006
母二人からのお説教タイムは本当に辛かった。
父二人もその後に控えてたけど、最初の二人からのお説教があまりにも長く、言いたいことは全て言われてしまったようで、漸く自分たちの番が来ても「決めたのなら、しっかり頑張りなさい」「好きにやりなさい。迷惑なんていくらでもかけていいから」と応援するばかりで母達から睨まれていた。
「けーちゃん、こーくんだいじょうぶ?」
アカリちゃんが私とコウタの顔を覗き込みながら尋ねてくる。心配してくれるのはとっても嬉しいのだが、何も答えてあげられない自分が不甲斐ない。本当にごめん、アカリちゃん。
「アカ、アカリ……っ、頼むから足に触んな……っ」
「足? いたいの?」
「アカリ、こーくんがおんぶしてくれるってさ」
「ほんと!? わーい!」
うずくまるコウタの背に思い切り抱きつくアカリちゃん。コウタの口から奇妙な悲鳴が上がった。うわぁ……うわぁ……。アカリちゃんを使う辺りからおばさんの冷めやらない怒りを感じる。
「それにしても、とんでもないことになったなぁ……」
おじさんがしみじみ呟いた。
「スキルとか未だによく分かってないんだけど……貴方達、体におかしなところはないのよね?」
「うん、大丈夫」
「それで、あの銃弾を二人が作って……それが600万……?」
「あ、そうだ。俺のが数少ないからどうやって割れば良いんだ?」
「半分で良いじゃん」
「蓮見が良いんなら俺は嬉しいけど……」
「いいよ。計算するの面倒だし」
「そっか、ありがとな」
「どういたしまして」
「…………さらっと言ってるけど300万だからね」
「親父の威厳が霞むなぁ」
「ほんとになぁ……」
引きつった笑みを浮かべる父とおじさん。何かごめん。
「あのナイフも売るんでしょう? 一本300万で買ってくれるって言ってたのに、50万に下げちゃって良かったの? それでもびっくりするほど高いけど……」
「いや……ケイちゃんの判断が正しいと思うよ」
おばさんの質問に答えたのはおじさんだった。
「これからどれだけ必要になるかも分からない。モンスターがこれから先ずっと出現し続けるとしたら、狭い日本は何とか出来たとしても、アメリカや中国のように土地面積の広い国では警官だけでの対応は難しいだろう。勝手にモンスターに挑む人だって増えるはずだ。そうなると有料で一般人に武器を渡すことになる。財政を考えても無償で渡すのは難しいだろうし。一本300万で仕入れた武器を数十万で卸すなんてことは出来ないだろう? かと言って数百万もするナイフを買う余裕なんて普通の国民にはない。それに、永続的に売買を続けるとしたら仕入れ値は安い方が国としてはいいに決まってる。ケイちゃんやコウタに支払われる金は税金から――もしそれが世間に知られたら、反感を買うのは目に見えてるからね」
おじさんの言うことは私の考えていたこととほぼ同じだ。頷くとコウタが「そこまで考えてたの?」と驚いた顔で聞いてくる。
「あっちはさ、とにかく今すぐに武器が必要なんだよ。だから銃弾600発で1000万とかナイフ一本300万なんて馬鹿げた値段を出してきた。でもある程度落ち着いたら価格を下げる交渉をしてくると思う。全国の警官に配るには全然足りないし、銃弾なんて消耗品を毎回馬鹿高い値段で買えるはずないからね」
「それもそうか……」
「でも私達は毎日しんどい思いをしながら作るから、二束三文じゃ売りたくない。需要はあり過ぎるけど供給する側が安く売るつもりがない。でも税金を使ってるし、未成年のガキ二人に馬鹿高い金なんて払いたくもない……そうなったらどうするのかって考えたら、方法は一つしか浮かばなかった」
「方法って?」
「情報をリークするんだよ。ワイドショーなんかで取り上げさせて、私達のことを『自分達が技術を独占してるのを良いことに法外な値段で売りつけようとしてる』って。そしたら国民達は自分達が払った税金を独り占めしようとしてる私らをバッシングして、家族や親戚にまで嫌がらせをするでしょう? それで弱った私達に言うの。価格を吊り下げてくれれば、うまいことフォローするよーとか言ってね。それで自分達の望む価格で提供させる。私達は恩があるから逆らえない。奴隷の完成めでたしめでたし」
「マッチポンプじゃねえか! こわっ! 超こわっ!!」
青い顔で腕を擦るコウタの後ろで母とおばさんも青褪めている。父二人はうんうん頷いているから、きっと二人も同じようなことを考えたんだろう。
