【アップ✨】2026年5月24日主日公同礼拝/讃美歌とMy noteもあります☕
初めまして、天川裕司です。
ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。
また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。
どうぞよろしくお願い致します。
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬
【アメーバブログ】
https://blog.ameba.jp/ucs/top.do
【男山教会ホームページ】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【YouTube】(ユメノ記)
https://www.youtube.com/@%E6%98%9F%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%82%B1%E3%83%A9-v5x/videos
【ノート】
https://note.com/unique_panda3782
【YouTubeドラマにつきまして】
無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、
お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。
基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。
創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪
出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬
でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、
どうぞよろしくお願いします(^^♪
【本日のメッセージ】
桜ヶ丘教会
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=w-oqXRUrzb0&pp=ygUp44CO5L2_5b6S6KGM5Lyd44CP77yI56ysMueroDI544CcMzbnr4DvvInSBwkJIwsBhyohjO8%3D&ra=m
西調布教会
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=SFkpklfJpDE&pp=ygUp44CO5L2_5b6S6KGM5Lyd44CP77yI56ysMueroDI544CcMzbnr4DvvInSBwkJIwsBhyohjO8%3D&ra=m
※本日は礼拝動画を機材の諸事情で用意できなかった為、聖書のほぼ同箇所のメッセージを代わりにアップして居ります。
聖書
『詩篇』(第一一〇篇一〜七節)
『使徒行伝』(第二章二九〜三六節)
讃美歌〜♫
讃美歌501番
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=BG_k72PHmC8&pp=ygUV6K6D576O5q2M77yV77yQ77yR55Wq
讃美歌502番
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=onEFfE9pcLg&pp=ygUV6K6D576O5q2M77yV77yQ77yS55Wq&ra=m
讃美歌526
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=tCeCRg3XCiQ&ra=m
2026年5月10日 礼拝説教 聖書箇所
大声でこう叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。」
ヨハネの黙示録7章10節
わたし、わたしが主である。わたしのほかに救い主はない。わたしはあらかじめ告げ、そして救い を与え あなたたちに、ほかに神はないことを知らせた。
イザヤ書43章11,12節
はじめに
日本キリスト改革派教会創立80周年記念信徒大会(主題「神の国を今ここに」)の恵み を覚えつつ、「召天者記念礼拝」をささげる「今日」。信徒大会でも逝去者を含めて引退教師の労 苦が思い起こされた(モーセ120歳(申命記34章7節))。
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信徒大会のもう一つの主題は、「現実と夢」「ほんとうの希望」であったのでは。ヨハネ黙示 録は、パトモス島に流刑にされた使徒ヨハネに示された「神の啓示」。苦難の中で、一人の使徒に 示された、キリストの幻が、告げられる。そこで、告げられる「白い衣を着た大群衆」は、大声で 「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである」と叫んだ。信徒大会の 一つのクライマックスは「告白的賛美」(暁の日)であった。特別賛美グループと一人のゴスペル シンガー(兼:作詞作曲ギタリスト)によって力強く賛美された歌(創作)は、「開けない夜の東 の空」「白み始める暁の日」を歌い出し、希望の日の近いことを告げる。今日という日の現実的告 白は、「我らは贖いの実」「我らは希望の内にある」という確固たる賛美。「小羊」とは、「贖い 主イエス・キリスト」。「我ら」「キリストに贖われた者たちは、贖いの実」として、救いの希望 を受け継ぐ。ここにある歌は、勝利の歌。
