30_王太子の能力とわだかまり
「ええっ! ステラの侍女だったの? じゃあ今日、ステラも王宮にいるってこと?」
「はい。王太子殿下との面会に」
「そうだったんだ。なら、ステラに私の話は聞いてるよね。……色々と」
ルアラはいたたまれなそうに頷いた。彼女の様子を見るに、聞こえの良い話ではなさそうだ。
そのとき、割れた窓から吹き込んだ風が、ウィンターの長い青髪を揺らした。このガラスの穴は、ルーヌ川の結界の穴よりふた周り小さいくらいだろうか。
(いい練習になるかも)
ウィンターは両手をかざし、呪文を唱えた。穴は徐々に、ウィンターの結界で塞がれていく。隣でそれを見ていたルアラが、「すごい……」と呟いたのと、ウィンターがよろめいたのほぼ同時だった。素人目にはすごいかもしれないが、聖魔法師としてはまだまだ未熟だ。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫。神力を使いすぎて、ちょっと目眩がしただけだから」
ルアラに支えられながら、心配させないように微笑む。
神力を増やすための鍛錬は毎日しているものの、やはり光魔法は苦手だ。この程度の結界を張るのに手こずっていては、聖女の器とはとても言えない。ステラだったらこの穴を塞ぐのは朝飯前だろう。
「やっぱり、ステラはすごいな。私ももっともっと頑張らないと」
ぐっと拳を握り締めて意気込むと、ルアラは言った。
「ステラ様はきっと、ウィンター様のことを誤解していらっしゃるんだと思います。私、ステラ様にウィンター様は素敵な方だったと伝えます。きっとお二人は仲良くなれるはずです」
「は、はは……なれる、かな?」
「なれます!」
うんうん、と自信ありげに頷くルアラに対し、ウィンターは少し懐疑的だった。ステラは相当ウィンターを毛嫌いしており、もはや取り返しがつかない感じがするから。
(残念だけど、ステラとは一生分かり合えなそう)
そのとき、聞き馴染みのある澄んだ声が鼓膜に届く。
「そこで何をしていらっしゃるの?」
「お嬢様! 王太子殿下……っ!」
ルアラはステラとレビンの姿を見て、深々と頭を下げる。ステラはルアラとウィンターを交互に見比べてから、こちらに駆け寄ってルアラの手を握った。
「大丈夫!? ひどいことはされていない?」
「!」
ステラはウィンターをどれだけ悪人だと思っているのだろうか。主人の問いに対し、ルアラは慌てて弁解する。
「そんな……ひどいことなんてとんでもありません。むしろ、ガラスを割った私を庇っていただいたんです」
「そう言えと脅されているのね?」
「……はい?」
ステラの返答は予想外のものだった。彼女はさらに続ける。
「嘘をつかなくてもいいのよ。わたくしは全部分かっているから」
「ち、違います。本当に嘘はついてません」
ルアラは必死に訴えるが、ステラはそれを軽く跳ね除け、ウィンターが悪人というストーリーを信じきっていた。そこで、様子を見ていたレビンが口を開く。
「そのメイドが嘘をついているようには見えない。ウィンターが庇ったのは事実なのだろう。どちらにしろ、あとで王宮の使用人たちに状況を確認しておく。ステラ、私はウィンターと少しふたりで話がしたい。少し外してくれるか」
「何をお話するんです?」
「大した話ではない」
「だから、その大した話というのは――いえ、分かりました。わたくしは応接間におりますね」
「すぐに私もそちらに行く」
ステラはとても嫌そうな顔をしたが、ルアラを連れてその場をあとにした。そして、ステラを見つめるレビンの表情に、硬さがあるのをウィンターは感じ取った。
「助けてくれてありがとうございました」
「礼はいい」
レビンが仲裁しなかったら、ウィンターはずっとステラに疑われていたかもしれない。
彼は、ウィンターが修復した窓を見て手を伸ばす。結界を指先で撫でながら言った。
「そなたが張った結界か?」
「はい」
「及第点だな。厚さが均等ではない」
「手厳しい……」
結界魔法の実力がまだまだなのは自分でもよく分かっているが、改めて指摘されてしゅんと肩を落とす。すると彼はその様子を見て小さく笑う。
「だが、よくここまで頑張ったな。以前のそなたとは比べ物にならないほど成長している」
「……!」
レビンに褒められたのは、初めてかもしれない。ウィンターが驚いて目を見開いていると、彼はどこか重々しく言った。
「私はもう、そなたを偽物とは思っていない。だから、神殿に交渉していくつもりだ。そなたが平和に生きていく道を私が探してみせる」
「交渉? 一体何の話です?」
「先日、新たに神託が下りた。『ふた月後に再度、聖女認定式を行う。聖女はふたりも要らない』と。そこで神殿は、選ばれなかった者を人々を混乱させた罪で裁くと話している」