「じゃあ、今回もう安く売ることにしたからそういうのは起きないの?」
「可能性はだいぶ下がったと思うよ。先に恩を売ってやったのもその為だし、こっちが協力の姿勢を見せたことで多少なりとも心証はマシになったと思う。でも絶対じゃないから、私とコウタは他の人達よりも先にレベルを上げ続けないと」
「俺達の価値を上げるってことか?」
「そう。他の国の錬金スキルを持ってる人達より遥かに高スペックなら、国だってそこまで高圧的にはなれないだろうから」
「ふぅん……でもよ、それなら俺ら鏑木さん達と行くのが良かったんじゃねえのか? そりゃ行きたくはねぇけど、レベル上げを第一に考えるんならそっちの方が――」
「あの人達と行ったって何の意味もないと思う。警視庁内に篭って通報が来たら出動するとか効率悪いじゃん。だったら出現する時間帯にあちこちのエリアを回ってゴブリンを倒しまくった方がいいよ」
「あ、そうか」
もしかしたら向こうは国家の中枢にあたる場所に出現するモンスターの討伐をさせたいのかもしれない。だが私だって家族が暮らすこの近辺の平和が大事だ。お偉いさんを守れたが家族を守れなかった――なんてことにはなりたくないので聞き入れるつもりはない。武器を売ってやるから勝手に倒せばいいのだ。
真剣な顔で黙り込むコウタ。おそらく部活のことを考えているんだろう。私の立てた案はあくまでも私一人用のプランだ。平日も休日も部活のあるコウタが私と同じプランで動けるはずがない。
おじさんとおばさんもそれが分かってるからコウタを心配そうに見つめている。私と同じプランが取れないということは、先ほど述べた危険性があるということだから。
やがて大きな溜息をついたコウタが頭を掻いた。
「しゃあねぇ、俺も腹括るか」
「後悔しない?」
「元々、錬金のスキルを手に入れる羽目になったのは俺が原因だろ。嫌がる蓮見に無理言って付き合わせたんだから。その蓮見が腹括ってんのに、俺だけ呑気に部活なんて出来ねぇよ」
「……椎名が後悔しないんなら」
正直な話、コウタがどっちを選んでも私は構わなかった。コウタが部活を続けるなら私一人で頑張ってコウタを守るつもりだったからだ。一人では不安だし怖さもあるが、本気でそうするつもりだった。
コウタにはそんな私の考えがお見通しだったのかもしれない。
「ごめんな、巻き込んで。おじさんとおばさんも……ほんとごめん。ごめんなさい」
うちの両親に頭を下げるコウタ。おじさんとおばさんまで一緒になって頭を下げるものだから、私も両親も慌てて首を振った。
「誰のせいでもないよ!」
「そうそう。大変なのはお互い様だろ。コウタ君も気に病むことはない、誰にも予測出来なかったことだ」
「……うす」
父に肩を叩かれ、コウタが小さく返事をする。
ここで空気を読まない私のお腹がぐうと音を立てた。集まる視線。腹を抑える私。
「……お腹すいた」
「さっき食べてたじゃない! もう、恥ずかしい子ね!」
真面目な話をしていたのにと怒る母の声でそれまでの空気が霧散する。笑い出すおばさん達につられて私もへらりと笑った。
「そんじゃ、今日からゴブリン狩りに出発しようぜ!」
「普通のゴブリンじゃレベル上がらなかったから、倒すならゴブリンソードかな」
「スライム並に経験値が低いだけで、いつかは上がるんじゃねえの?」
「いつ上がるかも分かんないのにちまちま倒してらんないよ。ボスを倒せばそのエリアは一週間空くから、取り敢えず今日のうちに近辺のボスを全部倒そう。そうすればインターバルで一週間はボスが出なくなる。次に現れるのは来週の土曜日になるでしょ。それならコウタも平日と日曜は部活出来るんじゃない?」
「おぉ! 確かに……! 俺もう部活辞める気でいたわ!」
バスケを続けられると知って大喜びのコウタ。アカリちゃんが一緒になってバンザイしているのがとても可愛い。
「レベルを上げる為に戦わなきゃいけないのは分かったけど……気を付けてよね」
「なぁ、ケイ。父さんも一緒に行ってもいいか?」
「は?」
「俺も行く」
「ちょ、父さんまで何言ってんだよ!?」
挙手する父二人に驚く私とコウタ。母二人は「言うと思った」なんて呆れ顔だ。
「娘が命懸けで頑張ってるのに、家で待ってるだけなんて出来るわけないだろう」
「いざという時、家族を守れるようにならないとな!」
「……本音は?」
「男のロマンを捨てられなくて」
「同じく」
「アホか!」
これだから男は!
