テディベアとフランクフルト
「雪姫様、お皿をとっていただけますか」
「はい、水鏡さん」
須々木崎邸のキッチンで朝食の準備をする俺と水鏡さん。
この屋敷での生活にも慣れてきた。
朝食を作るのは俺と水鏡さんの仕事だ。配信がある日は水鏡さんが俺の送迎をしてくれる都合上、家事が滞ってしまう。だから俺もできる限りやるようにしている。
「雪姫様。すみませんが、月音様と茜お嬢様を起こしてきていただけますか?」
「わかりました」
夜型&家事戦力外寄りの二人を朝食のために呼びに行く。起きていてくれればいいが。
まずは月音だ。
コンコン。
……部屋をノックしても返事がない。
寝てるのか?
「月音ー? そろそろ朝飯だぞー」
部屋に入ると、月音はベッドですらなくテーブルに突っ伏して寝ていた。
テーブルに散らばるのはドローンと説明書、家から持ってきた配信用のPCなど。
……ドローンの設定をしてたのか。
実は花火大会の一件のあと、エルテックから俺とヒバナに呼び出しがあった。そこで謝礼の言葉とともに、最新式の配信用ドローンをもらったのだ。
完成こそしているものの未発売で、これまでにない機能が山盛り、値段は数百万円という代物である。
そのドローンを配信に使えるよう設定していた途中で、月音は寝落ちしたらしい。
「むにゃぁ……朝……?」
「ああ。まったく、配信準備を整えてくれるのはありがたいけど、寝る時くらいはベッドで寝ろ。……朝飯できてるぞ」
「うう……」
「月音? 眠いか?」
「…………私は月音姫。お兄ちゃん王子様のキスで目覚めることでしょう……」
「……」
びしっ。
机に突っ伏したままの月音に無言でチョップ。そのまま部屋を出る。どうせ数分もすれば食堂にやってくることだろう。
次は茜か。
コンコン。
部屋の前まで来て、扉をノック。……返事がない。茜も寝てるのか?
「茜、起きてるか? 朝飯の時間だぞー」
何の気なしにドアノブに手をかけると、鍵はかかっていなかった。聞こえなかったかもしれないと思い、扉を少し開けて再度声をかけようとすると――
「うう……うう、うぁあ……」
「茜!?」
なんか苦しんでるっぽい声が聞こえたので慌てて部屋の中に入る。何かあったのか!?
ベッドのほうに向かうと……
なんか茜が巨大なテディベアに顔をうずめてうつ伏せで寝ていた。
とても息苦しそうだ。
「うう、息が……息が……ッ」
そうだろうな。
とりあえず茜を引っ張り起こしてみた。
「――はっ!?」
「おはよう茜」
「雪姫君!? おはよう……って、なぜ君がここに!」
目を覚ました茜が後ろにひっくり返る勢いで驚いていた。
普段寝起きの悪い茜にしては珍しい。
「呼んでも起きなかったから部屋の扉を開けたんだ。そしたら苦しそうな声が聞こえて。誓ってやましいことなんかしてないからな」
「……忘れたまえ」
「は? 何を?」
「私がこの年でサリー――ではなく、ぬいぐるみをベッドに持ち込んでいたことをだ! 絶対に口外するんじゃないぞ!?」
ベッドの端で転がるテディベアを指さして言う茜。
「別にいいだろ、そのくらい……なんか似合ってるぞ、お前」
テディベアとネグリジェを愛好する絶世の黒髪美少女。なんというか、似合いすぎて怖いくらいだ。ちなみにテディベアはよく手入れしてあるのが一目瞭然だった。
「似合う似合わないではない。私はもう十八であり、国連からも解析依頼を受けるダンジョン研究者だ。このような醜態を知られては仕事に支障が」
「出ないって。考えすぎだろ」
「……それに、水鏡が心配する。以前の私はこんな真似はしなかったからね」
俯いて言う茜。
俺は一瞬言葉に詰まる。
「以前って、体が小さくなる前か?」
「そうだ。……この体になってから、ベッドが広く感じる。寝る時に心細くなる。本当に元の体に戻れるのか、いつかナイトバナードのような悪人が私をさらいにくるんじゃないかと不安になる……そんなことを言ったら水鏡が心配する。すでに彼女に頼りきりだというのに、これ以上心労はかけたくない」
「それでテディベアか」
「我ながら子供っぽいとは思っているがね。それでも何か一緒のほうが眠りにつきやすいんだ」
茜は苦笑しながらそう言った。
「だからって窒息しかけるくらい抱きしめるのはどうかと思うぞ。そんなにしんどいなら、たまに一緒に寝ようか?」
「え?」
「あ、いや、すまん。今のなし」
小さい頃、月音が一人で眠れない時はよく一緒に寝ていたのだ。その時の経験から自然と変なことを言い出してしまった。
しかし今回の相手は家族ではなく、実年齢は年上の女性だ。さすがによくない。
そう思ってたんだが、茜はベッドの隅からテディベアを拾いあげ、自分の表情を隠すように抱きしめながら言った。
「……駄目かい?」
「……んん?」
「たまにでいい。どうせ君には情けないところを見られてしまったし……」
上目遣いでそう言ってから、恥じらうように視線を逸らす。
甘え下手な娘が、厳格な父親に「絵本を読んでください」とねだるような雰囲気。
え、何だ。この……こう、あれ?
