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03

馬車の中はそれなりに狭い。

膝がつきこそしないが、お互いの表情はしっかり確認できる距離に向き合ってすわれば、お互いの体調も推測できる。

がっくりとうなだれた男は、たまに社内ですれ違う死に体のコミックの編集のように顔中が浮腫みきってやつれている。噂だとそれなりのイケメンらしいのだが、今はその面影はない。

3日間の異世界生活ですでに追い詰められている彼の名は畝広樹(うねひろき)。麻衣と同じ現実世界の人間だ。

麻衣からは2年先輩にあたり、入社以来、学参書の編集として真面目に勤めている。爽やかで人当たりがいいと噂の弊社には珍しい常識人だ。

しかし、社内で畝との関わりがほとんどなかった麻衣にとっては、このやつれた姿が彼のデフォルトになりつつある。

畝は脱力したまましばらく遠くを見ていたが、様子を伺う麻衣に気づいて、あ、すみません、と力無く座り直した。

麻衣は畝の目が真っ黒からうっすら斜線に隙間がみえる程度に生気を取り戻したのを確認して、あの、と口を開いた。


「あらためて、先日はお世話になりっぱなしで……ほんとにありがとうございます」


「あ、いえいえ。こちらこそ、最近土いじりもしてなかったから、いい気晴らしをさせていただいて」


異世界にきてすぐ、まともに説明を聞いていなかったせいで訳も分からず町をうろつく麻衣をみつけて声をかけてきたのが畝だった。

彼はきちんと渡された資料を参照して、現実世界の人間それぞれに割り当てられた拠点に挨拶に回っている途中、麻衣の姿を見つけたらしい。

そして、適当な宿でもとって宿泊するつもりだった麻衣をきちんと割り当てられた小屋まで送り、おまけに家の前に中途半端にできあがっていた畑まで整えて畝は去っていった。

まさかそんな世話焼きで人間の出来た人がこのトンチキ出張に首を突っ込んでいるとは夢にも思わなかった麻衣は、その場で決めたのだ。


(畝さんにまかせとけばなんとかなる!)


しかし楽をしようとした麻衣を嘲笑うように、元々お疲れ気味だった畝は3日の間にぎりぎり動くゾンビのようなため息を吐き出すギリギリまで追い詰められている。

この人にすべてを丸投げするのは、さすがの麻衣でも申し訳ないレベルだ。

これは麻衣もある程度本腰を入れて働かざるをえないだろう。

畝の惨状を目にして、麻衣はしっかりせねばと襟を正した。


「ああ、いえいえそんな。それに今日もわざわざ迎えにきていただいて。移動手段があの謎のワープ装置しかなかったので、すごく助かりました」


「こちらこそ、なるべく家にいたくないので、田中さんのエスコートを頼まれたっていう家の人間も納得するような出かける理由を作っていただいたのは、ほんとに、ほんとにありがたい……」


しばらくお互い馬車の中でぺこぺこと頭を下げあう。


(クズか文化人気取りしかいないと思ってたけど、うちにもまともな人間っていたんだ……みんなのクズ要素を反転させていい人にしたらこうなるんだろうか?)


麻衣は多方面に失礼なことを考える。彼女は基本、会社の人間に人徳的な意味での信頼をしていない。


「……こんどうちに遊び来ます?畝さんが初日につくった畑、すでに人参成長しきってますよ。異世界パワーをいい意味で感じられますよ」


場を明るくしようと大げさに言えば、ははは、すごいですね、と畝は乾いた声で笑う。


「じゃあ、精神が死ぬ前にお邪魔させてもらおうかなぁ……」


「……ぜひそこまでなる前に来てください」


頼りきりにはしないと決意を新たにしたとはいえ、麻衣は畝なしにはこの異世界でまともに仕事をできる気がしないのだ。細かいことが苦手な麻衣をフォローしてもらわねば困る。

麻衣は本心を隠しつつ、しかし、それとは別にあまりに辛そうな畝を本気で心配もしていた。


「今回も、田中さんに教えてもらわなかったら広場の集まりなんて知らないままだったし、そうしたら家から逃れる機会も減っていたので。むしろこちらこそ、ありがとうございます」


「あ、いや、そうですよね、本当に、お疲れ様です」


どうもこの異世界、誰でも現実世界よりはるかに快適に暮らせるわけではないらしい。

現実世界の人間は緒方野先生の作った登場人物に成り代わる形で異世界に入ることになる。これは麻衣も異世界への出張の説明時に言われた記憶がある。

そしてここから先はきちんと話を聞いていた畝に教えてもらったのだが、成り代わる登場人物は、現実の人間に一番属性が近いものになるのだそうだ。

畝の割り当てられた登場人物はこの国の式典を管理する歴史ある家系の次男で、式典資料の管理と継承を主な業務としている。そして曲者なのが、畝の成り代わった家の構成人物だった。現当主である父を筆頭に、母、長男、長女、次女、そして使用人たち。そのすべてが国の伝統を守ってきた家系に誇りを持っており、その誇りはお国に代々伝わるマナーを厳守することに表れる。