コウタが「それ分かる」と共感して二人と手を取り合うのを、私と母二人は冷めた目で見ていた。
***
午後になり、私とコウタ、それから父二人は自転車で出発した。
私の家で二家族揃ってご飯を食べながら相談した結果、とりあえず小さな子どもを優先して守ろうという結論に達した。
そんなわけで向かうのは幼稚園や保育園、公園など小さな子どもが集まりやすい場所だ。その近辺で現れるゴブリンを倒し、あわよくばボスも見つけて倒してしまおうという魂胆である。
モンスターの出現時間ということもあり人の姿は見えない。大通りに出ると車の往来があったが、それもさして多くはなかった。
父二人は椎名家の物置にしまい込まれていた野球のバットを、私とコウタは自分達が錬金で作った警棒を装備している。普段から携帯出来るようにコンパクトなものをと考えた結果、警官が使うのと同じような警棒を武器に選んだ。
まだ錬金の存在が一般に周知されていない現在、父達に錬金で作った武器を使わせることは得策ではない。まずは武器を奪って倒す方法に慣れてもらうのが良いだろう。私とコウタも今の所この警棒を使う予定はない。
「見つけた」
幼稚園の前を通りかかった時、敷地内にゴブリンの姿を見つけて私達は自転車を下りた。園舎内には当直の教師が数名いて、怯えながら外を覗いている。私達が敷地内に入ると驚いた顔で「逃げて!」と叫んでくる。
「大丈夫です! そこから出ないでくださいね!」
声を張り上げて返すと不安げに顔を見合わせた教師たちが頷いた。
「椎名、そっちのゴブリン任せたから」
「おう。そんじゃ父さんはこっちで俺と。おじさんはそっちで蓮見とよろしくな」
緊張する父二人に声をかけて二手に分かれる。私は金属バットを握りしめる父を見上げた。
「お父さん――」
「やめるつもりはないぞ」
私の言いたいことを察したのか、被せるように父が言う。
「……棍棒持ちのゴブリンはそこまで素早くないから、ちゃんと見ていれば避けられるよ」
「分かった」
前に進み出た父がゴブリンと対峙する。ガチガチに緊張しているのが分かっているのか、ゴブリンは「グギャギャ!」と愉快そうに嗤っている。
「よし! 来い!」
父の声に反応してゴブリンが飛びかかってきた。真っ直ぐに棍棒が振り下ろされるのを避ける父の背をじっと見つめる。大丈夫、見えている。
「まっすぐ振り下ろした後、たまに横に振ってくるから気を付けて!」
「ああ!」
緊張を孕んだ父の声はそれでもしっかりしていて、恐怖に負けてしまうことはなさそうだと安心した。
しっかりと攻撃を見極め、ここぞというところでバットを振る。最初に助言していた通りちゃんと頭を狙えていたし、手に伝わる感触に顔を顰めはしたものの攻撃を止めることはなかった。
数分も経たずしてゴブリンの手から棍棒を奪い取ることに成功し、見事に初勝利を収めた。
「声がしたぞ! ステータスを手に入れた!」
「レベルアップもした?」
「ああ! 凄いな、本当にステータスが見える……」
「棍棒は邪魔になるから倒したらすぐに手放して。そしたら勝手に消えるから」
「分かった」
父が手放した棍棒はすぐさま私が保管庫に収納した。みすみす消してしまうのは勿体ない。
椎名のおじさんも危なげなくゴブリンを倒せたようで、ステータスをもらえたと喜んでいる。園舎の中から「ありがとうございます!」と何度も礼を言う教師達に手を振って、私達は次の場所へと移動した。
その後も何度かゴブリンを倒しながらあちこち回っていると、とうとうボスモンスターを見つけた。ゴブリンソードが一体と棍棒ゴブリンが二体。理想的な状況だ。
「最初に棍棒を奪い取って、その後にゴブリンソードの順番ね」
「俺がボスの気を引くから、その間に父さん達二人はそれぞれゴブリン倒して棍棒奪ってくれ」
頷いた父二人が一斉に駆け出す。コウタも上手いことゴブリンソードの気を引けているので、私は父二人の方につくことにした。
「さっきと同じように確実に攻撃を避けて!」
「ああ! 分かってる!」
「――ここだ!」
まだ二回目だというのに、父もおじさんもあっさりゴブリンの隙をついて攻撃を食らわせることに成功した。棍棒を握る手に蹴りを食らわせて武器を奪い、しっかりととどめを刺したのを確認してコウタに声をかける。
「椎名! 準備できたよ!」
「おう!」
「お願いだから、無理だと思ったらすぐに言ってね! 棍棒ゴブリンよりずっと素早いから、しっかり避けて! 絶対斬られないで!」
真剣な表情で頷いた二人がコウタ達の方へ駆けていく。コウタが後ろに退くのと反対に二人が前に進み出ると、ゴブリンソードが「グギャギャ!」と雄叫びを上げた。
