06_石像に封印された神
神殿を出たウィンターは、屋敷に帰る前に、とある森に向かった。ウィンターが通っている王立学園の近くには、小さな森が広がっている。護衛もつけずにウィンターはひとり、鬱蒼と生い茂る茂みを掻き分けて、森の奥へと進んだ。
三十分ほど歩いたところで、わずかに開けた空間を見つけた。その中央に、白い石像がぽつんと佇んでいる。
「あった」
ウィンターはそう呟く。木の枝を掻き分け、草を踏み歩きながら石像の前に立った。
薄汚れた古い像。全体がひび割れていて、首から上が欠けている。身体は、程よく筋肉がついた男性の姿だ。
この石像は世間で、『首なし』と呼ばれ、恐れられている。像の周りの草や木々が枯れていて、人を呪うと言い伝えられているからだ。そして、頭部は消えているにもかかわらず、その顔が非常に醜いとも囁かれている。
実は、この石像の中に、ギノが封印されている。それを知っているのは、前世で乙女ゲームをプレイしていたウィンターだけだろう。
(この石像の中に、何百年も閉じ込められてたなんて)
一見、ただの石像にしか見えないが、ウィンターは意を決し、石像に話しかけた。
「あのぅ……願い事って受け付けてる感じですかね」
しん……。ただの石像から、返事は返ってこない。
けれど、ウィンターはめげずに続けた。
「も、もしもーし! 聞こえてるんでしょう? 今日は神様にお願いがあってきたんです。実は私、前世の記憶があって――」
ウィンターはそれから、自分の前世が冬佳という日本人であることや、冬佳の人生、乙女ゲームの世界に転生したことなどを包み隠さず話し始めた。
「――というわけで、半年後に処刑されることになってるんですけど、それを避けるために助けていただきたくて。もし処刑されるとしても、せめて痛くないようにしてほしいし、ついでに、世界を滅ぼさないでほしいです。何卒、お願いします……!」
ウィンターは手を組み、全力で祈った。
やっぱり、返事はない。乙女ゲームでは、石像に封印されている間も音が聞こえていると書かれていたので、ウィンターの声は確実に届いているはずだ。思いのたけを全て伝え終えたウィンターは、「よし」と満足げな顔をする。
それから、石像に乗っている枯葉を払い落とし始めた。そして、ポケットからハンカチを取り出し、汚れを丁寧に拭いていく。長い間ほったらかしにされていたせいで、かなり汚れていた。
磨かれてピカピカになった石像を見上げながら、額の汗を脱ぐ。
「ふぅ。とりあえず、こんなもんか。ねぇ神様、綺麗になってスッキリしましたか? 気持ちがいいでしょう?」
ウィンターはふわりと微笑みながら、石像に触れた。
「……五百年も一人ぼっちで、寂しかったですよね。私は、寂しいのは嫌いです」
闇を司る神ギノは、十人の神の中で最も戦闘力が強いと言われている。そんな彼がどうして人間に封印されたのかは分からないが、孤独の辛さならよく知っている。
前世の冬佳も、病気で寝たきりの生活を送っていた。最後の方は声も出せなくなって、誰とも話せなくなった。病気のせいで両親は喧嘩ばかりしていたし、お見舞いに来てくれる友達もいなかった。ずっと、寂しかった。
もしギノにも、寄り添ってくれる人がいたら、世界を滅ぼそうと思わなくなるかもしれない。
「私がもう、神様を寂しくさせません。それじゃあ、また明日もお祈りをしに来ますね!」
最後にそう伝え、ウィンターは森をあとにした。
◇◇◇
「皆さん、おはようございます! そこのあなたも、おはよう」
「「…………」」
前世の記憶を取り戻してから、およそ一ヶ月。ウィンターは、少しでも周囲の悪い印象を払拭し、断罪とバッドエンドを回避するために毎日努力していた。
早朝、王立学園の敷地内を歩きながら、すれ違う生徒たちに元気よく挨拶をし、愛嬌を振りまく。
ウィンターに挨拶された女子生徒たちは、無視して逃げるように校舎へと走っていった。
「あなたもおはよう」
「……」
「そっちのあなたも、おはよう! 今日も一日頑張ろうね」
「…………」
見境なく次々に生徒に声をかけていくが、返してくれる人はおらず、ことごとく無視された。周りを歩く生徒たちが、こそこそと内緒話をする。
「最近のウィンター様、すっかり変わったよね」
「あんなに愛想が良いと気味が悪いな。噂なんだが、学園裏の森に毎日行って、首なしの石像に話しかけてるとか」
「え、何それ不気味すぎる……。とうとう頭がおかしくなったのかしら」
そんな話が耳を掠め、ウィンターは肩を竦める。
(傷つくなぁ)