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「主に感謝せよ、その慈しみはとこしえに」と、ヨシャファトの勝利の礼拝歌が、今日を記念 する告白の賛美としてささげられた。「翌朝早く、彼らはテコアの荒れ野に向かって出て行った。 出て行くとき、ヨシャファトは立って言った。『ユダとエルサレムの住民と、聞け。あなたたちの 神に信頼せよ。そうすればあなたたちは確かに生かされる。またその預言者に信頼せよ。そうすれ ば勝利を得ることができる。』彼は民と協議をしたうえで、主に向かって歌をうたい、主の聖なる 輝きをたたえる者たちを任命し、彼らに軍隊の先頭を進ませ、こう言わせた。『主に感謝せよ、そ の慈しみはとこしえに』」(歴代誌下20章20,21節)。英訳の歌詞で「Give Thanks to the Lord For his steadfast love endures forever!」と賛美された。この「endure」に込められた思いは、苦難の中 でも、主がご自身の民を持ち堪え続けられる、主の堅忍。
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ヨハネ黙示録7章の「贖われた大群衆」による賛美は「救いは、玉座に座っておられるわたし たちの神と、小羊とのものである」との勝利の歌。それは、苦難の中にある地上の教会における希 望の歌。「だれにも数えきれないほどの大群衆」は、「見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の 違う民の中から集まった」者たちであり、「白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座 の前と小羊の前に立って」、この歌を大声で叫んだ。主イエスが、エルサレムに入られた時、人び とは、手になつめやしの枝を持って迎え出て、「ホサナ、主の名によって来られる方に、祝福があ るように、イスラエルの王に」を叫び続けた。今や、十字架と復活における贖いの御業を成し遂げ られた「神の小羊」でいます「主イエス」は、御自身の贖われた大群衆を代表する「長老の一人」 が「使徒ヨハネ」に問う。「この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか」。ヨ ハネが、「わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです」と答えると、長老は、ヨハネに言っ た。「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである」と。こ の「大きな苦難を通って来た」とは、主が定められた苦難の時を、信仰の試練として忍耐して来た という事。「新しい契約の仲介者」でいますキリストの血によって贖われた、聖徒たちの堅忍。
おわりに
主の言葉を告げたアモスは「馬が岩の上を駆けるだろうか 牛が海を耕すだろうか。お 前たちは裁きを毒草に 恵みの業の実を苦よもぎに変えた」(アモス6章12節)と警告した。今 日、「贖いの実」を変質させず、忠実に、誠実に、「白い衣を来た」まことの教会を建てる事が、 わたしたちに主から与えられた召命。キリストの賜物のはかりに従って、主の栄光をたたえたい。
(Mynote)
二〇二六年五月二四日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。
(子供メッセージ)
『スコットランド教会新カテキズム』
「どうして、安息日を覚えないで、不必要な労働や裁判を行い、娯楽や運動を余暇とする事が禁じられて居るのですか。」
「それらを行う事は、安息日を聖別する事でないからです。」
イエス様が、洗礼者ヨハネから洗礼を受けた時の事が引用された。ヨハネはその時のイエス様の事を、他の多くの人達に語って聞かせた。イエス様の肩に鳩が舞い降りて、平和と救いを齎す救い主である事を知らされた。イエス様こそが唯一の救い主であり、聖別された存在である。全ての人(罪人)はこのイエス様の存在を通して、聖別され、その罪から救われる。
(公同礼拝)
『詩篇』(第一一〇篇一〜七節)
『使徒行伝』(第二章二九〜三六節)
「彼は死んで葬られ、現にその墓が今日に至るまで、私達の間に残っている。彼は預言者であって、『その子孫の一人を王位に就かせよう』と、神が堅く彼に誓われた事を認めて居たので、キリストの復活を予め知って、『彼は黄泉に捨て置かれる事が無く、又その肉体が朽ち果てる事もない』と語ったのである。このイエスを、神は甦らせた。そして、私達は皆その証人なのである。それで、イエスは神の右に上げられ、父から約束の聖霊を受けて、それを私達に注がれたのである。この事は、あなた方が現に見聞きして居る通りである。ダビデが天に上ったのではない。彼自身こう言って居る、『主は我が主に仰せになった、あなたの敵をあなたの足台にするまでは、私の右に座して居なさい』。だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくが良い。あなた方が十字架に付けたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」。(『使徒行伝』第二九〜三六節)
