第25話 測定水晶
リリスの操作で、周囲の空間がわずかに揺らぐ。
足元がふっと浮くような感覚の直後、風の匂いと湿った空気が鼻をかすめた。
視界が開けると、俺たちは雑木林の中に立っていた。
森というには開けすぎていて、街の外れにある公園のような雰囲気だった。
木々の隙間から、石造りの街並みがちらりと見える。
カティーは目を見開いたまま、ぐるりと周囲を見渡していた。
「……ほんとに、転移した……?」
俺の記憶では、こういう異世界転生ものの街ってのは、外敵に備えて防壁で囲まれてる――いわゆる城塞都市ってやつが定番だった気がする。
だが、目の前に広がるこの街には、そういう構造は見当たらない。
都市の外縁に簡単な柵はあるが、壁らしい壁はない。
監視塔らしきものが点在しているものの、それも木造で簡素な造りだった。
最初は『逃げる前提か?』とも思ったが、リリスによれば、そうではないらしい。
物理的な壁は維持にも金がかかるし、街を拡張するたびに作り直さなければならない。
それに比べて、魔法によって防壁を展開できるなら、そのほうが柔軟で効率的だ。
つまりこの街では、物理的防壁を必要としないほどの魔法障壁――
それを展開できる魔法使いや、常時展開可能な術式が確保されているということだ。
「その魔法が、この星の文明レベル4に相当する体系ってことか?」
俺が問いかけると、すぐにリリスの声が返ってきた。
「はい。私の視点では、これは精神力を外部へ出力するという、珍しくはありますが単なる種族能力の延長に過ぎません。
ただ、その体系の応用範囲――転移、エネルギー生成、実体化、遠隔操作など――を考慮すると、文明レベル4に相当すると判断されます」
「なるほどな……感覚的には魔法って言いたくなるけど、技術として見れば、ちゃんとした文明の成果ってことか」
ーーーーーーー
街に足を踏み入れた瞬間、決していい匂いとは言えない独特の匂いと、人々の熱気が混じり合ったような空気が全身を包み込んだ。
どこか異様な、しかし活気に満ちた雰囲気だ。
通りを行き交うのは、主に人型や獣型の二足歩行種だが、四足種や空を滑るように飛ぶ飛行種の姿も散見される。
彼らの装備は、記憶にある通りの――いわゆる中世ファンタジー世界における冒険者そのものだった。
通りには、肉屋、ポーション屋、武器屋、素材屋……ひと通りの店が軒を連ね、物色する客や商談中の客で賑わっている。
同時に、空気には肉の血生臭さ、小便と吐瀉物の酸味、さらに何かを燻したような、形容しがたい臭気が混ざっていた。
「すごいですね、この匂い……」
カティーはさすが元軍属といったところで、気にしてはいるものの顔色一つ変えない。
一方のユイは、明らかにきつそうに鼻をつまみ、顔をしかめていた。
「この辺りの雰囲気は、まあ……文明レベル1.5ってとこだな。
食い物にはちょっと興味あるけど、まずは冒険者登録とパーティ登録を済ませよう。依頼内容も確認しとかなきゃならんしな」
「了解しました。最寄りの冒険者ギルドの位置を把握しています。案内いたします」
歩いている途中、少し目を引く集団を見かけた。
服装や装備こそまちまちだが、全員が細身で長身。
流れるような金髪や銀髪が光を受けて揺れ、どこか非現実的な雰囲気を纏っている。
よく見ると、彼らの耳はリリスよりもさらに長く、鋭く尖っていた。
俺の記憶で言うところの、いわゆるエルフ族のようだ。
しかも、美形の男性ばかり――4人組。
その場で、カティーがピタリと足を止めた。
「……っ」
明らかに呼吸が早くなっている。
頬が赤く染まり、視線が完全に釘付けだ。
まるで、さっきまで軍人然とした態度が嘘のように、その場から動こうとしない。
「おい、カティー。落ち着け」
「無理、無理です……あれは反則です……
顔が良すぎます! しかも……4人……!!」
