第六十八話 経験の海の中
暗闇の中に放り出されたドンキホーテは目を覚ます。いつの間に、目を閉じていたのか思い出せないが、とにかく目を開いたドンキホーテは周りを見渡した。
闇。
そうとしか言いようのない空間が、目の前にある。そのせいなのかはわからないが息苦しさを感じたドンキホーテは鼻から空気を取り込む。
生温い風邪が鼻腔を通り肺に空気が入り込む、それと同時にーー
ーー死にたくない!!!!
誰かの叫び声とどにドンキホーテの腹部が、何かに引き裂かれた。
「ぐあぁぁあぉぁぁ!!!」
ドンキホーテは叫ぶ、誰もいない濁った闇の中で。痛い、痛いと泣き叫ぶ痛覚それに全身が振り回される。
しかし、痛みに囚われている場合ではない。
急いで、割かれた箇所を塞がねば失血死する。急いでドンキホーテは腹を押さえた。
だが腹を押さえても血の湿り気のような独特な感覚を感じない。いやそれどころか、腹も裂かれていなければ、革鎧も裂かれてはいない。
安堵ともに、ドンキホーテは息を吐き出す。するとブクブクという音ともに、気泡が目の前を通り過ぎて頭上へと上がっていった。
次の瞬間、肺に満たされていたはずの空気は水へと変わる。
いつのまにか痛みにかまけている間に、水の中に落ちたようだ。
ドンキホーテは必死に水をかき分けた。しかし、体は水面へと移動することはない、留まったままだ、そもそも上はどこかすらわからない。
ただ確かなのは、溺れているという感覚だけ。それ以上表現のしようがないその地獄のような体験はやがて、頭の中に木霊した一つの声とともに終わりを告げた。
ーー俺を置いていかないでくれ!!
そして、それは始まりでもあった。誰かの懇願が聞こえたと思った瞬間ドンキホーテの全身が焼けた。
いや実際には焼けてなどいない、そのような感覚が襲ったというだけだ。
「うぁぁぁぁぁ!!」
しかしその苦痛は幻覚だとしても本物の苦痛と何ら遜色はない、たしかに焼かれている。ドンキホーテは火に焚べられた経験などないのにもかかわらずそれだけははっきりとわかった。
身悶えるドンキホーテ、そしてそれを皮切りに再び何かが頭の中に響き渡る。
ーー助けて!
ーー死にたくない!!
ーーやめてくれぇ!!
三者三様の違う声、しかしそれのどれもが苦痛を訴える声だ。
その声とともに、再びドンキホーテは苦痛に身を焼かれる。
刺された、裂かれた、絞められた。誰かに、何かに、しかし体は確かに悲鳴をあげる。痛覚が叫び訴える。痛い、苦しいと。
やがて彼の意識は苦痛によってかき消された。
ドンキホーテは再び目を覚ます。まず初めに感じたのは顔に感じる硬い石畳みだ。急いで、体を起こし当たりを見回す。
目の前に広がったのは、暗闇などではなく。王都エポロの赤い瓦の特徴的な家々だった。
いつのまにかドンキホーテは王都のストリートのど真ん中で眠りこけていたのだ。
「いや……違う……」
そんなはずはない。ドンキホーテは否定する。
自分は決して王都にいたわけではない。自分は花クジラに呑み込まれたのだ。
そうだ俺はそこまで覚えている。だとしたら何故、今、こんなところにいるのか。ドンキホーテの頭の中に疑問が間欠泉のように吹き出した。
ーー落ち着け。
いったん深呼吸をし再び当たりを見回す。空が明るいところを見るとまだ朝だ。そして周りには人が歩いている。
その人々を見た時ドンキホーテの頭の中に一つの仮説が浮かんだ。
ーーおい、まさか……。
その考えを確かめる前にドンキホーテはけたたましい音が迫ってくるのに気がついた。何故か気が付かなかったのか、迫り来るのは馬車だ。今まさにドンキホーテにぶつからんと迫ってくる。
「うおお!!」
思わずドンキホーテは、腕を交差し迫りくる馬との衝突に耐える。
だが馬車を引く2頭の馬はドンキホーテの体をすり抜けていった。
ーーやっぱりそうか……!!
完全に馬車がすり抜けていった後、ドンキホーテは確信する。
「この光景はーー」
「きゃあぁぁぁ!!」
女性の甲高い叫びが響き渡る。ドンキホーテが振り返るとそこには、止まった馬車と、青ざめて振り返る行者、そして泣き叫ぶ女性と血塗れで横たわった子供が目に入った。
事故だ。
どうやらさっき通り抜けていった馬車が子供をはねたのだ。子供は息があるようだが、長くは持たないだろう。
ドンキホーテはいてもいられず子供のそばに駆け寄った。
ひどい怪我だ、体のあちこちが裂け骨が飛び出している箇所も見受けられた。
ドンキホーテはせめて血を塞げば助かるかもしれないと手を差し伸べた。
しかしドンキホーテの手はその子の体をすり抜ける。そしてやがて、その子供の目から光が消えた。
それと同時に世界は闇に包まれる。
「そういうことか、あの痛みも、この夢もーー」
そうだ今みた光景は夢だ。誰かの夢なのだ。そしてドンキホーテはこれから起きる。起きたらまたあの苦痛がはじまるのだろう。
だがこれではっきりしたあの痛みとなぜこのような夢を見るのか。
「みんなが経験したものなんだ……痛みの……苦痛の経験……」
再びドンキホーテは闇の中へと落ちていく。痛みに全身が引き裂かれることに恐怖しながら、しかし彼にはどうしようもなかった。
この落ちていくような感覚はまさに、現実の自分が覚醒しようとしているということなのだろう。だが覚醒を妨げることなどできない。
ドンキホーテは目を覚ました。苦痛の流れ込んでくる。経験の海の中で。
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