ダビデは預言者であり、人であり、彼自身が天に上ったのではない。神様が人の間に遣わしたイエス様こそが唯一の救い主であり、このイエス様が神様に天へ引き上げられ、その右に座した。この事を先ず憶えねば成らない。現人神の様な偶像・象徴を多くの人は作りたがり、人を神聖視する傾向もあるが、イエス様だけが救い主であり、他の人は唯の人であり、誰も救い主ではない。現人神は存在せず、イエス様の他に、全ての人(罪人)をその罪から救い、天に引き上げられるその契機(経過・結果)を与える者は存在しない。
預言者は預言や律法を元にして物を語り、神様が教える事を、他の多くの人に語り伝える。唯一の救い主であるイエス様は、神様から直接この世に遣わされ、神様の一人子、人としての神様(神様の分身)として存在し、その存在の力そのものに依り、全ての人をその罪から救う。この点に根本的な違いを認める。
旧約聖書に記されてある全ての預言は、唯一の救い主、イエス様の事に就いて記されてある。これはイエス様ご自身が人に語って聞かせ、教えた事である。この事を信じないで、何を信じるのか?この点に、信仰の初歩の疑問と解決がある。この事を無視して自分の信仰を推し進めれば、それは人が人のみの力で(自力で)進めて居る事になり、その成長は聖霊の働きに依らず、罪人の力による成長となる。その成長は曲がったものになり、今日に見られるユダヤの在り方に成る。の点に注意せねば成らない。
ユダヤの人達は、「未だ救い主は地上(我々の元)に現れて居ない」と主張する。これはイエス様の存在を認めず、人の罪の力により盲目になり、救いの存在を既に無視して居る姿に他ならない。なぜこう成るのかが本当に疑問である。人の罪は悪魔により、ここまでに成るものかと思う。しかしこの事への理解・吟味・経験は、信仰を曲解して、唯一の救い主としてイエス様を認めない全ての人と神様の間での一対一の問題になり、その処で聖霊が働き、必ず(曲解したその全ての人々)が再び神様の側に立ち返る契機・経過とその結末を与える。そして世界に福音が宣べ伝えられ、世の終わりまでにその全ての人達は誠の救い主、イエス様の姿とその内実を見る事に成る(『マタイによる福音書』第二四章一四節を参照の事)。
「主(唯一の救い主であるイエス様)」は、その通り唯一、一人しか存在しない。この事を先ず憶える上で、神様がイエス様を通して全ての人に教えた御言葉とそれによる出来事をその通りに知り、理解に努め、正しく信仰を成長させて生く事が大事になる。
信仰は、確実な根拠を以て、全ての人(罪人)をその罪から救い、永遠の救いへと(神様の元である天の御国へと)引き上げる。ただ「私はイエス様が復活したのを見た」「私はイエス様の事を知って居る」等と他の人に伝えても、他の人はその事を妄想と見て信じない(心の底から信じる事が無い)。しかし信仰とはそうでなく、聖書に記された全ての預言を以て、神様がイエス様を通して全ての人に与えた現実のエピソード(救い)を以てその根拠とし、救いへの確約を以て人に働く。この事を「妄想」と語る人は、その人に具わった罪がそう言わせ、思わせて居るのであり、その助長を悪魔が働いてして居る。このハードルを乗り越えさせるものは唯一の救い主(イエス様)の存在であり、正しい信仰であり、神様が全ての人に与えた御言葉の力である。この唯一の救い主イエス様の存在と、御言葉の力にのみ聖霊は働き、その人を救うのである。この事を信じる事が先ず大事に在り、これに依り、人の間に蔓延る曖昧な救いは確かな救いに変わるのである。
【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【最寄りの教会検索用】
https://www.rcj.gr.jp/
Table Caffe〜
榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」
https://www.youtube.com/watch?v=MCyjy8BuIIw&t=2s
「SEIZE THE DAY / 今を生きる」
https://www.youtube.com/watch?v=A7Aobi9nmWM
イエス・キリストの生涯をたどる旅 II (1)
https://www.youtube.com/watch?v=vPB9SBXalPA
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin
ユメノ記
https://www.youtube.com/@%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%83%A6%E3%83%A1-v5x/videos
お暇な時にぜひどうぞ)
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬




