空っぽのカバン
心の障害を持つ息子。グレーゾーンで生き辛さに悩み続けた長い長い日々があり、障害認定を受けたその時から、ようやく闇を抜け前に向かって歩き始めることが出来ました。
「どうしても うまくできなくて 気がつけば空っぽになってしまった」
大好きな「がらくた(米津玄師氏 作)」という歌の一節に ふと思い出す風景がある。
その子はカバンが大好きで 沢山集めていた
けれども どれもがどこかがもの足りないんだと
似たようなのを 幾つも持っていた
何をいれよう
あれもいれたい これもいれたい
これは要らないかな こっちのほうがいいかも
ああやってこうやってと
一生懸命に 入れるモノを吟味しては
飽きることなく 楽しそうに
パズルのように その詰め方を工夫していた
そして いざ使おうというとき
あんなに一生懸命に詰めていたのに
うまくいかないんだと
全部取り出して床に広げ
口を開けた空っぽのカバンを手に
ああ 本当は
ここに入れるものが 僕には
なんにもないんだ
自分は空っぽなんだと 途方に暮れ
一人 泣いていた
ごめんね ごめんね
深い深い苦しみを 悲しみを 痛みを
ちっともわかってあげれてなかった
空っぽなんかじゃあないよ
優しくて 真面目で すごく頑張り屋
強さも 誠実さも 正義感も
豊かな感性も 機知もユーモアも
想いの翼 遠く深く広げ
彩り美しく世界を描くパレットも
人一倍 こんなにも沢山持ってる君なのに
なんで なんでと
胸が潰れるような切なさに 運命の残酷さに
幾度 涙しただろう
君の柔い優しい純粋な心を 守りきれなかった
己の不甲斐なさ未熟さを
どれだけ悔やんだだろう
幼き頃 手を引き 公園に向かう道すがら
靴の先に見つけるいろんなモノに惹かれては
逐一しゃがみこみ 気が済むまで観察
ほんの10mを進むのに 5分 いや10分
公園に着けば 砂場で1人遊びに熱中
夕暮れの広場を また明日ねと
手を振る友達がみな去っても
お砂のトンネルを 夢中で掘り続けていたね
学校も 職場も 居場所はなかなか見つからず
みんなと同じようには うまく出来なくて
いじめ、 鬱、そして統合失調症
心に大きな傷を負った君だった
痛いの痛いの飛んでいけ
暗い淵で惑う君に 絶対に笑顔を取り戻させると
何度 誓っただろう
それから幾年月が過ぎたろう
絆創膏をたくさんたくさん貼って
いまも懸命に 闘っている
ふわふわの小さな相棒を守っていくことが
いま大きな生き甲斐の一つになったと話す
穏やかな笑顔で
信じ切れない明日でも
そんなきみを信じ切っている小さきものの
光る命が そっと寄り添うから
守るべきもののため
ずっと温めて続けてきた 夢を掴むため
毎日 踏ん張り 生きている
3歩進んで2歩下がる
また3歩あゆんでは 3歩戻ることもある
それでも最初よりは1歩前に出られた そんな歩み
30人にひとり
きっとそれ以上に ゆっくりゆっくり
荷物を出したり入れたり 繰り返している
今は 優しさと愛でふわりと少し膨らんだ
あの黒いかばん
ひとかけら ふたかけらと拾い集めた
希望という名の がらくた
小さく光る そんな宝物をいま
ひとつひとつ 彼なりのペースで
詰め直している
【後節】
もともと とても内向的で感受性強く、人一倍真面目だけれど弟想い 猫・兎思い 家族思いの、極めて明るく優しい少年でした。
幼少期~青年期まで通して「言われたことを即座に理解できない、時間が守れない、人並みのペースで物事をこなせない、忘れ物が多い、コミュニケーションが非常に不得手、睡眠過多で朝起きられない」など、どこかが周りのみんなと違う、頑張ってもうまくいかない、怠けている訳じゃないのに…と何故だかハッキリわからないけれど、学校という集団生活を送る上では常に離れない違和感・不全感に親子ともども、戸惑い悩み続けていました。
小学生の頃はレゴブロック遊びがとにかく好きで寝食を忘れて熱中、毎日のように大作を創り上げる想像力と集中力は、親も舌を巻くほどでした。そのころ巷では爆発的にTVゲームが人気を博しだしていましたが、それを安易に与えればきっとよろしくないことになるのでは…との危惧から、流行りのTVゲーム類を買い与えることは控えていました。
しかし、学校では人気のゲームの話で花が咲くから級友と話が合わない。そんな寂しさがあったといいます。
