく思う。もう、否定はできない。


「クロ……」


 あなたがわたしを好きだと言う。そのつもりはなかったのに、気づいたらそうなっていたと言う。予想外なことだったと、言う。

 シャナにも予想外だ。


「あなたを想う日が、くるなんて……」


 もう二度とないと、思っていた恋。

 もう誰も、家族以外は愛さないと、思っていた心。

 頑なに決めていた気持ちは、いともあっさり、クロによって壊された。

 なんて単純だろう。

 愛されると、嬉しくてたまらないなんて。

 なんて滑稽な決意だろう。

 歳下の婿に、簡単に決意を覆されて。

 クロだったから、そうなのか。それとも、自分は誰でもいいから、愛されたかったのか。

 どちらにせよ、愛し愛されることの、喜びを知ってしまった。

 もう戻れない。

 なかったことにはできない。

 否定できない。

 それは、気紛れな精霊との契約をした時点で、わかっていたことだけれども。


「わたしも歳ね……」


 寂しさには勝てない。

 喜びには勝てない。

 なににも、勝ることはない感情が、シャナの中で息を吹き返した。


「ヴィアンナ……」


 それはかつて愛した人の、名。

 思い出したのは随分と久しぶりのことだ。

 忘れるほど遠い昔ではなかったと思うのだけれども、忘れるほどには、記憶に留めていられなかったことだ。

 今ここで思い出すなんて、なぜだろう。


「なぜかしら……」


 そうため息をついたとき、眠っていたはずのクロの瞳が、開けられていて。

 夕焼け色の瞳が、ただ真っ直ぐとシャナを見つめていて。

 それはダレ。

 と、音もなく唇が動いた。


 そのときだった。


「殿下。殿下、起きておられますか」


 扉が叩かれ、その少し慌てたような声に、シャナは反射的に返事をしていた。


「起きているわ。入りなさい」


 中に入ることを許可すると、扉が開かれる前に、目覚めていたクロが身体を起こしてシャナから少し離れた。


「夜分遅くに失礼いたします、王女殿下」

「なにか動きがあったのね?」

「は。竜旗が、こちらに向かっております」

「早いわね……最期の食事、というつもりだったのかしら」

「北方、及び西方の将軍は、階下で指示をお待ちです」

「今行くわ」


 やはり戦は免れず、血が流れる事態へと、発展するらしい。動きが早いことから、闇に乗じるというよりも、最期の一時を過ごすまで待っていただけかもしれない。


「クロ、聞いた通りよ。ノエが来るまで、籠城戦になるわ」


 椅子を立ってクロを振り返る。クロの双眸は、ただまっすぐ、シャナを見ていた。


「……おれが出るよ」

「だめよ。あなたは、まだだめ」

「いや、出る」

「……クロ?」


 深呼吸して立ちあがったクロは、なぜか、その双眸を細めた。


「腹が立ったから、八つ当たりしないと治まらない」

「……八つ当たり?」


 いきなりどうしたのか、クロは怒っているようだった。いったいなにに腹を立てているのか、シャナにはさっぱりだ。

 しかし、シャナが首を傾げると、どんっと、唐突にクロの雰囲気が重くなった。


「エリオン、北方将軍に伝えろ。おれが出る」

「は……え、クロネイ殿下?」

「指示に従え」

「! ぎょ、御意」


 静かな怒気だった。エリオンを走らせると、呆気に取られているシャナの横を通り過ぎ、部屋を出て行こうとする。


「クロ!」


 待ちなさい、と声をかけたが、クロは聞く耳を持たない。仕方なくシャナは、クロの静かな背を追った。


「クロ、待ちなさい。あなたはだめよ。王陛下も言ったでしょう? 無理をしない程度に、と」

「面白くないって意味、身に染みた」

「は……、え? なんのこと?」

「ほんと、面白くない」


 ぶす、とした声しか返ってこない。シャナの歩幅をまったく無視して、クロはずんずんと前へ進んでしまう。追いかけるシャナは小走りになった。けっきょくその追い駆けっこは階下まで続き、シャナが止める間もなくクロは北方将軍と西方将軍に指示を出し、ふたりを勝手に動かした。


