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02_どうせ叶わない恋なら


「きゃあぁぁぁぁ……っ!」


 ウィンターはエヴァレット公爵邸の自室で目を覚まし、寝台の上で勢いよく半身を起こした。

 そっと手を伸ばし、額を抑えながら深いため息を吐く。心臓が激しく音を立てていて、汗でナイトウェアが肌に張り付いていた。


「また、この夢……」


 ウィンターはこの一週間、毎晩同じ悪夢を見ていた。悪夢というより――予知夢と言った方がより正確だろう。

 婚約者であるレビンから婚約破棄を突きつけられた挙句、断罪される。これは、ウィンターが迎える未来なのだ。

 そして、この悪夢を見始めたのは、一週間前に前世の記憶が蘇ってからだ。


 前世で日本人だった冬佳(ふゆか)は、病死し、生前にプレイしていた神話系乙女ゲーム『ラピナスの園』の悪役令嬢に転生した。ウィンターとして生きてきた記憶はあるものの、現在のウィンターの人格は完全に冬佳だ。

 この王国には、色んな事情があって神々が地上で人間に紛れて生活しており、『ラピナスの園』は、ヒロインのステラが、攻略対象の麗しい神々との恋愛を楽しむゲームだった。


 ウィンターはそのゲームの中で、ヒロインのライバルであり、偽物の聖女という設定だ。王太子レビンと結婚したくて、嘘を吐いて無理やり聖女になり、本物の聖女であるステラの邪魔をする。そして、『人々を混乱させた偽聖女』として断罪されるのだ。


 寝台から立ち上がり、机の前にある椅子に座る。手鏡を手に取ると、悪役令嬢ウィンターの顔が映っていた。


『この国の真の聖女は、ステラ・イーリエただひとりである』


 乙女ゲームのシナリオ通りであれば、今から半年後の聖女認定式で、このような神託が降りる。


(このままだと、私は半年後に――断罪される)


 スカートの上に置いた拳を、ぎゅっと握り締めた。


 ウィンターは、高飛車でプライドが高い悪役令嬢だ。代々優秀な氷魔法師を輩出するエヴァレット公爵家の令嬢でありながら、全く努力をせず、神力量が人並み以下の落ちこぼれ。それなのに、聖女を偽称して偉そうに振る舞った。ウィンターが嫌われるにつれ、真面目で優秀なもうひとりの聖女候補ステラの評価は上がっていった。


 ウィンターが聖女を偽称したのは、レビンが好きで、彼の妻になりたかったから。しかし彼は、未来の聖女がステラであることを見抜いており、いつでもステラに付きっきりで、彼女を優先していた。


『すまない、ウィンター。今日の予定はキャンセルさせてもらう。ステラが体調を崩したから見舞いに行くんだ』

『次の園遊会は、ステラと参加させてもらう。彼女が緊張していると言っていてな。そなたのエスコートはできないから、他の人を誘ってくれ』


 レビンが自分よりステラを優先する度に、胸を痛めながらも、彼の妻になりたいと一途に願っていた。しかし、その恋も人生も、公開断罪という形で幕を閉じる。


 前世の冬佳は、小さいころから病弱だった。学校にも通えず、友達もいなかった。徐々に身体が動かなくなっていき、長い間寝たきり生活を送った末、若くして死んだ。

 辛い闘病生活を送っていた冬佳にとって、乙女ゲームをプレイするのが唯一の楽しみだった。病気の進行ともに、ゲームも途中からできなくなったのだけれど。


 本当は普通に学校に通い、普通に就職して、恋をして……人並みの幸せを味わいたかった。けれど冬佳は、普通の人生を歩むことなく死を迎えた。


(破滅するなんて――絶対に嫌)


 叶わない恋はある。叶わない願いもある。けれど、叶う恋や願いだってどこかにきっとあるはずだ。早くにそちらに意識を向けていたら、あんな結末にはならなかっただろう。


 ウィンターは破滅を回避することを決心した。そして、椅子から立ち上がり、自室を出て父の執務室へと向かうのだった。



 ◇◇◇



 ウィンターはだだっ広い廊下を歩き、父の執務室に行った。ノックをして、扉の奥から低い声で「入れ」と促されたあと、部屋に入る。


 部屋の左右の壁掛け本棚にぎっしりと本が並び、正面に大きな窓がある。

 書類の山が積み上げられた執務机に座る父が、仕事をしていた。


 彼は部屋に入ってきたウィンターに目もくれず、作業を続けている。しばらく待ってみたが、一向に作業を止める様子がないので、遠慮がちに声をかける。


「あの……お父様、ウィンターです。お願いしたいことがあって来ました。少しだけお時間をいただけますか?」

「お願い――だと?」


 その瞬間、父の眉間に深い縦じわが刻まれる。彼はペンを動かしながら、ため息を吐いて言った。


「今、仕事が忙しいのが見えないのか? 話があるなら後にしてくれ。お願いというのもどうせ、ろくなものではないんだろう。この間言っていた別荘が欲しい話か? ああ、学園の気に入らない生徒を退学させろという頼みなら聞かないぞ」

