04_王太子は聖女候補を優先する
レビン・アンヴィルは、この国の王太子であり、乙女ゲーム『ラピナスの園』の攻略対象キャラだ。そして、攻略対象の中で唯一の人間である。アンヴィル王国の初代国王は、神と人間の子だと言われており、王族はすなわち――神の子孫にあたる。
王太子の登場に、その場にいた者たちは、恭しく頭を下げる。ウィンターも神官たちに合わせて、お辞儀をした。
「そうかしこまらなくていい。皆、顔を上げなさい」
レビンの一声で一同が頭を上げる。彼は人々の顔を確認し、ウィンターのことは見向きもせず、ステラに微笑みかける。
「レビン様……っ! どうしてこちらに? お会いできて嬉しいです」
ステラはぱっと花が咲いたように表情を明るくし、レビンもまた、優しげに目を細めていて。とても親密な関係なのが伝わってきた。
「ウィンターにひどいことを言われていたのか?」
「レビン様が来てくださったから、平気です」
そのとき、ウィンターは心の中で違和感を覚えた。
(その言い方だと、私がひどいこと言ってたみたい)
今日はただ挨拶をしただけで、ひどいと言われるような何もしていない。
すると、レビンはステラを庇うように前に立ち、冷たい眼差しでこちらを見据えた。
「ウィンター。どうしてそなたがここにいる? ステラに不用意に近づかないように、散々忠告してきたはずだ」
「私もステラと同じ聖女候補です。毎月、神殿に足を運ぶのが習わしでしょう?」
「はっ、聖女候補だと? そなたが未来の聖女だという神託を聞いた者は、そなた以外にひとりもいない。現時点でそなたはお飾りの聖女候補に過ぎない。鍛錬を怠って半年も神殿に来なかったそなたが、今更何をしに来た?」
レビンはウィンターをいぶかしげに見つめてくる。ここで、前世の記憶が蘇って運命を変えようとしているのだと荒唐無稽な話を持ちかけても、まともに取り合ってはくれないだろう。
「これまでの振る舞いを反省して、心を入れ替えたんです」
そう答えることしかできなかった。だが、ウィンターの言葉はレビンの心に届かない。彼は冷笑混じりに「どうだかな」と低く呟いた。
「昔からそなたは、自分が不利になるとすぐ嘘を吐く。もう私はそなたを信用していない」
昔のウィンターは確かに、よく嘘を吐いていた。
ステラは小さく震えながらレビンの袖をきゅっと掴み、不安そうな顔をした。彼はステラの華奢な肩を抱き寄せた。
「そなたのせいでステラが不安がっている。彼女はやがて世界を救う聖女になる。その命の価値は、王族である私と同等か、それ以上だ。最後に忠告をさせてもらう。もしステラを傷つけるようなことがあれば、婚約者であろうと――決して許さない。どちらが偽物かどうかは、聖女認定式で明らかになるだろう」
そのとき、レビンの瞳に鋭さが宿る。美しい顔に威圧が乗ると数段迫力が増し、ウィンターは喉の奥をひゅっと鳴らした。
告げられた言葉が、ウィンターの胸に重くのしかかる。聖女は一国につきひとり誕生すると決まっている。レビンはステラが本物だと確信しているようだ。
「さぁ、行こう。ステラ」
「え、ええ。でも、婚約者様を置いていってしまってよろしいのですか……?」
「気にしなくていい。未来の聖女を守るのは、王族として当然の務めだ」
アンヴィル王国の伝統によって、王太子は代々聖女を娶ることが定められている。レビンはステラが未来の妃であるかのように、彼女を丁重に扱った。
レビンがそっと手を差し出すと、ステラは自分の手を上に重ねる。レビンは婚約者ではなくステラを建物までエスコートするつもりのようだ。そして、ステラは踵を返す寸前、こちらをちらりと見た。
「それでは、お先に。ウィンター様」
ぺこりと軽く会釈するステラ。彼女がわずかに浮かべた微笑みには、優越感が含まれているように見えた。ステラはレビンの腕に手をかけながら、ウィンターに聞こえる声で楽しそうに話し始めた。