「クロ!」

「シャナ。悪いけど、おれは機嫌が悪くなった。ちょっと憂さ晴らししてくるから、部屋で待機しててくれる?」

「意味がわからないわ。なにがどうして、あなたは怒っているの?」

「面白くないから」

「なにが面白くないのよ」


 自ら機嫌が悪いと宣言までしたクロは、漸くそこでシャナを振り返った。感情のすべてが削げ落ちた、無表情のクロがいる。少しだけ、ほんの僅かだけ、怖いと思った。


「ヴィアンナって誰」

「……、え?」

「シャナのなに」

「……なにを言っているの?」

「面白くない」


 クロがなにを面白くないと言っているのか、わからなかった。けれども、まさか、とちらりと思うことがある。それはシャナにも身に覚えがある、面白くない、である。

 やはり後宮が人で溢れることは、今後も考える必要がないかもしれない。


「なにに腹を立てているのかと思えば……ちょっと名前を出しただけで」

「うん、面白くない」


 なぜだろう、ノエの言葉が蘇った。

『あいつ、わりと素直なんで』

 ノエが言った通り、クロの反応はわりと素直だ。


「そういうことだから、動けるうちに、憂さ晴らししてくる」

「待ちなさい。理由が不純だわ。やめなさい」

「いやだ」

「クロ」

「おれは心が狭いんだ」

「……そのようね」


 呆れるほど、クロの想いは純粋だ。ため息をつきたいところだが、ここは正直に、シャナは苦笑した。

 嬉しいからだ。


「ヴィアンナは従兄よ。もう、いないわ」

「……、え?」

「死んだの。わたしが、十歳を迎えた冬に」


 忘れようとし、その記憶も留めていられなくて、今日まで名前も口にしなかった、愛した人。

 まさか、幼い頃にした恋を、クロに話して聞かせる日がくるとは、思わなかった。


「……ごめん。でも、やっぱり面白くない」


 しょぼん、と肩を落としたクロは、しかし頬が少し膨らんでいる。シャナの口から自分以外の男の名を、それも知らない名を聞いて、随分と腹が立ったらしい。


「わたしも今まで忘れていたの。けれど、ふと思い出してしまったのね……あなたがいるから」

「……おれ?」

「あとでちゃんと聞かせてあげる。嘘は言わないわ。だから、今は出て行かないで」

「本当に、教えてくれる? いろいろと……ヴィアンナとのこととか、おれがいたからとか」

「ええ」

「気分が悪くなる話しなら聞かないけど」

「いいわ。だいじょうぶ。もう思い出として、昇華させているから」

「……なら、絶対だよ?」

「ええ、約束するわ」


 思い出したのだし、クロが知ってしまったのだから、話そう。べつに、隠そうとしていたわけでもない。本当に、今の今まで忘れていたのだ。忘れることができていたのだ。むしろ、だからこそ、クロには話さなければならないだろう。昔愛した人のことを、今こうして思い出したのには、きっとなにか理由があるのだ。


「わかった。けれど……おれは、出るよ」

「クロ」

「八つ当たりしないと、どうしたらいいかわからない。初めてなんだ。ちょっと見逃してよ」


 どうしても苛立ちを抑えられない、とクロが困ったように眉をひそめる。それは無表情だったクロに漸く感情をもたらし、シャナをほっとさせる。


「……それなら条件があるわ」

「なに?」

「一時間よ。無傷で、帰ってきなさい」


 落ち着くための時間をあげよう。ただし、怪我は許さない。その条件の下、シャナはクロを前線へと許可する。


「それから、わたしは監守台にいるわ。あなたが見えるところに。あなたからも見えるところに。いいわね?」

「む……ちょっとやだけど、わかった」


 条件を渋々ながらも飲んだクロに微笑んで、シャナは「では行きましょう」と、クロと並んで外へ出た。







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