「……!」
驚きや戸惑いを感じるともに、ウィンターの表情が曇っていく。神界はギノの交渉によってウィンターの処遇を検討した上で、その答えを出したのだ。
(神殿の人たちはまだ、私が嘘つきだと疑っているのかも)
歴史の中で、各国で選ばれた聖女は常にひとりだけだった。もうひとりの聖女の存在は、社会の秩序を乱しかねない。それにウィンターは、嘘から始まった肩書きだけの偽聖女だ。
「もし選ばれなかったら、処刑ですか?」
「可能性はある。だが、私は反対だ」
レビンは拳を握り締め、顔をしかめた。普段冷静で感情をあまり表に出さない彼が、こういう焦ったような表情をするのは珍しい。
「実は、私は子どものころから時々、神の声が聞こえることがあるのだ」
それは、神殿にいる巫女と同じような力で、神の末裔とされるアンヴィル王国の王家に伝わる能力だ。ウィンターは乙女ゲームをプレイしていたので、それを知っている。
「そなたが私の妃になるために嘘をつき、聖女を偽称したこともずっと前より知っていた。神界から私は、神界の掟に従ってそなたを裁くよう命じられていた」
「……! それで、あの公開断罪をしたんですね。レビン様の意思なんだと思ってました」
「全ては神意だ。昔のそなたは自分勝手だった。だが今のそなたは変わったし、私の大切な弟……ルークの未来を守ってくれた」
話を聞いている感じだと、神の声が聞こえていても、ルークの正体が神だということは知らないようだ。ウィンターはそっと目を伏せた。
「私が嘘つきだって、知っていたんですね」
「ステラが聖女候補になった時期に知った。だから私は、ステラを常に優先してきた」
「その『だから』はどういう意味ですか?」
「そのままだ。私は常に神の意思に従っている」
まるで、レビンの心は無視しているような言い方に、違和感を覚える。
「レビン様はステラを愛していらっしゃるんですよね」
「…………」
レビンは言葉に詰まった。少しだけ間を置いてから、険しい表情で答える。
「当然だ。王太子が聖女を愛するべきというのが神意であり伝統だ。だから私はずっと、ステラを優先し、尊重してきた。彼女を愛している」
「それは本当に、心から?」
しかし、その問いには返事が返ってこなかった。
この国で、神は絶対。レビンは神が選んだ聖女だからという理由で、ステラに付きっきりだったのだと理解した。もしかしたら、ステラの焦ったような余裕のない態度も、レビンからの愛情を疑ってのことかもしれない。
「もう、私の話はいい。そなたは自分の心配をしなさい」
「そう……ですね。神様って、なんだか怖いです。ちょっと無慈悲じゃないですか?」
すると、レビンは玲瓏と言った。
「たった今、そなたに向けて神界から言葉が降りてきた」
「わ、私にお告げですか?」
彼は頷く。お告げがこんな風になんの前触れもなく降りてくるものだとは思わず、驚くウィンター。
「神は言った。『そなたが我々を無慈悲と思うならそれでいい。だが我々は、そなたの姿を常に見守っている。ただ、そなたをふさわしい場所に連れて行くのが我々の役目である』と」
「難しくてよく分からないです」
「要するに、試されているということだろう。そなたがこの試練をどう受け止め、どう向き合っていくか。私は、運命があるなら、それは変えられると信じている。そなたもきっと」
「!」
ウィンターは神界から、ルーヌ川の結界修復という課題を与えられている。予言の結界に穴が空く日まで、ひと月を切っている。
(そうだ。先のことを考えたって仕方ない。今は目の前にあることを頑張ろう)
やれるだけ頑張ったら、あとは神に任せるしかない。前世からずっと、そうだった。ウィンターはレビンにふわりと微笑みかけた。
「ありがとうございます。レビン様のおかげで心が軽くなりました。もう少し頑張ってみます!」
「わ、私はただ、神の言葉を通訳しただけだ」
ウィンターの笑顔に、レビンは瞳の奥を揺らした。彼はこほん、と咳払いしてから、どこか気まずそうに言った。
「もしもの話だが、そなたが聖女になったら、私と再婚約する気はあるか?」
「まさか。ないですよ」
一も二もなく答えると、レビンは一瞬だけ、眉をひそめる。
「……即答だな。私もそなたの気持ちを尊重したいと思っている。それで、互いのわだかまりはなしにしてくれるか? これまで辛く当たってきて、悪かったと思っている」
「レビン様がそれでいいなら。私の方がずっと迷惑をかけてきたんですから、謝らなくていいですよ」
「あ、ああ。まぁ、そうだな」
(否定はしないんだ……)
レビンは少しだけ間を置いてから、最後に険しい表情で言った。
「これは私個人の見解だが、試されているのはそなただけではない。恐らくは――ステラも」




