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花咲く歌を夜明けにつなぐ。  作者: 津森太壱。
【花咲く歌を夜明けにつなぐ。】
18/56

17 : 現実を否定した。3





 いつもは賑やかな城下が、ひっそりと静まり返っている。デイラン国の竜旗がいきなり掲げられ、その紋章を背負った者が街にいきなり現われたのだから、それは当然の結果だ。

 城門を背にしたシャナは、つくづく自分の甘さを思い知る。


「油断し過ぎね……まさかここまで潜り込まれていたなんて」


 軽く武装したシャナは、抑えきれないため息と頭痛に悩まされそうになりながら、武の心得があることで同行することになってしまった補佐官フィルとエリオンに、「悪いわね」と声をかけておいた。滅相もない、とフィルとエリオンは畏まったが、ふたりとも本来は文官であり、武官ではない。シャナ自身も心得があるだけで、武器を手にすることを得意とはしていないが、ふたりの補佐官よりかは腕が立つ。文官であるフィルとエリオンには本当に申し訳ない。


「われわれも、まさかここまでとは考えておりませんでした。判断を誤ったのはわれらです、殿下」

「お互いさまということにしておきましょう。あとは……ノエがどれくらい早く、帰ってきてくれるか……ね」


 あっというまに城を囲んだデイラン国の兵士は、シャナの目から見てもそう数は多くない。もともとデイランとセムコンシャスは、規模としてはセムコンシャスのほうが僅かに勝っている。その分だけ兵力も勝っているわけだが、城門まで迫ってきているデイランを迎え撃てるほどの兵力は、今ここにはなかった。ノエがどれほどの速度でトワイライ帝国を呼んでくれるかはわからないが、トワイライからの応援と、自国の兵力を呼び寄せるまで、とにかく対峙し続けるしかない。誰かひとりでも攻撃をしかけてこようものなら、そこから始まる戦いも防戦一方となるだろう。

 或いは、交渉によって、事態は変化する。

 今のところ、デイラン側の中央には竜旗があるので、王子カルトはそこにいるのだろう。動く気配はないが、出方は窺っている。シャナの姿も目視しているはずだ。

 剣を交えず交渉という方法を取ってくれれば幸いであるが、城門の塔にある部屋で待機している父王が出した先触れに反応を示さなかったことを考えると、戦による交渉という手段を用いられる可能性が高い。つまり、武力で従わせようとしているかもしれない、ということだ。


「この沈黙はいやね……かといって、矢を投擲されても困るのだけれど」


 防衛の一切を担ってくれている四方の将軍には、デイランからの挑発に乗らないよう兵を宥めてくれと、予め伝えている。だが、この沈黙が長く続けば、兵は焦りを見せるだろう。それすらも挑発なわけだから、とにかく冷静に状況を見極めなければならない。


「ところで、わたしが着替えている間に、クロはどこへ行ったの?」

「クロネイ殿下でしたら、あちらに」


 フィルに教えられて、シャナは姿の見えないクロを探し、城門を見上げる。シャナから見て真上の監守台に、クロはいた。


「わたしも移動するわ。北方将軍、ここはお願いね」

「お任せを」

「矢が一本でも飛んできたら、すぐに城内へ入りなさい。打ち返さないこと。いいわね」

「御意に」


 四方の将軍の中でも一番若く、だのにもっとも冷静な北方将軍は、シャナが城門前にいることのほうが心配でならなかったらしい。クロがいる場所へ移動するというシャナを、早く安全なところへ、と急かすくらいだ。

 シャナは、フィルとエリオン、近衛騎士隊と共に、クロが立つ城門の上へと移動する。フィルが、「クロネイ殿下が皇子らしく見える……」と小さく呟き、エリオンが「いや皇子ですから。そう言いたくなりますけど」と突っ込む囁き声が聞こえ、思わず笑ってしまった。やはりクロは常に「皇子らしくない」と周りから見られているようだ。そして今の恰好が、ただセムコンシャスの王族衣装を着て帯剣しているというだけのことなのに、随分と変わった印象を受けるのだろう。シャナが感じたことは、皆も感じることであったらしい。


