13_兄との訓練
学園で神学や聖魔法の基礎を学び、家に帰ってからはひたすら実技に取り組んだ。
エヴァレット公爵邸の広い敷地内には、聖魔法の訓練を行うための施設が整備されている。その建物は頑丈に作られており、特殊な加工が施されていて、強力な聖魔法を使っても壊れないようになっている。
実技訓練は、ユアンに付き合ってもらっている。
「聖魔法は、光、土、水、風、火など様々な属性の魔法の総称だ。聖女は光属性に特化した聖魔法師だ。でも、ウィンターは……」
ウィンターは頭を抱える。
「光魔法が一番苦手なんだよね……」
「ははー、話にならないね。諦めちゃう?」
「あ、諦めないでぇぇーー」
彼はにこやかな笑顔で、容赦なく絶望を叩きつけてくる。そして、半泣きになったウィンターを見て、満足げな表情を浮かべた。
いやしかし、今のウィンターでは、本当に話にならないレベルだ。聖女とは、言い換えれば類まれな才能を持つ光魔法師。
聖女の主な仕事は、魔物が発生する瘴気溜りの周囲に結界を張って維持することだが、それに加えて治癒や浄化を行う、光魔法のスペシャリスト的な立場だ。
だが、ウィンターは神力量が人並み以下であるだけでなく、光魔法がとにかく苦手だった。エヴァレット家の専売特許である氷魔法なら多少は得意だが、それでも他の聖魔法師に比べてはるかに劣っている。
「どうにか頑張るしかないよね」
「いいね、心意気だけは」
「心意気だけなんだ」
「うん」
ユアンは不敵に微笑んだあと、どこからかりんごと神力測定器を取り出した。この測定器は、前回の神力測定時に神殿で見たもよと似ている。
「今から、このりんごの周りに結界を張る練習をしてみよう。瘴気溜りに比べたら、小さくて可愛いものでしょ? ほら、やってみて」
「分かった」
ウィンターは両手をかざして、呪文を唱えた。しかし、張った結界は思ったよりも小さく、圧迫されたりんごが潰れてしまう。
「あ……」
「残念。はい、次」
ユアンは新しいりんごをウィンターの目の前に置き、潰れたりんごをかじった。
ウィンターは集中し、もう一度りんごの周りに結界を張る。今度は少し大きすぎたが、りんごを結界で囲むことには成功した。
そこにユアンが包丁の刃を落とすと、脆い結界は壊れ、りんごが真っ二つに切れる。カットされたりんごをフォークに刺してこちらに差し出したので、ウィンターは口を開けて一切れ食べた。
「餌付けみたい」
「餌付け言わないで」
「結界は、小さすぎても、大きすぎても、弱くてもだめだ。理想通りの大きさと強度にする必要がある」
「どうしたらうまくできる?」
「うーん、重要なのは――イメージかな。体内に巡っている神力に意識を集中させて、胸から指先を通す感じ。それで、自分のイメージを可視化するんだ。どういう結果を作りたいか、鮮明にイメージしてみて」
「やってみる」
本と読んだ情報によると、理想的な結界は薄くて硬く、透明度が高い。
ウィンターは目を閉じて手を伸ばし、意識を集中させた。
(薄くて、硬くて、透明な結界。大きすぎず、小さすぎず、このりんごにぴったり合う形……)
頭の中で鮮明なイメージを作ったあと、手をかざして呪文を唱える。すると、今度は大きさも強度も完璧な結界を作り上げることができた。
「おー、バッチリだね。じゃあ次は、りんご三つを同時に」
「そんなに!?」
「聖女はその何倍もの大きさの結界を張るんだ。このくらいできて当然だから」
さっそく試してみるが、うまく調整できず、りんごは三つとも潰れてしまった。無惨に砕け散ったりんごを見下ろしていると、ユアンが言った。
「初めからうまくはいかないよ」
「これまで真剣に鍛錬してこなかったツケだよね。頑張らないと」
「一旦、現状の神力を測ってみよう。この前神殿で測ったときはどうだったの?」
「八」
「……それって十段階の?」
「百段階です…………」
ウィンターは両手を顔で覆い、あまりの情けなさに項垂れた。
ちなみにステラは、七十から八十を行ったり来たりしている。聖魔法師たちの平均的な神力量が三十五なので、ステラの数値は一般人の倍以上だ。そして、聖女が覚醒すると、百段階を大幅に上回り、測定器は壊れる。
「神力を測定する時も、神力を巡らせるイメージをしっかりすることがポイントだ。今のウィンターなら、ちゃんと測れば三十くらい行くと思うけど」
「どうかな……?」
ウィンターは深呼吸したあと、測定器の上に手を乗せる。りんごの周りに結界を貼ったときと同じ要領で、胸のあたりから指先に力を巡らせる。
すると、測定器の指針は二十を差した。
「やった、増えてる……!」
喜びの勢いのまま、ユアンの腕を掴んできらきらした目を向ける。思ったよりも距離が近くて、至近距離でユアンと視線が交錯する。ユアンは一瞬眉を上げたあと、ウィンターの額を手で押して「近い」と苦言を呈した。
「コツを掴んできたみたいだね。本番までせいぜい悪あがきすることだ」
「悪あがきって……やな言い方。でも、訓練に付き合ってくれてありがとう」
「どういたしまして。やっぱり曲がりなりにもエヴァレット家の血筋なんだね。なかなかセンスがいい」
これまで頑張って取り組んできたことが無駄ではなかったのだと思うと、安堵とともに頬が緩んでいた。
ウィンターはふと思い出し、懐からレビンに渡したのと同じ守護石を取り出して、ユアンに差し出す。
「これ、守護石。もし神力測定に来てくれるなら、持ってて。お兄様には必要ないかもしれないけど」
「いや、もらっておくよ。ありがと」
ユアンはふわりと微笑み、ペンダントを首にかけた。そして、「頑張ってね」とこちらに手を振ってから、修練場を出て行った。
◇◇◇
一日を終えたウィンターは、夕食と入浴を済ませ、自室に戻った。
窓を開け放ち、窓枠に腰掛ける。それから夜空を見上げた。
(ギノ様……どこで何をしているんですか?)