「凄いハラハラする……! 動画見てたお母さん達の気持ちがやっと分かった……」
「それな。まぁでも大丈夫だろ。父さんも蓮見のおじさんもゲーマーだし」
「これだからゲーム脳は!」
そんなことを言い合っている間にも、父二人はゴブリンソードの攻撃を躱し続けている。攻撃に転じる隙が中々見つけられずにいることに苛ついたおじさんが、舌打ちと共にポケットから何かを取り出した。野球の球のようだ。
「ちょっと時間稼いでくれ!」
「おう! 合図頼んだぞ!」
そんなやり取りをして父は前へ、おじさんは後ろへと退がる。
「行くぞ!」
渾身の力で投げつけた球が物凄いスピードで迫り、タイミング良く避けた父の脇をすり抜け見事ゴブリンソードの額に当たった。急所を攻撃されたゴブリンソードの体が後ろへ傾ぐ。その隙を見逃さずに父が棍棒で剣を持つ腕を殴りつけて武器を手放させ、落ちた剣を即座に後ろへと蹴った。
「すご……」
「あれ、聞いてないの? 高校の時バッテリー組んでたんだってさ」
「え、お母さん同士が同級生だったんじゃなかったっけ?」
「どっちもだって聞いてるけど」
知らなかった。初めて知る事実に驚く私の視線の先で、おじさんが見事にゴブリンソードを斬り倒したのだった。
***
最初の二時間で私達が倒したゴブリンソードの数は三体。私はレベル5に、コウタはレベル4、父二人もレベル3まで上がった。
「あと十分で三時だよ」
「一旦帰るか」
「こんなに動いたの久しぶりだな」
「筋肉痛になったら嫌だなぁ……」
「おっさん二人帰るよー」
数日後に訪れるであろう筋肉痛を思ってぼやく父二人に声をかけて自転車に乗る。エリアがどのように区分されているのか分からないがど、二時間で三つのエリアをセーフティゾーンにしたのは中々凄いことではないだろうか。
自転車を漕いでいると不意に茂みから誰かが飛び出してきた。子どもかと思って急ブレーキをかけると、擦り切れそうな甲高い音と共に自転車が止まる。来たる衝撃に備えてギュッと目を閉じていたが、ぶつかった感触はない。おそるおそる目を開けるとそこには誰もいなかった。
「ケイ! 大丈夫か!?」
「どうしたんだよ、いきなり停まって!」
「怪我しなかったかい!?」
背後からは父達の焦った声。彼らには見えなかったのだろうか。
「子どもが飛び出してきたと思ったんだけど……」
「誰もいないぞ?」
「おいおい、大丈夫かよ。ちゃんと目ェ開けてたか?」
「本当だって! だって今ここから……」
指した先は民家があった。塀の役割を果たすフェンスには蔦や草が絡みに絡みまくっていて、フェンス自体は見えていない。道路側に伸び切った枝や草が突き出していて、もう長いこと手入れされていないのだと分かる。誰も住んでいないのだろうか。
私の見間違いだったのだろうか。だが、よく見ると草が覆い隠しているだけでフェンスの一部分が破けてぽっかり穴が空いていることに気付いた。
「ここ開いてんな」
「誰かが飛び出してきたんだよ。確かに見たもん」
「でも誰もいなかったじゃないか」
「この家の人か……? でも、ここ誰か住んでるのか?」
生い茂る草の隙間から覗き込むと、雑草が好き放題に生えまくった庭の向こうに玄関のドアが見えた。その脇に掛けられたままの表札を指すと、父が頭を掻きながら「確か」と呟く。
「爺さんの一人暮らしで、今は施設に入ってるんじゃなかったかな」
「誰も管理してないの?」
「この様子だとしてないみたいだな。父さんもよくは知らないけど……」
築云十年はありそうな古い平屋を眺めていると、コウタが私の肩を叩いた。
「なぁ、あれ何だと思う?」
「どれ?」
「ほら、庭の向こう。洞窟みたいなのあるだろ?」
コウタの指す方を見ると、家よりも奥の方――雑草が生い茂る庭の奥の方に確かに洞窟の入り口のようなものがあった。
「でもおかしくない? だってこのフェンスが家の周りをぐるっと囲んでるんだよ? あんな入り口あったってすぐにフェンスじゃん」
「そもそも、あんなに入り口が真っ暗になるほど奥行きないだろ。すぐにフェンスにぶつかるんだから」
「……ちょっと見に行ってくる」
言い出したのはコウタで、私達が止める間もなく破れたフェンスの穴から庭に入り込んで行ってしまった。
「どうする?」
「不法侵入だぞ。やばいに決まってるだろ」
「よし、こうしよう」
何か良い案でも思いついたのだろうか。おじさんを見ると、ポケットから球を取り出したおじさんがそれを庭へと放り投げた。……放り投げた?