「……」


 父の声から、ウィンターを煩わしく思っている気持ちがひしひしと伝わってきた。ウィンターはしょっちゅう父に頼み事をしては困らせてきたからだ。


 世間では、両親が甘やかすせいでウィンターがわがまま性格に育ったと噂されているが、実際、両親はウィンターの機嫌を損ねて騒がれても面倒だから、しぶしぶ望むものを与え、好きなようにさせてきたのだった。


「違います。今日は、聖女候補についてお話ししたくて。その……私、聖女候補を辞退したいんです。色々考えた結果、やっぱり私……聖女には向いていないと思って」

「…………」


 すると、父はペンを動かす手をピタリと止めた。ゆっくりと視線を上げ、ウィンターを見つめる。鋭い眼光に射抜かれ、ウィンターはごくっと固唾を飲んだ。


「――駄目だ」


 父の声が、静かに執務室に響く。


「どうしてですか……?」

「どうしてもこうしてもない。神の意向は絶対。神託によって聖女候補になったのを拒めば、神に歯向かうことと同じだ。神罰を受けて死にたいのか?」

「それは……」


 だが、嘘を吐いて聖女候補になったウィンターは、すでに神に楯突く取り返しのつかない罪を犯してしまっていると言える。父も、娘が個人的に神託を受けた件は、疑っている様子だった。


「もうひとりの聖女候補は優秀だと聞いている。どうせお前は選ばれないだろうし、聖女認定式まであと少しじゃないか。お前も神託を受けたなら、最後まで神意に従いなさい」


 ウィンターはきゅっと唇を引き結んだ。半年後にウィンターは、聖女を偽称したことがバレ、人々を混乱させた罪で断罪される。父は責任を取って公爵家の当主の座を退き、爵位をウィンターの兄ユアンに譲ることになる。父は厳格で真面目で、模範的な領主だった。彼にとって唯一の欠点は、どうしようもない娘を持ってしまったことだろう。


 今から聖女候補を辞退すれば、断罪を免れるかと思ったが、父は納得してくれそうもなかった。


「聖女候補の件は分かりました。それともうひとつ、お願いがあるんですけど……」

「まだ何かあるのか?」


 父の眉間のしわがますます濃くなったのを見て、ウィンターは冷や汗を浮かべる。けれど、震える喉を鼓舞してどうにか言葉を絞り出した。


「はい。レビン様との婚約を解消……したくて」


 要求の内容を聞いた彼は、鬼の形相をしていて。その表情に気圧され、ウィンターは思わず、ぴんっと背筋を伸ばした。彼は低い声で言う。


「私がそれを、許すと思ったか? 聖女と王太子の婚約は、この国の伝統だ。公爵家の一存で反故にできるものではない。それこそ、お前が聖女候補でなくなれば話は変わるがな」

「…………」


 ウィンターは沈黙し、父の言葉を受け入れた。

 聖女候補はウィンターが一人目で、ステラが二人目だった。だから、先に王太子と婚約したのが、ウィンターだった。


「用が済んだなら出て行きなさい。お前のつまらない話を聞くほど、私は暇ではない」

「……はい。お忙しいところ、失礼しました」

「全くだ。どうしてお前は私を悩ませることばかりするのか……。少しはユアンを見習ったらどうだ?」


 ユアンはウィンターの兄だ。兄といっても血の繋がりはない。エヴァレット公爵家には跡取りとなる男子がいなかったため、彼は養子として迎えられた。そしてユアンもまた、『ラピナスの園』の攻略対象のひとりである。有能で人当たりもよく、完璧な令息だ。


「それでは失礼します。お父様、目の下にクマができていますよ。あんまり無理はしないように。身体に気をつけて」


 ウィンターはそう言ったあと、淑女らしく礼をして執務室を後にするのだった。

 一方、執務室に残された父は、ウィンターの後ろ姿を見送りながら目を見開き、驚いた様子で呟いた。


「あのウィンターが、私を気遣った……だと?」


 いつも自分のことばかりで思いやりを見せなかったウィンターが、他人を気遣うのは初めてだった。


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