どうやら、カティーの『性癖』というのは――筋金入りのようだ。
エルフたちはこちらに一瞥もくれず、静かに街路を歩き去っていく。
カティーはその背中を見送ったまま、固まっていた。
「……あの、クロノ艦長。少しだけ……立ち止まってていいですか。記憶に刻みたいので」
「だめだ。行くぞ」
「うう……」
俺はリリスとユイを促しながら、なんとかカティーを引っ張ってギルドへと向かった。
冒険者ギルドの扉を開けて中に入ると、酒と汗の混じった空気と、ざわめきの熱が肌に触れる。
瞬間、その場にいた冒険者たちの視線がこちらに集中した。
「見ろよあの戦士、すげえ装備だな。見たことねえ顔立ちだが、流れもんか?」
「いや、あの鎧……妙に精巧だし、肩のあれ、どっかの紋章っぽいぞ。もしかして騎士くずれじゃねえのか」
俺の戦士装備はリリスの手によるアレンジ入りで、現地基準からすれば相当豪華らしい。
派手すぎて目立つのは好みじゃないが、仕方ない。
「おい、あっちの白と赤の女……ヒーラーか? でも衣装が見たことねえぞ」
「武器も変だな……あれ、なんの武器だ? 打撃系か? でもなんか……妙にヤバそうな気がすんな……」
ユイのマシンガンは、銃器という概念のないこの世界では分類不能らしく、得体の知れない『危険物』として注目を集めていた。
確かに、金属と機構の塊みたいな形状では、そう思われても仕方がない。
「……あの弓、なんだあれ。やたらゴテゴテしてるし、矢筒もねぇ。魔法弓か?」
カティーの武器は、滑車機構を備えた現代式のコンパウンドボウだった。
現地の冒険者にとっては初めて見る構造らしく、弓で弾を撃ち出すという概念もないため、『魔法の弓』とでも思われているようだ。
「魔法使いは……まあ、普通だな。帽子もローブも定番って感じだ。ただ、杖が見当たらねえな?」
リリスは分厚い本を携え、三角帽子にローブといういかにもな格好で場に溶け込んでいた。
ただし武器に見えるものがないため、逆に一部の目には『ただ者ではない』と映っているかもしれない。
ざわざわとした空気の中、俺たちは無言のままカウンターへと向かった。
周囲の視線を感じつつも、誰一人として声をかけてくる者はいない。
――やれやれ。どう見られてるかは知らんが、面倒ごとにならなきゃいいがな。
受付カウンターに近づくと、きっちりまとめられた淡い栗色の髪に、明るいエメラルドの制服を着た受付嬢が笑顔で迎えてきた。
「冒険者ギルド、カルスハート支部へようこそ。私、受付のリッティと申します。ご用件をお伺いしますね」
柔らかな声だったが、目は鋭く俺たちの装備を一瞥していた。
どうやら受付嬢といえども、ただの窓口係ではなさそうだ。
「冒険者登録をしたい。四人分だ。それと、パーティ登録も必要なんだよな?」
俺の問いに、受付嬢のリッティは軽く頷き、丁寧に説明を始めた。
「はい。まず、冒険者登録には測定水晶による魔力紋の確認が必要です。
これは過去に登録歴があるか、犯罪者として指名手配されていないかなどを確認するためのものです」
「身元確認みたいなもんだな。それは結果が出るまでどれくらい時間がかかるんだ?」
「ただいま用意する水晶に手を触れていただくだけで、結果がすぐこちらに届きますので、お時間はかかりません」
技術レベル1.5でそれはすごいな。魔法だろうか。
「問題がなければ、次にお名前と職業をご申告いただきます。
それと、希望される場合は『適性検査』を受けることも可能です。検査を受けない場合は、自動的に最低ランクであるEランクでの登録となります」
「適性検査の結果次第では、もっと上のランクで始められる、ってことか」
「さようでございます。検査で適性が認められれば、DやCからのスタートもあり得ます」
リッティは手早く書類と測定水晶を準備しながら、続けて告げた。