 くすりと肩を震わせながら、城門の階段を登り終えたときだった。


「クロネイ殿下!」


 と誰かが大きな声でクロを呼び、続いて金属音が響いた。

 なにごとかと慌てて顔を上げて見たものは、クロが剣を抜いている姿だった。


「クロっ?」

「シャナ、動かないで」


 駆け寄ろうとしたシャナを牽制したクロは、鞘から抜いた剣を振るい、なにかを切り落とした。


「殿下、お下がりください。投擲されております」


 シャナを護る近衛騎士が、状況をすぐさま把握し、シャナの前に出た。


「開戦するというの?」


 ハッと見やると、射られた矢が飛んできていた。それはクロを狙っているようで、正確に位置を把握して飛んでくる。


「クロ!」

「だいじょうぶ。正確過ぎて、落とし易いから」


 クロの周りにも、近衛騎士はいる。しかし、狙いが確かで、逆にクロを護れずクロが剣を振るっている状態だ。

 とはいえ、デイラン側もそうだが、クロの剣捌きも正確なもので、近衛騎士の出る幕がない。武闘派だというのは、嘘ではないらしい。


「それよりシャナ、どうする? 挑発だと思うけど、こうも正確におれを狙われると、国としては迎え撃つ必要があるのかな?」

「よ、よそ見しないで!」

「音でわかるからだいじょうぶだよ。等間隔だしね」


 数本の矢が一気に射られるのではなく、一本ずつ間隔を持って矢は飛んでくる。挑発だとは思うが、それとは別に、確かな意図でクロは狙われているだろう。

 音でわかる、と言ったクロは、顔をシャナに向けながらも、また飛んできた矢をいともあっさり剣で薙ぎ払った。遊んでいるようにすら見える。


「どうする、シャナ?」

「と、とりあえずこっちにいらっしゃい!」

「シャナに矢が当たるかもしれないからいやだ」

「我儘言わないでちょうだい!」

「おれはここでも平気だよ。原始的な弓の矢だし」


 なんともない、と言いながら、また飛んできた矢をクロは剣で防ぐ。見ていないのにその手は正確だ。


「の……ノエが到着するまで、こちらからは攻撃しないわ! だから、早くこっちにいらっしゃい! 的にならないで!」

「防戦だけ? んー……おれが行って蹴散らしてもいいけど」

「あなたひとりでどうにかなる数ではないわ!」


 とにかくいいからこちらに、とシャナはクロを促し、近衛騎士を動かした。そこまですればクロも漸く移動してくれる気になって、ちらりと前方を見たあとはなにごともなかったかのようにシャナのそばに来る。的にしてくれと言わんばかりであったクロの位置が変わると、やはり矢は射られなくなった。


「挑発かー……ごめんシャナ、おれ挑発に乗っちゃった」

「率先して冷静さを失わないでちょうだい!」


 のほほんと言うクロに初めてまともに腹が立った。


「どうしてそんなに暢気でいられるのよ……矢の的にされていたのよ? 当たってもおかしくないのよ?」

「叩き落とすからだいじょうぶだよ」


 皆が緊張したというのに、シャナの婿どのは焦ってもいない。物陰に入ってしまうと、抜き身だった剣を鞘に戻し、軽く息をつきながら石段に腰かけた。


「セムコンシャスに敵意を向けているねぇ……シャナ、どうするの?」

「あなたが狙いだというのはよくわかったわ」


 クロの隣に腰かけ、シャナも息をつく。どんなことがあっても無理はして欲しくないのに、精神に悪影響を及ぼす婿どのだ。


「おれが狙いならなおさら、的になっていたほうがいいと思うけど」

「やめなさい!」


 心臓に悪い。クロを失いたくなくてノエと契約したというのに、こんなところで失うなんて考えたくもない。

 お願いだから無茶なことはしないで、とシャナはクロの手を掴んで捕まえた。


「……ノエが来るまで、こうしているの?」

「ええ。こちらの兵力だけで、今のデイランを防ぎきることはできないわ。四方の将軍は北方将軍と西方将軍だけで、微妙なところなのよ」

「ノエが到着したら、なにが変わる?」

「状況は変わるわ。けれど、そうね……デイランからの攻撃を受けた今、開戦されたも同義。ノエが到着しても、状況が変わらないかもしれないわ」

「それなら、やっぱりおれが行って蹴散らし」

「あなたが出る前に隊の編成は完了し、迎え撃つことはできるわ。籠城して、トワイライからの援軍を待つ時間が稼げるの」


 言い負かしておかないと、ふらふらと動き出してしまいそうで怖い。

 捲し立てるように今後のことを話せば、クロはつまらなそうな顔をして「それなら待つしかないか」と諦めてくれた。


「それにしても……」

「どうしたの?」

「展開が、随分と早いなと思って」

「……そう、ね」

「そもそも、セムコンシャスで開戦するっていうこと自体、なにかおかしい」

「それはあなたがここにいるからで」

「いや、それだけの理由とは思えない。おれが狙いなら、暗殺とか、そういう手段もある。おれがいるからセムコンシャスを狙う……というのは、どうも早計というか、浅はかというか」


 それは仕方ないのだと、シャナはデイラン国の王子カルトのことを話して聞かせた。


「もともと、あまりよい噂はないの。もちろん、よい話もあるわ。どちらが真実かはわからないけれど、わたしとしては、あまりよい感情を持ってないわ」

「あー……まあ、すごく偉そうだったからね」

「カルト王子のその態度が、なにかの裏返しという可能性もなくはないわ。デイランの国王は賢王ではあるから」

「……なにか後ろにありそうだね?」

「その……女性関係が、あまりよろしくないのよ」

「ああ、それはちょっと、シャナには精神的に悪いことだね。うん、わかった。あとはおれが自分で勝手に想像するから、話さなくていいよ」


 無理をしなくていいと言ってくれたクロに、その心遣いは嬉しいが、「いやいやいや」とシャナは首を振る。


「あなたに気持ちをわかってもらうなんて、そんなことさせたくないわ」

「シャナの気持ちはわかりたいよ」

「わたしではなくて、デイランの国王よ。想像しないで」


 クロは男だ。デイランの国王の気持ちを、わかって欲しくはない。それはシャナの、今さらだが嫉妬だ。


 だいたいにして、である。

 クロは婿入りだが、クロのように相手に素直に惚れる婿もいれば、そうでない場合もある。そういう場合、婿は後宮に愛人を囲うのだ。逆の立場にあるシャナも、そういったことは許されている。むしろ後宮とは、そういう場所だ。クロよりもシャナのほうが国の中では立場も優位になるが、だからといって大国の皇子であるクロを蔑ろにしていいわけがない。

 クロが、シャナが、望めば後宮は大勢の人間に溢れることになる。


「そっちの心配をされてしまったのか、おれ……か、悲しいかも」

「え? あ、その、心配はしていないわ。ただちょっと……面白くないだけよ」

「む……ちょっと?」


 シャナの心配が少しであると、思ったのか。そういう反応をクロがシャナに見せる限り、今のところ後宮のことを考える必要はなさそうだ。


「訂正するわ。その……だいぶ面白くないのよ」

「おれはシャナ一筋だよ」

「あ……ありがとう」

「おれみたいな貧弱な奴のために、精霊と契約しちゃうしね」


 ノエとの契約をやはり根に持っているようだ。


「ねえ……どうしてそんなに、言い方は悪いけれど……死にたい、の?」

「え? べつに死にたくはないよ」

「そうなのっ?」


 あれ、とシャナは驚いてしまう。


「確かにおれは死ぬために国を出たけれど……死んだほうがよかったって、そう思うこともたくさんあったけど、でも、だからって、自分から死にたいとは思ってない……と、おれは言ったかな?」

「……聞いてないわ」


 シャナが聞いたのは、「死ぬために国を出た」という言葉だけだ。そこからは、シャナの推測だ。「生き長らえたくなかった」という言葉を聞いていたから、てっきり、クロは死にたがっているものと捉えていた。

 どうやら違うらしい。


「おれみたいな虚弱な奴が、皇子なんて立場にあって、それでみんなに大切にされるっていうのは、どうもおれの中では納得できなくてね。だから、さっさと死んでしまいたい、なんて思うことはたくさんあったよ。けれどね、シャナ」


 考えてみなよ、とクロに言われる。


「今だから明け透けに言えることかもしれないけれど……おれは、甘やかされて育ったから、それが許せないんだ。おれは皇子という立場にあって、しかも末っ子で、ただそれだけでみんなに甘やかされた。国中を見渡せば、おれみたいな子はたくさんいるのに、けれどその子たちは、おれみたいには生きられない。だからおれは、生き長らえたくはなかったんだよ」


