02_新聖女の新たな危機
その日は家に帰ってから、浴室で身体を清めて仕事の資料に目を通し、気絶するように眠った。けれど、ひと晩で疲れが完全に取りきれず、翌日にも響いた。
王立学園の講堂にて。
まだ一限にもかかわらず、ウィンターは睡魔に襲われていた。神学の授業は特に眠くなる。神学では、あの神とこの神が喧嘩して山や海ができた、この神とその神が浮気して空ができた――などという内容を学ぶ。
ノートを取らないといけないのに、真っ白なまま。
ペンも動いておらず、代わりに首がこくん、こくんと軽く上下していた。
ウィンターは夢の中でも、聖女の仕事に追われ、結界の修復をしていた。
「――さん、ウィンターさん」
先生の呼びかけにより、夢の中だった意識が現実に引き戻され、はっと顔を上げる。返事をして、慌てて立ち上がった。
「は、はい……!」
「居眠りしてないで、ちゃんと話を聞きなさい」
「……すみません」
ウィンターが謝ると、くすくすとどこかから笑い声が聞こえる。
「問二の問題の答えは分かりますか?」
そう尋ねられ、急いで教科書を開き、ペラペラとページをめくる。しかし、どのページの問二なのかがまず分からない。
ウィンターがあわあわしていると、隣の席に座っていたピンク髪の男子生徒が、小声で「二百五ページ」と囁いた。
「はい。国家と神殿の関係はテール宣教条約で基礎が築かれたと思います」
「正解。座ってよろしい」
無事に答えられてほっと安堵したウィンターは、椅子に座り直す。それから、問題が書かれているページを教えてくれた親切な彼の方を向き、礼を伝えた。
「助けてくれてありがとう」
愛想よく笑顔を浮かべてみせたが、彼はそっけなく「別に」と答えて、視線をすぐに教科書に落とした。
◇◇◇
うまくいかない日は、とことんうまくいかないらしい。
神学の次は、魔法薬学の授業だった。授業中、実験室に女子生徒の悲鳴が響き渡る。
「きゃあっ! てか、は……何これ」
「先生ー、ウィンターさんがフラスコ爆発させました。しかも何か変な植物が生えてきたんですけど」
実験の内容は、治癒ポーションの精製だった。軽度の外傷を癒す初級の治癒だ。
いくつかの薬草や樹脂をお湯に入れて沸騰させ、そこに神力を注いでいく。
ここでもウィンターは、神力のコントロールに失敗し、フラスコは割れ、樹皮から不格好な植物を生えさせた。
結界魔法はだいぶ形になってきているが、治癒魔法はまだまだ鍛錬が必要そうだ。
ウィンターの実験班のテーブルにやってきた先生は、フラスコを見下ろして呆れ交じりに言う。
「長いこと教師をやってきましたが、治癒ポーションを作る代わりに植物を生やした生徒は初めて見ましたね。後で片付けておくように」
「……すみません」
「むむ、この植物は――」
初老の男性教師の彼は、白い髭が生えた顎に手を添え、植物を覗き込んだ。
「でくのぼうという品種ですね。この辺では珍しい」
「でくのぼう」
どこかから、「誰かさんにぴったり」という囁きが聞こえた。
確かに自分にお似合いの植物だなと、天井を仰ぐ。そして、周囲の生徒たちも、思わず吹き出して肩を震わせている。
(私は役立たずってことですか、神様)
神力の源である神に、心の中で問う。
すると、その問いに答えたのは、神ではなく先ほど助けてくれたピンク髪の彼だった。
「でくのぼうは一見役立たずそうに見えますが、鮮やかな緑の顔料として、芸術家に重宝されてきました。とても役に立つ植物なんですよ」
「そうなのか。君は詳しいな」
ウィンターは物知りな彼の説明に感心しつつ、でくのぼうが役立たずではないことが分かって、なんだかちょっぴり嬉しくなったのだった。その直後、でくのぼうは喜びをあらわにするかのように不格好な花を一輪そっと咲かせた。
授業が終わったあと、ウィンターは廊下を走って、先程の男子生徒を追いかけた。
「待って……っ」
目の前を歩いていた青年は立ち止まり、こちらを振り返る。
ピンク髪に中性的な顔立ちをした彼の名前は、エリアノ・ルクレール。貴族の令嬢令息が通う王立学園には珍しい平民出身で、眼鏡をかけており、真面目で大人しそうな雰囲気がある。
クラスメイトだがあまり目立つタイプではなく、いつも教室の隅で静かに本を読んでいる感じ。
「エリアノ、だよね」
「はい。僕に何か?」
「今日のお礼を伝えたくて」
「……お礼を言われるようなこと、何もしていないと思いますが」
エリアノは無表情でそう答える。
「神学の授業で教科書のページを教えてくれたでしょ? それにさっきは、植物のことを教えてくれて嬉しかった」
「はぁ……」
「植物に詳しいんだね。好きなの?」
ウィンターはにこにこしながら話を続けるが、エリアノは露骨に迷惑そうな顔をして言った。
「何がそんなに楽しいんですか?」
「へ?」
「クラスメイトに笑われて、馬鹿にされてもへらへら笑って……。見ている方もいい気分はしないんです。そんな様子だから、舐められるんじゃないですか」
おっしゃる通りで、ぐうの音も出なかった。
「聖女に選ばれたからって、学生の本分をおろそかにするべきではないと思います。君みたいな人がいると、学園の士気が下がって迷惑です。学びたくても好きに学べない人だっているのに」
最後の方の声は、どこか憂いのようなものが乗っていた。
「――僕はもう行きますので」
エリアノは冷たくそう告げて、踵を返した。離れていく彼の後ろ姿を呆然と見送る。
(ちょっと親切にされたからって浮かれてたみたい、私)
失敗ばかりしている自分が情けなくなり、ウィンターは困ったように笑いながらしゅんと肩を落とした。
◇◇◇
そして、その日の夕方。学園から帰ったウィンターは、父の執務室に呼び出された。
「失礼します」
部屋に入ると、父は執務机で熱心に仕事をしていた。視線を上げた父の険しい表情から、不穏な気配を感じ取り、ごくんと固唾を飲む。
「何か私に言わなくてはならないことがあるんじゃないか?」
「え、えっと……なんでしょうか」
心当たりがありすぎて、逆に困る。
「これを見なさい」
父は仕事をする手を止めて、ペンを机に置いてから、一通の手紙をすっと差し出した。差出人には、王立学園と書かれていて。
何か、嫌な予感がする。
父はこちらを静かに見据えながら言った。
「学園から先程連絡が来た。ウィンター。お前は今――留年の危機だそうだ」