中学に上がると上記のような戸惑いは顕著になりました。大人数の小学校と少人数学校、二校から入学してくる統合型の中学で、息子は当初から転入生のような扱いになる少人数側の学校出身。新入学クラスの中で圧倒的マイノリティでした。仲の良かった数少ない小学生の友人達とはみな学校が分かれてしまい、コミュニケーションに苦手を抱える彼は新しい級友になじめず。
何故みんなが笑ってるのかわからない、話を振られても上手く返せない、きょうび余りメジャーとは言えない「ボーイスカウト」をやっている、などをからかわれ始め、入学初年度の間、いじめを受けました。
高校は いじめ等はなかったものの、卒業前後ころから進路に悩み鬱気味となり進学・就職先で悪化。
カウンセリングに親子で通い、仕事を転々としながら合うお医者様を探し、時間をかけて合うお薬を何度も何度も試し、障害認定を受けるまでには数年を要しました。所謂グレーゾーンで、ずっと理由のわからない生き辛さを抱え悩み続けた灰色の日々が長くありました。
掲題の「空っぽのかばん」は、絵を描く事が好きだった彼が高校生になってから、ノートの切れ端に描いた走り書きのコマ割り漫画が基になっています。それを読んた時、心臓を刃で貫かれるような思いがしたのを昨日のことのように覚えています。
なんてこと。その抱え込んだまま癒えない痛みの深さに、気付いてあげれてなかった。深い傷を負った中学時代、一番辛かっただろうあの頃にちゃんと守ってやれなかったこと。生真面目で頑張り屋なのに、頑張りきれないうまく出来ない=不全感を、怠け癖と判別しきれず、時にそのことに対するイライラや焦燥をトゲある言葉や態度で・無言の圧で・彼に大人気なくぶつけてしまっていたこと。忙しさにかまけ真剣に向き合う時間を削ってしまっていたこと…様々な後悔が渦巻き ただただ詫びる私に、彼は言いました。
「家は安全地帯だから。あの穢れた時間とその記憶をどうしても家に持ち込みたくなかった」彼はこの時初めて、その頃の思いを打ち明けてくれました。
話せば家族が心配する、心痛め笑顔が消える。あんなクダラナイくそったれ野郎どもの事で家族にそんな想いをさせるのは嫌だ、心配かけたくない…学校を休めば負けだと、クラス替えまでの1年間を歯を食い縛り、屈辱的なからかいに 耐え続けていたのでした。
その間 反撃をしたこともあり、担任から知らせもありました。しかし相手はいじめ常習者で他にも被害生徒が複数おり、その時は一過性の注意程度で過ぎてしまっていました。
学年が変わり学校側の配慮かいじめの首謀者と離れたため、その後は直接的ないじめは止みました。時同じくして学友のなかに親友が出来、彼に明るい笑顔が戻っていったので、ああ良かった、と安堵していました。
けれどそれでも、どうしても消えない晴れない恨みと傷の痛みはずっと彼の心の奥底に燻り続けていたのでした。時折襲い来る黒い霧に引き裂かれるような想いを抱えたまま、上手くはいかない学生生活を懸命に過ごしていきました。
卒業・就活は震災と重なりました。混乱と不安が続くなかの酷い就職難でやっと決まった仕事は、頑張れば頑張るほど責任を負わされ無茶なワンオペを強いられる所謂ブラックな職場でした。そこでのストレスから晴れない黒い霧は次第に大きくなっていき、心身の状態は回復とは反対方向へ進んでしまい追い詰められていきました。
以前受講した心理講座でお世話になった先生を藁をも掴む思いで頼りカウンセリングに通い、医療と福祉に繋がり、掴んだ蜘蛛の糸を懸命に手繰り寄せ多くの方のサポートを貰って、ようやく光を見出すことができるようになりました。
それから様々な学びや治療、社会復帰へのリハビリや公的支援などを、頂いてきました。多くの経験・似た痛みに立ち向かう仲間や師・友と巡り合う事も出来ました。
今は、日々揺れ動く体調に向き合いなお手探りしながら、可愛い相棒と共に酷くゆっくりですが一歩一歩、戻らないで行く決意で。明日の笑顔に向かって、進み続けています。
歩幅はとてもとても小さくとも、光に向かって少しずつ歩き出している今ならばあのイラストを、5月のこの爽やかな風に乗せ昇華し空に流せるかな…などと思って、文字に起こしてみました。
最後までお読みいただきありがとうございました。