 どうして自分ばかり、国を見渡せば同じような子はたくさんいるのに。

 クロがそう思っていたなど、正直シャナには驚きだ。当たり前のように、皇子という立場にいたわけではないらしい。


「自然の摂理を曲げてまで、生き伸びる必要がある命だとは、とうてい思えなかった」


 祖国トワイライ帝国にあって、クロは、もしかしたら居場所がなかったのかもしれない。みんなに甘やかされる自分が、その価値があるのかもわからなくて、悩んでいたのかもしれない。


 ばかな子だ、とシャナは思う。


「あなたが家族だから、そういう家族に恵まれたから、あなたは護られたのよ」

「うん。今は、そう思うよ。みんなおれに優しかった。それは嘘じゃないって、わかるから」


 今はもう卑屈には考えていない、とクロは微笑む。


「だから思ったんだ。ああおれ、すっごく生きたかったんだなぁって」


 それは国を出ようと決めたときに、思ったことだと言う。


「こんな身体、いやだなぁって……つくづく、思って」


 せめて遺骸だけでも、見せないようにしよう。

 命を護る契約もいつ消えるかわからない、それならいっそ遠くの地で、皇子という立場が生きる場所で、ひっそり静かに瞼を閉じよう。

 家族の涙を、見なくて済む場所へ。


「シャナには、悪いけれど……だからおれは、死ぬために国を出たんだ」


 シャナは、クロのその気持ちを踏み躙った。


「ごめんなさい」


 けれども、後悔はない。


「それでもわたしは、あなたが……必要だわ」


 クロは愛する人のいない地に、眠る場所を定めた。そこは自分も愛されることを望まなかった場所だ。


「おれも、ごめん。それでもおれは、シャナが好きだから」


 予想外だった、というのは、本当なのだ。誰も愛さないと決めたクロは、シャナに出逢って、その気持ちを抑えられなくなったのだ。ひとりで逝くことが、悲しくなったのだ。


「あなたが苦しいとき、そばにいるわ。あなたが悲しいとき、一緒に泣くわ。だから今は、わたしの勝手を許してちょうだい」


 失いたくないのだ。失いたくないと、思ってしまうようになったのだ。クロがあまりにもするりと心に入り込んできたから、追い出すこともできなくなってしまった。

 クロを苦しみから解放させてやれない。


「責任、取ってくれるんだろ」


 クロにしては珍しく声色の低い言葉に、シャナは反らしていた目を、クロに戻した。


「おれは、クロネイ・エイブン・セムコンシャス」


 腰かけていた石段から立ち上がったクロは、いつのまにか、再び抜き身の剣を手にしていた。


「シャルナユグ、きみの夫だ」


 精悍な笑みに、胸が高鳴る。

 いつも子どもっぽくて、着るものがないからと神官服を身につけて、シャナが用意した衣装には部屋にいるときにしか袖を通さなくて、シャナが執務で忙しくてもそばを離れたがらなくて、邪魔をしないからと言うくせにシャナの膝を枕にするクロが、今日はどうしてだろう、勇ましく頼りがいがある、そんな顔をする。


「……あなた、皇子だったのね」


 皇子らしくない、それがクロだったけれども、ただ甘やかされて育ったわけではなく、自分でさまざまなことを考えて行動していたから、皇子らしくなかったのかもしれない。

 そして同時に、皇子らしくもあったのだ。


「おれ、かっこいい?」


 国の象徴であることを、クロはよくわかっている。


「そうね……可愛いわ」

「そうだよね、かわ…………かわいいっ?」

「その衣装、とてもよく似合っているわ」

「うんさすがシャナの見立てだよ。さすがシャナだよ、うん。でもね、可愛いはないと思うなぁ?」


 せめてかっこいいと言って欲しい、と言うクロに微笑んで、シャナも石段から立ち上がると部下を呼び、矢が射られたことで城門の内側へと退避したであろう北方将軍と今後の話をすべく、指示を出した。


「ちょ、シャナ!」

「あなたもいらっしゃい。今後の対策を考えるわ」

「おれ政治的な話は無理だよっ」

「いるだけでいいわ。いらっしゃい」


 ふらふらとひとり動きかねないクロを、この場に残しておくことはできない。シャナはクロの手を強引に引っ張って、階下へと向かった。


「シャナ、シャルナユグ! この手は嬉しいけど、でもちょっと待って!」


 戦略とかそういうの無理だから、と訴えられたが、とりあえず聞く耳は持たなかった。







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