09 : 罪悪感に負けた。2
ノエのいきなりの登場は、シャナをひどく驚かせた。音もなく、風のように現われたのだから無理もない。ひっそりと控えていた侍女や侍従でさえ、ノエの登場には驚いている。クロも、出逢った頃はよく驚いた。
「いったい、どうやって……今、壁を通り抜けなかったかしら」
「壁なんておれにはあってないようなものですよ。おれは精霊なんでね」
さらりと人間ではないと言ったノエに、驚きっぱなしのシャナがクロを振り向く。クロは、苦笑にも似た笑みを浮かべた。
「ノエは、ノルイエ・レスという精霊なんだ。おれの祖母に召喚されて、契約して、おれのそばにいる」
「……どういうこと?」
「言うつもりは、なかったんだけどね……予想外なことが起きてしまったから、隠していられなくなってしまった」
「隠す……?」
いや、隠していたのでは、ないのかもしれない。言わなければならないことを、言わずに、黙っていた。知らせるべきことを、知らせずに、言うことができずにいた。それは騙しと、欺きで、クロに罪悪感を募らせた。
あれだけシャナに知られてはならないと思ったことを、こんなにもあっさりと吐露しているなんて、自分は今までなにを隠そうとしていたのだろうと、そんなことさえ思った。
「ノエが精霊であると、隠していたの?」
「人型の精霊だから、黙っていれば気づかれない。それなりの恰好をさせれば、特にね。おれより皇子っぽいでしょう」
「それは……思ったことだけれど」
「黙っていてごめんね」
「……謝る必要があるもの?」
「騙していたことになるし、欺いていたことにもなるから」
「それは、わたしを? それとも、この国を?」
「どっちも」
その瞬間に、シャナはカッとしたように苛立ちを顔に出した。ああやっぱり怒るよなぁと、暢気にも思ったクロだったが、シャナはすぐに深呼吸すると苛立ちを抑えたようだった。
「なんの目的があるの? いえ、あったの?」
「どうして言いかえるの」
「わたしにそれを謝って、今ここで懺悔しているのなら、目的は達成されなかったということになるわ」
さすがシャナ、とクロは笑う。
「罪悪感にね、負けた」
「罪悪感?」
「言ったでしょう。おれは、シャナが好きだ」
「こんなときに冗談はやめて」
「予想外なことなんだよ、シャナ」
「……予想外?」
「おれは、シャナを好きになる、つもりはなかった」
ああ、傷つけている。それをわかりながらも口にした言葉に、やはりシャナは傷ついたような顔をした。
やっぱりこういう顔はさせたくないし、見たくない。
「けどね、好きになった。シャナが好きだから、隠していられなくなった」
「……冗談ではないの?」
「これだけは信じていいよ。シャナを愛している事実は、もう消えないから」
微笑みながら偽りのない想いを伝えると、シャナから傷ついた表情が消える。むしろクロの言葉を、冗談ではないのかと、真摯に受け止め始めていた。
「目的はなに?」
「ん?」
「わたしが好きだと言うその裏は、なんなの?」
「だから、罪悪感に負けたんだって。すごく心臓が痛いしね。これじゃあ元も子もない」
「どういうこと?」
「気づいて、シャナ。どうして天恵者でもないおれのそばに、ノエがいるのか」
言葉遊びでもするように問えば、シャナは当惑したようにノエへと視線を流し、肩を竦められると再びクロを見つめてくる。
「あなたのおばあさまと、契約しているからでしょう?」
「それはどうして? 祖母と契約しているのに、どうしておれのそばにいるの?」
「……あなたも天恵者?」
「違うよ。おれはまったく、欠片も、天恵がない」
「それなら……なぜ?」
本当は言いたくない。シャナを好いてしまったからこそ、言えなくなってしまった。隠すつもりも、騙すつもりも、欺くつもりも、最初からなかった。クロがシャナを好くということさえなければ、それは出逢った当初から了承されることだった。言えずにいた期間があったからこそ、こうして言いたくもないのに言わなければならない事態が、起きた。
愚かなことをしたと、思う。
さっさと言ってしまっていれば、よかったのに。
「おれは、ね……ノエに、生かしてもらっている」
どうかこの一言で、察して欲しい。どうかこれ以上、言わせないで欲しい。それはシャナへの想いが、訴えてくることだ。
「生かして……もらっている?」
「そう」
「……それは、命のことを言っているの?」
やはり、シャナだ。言わずして、察してくれる。
「昔、祖母は契約した。この脆弱なわが孫を、命数尽きるまで、護って欲しいと」
「……それが契約の」
「文言というやつだね。かくして召喚された精霊は、その瞬間から今に至るまで、契約に従って孫を守護している」
「……意味が、わからないわ」
ふるふると首を左右に振ったシャナは、その答えを求めるように、ノエを見上げた。
「……本当に精霊なの?」
「ええ。精霊位は上から二番めのレス、名はノルイエ。こんなナリですが、水の精霊ですよ」
「クロを、護っているの?」
「セイエンにお守りを頼まれましたので」
「クロは、生かされていると言ったわ。それは、どういうこと?」
「そのままです。おれの力で、クロは生きてんですよ」
理解したのか、していないのか、シャナはゆっくりと視線をクロに戻し、じっと見つめてくる。
「どうして……生かされている、ということになるの?」
やはりそれを訊かれるか、とクロは苦笑し、ふっと息をつく。言わずにはおれないらしい。
クロは、胸に手を置いた。
「おれはここに、病を抱えている」
その瞬間、シャナは息を呑んでいた。見開かれた双眸が、なんだか痛ましくて、自分のことではないのに自分のことのように受け止めるシャナが、可哀想に思えてくる。
「生まれつきでね。誰に似たのか、随分と脆弱なんだ」
「そんな、大事なこと……どうして黙っていたのっ」
にこりと、クロは笑む。
「死ぬつもりで、国を出たから」
言うことができずにいたそれを聞いたシャナは、クロが思ったとおり、ひどく混乱しているようだった。
「なぜ……笑って、いるの」
「ずっと前から覚悟がある。おれの命は短い」
「そんなのわからないわ。病が治ることだって」
「その可能性はない」
だから、とクロは、シャナへの笑みを深める。
「ごめんね」
それでも、と言葉は続く。
「おれは、シャナが好きなんだ」