服の着方、食事の仕方、会話の始め方終わり方、仕事の際の所作等々。数えれば終わりのないルールに縛られた生活は家族の目の届く限り畝にも適用される。

つまり、今現在、畝は自分の一挙手一投足を家の関係者に見られていないか気を張る生活を送らされている。


「大丈夫ですか?異世界(こっち)のご自宅で折檻とかうけてないですよね」


もしや、と恐々と聞いた麻衣だったが、「いや、それはさすがにないよ」と首を横にふった畝に少し安堵する。


「暴力、とかはないけど。女性たちみんなに泣かれるんです。家督を継がせてあげられなくて申し訳ないって。そのせいで家のルールを守らないと思ってるみたいで……」

「あ、それは……その、本当におつかれさまです。その、いつでも私のいる家、使っていただいていいですから。ほんとに」

「すみません、そのうち本当にお言葉に甘えさせていただくかもしれないです」


麻衣はどんどん沈んでいく馬車の中の空気に、必死に頷く麻衣の必死さに正気を取り戻した畝は、そうだ、とジャケットの中から紙切れを取り出した。


「これ、見てもらっていいですか?」


「広告か何かですか?」


麻衣は差し出された紙を受け取った。四つ折りにされた紙は一面印刷で、折りたたまれている方の面を開けば洒落たフォントで「レディ・オーガトンの手記」と書かれている。

内容はこの秋の社交界で、なんたら伯爵が浮気したから捨てられるだの、どこそこの令嬢が男の気を引くために領地の公費を横領して他国に横流ししているだの書かれていた。

ゴシップの割には淡々とした語り口の癖の少ない文だ。

最後に、今は西の広場に風が吹くだろう。と終わっている。



「読みましたか」


「ああ、はい。テンプレのゴシップですよね。で、この西の広場って、もしかして今日の?」


畝は視線は麻衣の手にしたゴシップ紙に落としたまま頷いた。


「そうなんです。昨日、町で少年が配っていて。町のちいさな版元が出しているゴシップ誌の号外だそうです。最初に読んだ時は僕もそこまで気にしてなかったんですが、昨日第二編集部の千代さんに会いまして」


「え、千代に!」


「彼女が読んだら、これは緒方野先生の文だっていうんですよね」


いきなり来た今回の仕事に関する根幹をつかむような話に、麻衣は背を正す。

畝のQOLを取り戻すためにも、自身の生活のためにも、今日は気合を入れなければならなそうだ。


「千代は先生の担当もしてたはずですし、彼女が言うなら信頼できますね」


「ですよね。それに、そのレディ・オーガトンが巷じゃ人気のライターさんみたいで、予言のように貴族たちの恋愛事情や政治犯を当てる内容をかくって評判だと。それでそのペンネームですよ」


言われて、麻衣はん?と考える。

レディ・オーガトン?

そして、ああ!と畝の言わんとする意味を理解した。


「緒方野おがたのおがたのおーがたの、オーガトンって、単純すぎません?」


若干呆れて言う麻衣に、畝はまじめに、「千代さんが言うには、基本名づけをめんどくさがられる方だとか」と答えた。


「いや、じゃあ、ほぼ確で先生じゃないですか」


「そうなんですよ。だから、今回の西の広場では、」


そこまで言って、畝は言葉を切った。

馬車が止まったので、緊張したおももちでドアのほうを気にしている。

瞬時に御者が来るのを警戒し始める畝の様子はもはや痛々しいが、いますぐ麻衣がなにかできるわけでもない。

御者によって扉が開かれ、紳士モードのスイッチが入った畝に手を取られ外に出る。

そして、出た瞬間に耳を叩くような喧騒と人だかりに驚いた。


「ほら、かけたかけた!!今は圧倒的に投獄が一番人気!」


もはや性別も年齢もばらばらの人だかりの中には、大きな声で賭けへの参加を呼び掛けるものがちらほらと紛れている。


「これ、え、なに?違法闘技場かなんかです?」


「まさしくそんな雰囲気ですけど、どうでしょう?」


「ちょっと潰されそうなんで、私、先に広場のほうへむかってます」


「わかりました、向こうで頒布物を配っている人がいるので、もらってきます。僕も後で追いつきますね」


そういって、畝は賭けを呼び掛けている人のほうへ向かっていく。男は何かばらまきながら駆けた駆けたと叫んでいるようだが、麻衣は小柄なせいで人ごみに埋もれてしまって全体像を見ることができない。

通勤ラッシュ時の電車の乗り降りで鍛えた人込みの隙間をかぎ分ける力をフルに使い奥へ奥へと進んでいくと、ある一定ラインからは身なりのいい人がほとんどになった。

人込み、というより、なにかの観覧席のようにそれなりの人数がお行儀よく広場に円型に並んでいる。

この状態ならば、と。麻衣はもみくちゃになって乱れた服を直し、闊達そうな妙齢の女性の横に並んだ。


「こんにちは、凄い人でしたね」


麻衣が話しかけると、女性は人込みを一瞥して、「ええ、まったく」と同意した。


「華やかな場が増えるのはかまわないけれど、こう騒々しいと。ドゥンカン伯爵も、なぜこうなるとわかっていてあの方と婚約されたのかしら」


「ドゥンカン伯爵……」


麻衣はああ、と遠い目をする。名前がひどい。つまり、物語の登場人物だ。


「まあ、侯爵も被害者と言えば被害者だけれど。もとはと言えばアーキヤ嬢の呪いが原因なわけだし。最初は可哀そうに思えたけれど、5回を終えたあたりからはただただはしたないとしか思わなくなったわ」


「5回……、ええっと、レディはこれが何回目か覚えて……」


「あら。お忘れになられたの?9回目よ」


女性は、手に持っていた扇を広げて口元を隠した。

今までの喧騒が急に落ち着き、人々の注目が広場にあつまっていく。

中央に置かれた時計はちょうど2時を指している。


「さ、ま、あきたものだけれど、見物させていただきましょ」


女性もす、と視線を広場へ向かわせた。

徐々に無言になる人の中、広場に一人の男性が現れる。

円型につくられた広場の真ん中で、男性は周囲をゆっくりと見渡し、そして叫んだ。


「2時になってもディリアは現れない!よって、彼女からの異議はない。今ここに、ドゥンカン伯爵ズークスキは、レイジ公爵アーキヤ嬢との婚約破棄を宣言する!」







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