09_ドSってこわい
ユアンは壁につけていた手を離し、ウィンターを見下ろして言う。
「いつ気づいた?」
「半年前。でも、誰にもバラすつもりはない」
ウィンターはどこか必死な表情で、切実に訴えた。
「神様は人間のふりをしてるとき、正体を知られちゃいけない決まりなんでしょ。だからお願い、私が生き延びるチャンスを奪おうとしないで」
乙女ゲームの中で、攻略対象の神々は何かしらの理由で地上で生活している。ユアンが人間のふりをする目的は、アンヴィル王国の聖女を観察し、神界に報告することだ。ユアンの報告に、ウィンターの命運がかかっている。
また、第一神ネストロフィアネと、第二神ギノは超不仲だと言われており、第五神ユアンリードは、ネストロフィアネの勢力に属し、ギノに敵対している。
ウィンターは最大の手札を使ったつもりだが、ユアンは笑顔を崩さない。
「それ、交渉のつもり? それともお兄ちゃんを脅してるの?」
瞳の奥に宿る凄みを見て、ウィンターは怯みそうになる。
「兄として君のことはずっと見てきた。脅したって聖女と認めてあげないけど」
「聖女じゃなくなったらまた私、断罪されちゃう。まだ、死にたくないの」
「身勝手だね。神によって選ばれるはずの聖女を偽称するのは重罪だ。断罪騒動がなくても、神罰が下る。どっち道、罰からは逃げられないってこと。裁くのが人間か神かの違いだけで」
ウィンターが沈黙していると、彼は小さく息を吐いて続けた。
「安心しなよ。神界がすぐに君を罰することはない。ギノの交渉で、神界は君の罪は許すかどうか検討することになった」
「本当!?」
「喜ぶのはまだ早い。神界は君が聖女にふさわしいか見極めるために課題を出すことにした。一度聖女を名乗ったなら、ふさわしいことを証明しろってさ。僕は観察役として君の行動を上に報告する」
課題の内容はまだ決まっていないそうだ。それにしても、聖女を偽称したのは冬佳が転生する前の、悪役令嬢ウィンターだ。ウィンターの記憶は残っているものの、今の人格はウィンターではなく冬佳。どうしても、他人の尻拭いをさせられている感じがある。
「もし、ふさわしくないと判断されたら君は――死ぬ」
彼はこちらがどんな反応をするのか、どこか楽しそうに待っている。
だが次の瞬間、ウィンターは心底安堵したように呟いた。
「よかったぁ……」
「は? 何もよくないでしょ。死ぬかもしれないんだよ」
「でも、チャンスはある」
ウィンターがまっすぐに言った言葉に、ユアンは驚いて目を見開いた。
前世で冬佳は治療法のない病に苦しみ、痛みを薬で誤魔化しながら死を待つ日々を送っていた。けれど、今は違う。
「つまり、神界が私を認めてくれる可能性はゼロじゃないってことでしょ」
「ボジティブすぎてドン引きなんだけど。泣いて喚くかと思ったのに」
「期待外れで残念だった? まだ、運命を変えるためにできることがあるだけで、奇跡みたい。お兄様はそう思わない?」
「僕がウィンターなら、死ぬ可能性があることを心配するけど」
何もできず、ただ身体が弱る一方だった前世を思い出し、悲しげに眉をひそめた。だが、気を取り直して自分を鼓舞する。
「絶対、聖女にふさわしいことを証明するから」
ユアンは瞳の奥をわずかに揺らし、面白そうに「へぇ」と呟いた。
「いいよ、伝えとく。最近のウィンターは変わったね。僕は今の君みたいな一生懸命な子、嫌いじゃないよ」
彼は身をかがめてウィンターの耳元で「いじめがいがある」と囁く。ウィンターは真っ青になり、耳を抑えてたじろいだ。ユアンは意地悪に「――なんてね」と口角を持ち上げ、一歩後ろに下がった。
「ところでさ、ギノのこと、どうやって落としたの?」
「落と……!?」
「神界で最も危険で冷酷なギノが、人間の女の子のために掟を破ったって、神界中の噂になってるから」
「……! 私は別に、何も……」
ユアンは口元に手を添え、愉快そうに呟いた。
「まさかギノが、君の処遇を再検討させるためにあんな条件を呑むなんてね」
「あんな条件って?」
「いや、別に。それじゃ、今度教えてね。――神の口説き方」
ユアンはウィンターの額をつんと指で押し、踵を返した。
ウィンターはユアンの後ろ姿を見つめながら、ふらふらと床に座り込んだ。
(リアルのドSって、怖い)
ウィンターはひとり、頭を抱える。
ユアンは乙女ゲームの中で、ドSキャラとして描かれていた。ヒロインならときめいていたかもしれないが、ウィンターは色々とびっくりして心拍数が上がり、冷や汗が流れた。なんだか、寿命が十年くらい縮んだ気がする。
ウィンターは俯き、赤い絨毯の毛先を見つめながら思った。
(神界から私に出される課題ってなんだろう。詳しいことは分からないけど……ギノ様、私の知らない場所でも味方でいてくれたんだ)
胸の中に、じんわりと温かいものが広がる感覚がした。