4 ニコライとクイル
リアの助言に一筋の希望を見い出した気がしたのだが、明確な答えを出せないままでいた。当分の間はサーヴァントの搭乗訓練は出来ないけれど、落ち込む事はなく、リアの言葉を励みに通常訓練を行っていた。
基礎練習に戻って初心に返ろうと、俺はまず準備運動の柔軟からじっくり行っていた。体、特に関節の可動域が広く柔らかく動かないと、サーヴァントに連動する動作は小さくなる。そして自分自身の故障にも繋がるから、ここを疎かにしてはいけないと気付き、取り組んだのだった。
まずは骨盤をしっかり立たせ、長座体前屈の開脚柔軟を行い、少しずつゆっくりと可動域を広げていった。……痛い。俺は柔軟性がないから、この行為は苦痛でしかなかった。だから今までは、よく流しながら適当にしていた部分はあった。実戦に使うにはあまり意味のないことだと思っていたからだ。
ひとりで苦痛に耐えながら、柔軟を行なっていると、急な重さと痛みに驚いた。前にはニコライがいて、腕を引っ張り、足で俺の脚を押さえ、クイルが背中に乗って俺を押していた。
「いでぇえええー! いっ、いっ、嗚呼っ!! やめっ」
前にいたニコライが、
「カオル、手伝ってやるよ!」
「えっ、えっ、いや、いい! ……おおおぉー、痛いぃー」
「まぁ、遠慮するなって! お前の歳になると、可動域はひとりでは広がらないんだよっ。負荷を少しずつ掛けてこそ広がるんだ! それも毎日継続しないと、すぐには広がらないからな」
「いやっ、これっ、少しずつの負荷じゃないっ……ああぁー、ギブっ、ギブ!!」
「ほらっ、力を入れるなって! 息を吐け、息を」
痛過ぎて、もうパニックだった。言われるがまま、息を吐くと……、
「はぁああー…………グワっっ、ぬぁあああーー!!」
さらに力を入れて、引っ張って押すって……、どんな拷問なんだッ! 苦痛に耐えながらも容赦なく、その状態のまま暫く保持させられていたのだった。
「はい、終了ー! 次っ」
「まっ、まっ、待ってくれ。頼んだ覚えはな……」
すると後ろにいたクイルが、
「だから、ニコライが言ってんじゃん! 可動域を広げるにはそれしか方法がないんだよ。俺らの歳はもう筋肉が硬くなって、自分ひとりで何とかしようにも出来ないんだよ。カオルはよく適当にしていたからなぁ。ツケが回ってきたんだよ」
ニッコリとした悪魔の笑顔をして、楽しそうに言ってきたのだった。するとニコライが、
「男の筋肉は成長期にどんどん硬くなっていって、体つきも変わってくる。だから、きちんとした柔軟や準備運動を行ってないと、故障をしてしまうんだよ。今までは大丈夫だったかもしれないが、歳をとる毎に、より細かく丁寧にする事が大切になってくる。俺なんか一日サボっただけで、違うと感じるからな」
「で、でも、こんな急に、今やったって……」
それを聞いたクイルは、
「えっ?! 今やらないで、いつからやるんだよ?」
「……」
「はい、黙ったカオルの負け! 年長者の言う事には素直に従いましょう。だって、間違っている事を言って、虐めていると思うか?」
「……ほんの少し思う」
「カオルゥゥー……賢く生きろよ! アンサー間違えてんゾ」
嘆くクイルにニコライが、
「クイル! カオルには言葉では通じないんだよ。結果はいずれ時間が経てば必ず分かってくれるだろうから、今は行動で示して、とにかく黙々と手伝ってあげることが大事なんだよ」
そう言うと、有無を言わさない力で引っ張られ、次の柔軟へと移行させられ、訓練場には俺の絶叫がずっと響いていた。
「ああっーあっ、あっ、やめっ、やめ、いいいいいーー!」
「おぉー、息吐きがいいねぇ! あ、あとな、カオル。女の子には滅多矢鱈と抱き付かない方がイイぞぉ〜。どこで恨みを買うか、分からないからなっと!!」
「グワッ! お、女の子……?? グガァアアーー」
「ほれ、もっと息を吐け、息を」
痛みで薄れゆく意識の中、先日、リアに抱き付いた事を思い出し、
「はっ! あっ、あれは、違うんだ! リアが考え方を教えてくれて、それで何となく分かった事があって、嬉しくて、つい……」
「あぁん? ついぃー?! おーまーえーはーっっ!!」
「ギャァああーー! ニコライっ、ごめん!! 違うって。誤解なんだっ、違うんだっっ」
「なぁーにぃーもッ、違わないッ! お前が抱き付いた事実は何も違わないッッ!!」
より力強さが増した。
「ギャァあああーー!」
クイルは横でひとり笑い転げている。助ける気は全くないようだ。
「カ、カオルゥー。普段は無口で澄ましている癖に、すんげぇ絶叫! 滅多に見れない光景だよっ、アハハハ」
「クイルッ……笑ってないで、た、助けてっ」
「あぁー……残念! お前からの初めてのSOSだけど、……ゴメンなぁ、面白くて助けられないわ」
力を緩める事なく、ニコライが指令を出す。
「ほれ、カオル! 胸を床につけろ。寝そべるんだッ!!」