変な庇護欲のくすぐられ方をしている気がする。
茜は年上のはずなのに、兄としての魂が刺激されている……!
「た、たまにだぞ。それに月音には内緒だ」
「ああ、それでいい。……ふふ、打ち明けたら気が楽になった。ありがとう雪姫君」
そう言って茜はにっこり笑った。
……水鏡さんの気持ちが少しわかってしまった。
▽
そんな一幕もありつつ朝食の席につく。
茜はいつもの落ち着いた様子に戻っている。
「月音、ドローンの設定はどうだ?」
「だいたいおっけー。でも動作確認したいから、後で地下室に行ってお兄ちゃんの変身バンク撮っていい? あのドローンの機動力なら人力でいける気がする!」
「? よくわからんが、配信に必要なことなら」
「配信に載せたらBANされると思うよ?」
「お前は俺に何をさせるつもりなんだ?」
その後も月音は「謎の光さえ再現できれば……」などと真剣に呟いていた。おそらくくだらないことだろう。
……と。
水鏡さんのスマホが振動した。
「………………、」
スマホを確認した水鏡さんがものすごく渋い顔をしている。何? どんなことが書いてあったら水鏡さんがあんなことになるんだ?
「……雪姫様。このメッセージを見ていただきたいのですが」
「はい?」
水鏡さんが自分のスマホを俺に向ける。
そこには――
▽
「雪姫ちゃん&ばなちゃん、そしておまけで私! いーんざ、石動神社の夏祭りいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」
刀子さん楽しそうだなー。
「いぇえええええーい!」
あ、ヒバナも楽しそうだ。
俺たちがいるのは、人でごった返す石動神社――探索者の間で有名な神社だ。
今日はこの神社で夏祭りが開かれており、俺とヒバナは刀子さんの引率のもとここに遊びに来ている。
そう、今朝のメールは刀子さんから俺、ヒバナに対するお誘いメールだったのだ。
何でこんなことになったのか?
ことの発端は水鏡さんがヒバナ主催の花火大会の日。
水鏡さんは探索者協会からの依頼を刀子さんに代わってもらった。刀子さんは花火大会に参加したかったが、水鏡さんの頼みを聞いたことでそれができなかった。
その埋め合わせとして刀子さんが水鏡さんに頼んだのが、“俺とヒバナが自分と一緒に夏祭りに来てくれるよう説得すること”だったのだ。
……何で?
水鏡さんはものすごく申し訳なさそうだったが、もともと水鏡さんが刀子さんに依頼を代わってもらったのは俺の護衛のためなのだ。
なら本当に刀子さんにお礼をするのは当然。
ヒバナも「雪姫ちゃんと夏祭り行きたーい!」とあっさり了承したので、このメンバーで石動神社に向かうことになったのだった。
「なあ、あれ雪姫ちゃんじゃないか?」
「本当だ! 実物は配信より何倍も可愛いな……ってトーコとばなちゃんも一緒!?」
「お、おい! 声かけてみようぜ! せっかくだから写真とか――」
時折こんな感じで俺たちに気付く人もいる。だが、刀子さんがすかさず、
「ごめんね~! 今日はオフだからそっとしといてくれると嬉しいな!」
「「「は、はい! 失礼しましたっ!」」」
こんな感じでやんわり追い払ってくれるので、花火大会の時みたく取り囲まれることはない。あしらい慣れてるなぁ。
「刀子さん、ありがとうございます」
「ん~? いいよいいよ。今日はみかみーもいないし、私がばっちり二人を守るからね!」
「ふふ、やっぱり刀子さんはかっこいいですね。私、憧れちゃいます」
「わかるわかる! 刀子お姉さん、すっごい頼りになるよね! 会ったばっかりだけど、あたしもう刀子お姉さんのこと好きだな~」
ヒバナと頷き合う。俺も刀子さんくらいかっこよくなれたらなぁ……
「ゴフッ!? 何なのこの可愛さ……! 私前世でどれだけ徳を積んだの……ッ!?」
「刀子さん!?」
刀子さんが後ろに吹き飛び荒い息を吐いている。何があったんだ!?