「あーっと、こりゃいかん。ボールが中に入ってしまった。家の人はいないみたいだし、仕方ないから勝手に取らせてもらおう」
「おい」
「これで万一見つかっても厳重注意で済むな」
ニヤリと笑って庭へ入っていくおじさんの背を見つめ、どうするのかと父を見る。
「……あの馬鹿二人を連れ戻すぞ」
「はーい」
庭に入っていく父に続いて私も不法侵入を果たした。
庭は荒れ放題で、長い間ずっと放置されているのだと分かる。庭に植えられた木も枝が伸び放題だ。コウタ達は洞窟の前に立っていて、不思議そうに洞窟の入り口とフェンスとを眺めている。
「何やってんの?」
「見てみろよ。やっぱ何か変なんだよ」
「フェンスはすぐ後ろでこんな奥行きしかないってのに、中見えないんだよ」
「は?」
「土壁が見えないっておかしくねえか?」
「薄暗いからそう見えるだけじゃないの?」
鬱蒼と生い茂る雑草のせいで庭の隅であるこの場所は昼間だというのに薄暗い。だからそう答えたけど、コウタは確かめるように手を伸ばした。
「ほ、ほら、ほら! 壁がない!」
「ちょっと椎名。そういう冗談いらないから」
「冗談じゃねえって! 父さん! ほら!」
「はいはい――って、うおっ!? ほんとに何もねぇぞ!」
「おじさん……」
コウタの話に乗っかって手を伸ばすおじさんをじとりと見ると、本当なんだよと焦った様子で手を掴まれた。
「ほら! ケイちゃんもやってみなって!」
「だから――え?」
すぐに土壁に触れるかと思った私の手は相変わらず虚空を掴んでいる。おかしい。すぐそこに土壁がないといけないはずなのに。
私の父も手を伸ばし、その先に壁がないことに驚いている。
「え……何これ……?」
「どうなってんだ……?」
「ど、どうする?」
「どうするって?」
「中、入ってみるか?」
信じられないことをいうコウタを凝視すると「だって気になるだろ」と入り口を指しながらコウタが言う。
「いやいやいや全ッ然気にならない! むしろ気持ち悪い! 早く帰ろうよ!」
「ちょっとだけ。な?」
「またそれ!? それでゴブリンソードと戦う羽目になったのに!」
「この時間ならゴブリンは出てこないだろ。何がどうなってんのか気になるじゃんか」
「確かに気になるな」
「おじさん!」
コウタと並び立ち、この中に入る気になっているおじさんの服の裾を掴む。返されたのは満面の笑みだった。
「わくわくするだろ!」
「おじさーん……」
「ケイ、諦めろ」
「お父さんまで……」
味方がいない。父が諦めてしまったのなら仕方ない。さっさと中を見てさっさと帰ろう。母達が心配しているはずだ。
ひとかたまりになった私達は一斉にその洞窟らしき入り口へと足を踏み入れた。
ぞっとするほどの暗闇は一瞬で、次の瞬間、私達は通路の真ん中に突っ立っていた。黒曜石のように黒く光沢のある壁と床。どこにも明かりが設置されていないというのに何故か暗くない。だがそれは私達の周囲だけの話で、正面の通路は四、五メートルほど先はもう見えない。
「な、何ここ……」
戸惑いと怯えを多分に含んだ声で囁いた直後、聞き覚えのある声が聞こえた。
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