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19_小さな彫刻

 

 ギノをソファーに座らせたあと、ウィンターは窓の鍵を閉めた。


「もう動いて大丈夫なのか?」

「はい。治癒魔法のおかげですっかり元気です」

「そうか」


 ウィンターはカーテンの紐を結び終わると、ティーセットを用意してローテーブルに置いた。すると、椅子に座っているギノが言う。


「傷ついたぞ」

「何が……ですか?」

「俺を、妄想癖のある変わり者だと言った」

「あ、あれは、あの場を収めるために言ったんです……! 傷つけるつもりはなくて……っ」


 動揺して目を泳がせていると、ギノは「冗談だ。怒っていない」と軽く笑った。ギノは足を組み、ウィンターが淹れた紅茶をひと口飲んだ。


「元気そうな顔を見て安心した。今回は見舞いを兼ねて、神界から新たに出された課題を伝えに来た」

「ま、また新しい課題ですか?」

「次の課題内容は、ルーヌ川近くにある巨大な瘴気溜まりの結界修復だ」


 ルーヌ川の名前を聞いて、ウィンターは眉をぴくっと動かす。ルーヌ川の中流付近にある巨大な瘴気溜まりは、乙女ゲーム『ラピナスの園』において、重要な役割を持つ場所だ。

 聖女の最も大きな仕事は、結界を維持すること。瘴気溜まりから無数の魔物が発生するのだが、聖女が作った結界がそれらを人に近づけないようにする。


 ルーヌ川の瘴気だまりの規模は、この国最大で、その結界は歴代の聖女たちによって維持されてきた。しかし、乙女ゲームのバットエンドでは、復活したギノがその結界を破壊し、魔物が解き放たれ――世界が滅びてしまう。


(大丈夫。ギノ様はもう、世界を滅ぼすなんて過ちを犯したりしない)


 ギノの話によれば、神界はおよそ二ヶ月後にルーヌ川の瘴気溜まりに穴が開くのを予知したのだという、

 ウィンターはギノに言った。


「私はまだ、りんごに結界を張るのでやっとなんです。あんなに大きな瘴気溜まりの結界を修復するなんて、とても……」


 できない、という言葉は喉元で留める。口に出したらそこで本当に不可能になってしまう気がして。


「だろうな。神界は、最初からお前にできると思っていない」

「それってどういうことですか?」

「つまり、お前を聖女から引きずり下ろすために、あえて無理難題を与えているということだ」

「……!」


 そこで、先ほどユアンが言っていた、『これから色々大変だろうけど』という言葉の真意を理解したのだった。


 ウィンターには聖女としての資質はなく、ギノの気まぐれによって選ばれた名ばかりの聖女に過ぎない。どんなに鍛錬して優秀な聖魔法師になったとしても、所詮はただの嘘つきだ。

 だから、神界は本来の秩序を取り戻すため、ウィンターを排除しようとしている。


「だから、今回の神力測定も、ギノ様が私に協力できないように神殿掃除をさせて遠ざけていたんですね」

「ああ」


 ウィンターは眉をひそめ、俯いた。


「だが、諦めるつもりはない」

「!」


 ギノの静かな言葉に、ウィンターははっとして顔を上げた。


「今回の課題も、決して達成不可能という訳ではない。結界は全面的な張り直しではなく、部分修復。覚醒した聖女でなくてもどうにかできる。お前に聖女の素質はないが、聖魔法師としての素質はそれなりにあるように見える」


 エヴァレット公爵家は、代々優秀な氷魔法使いを輩出している。乙女ゲームでも、ハッピーエンドルートの悪役令嬢ウィンターは、戦闘でヒロインを手助けし、ラスボスとの戦いにも活躍していた。


「やってみるか?」

「もちろん」


 ウィンターが即答すると、ギノは少し微笑み、「良い返事だ」と満足げに答えた。


「怖気付くな。お前は能力の及ぶ範囲で最善を尽くしていればいい。よくも悪くも、神界はその姿を常に見守っている」


 ギノは手に持っていたカップを置き、こちらをまっすぐに見つめた。深い闇を宿したような黒い瞳に射抜かれ、吸い込まれそうな気分になる。



「神界を含め、あらゆる者がお前を否定しても、俺はずっと味方だ。何があっても――お前を守ってみせる」



 強い覚悟を宿した言葉が、ウィンターの胸に静かに届き、心を震わせた。


「…………っ」


 気がづくと、熱いものが込み上げてきて、頬を濡らしていた。必死に我慢していても、次から次へと涙が零れ落ちていく。


「なぜ泣く?」

「だって……嬉しくて。ずっと味方でいるなんて……そんな優しい言葉をかけてもらったのは、初めてだったから……。ありがとう、ギノ様」


 ギノがいない間、周りは敵ばかりでずっと心細かった。誰かひとりだけでも、自分のことを気にかけてくれるだけで、救われた気がした。

 ギノはソファーから立ち上がり、隣に腰掛け、手を伸ばしてウィンターの涙を指で優しく拭った。


「俺に人間の女の繊細な感情の機微はよく分からない。だが、お前が泣いているのを見ると、調子が狂う」


 彼はそう言って、ウィンターをそっと抱き寄せた。ウィンターはギノの腕の中でしばらく泣いていた。彼のたくましい胸にぴったりと耳を寄せると、力強い鼓動の音が聞こえてきた。


 ただ、嬉しいのだ。自分はひとりではないのだと、ギノの言葉が実感させてくれる。

 彼の腕の中は温かくて、信じられないほど心地良かった。

 

 すると、ギノが机の上に飾られたギノの彫刻を見つけ、「あれはなんだ?」と尋ねてきた。


「ギノ様の神像がないと聞いたので、職人さんに彫ってもらって、毎日お祈りしてるんですよ。私、信者になろうと思って」


 そっと目を細めると、ギノは瞳の奥を揺らした。彼はしばらく黙っていたが、やがて言った。


「長い間生きてきたが、人間に信仰されるのは初めてだ。本当におかしな奴だな。彫刻なんかに祈らなくても、目の前にいるだろう?」


 ギノはウィンターの手を取り、顔を覗き込んだ。

 彼がどこか嬉しそうに微笑んだのを見て、なぜか胸が高鳴った。


「やっぱり、信者ができるのは神様的に嬉しいものなんですか?」

「神的に当然嬉しい。信仰は力の証だからな」

(いつも無表情だけど、笑うとなんだか……かわいい)


 彼の声にも、心なしか嬉しさが滲んでいて。

 ギノは神の中で最も危険で冷酷な存在として恐れられているが、ウィンターは彼の優しさを知っている。


「これからもっと、沢山増えるといいですね」

「ああ」


 ――なんて、口では言ったものの。

 心のどこかで、その優しさを永遠に独り占めできたらいいのにと思った。


「また明日からも、お話しに来てくれますか?」

「ああ。いくらでも」


 その日も、ウィンターは時間を忘れてギノとのお喋りに花を咲かせた。ふたりの時間が、雪のように少しずつウィンターの心に積もっていき、ギノの存在が、特別な存在感を放ちながら根付いていった。


(私の――かわいい神様)


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