「あ、ああ、ごめんごめん。ちょっと通行人に肩がぶつかっちゃって」
「そうですか……人が多いですもんね」
冷静に考えるとそんなレベルの態勢の崩し方ではなかった気もするが、あまり深く考えないでおこう。
「改めて、二人ともありがとね。私のわがままに付き合ってくれて! しかもプレゼントした浴衣までばっちり着てくれてるし!」
言い忘れたが、俺とヒバナは二人とも浴衣姿だ。色はヒバナが黄色、俺が水色。浴衣の着方なんて知らなかったが、水鏡さんが屋敷で着付けてくれた。
「刀子さんが送ってくれましたから」
「そうそう! 刀子お姉さん、センスいいね! すっごく可愛いと思う!」
刀子さんからもらった浴衣は確かに可愛い。
悲しいことにこの可愛いデザインが今の俺にはあまりに似合っている。
もちろんヒバナにも。
「ところで刀子さん、どうして私たちのサイズがわかったんですか?」
「二人とも、花火大会で色々あって大変だったでしょ? ぱーっと遊ぶタイミングがあってもいいと思うんだよね!」
「え? あれ? 刀子さん?」
答えてもらえなかった。周囲が騒がしくて聞こえなかったんだろうか?
「花火大会は楽しかったですけど……その後のことが大変でした~。ね、雪姫ちゃん」
「そうですねぇ……」
ヒバナと頷き合う。
花火大会の後、俺やヒバナ、水鏡さんは協会に来ていた警察に話を聞かれた。
吹場座虎也との会話の中でどんな話をしたのか、ということが知りたかったらしい。
彼らはすでに警察署に連行されていた。特に吹場座虎也は余罪の追及もあるため相当長い期間勾留される予定らしい。スカイフォックスが探索者資格の取り消し処分になりそうだとも聞かされた。ヒバナがほっとしていたな。
また、酒呑会に<妖精の鱗粉>を横流ししていた探索者協会の職員も捕まったらしい。
これを受けて協会は他に怪しい者がいないか、職員の身辺調査をすることになったそうだ。これで酒呑会の協力者が一掃されてくれればいいんだが……
警察との話の中でナイトバナードの話も出た。
水鏡さんが倒した例の狙撃手だ。
しかし追い詰めたところでその全身をチリに変えてしまった。……どうも何らかのマジックアイテムで分身を作っていたようで、本体は捕まえられなかったそうだ。
分身アイテムは協会で調べているが、チリになっただけあってわかることは少なそう、とのこと。
酒呑会とナイトバナードの関係性はひとまず吹場座虎也が口を割るのを待つしかない。
そういった話で何時間も拘束されたので、確かに大変だった。
刀子さんにお祭りに誘ってもらえたのは気分転換の意味でありがたい。
「だったら今日はめいっぱい楽しもう! 刀子おねーさんが何でもおごってあげちゃうぜ!」
「「わーい!」」
浴衣までもらったのに屋台までおごってもらうのは何だか申し訳ない気もするが、相手は日本一の登録者数を誇るダンジョン配信者。遠慮はむしろ失礼だろう。
「それじゃあまずはこの“極太☆俺のフランクフルト”から!」
差し出されたのは女性の腕ほどもありそうな極太ソーセージ。
ヒバナが目を輝かせる。
「すごー! こんなに太いの見たことないよ!」
「そうですね。すごく大きいですね……」
こんなの絶対に口に入りきらないぞ。端からかじっていくか?
「できれば……ハァハァ……二人で両端から舐めるように少しずつ食べてもらえると……ハァハァ……!」
「刀子さん? どうしてそんなに息が荒いんですか?」
「最近ちょっと夏バテ気味なんだよね。あ、二人が食べてるところ写真に撮ってもいい? 上目遣いだと嬉しいな」
時折刀子さんから感じる不穏な気配は一体何なんだろう。この人は偉大な先達のはずなのに、妙に見知った連中に近い気配を感じる時がある。
……と。
「警備員さんこちらです。ここに小さな女の子にセクハラをする変態が」
「ちっちちちちちが! セクハラなんてしてません! これはただ美しいものをより美しく見せるいわば現代アートの一種で!」
「嘘よ。……まったく、人の家の敷地内で何をしているのよ。刀子」
刀子さんの背後から現れたのは巫女さんだった。
柔らかそうな茶髪が特徴的な美人だ。年は刀子さんと同じくらいに見える。
「あ、なぎさ。驚かせないでよ! 本当に人生終わったかと思った……!」
「あなたの場合は一度くらい警察のお説教くらいは受けたほうがいいかもね。それで、その子たちは……」
「あ、うん! ダンジョン配信者の雪姫ちゃんとヒバナちゃん!」
「こんばんは。雪姫です」
「こんばんはー! 赤羽日花です! ヒバナっていう名前でダンジョン配信をやってます!」
挨拶をすると、刀子さんになぎさと呼ばれた巫女さんは丁寧に礼をした。
「初めまして、石動なぎさです。刀子とはパーティメンバーなの。よろしくね」
「刀子さんと!? ということは水鏡さんとも……」
「そうね。同じパーティを組んでいるわ。もっとも今はパーティとしては活動休止中だけど」
刀子さん、水鏡さんと同じパーティということは、この巫女さんはSランク探索者ということだ。まさかこんなところで知り合えるとは。