この一ヶ月間、ウィンターは態度を改め、誰に対しても気さくに優しく接した。サボりがちだった授業も全て出席し、熱心に勉強した。神力を増やすための鍛錬も一生懸命行った。ゴミ拾いや教室の掃除、異国人の道案内から、お年寄りの荷物運びまで、善行をひたすら積んだ。
けれど、ウィンターの善意は、周囲を気味悪がられせるだけで、完全に裏目に出ていた。
(一ヶ月ぽっちじゃ、信頼は取り戻せないか)
無意識にため息を吐くウィンターだったが、すぐに気を取り直し、笑顔でまた一歩を踏み出した。前世ではずっと寝たきりだったが、ウィンターの身体は羽みたいに軽い。今こうして生きていて、健康な体で歩いていることがありがたい。
(自由に動けるって、幸せだな。やれることを頑張ろう)
健気な決意をするウィンターの姿を、レビンとステラが遠くから見ていた。
◇◇◇
放課後は、まっすぐ家に帰らず、石像のもとに足繁く通った。それをこのひと月、毎日続けている。雨の日も、風の日も、毎日だ。
『今日はクッキーを焼いてきました。神様は食べられないけど、私がその分食べるので安心してください! しょっぱ!? 砂糖と塩間違えてた……。いつか封印が解けたら、神様の分も作ってきますね。もちろん砂糖と塩は間違えません!』
『今日は小テストで満点を取ったんです。頑張って勉強してよかったな。神様は勉強は得意ですか?』
『聞いてください。今日は寝坊して学校に遅刻しました。みんなに挨拶しそびれちゃったなぁ。きっとみんな私の挨拶を期待してたと思うんですけど。……なんて』
『ねぇ、今のバイオリン演奏、すごく良かったと思いませんか? ふふやっぱり? 天才だなんて褒めすぎですよもう。まぁ知ってますけど』
ウィンターは、石像に話しかけ続けた。変わらず一度も返事はなかったが、ギノに声が届いていると信じていた。時には歌や、バイオリンを弾いて聞かせることもあった。
その日は雪が降っていた。ウィンターは石像の首にマフラーを巻き、白い息を吐きながら、声をかける。
「今日は寒いですね。これを使ってください。あったかいですか?」
ウィンターは石像に背を預けながら、雪が積もった地面に腰を下ろした。かじかんだ手を擦り合わせて温めながら、いつものように一日の出来事を語る。
「……今日はね、婚約者に言われたんです。今更猫を被っても、誰の気も引けないって……。この半年、私が頑張ってきたことは無駄だったのかな」
苦笑を零し、目を伏せる。
降り積っている雪が溶け、新緑が芽吹く前に――ウィンターは処刑される。
ウィンターは膝を抱え、しばらく黙り込んだ。前世で冬佳が死んだのは、こんな風に雪が降る冬だった。頑張っても、病気には勝てなかった。冬は嫌いだ。
「やってみたいことが……沢山ありました。友達を作って、学園生活を楽しんで、恋をして、毎日幸せに過ごすんです。でも私、死んじゃうみたい。私の人生、良いことなんてなんにもないや。いつも、いつも、報われない……っ」
最後の方は、声が震えていた。熱いものが込み上げてきて、瞳にじわりと涙が滲む。ウィンターは震える声を絞り出した。
「助けて……」
前世でも、何度も何度も神に懇願してきた。でも結局、助からなかった。ウィンターの『幸せになりたい』という祈りは、どの神にも届かないのだろうか。
その小さな懇願は風の音に掻き消された。散々泣いて真っ赤になった目を擦りながら、よろよろと立ち上がる。
なけなしの平常心を掻き集めて笑顔を取り繕い、石像に向かって言う。
「今日でお祈りはおしまいです。この半年間、私なんかの話を沢山聞いてくれてありがとうございました。楽しかったです」
ウィンターは石像に額を擦り寄せ、小さく呟く。
「もし叶うなら、本当の姿の神様にお会いして話してみたかったな。――そうしたら私のこと、友達にしてくれますか?」
前世でも、ウィンターには友達がいなかった。神と友達になれたらきっと楽しいだろう。
ウィンターはそっと額を離して、続けた。
「人を嫌いになる気持ちは分かります。でも、悪い人ばかりじゃないですよ。世界を滅ぼしたって、神様は虚しくなるだけだと思います。五百年も辛いことを耐えてきたんですから、これからあなたに輝かしい未来が待ってるって、私は信じています。――さよなら」
両手を組み、最後にもう一度祈りを捧げる。
(もうすぐ封印が解ける。ギノ様がちょっとでも、優しい気持ちで目覚められますように)
聖女認定式は明日だ。石像に祈りに来るのも、これが最後になる。ウィンターは自分の声がギノの心に届いていることを信じ、踵を返した。もしもギノの心を動かし、世界の崩壊を止められたら、ウィンターのちっぽけな人生にも意義があったということだろう。
ふいに顔を上げると、雲間から陽光が一筋差し込んだ。
そして、石像にピキっ……とヒビが入った。