「そうだっ、この前いただいた手紙のお返事、まだ出せてなくてごめんなさい。あの花の香りがする便箋、すごくかわいいですね。嗅いだことがある匂いだったんですけど、なんの花だったか思い出せなくて……」
「ラベンダーだ。最近、令嬢たちの間で香り付きの便箋が流行っていると聞いてな。そなたが喜んでくれると思って使ってみた。返事は無理して書かずともよい」
「ふふっ、無理なんてとんでもないですよ。ただ、何を書こうか迷っているだけで」
「そうか。では、気長に待つとしよう」
ウィンターはこれまで何度もレビンに手紙を送っていたが、一度も返事をもらったことがなかった。
(こんなあからさまに脈ナシなことある……!? でも不思議。仲が良さそうなふたりを見ていても、悲しくない)
ぽつんとひとり残されたウィンターは、寄り添い合うレビンとステラの後ろ姿を見つめ、肩を竦めた。
(婚約者がいるのに、他の令嬢をエスコートする男の人なんて、全然魅力的じゃない。ウィンターもレビン様を早く諦めればよかったのに)
記憶の中の悪役令嬢ウィンターはレビンに執着していたが、冬佳の人格が宿る今のウィンターには、彼の魅力がよく分からなかった。
ウィンターは嘘を吐いてまで、レビンの婚約者の座に執着していた。けれど、ウィンターをもっと大切にしてくれる男性が、他にいるのではないか。
ゲームの王太子ルートでは、現段階でふたりはすでに恋に落ちている。まだお互いに想いを口にしていないかもしれないが、シナリオ通りに愛し合っているに違いない。
◇◇◇
神殿の祭壇室で、ウィンターは神力測定を行った。先に測定をしたステラは、前回よりも神力量が増えていたらしく、神官たちが喜びの声を上げていた。
測定を終えたステラは、レビンと一緒に祭壇室を出て行き、ウィンターの順番が回ってきた。測定の手順は簡単で、祭壇に置かれた測定器に手を置き、神力を注ぐだけだ。
すると、測定を見守る神官が、ウィンターに対して嫌味を零す。
「神力は偉大なラピナス十神が信仰心の代わりに我々に授けてくださる特別な力です。神に祈りを捧げず、なんの努力もしていないあなたに、この測定器が必要かどうか疑問です」
彼の言っていることは正論で、何も言い返せなかった。
そして、神力を有しているだけでは聖魔法を扱うことはできない。神々のことを理解し、聖魔法の呪文の発音や魔法陣の描き方などを習得することで、初めて聖魔法師になれる。
「聖女候補は通常、神殿が選ぶものです。けれど、あなたは神殿を脅迫して無理矢理候補に加わった。言葉を選ばずに申し上げれば、あなたは――卑怯者です」
「……」
奇特な神官の言葉が、ウィンターの胸にぐっさりと刺さる。神託で聖女候補に選ばれたステラと違い、ウィンターは自分から名乗り出た。神意を盾にしたせいで誰も反論しなかったが、内心ではほとんどの者が、ウィンターを嘘つきだと疑っている。
『さっきお祈りをしてる最中にはっきりと神託を聞いたの! 私が聖女だって。ねえ、神託に逆らって神罰を受けたいの? 私を聖女候補にしなさい。レビン様の婚約者にふさわしい女は私以外にいないんだから……!』
全ての始まりは、悪役令嬢ウィンターの嘘だった。
「私はもう、辞退しようと考えています」
「辞退ですって? 負けるのが分かっているから、ここまで来て逃げるのですか? 私どもはあなたに脅されたことを忘れていませんよ。自分の発言には最後まで責任を持つべきです。そして、もしあなたが嘘つきなら――罰を受けてください」
ゲームの強制力か、それとも運命なのか、ウィンターに逃げる選択肢がないように感じられた。断罪される結末へと、着実に引っ張られているような感覚がする。
ウィンターは神力測定器に手を置き、なけなしの神力を注ぐ。しかし、数値を示す指針はほとんど動かなかった。
(みんな、私が罰を受けることを望んでる。断罪から逃れる方法は、ないの……?)
ウィンターの中に、本来のウィンターの人格は残っていない。どうして冬佳が、他人の罪を代わりに償わなくてはいけないのだろうか。理不尽な現実に、下唇を噛んだ。