「登録が完了しましたら、続いてパーティ登録に移ります。
こちらはメンバー全員のお名前と、パーティ名、そしてパーティリーダーを決めていただきます」
リッティの説明が終わる頃には、周囲の冒険者たちの視線がじわじわと集まりつつあった。
初見の連中が四人で冒険者登録――しかも、装備がどれも見慣れないとなれば、無理もないか。
「……あいつら、今冒険者登録って言わなかったか?」
「まさか素人ってことはねえよな……今まで何してた奴らなんだろな」
「あの装備で素人だったら、逆に怖ぇだろ。金持ちの道楽か、それとも……」
声を潜めて話す者、露骨に興味を持ってこちらを見つめてくる者。
早速何人かが話題にしているようだった。
その空気の中、リッティは手早く手続きの書類を並べながら、変わらぬ笑顔で俺たちに尋ねた。
「それでは、どなたからでも結構です。こちらの水晶に手をかざし、触れてください」
水晶を見た途端、リリスが俺に耳打ちする。
「あの水晶――妙ですね。内部構造に異常な精密性を確認しました」
「触れるとまずいのか?」
俺が低く問いかけると、リリスは即座に応じた。
「問題ありません。異常とは言ってもこの星の技術と比べて、というレベルです。機能は把握しました。
あれは測定水晶と呼ばれていましたが、実際の構造は、極低出力のエネルギーパルスを断続的に対象に照射し、その反応パターンをリンクされた端末へ送信する装置です」
彼女はわずかに声を潜めて続ける。
「彼らは魔力紋と呼んでいますが、本質的には生体反応と微弱なエネルギー偏向の個体差を識別する、生体同調型パターン認証システムです。
それ以外の機能はなく、危険性もありません。ただ、その出どころには疑問があります」
「この星では作れないものなのか?」
「はい、不可能です。外見はただの水晶球に見えますが、内部構造は異なる次元空間を折り畳むように設計されており、その中に装置本体と動力炉が封入されています。
あれを造れるのは、文明レベル6以上の技術体系に限られます」
妙な話になってきたが――とはいえ、触れなければ冒険者登録はできない。
試しに水晶に触れてみたが、特に何かを感じることもなく、淡々とリッティの声が続く。
「はい、問題ありません。次の方どうぞ」
その後も、全員問題なしと確認された。
名前と職業を申告し、適性検査を受けるかどうかの確認に入った。
「適性検査を受けない場合、Eランクでの登録になるって話だけど……Eランクでも戦闘の依頼は受けられるのか?」
俺が尋ねると、リッティは慣れた口調で答える。
「戦闘ですか? 戦闘系、つまり討伐や傭兵、それに戦闘発生の可能性が高い護衛依頼は、Cランク以上の冒険者向けです。
Eランクではお受けいただけません」
「じゃあ、Eランクで受けられるのは?」
「掃除や採集、運搬などの雑用系依頼のみとなります」
なるほど、適性検査を受けずにEランク登録だと、実戦経験はほとんど積めないってわけだ。
実戦経験を積む――それが目的でここまで来たんだ。Eランクじゃ話にならない。
「では、適性検査を受けることにしよう」
俺がそう告げると、リッティは軽く頷いた。
「かしこまりました。それでは、試験官との模擬戦を行っていただきます。準備が整い次第、ご案内いたしますね」
受付嬢の口調は終始丁寧だったが、その眼差しには、こちらの力量を見極めようという色がわずかに混じっていた。
すると、ざわ……と周囲が色めき立った。
「あいつら、適性検査受けるってよ」
「まじかよ、登録だけで帰ると思ってたんだが」
「どんな戦い方するんだろな。あのゴテゴテの弓とか、あの……なんだ、打撃用か? あの鉄の塊みたいなやつ」
「見に行こうぜ。模擬戦場って裏の広場だろ?」
俺たちをちらちらと見ながら、何人もの冒険者が立ち上がり、ぞろぞろと後をつけてくる。
――どうやら、妙な注目を集めちまったらしい。