せっかく封印が解けて会えたというのに、またすれ違ってしまった。まだギノのことを全然知れていないのに。
(私、頑張ってるよ。ギノ様もどこかで私のために頑張ってくれてるんだよね。ありがたいな)
ユアンが先ほど、ギノがペナルティーを受けていると言っていた。ウィンターには彼の無事を祈ることしかできない。掟を破ってウィンターを聖女に任命したせいで、神界に咎められているのだ。
だからこそ、自分の力で魔物の襲撃に備えるしかない。守護石は三つ用意したが、レビンとステラ、ユアンに渡してしまったため、今は自分の分がない。もっとも、レビンとステラの分はゴミ箱に捨てられてしまったのだけれど。
(手に入れるのに苦労したのに)
いらないなら返してもらえばよかっただろうか。魔物の攻撃を防ぐ守護石は、高価なだけではなく希少で、何件も店を回ってようやく手に入れたものだった。しかし、レビンとステラを守ろうとするウィンターの善意は簡単に踏みにじられてしまった。
冷たい夜風が、ナイトドレスを着たウィンターの素肌をなぞっていく。ウィンターは窓を閉め、ため息を吐いた。
引き出しから、乙女ゲーム『ラピナスの園』の情報を記したメモを取り出し、机に置く。ウィンターは椅子に座り、メモを眺めながら考え込んだ。
(王太子レビンルートで、ヒロインがハッピーエンドを迎えるための条件は――悪役令嬢ウィンターと親しくなっておくこと)
この条件をクリアしていたら、ウィンターは自身を聖女だと偽称しなかった。
ウィンターが聖女として名乗りを上げた時点で、ヒロインと悪役令嬢が親しくなるルートから外れてしまったと言える。
ハッピーエンドのルートでは、ウィンターはステラの良き理解者として協力し、ステラが困ったときには、エヴァレット公爵家の権力を使って解決することも。
(断罪を回避した今からでも……バットエンドにならないようにステラと和解するしかないのかな。いや、それは……難しそう)
小さく息を吐いたあと、机の上に飾られた小さな彫刻を眺める。これは、ウィンターが作ったギノの神像だ。ギノはこの世界で信仰者がゼロ人だと聞いたので、ウィンターが彼の信者になると決めたのだった。
ウィンターは不格好な神像の前で手を合わせ、祈りを捧げる。
「やっぱり私、人間の姿のギノ様ともっとお喋りしたいです。早く、会いに来てくださいね。待ってますから」
ウィンターは指先でギノの彫刻の額をつんと押し、ふふと小さく微笑む。
そのうちに、机に突っ伏して寝落ちしていた。
◇◇◇
そのころ、ギノは、最高神ネストロフィアネを祀る神殿のひとつを訪れていた。ここに来たのは、聖女を独断で任命した罰による雑用のため。それを済ませたら、ウィンターへの接近禁止令も解ける。
光を司る偉大な神、ネストロフィアネは大量の信者を抱えている。その一方で、ギノの信者はゼロだ。今まで誰にも信仰されたことがなかった。
誰かに拝まれたのは、石像に願い事をしたウィンターが初めてだった。魔物ばかり相手にし、人と繋がることを諦めていたギノにとって、自分を必要としてくるウィンターはとても新鮮な存在だった。疎まれてきた自分の存在が、肯定されたようだった。彼女の鈴を転がすような甘い声が、耳に焼き付いて離れない。
(俺は人間を惹き付けられるような神ではない。それでも、手に入れたいと思ってしまった)
優しくて、気の毒で、そして可愛いウィンターのために、何かしてやりたいと思う。
ふと、優雅なネストロフィアネの神像を見上げる。
(さっさと終わらせて、ウィンターの元に戻らなくては)
神殿の窓から夜風が吹き込み、ギノの黒髪をわずかに揺らす。ギノは夜空に視線を向け、遠くにいるウィンターに思いを馳せた。