力強く、グイッと押された。
「あいやっ、あぁあああーー!」
「あいやっ、だって! ダハハハハ」
クイルは柔軟をされている俺を見て、楽しそうにしていたのだった。
それから三十分程、訓練室には絶叫と爆笑の声が響き渡り、地獄の柔軟は終わった。俺は叫び過ぎて、
「……喉が……痛い」
するとクイルが、
「アホが! 絶叫し過ぎだ!! これからはふぅーって吐け、ふぅーって」
「……無理だ」
不貞腐れている俺に真剣な眼差しのニコライが、
「カオル……。まぁ、ここまでは前段階だとしても、自分でやれる事には限界があるんだ。今は若いからこそ、ひとりで何でも無限に出来そうに思えるかもしれないけれど、必ず限界は訪れる。他の人の力を借りれるところは借りるんだ。俺たちは普通以上のものを求められているんだから、切磋琢磨して、お互いにより高みを目指して、一緒に登っていけた方が良いと思わないか? 今のカオルなら、きっと出来ると思うんだが?」
「……何で……そう思うんだ?」
「目が違うからさ。鏡を見てみろ? 今までのお前の目と全然違うぞ」
すかさずクイルも、
「あっ、俺もそれは思った! 目に、やっと光が戻ったって感じだよな」
「光が……?」
するとニコライは、
「気付いてなかったのか? お前の目は死んでたんだよ。何もかも自分には無いものばかり、周りのみんなは持っているように思えて、恨めしくて、不貞腐れているようなね。人のモノを羨ましがっても、手に入るモノではないし、状況は変わらないんだよ。罷り間違って手にしたとしても、そう長くは続かない。それこそ無意味な行動に愚かな考えだと思わないか?」
「……」
「目が曇っていては何も見えない。人によって、境遇も違うし、価値観も違う。けれど、バーサーカーを倒し殲滅するという目的は俺たちみんな一緒だ。だから、もう少し心に余裕を持って、周りを見てみるんだ。自分から意識的に見る事で、分かってくる事もある。周りの仲間を信じて、目を閉じるな、カオル」
「……うん、……分かった」
俺の返事に驚いたクイルは、
「おぉ! カオルが初めて素直に返事したゾ!! 今のお前なら変わっていけるよ。大きく羽ばたくチャンスだ! 一緒に頑張ろうなっ」
「クイルは嫌だ! 助けてくれないから、ニコライと頑張る」
「えぇー! 俺も手伝ってやったろ?! 同い年同士、仲良くやろうゼ〜」
「絶対にヤダッ!」
「そんな事言わないでさぁ。ほらほら、おいでよ、カオルん。俺がチューしてやるから!」
「お前っ、マジでやめろっっ!!」
二人での追いかけっこが始まり、暫く追いかけ回されたが、クイルが派手に転けたりして三人で笑い合った。
それからは各々で次の準備運動へと移っていった。相手を想定した動きから、体幹をブレさせないよう、且つ素早く動くことを中心とした組手の基礎練習に入った。基礎が出来ていなければ、訓練とはいえ相手も自分も怪我をしてしまう事もあるため、大切な練習となる。
「ハッ、ハッ」
一心不乱に基礎練習をこなしていると、クイルが、
「カオルは瞬発力があるなぁ。捌きも早いし、筋が良いよね」
するとニコライも、
「そうだな。体が硬いせいか、反射能力というか、バネもあるように思うな。あとは……」
俺の腕や背中、腰、脚の筋肉を触ってきた。
「練習後にきちんと筋肉を緩める事も大事だな。硬いままで放置すると良くないんだ。使った筋肉を緩めてほぐし、次の日に疲れを持ち越さないようにな。だから、普段の筋肉は柔らかく、力を使う時に硬くなる筋肉が理想だな。カオルのは……少し硬いな」
「硬い?? ……どうやって柔らかくするんだ?」
「終わったら、一緒にやろうな。怪我や故障がないような強い体作りにもなるからさ」
「強い……体作り……」
するとクイルが、
「なっ! 人と話す事で、知らなかった事が知れるって楽しいだろうが」
「……うん。初めて知って、勉強になったし、楽しいよ」
「あぁ、素直なカオルは可愛いなぁ! それにな、知識学もそうやって素直に聞いてみろ。きっと、もっと深く知りたくなるから。カオルはさ、今まで自分の事以外の、興味の持ち方を知らなかっただけなんだよ」
ニコライも、
「そうだな。だから、最初の筆記試験の評価順位をいつまでも気にするんじゃないぞ。……いつも自分を卑下しているような感じだったからな。あれは、あくまでも参考程度のものなんだ。それ以上でもそれ以下でもない。俺らは第15戦士の同じ訓練生で、仲間という事だけだ。共に成長しようッ」
「うん、頑張るよ。……これからよろしくな、ニコライ、クイル!」
「「おう!」」
育った環境が己を閉塞的に、そして他人の意見の捉え方を歪ませていたのだと自覚し、ニコライとクイルからの言葉を受けて、素直に大きく成長してみたいと俺は初めて思ったのだった。
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