002
突如としてゴブリンが街中に現れ始めてから早くも一週間が経った。テレビをつければその話で持ち切りで、芸能界のゴシップニュースなどは近頃全く見なくなった。
あの駐車場での動画はテレビで何度も取り上げられ、ネットでは私を特定しようとする動きも見られたが、幸運にも今のところはまだバレていはいないらしい。
「あれ、ケイちゃんだよね」
その代わりおばさんにはバレた。戦法が同じだから当然といえば当然の話だった。帰り道で遭遇した時の話を聞いていたらしいコウタにもやっぱりバレていて、今現在コウタの家にお呼ばれした私は、リビングで詳しく聞かせてくれと目を輝かせるコウタを前に困り果てている真っ最中である。
「詳しくって言っても……襲ってきたから倒しただけで……」
「だってよ、あの動画じゃ蓮見の前に戦ってた奴が返り討ちにされてたじゃねぇか」
「あぁ……スーパー行く前に会見を見たんだよ。銃は効かなかったけど、ゴブリンの棍棒使ったら倒せたって言ってたから。私もその前に棍棒で殴って倒したし」
「あー……確かにあいつは蹴ったり踏んだりしてるだけだったもんな」
ズーズーとグラスの底に残った僅かな麦茶を啜ったコウタが「それにしても」頬杖をついてこちらをじっと見てくる。居心地の悪さに身を捩り、お絵かきをするアカリちゃんに視線を移した。
「けーちゃん!」
満面の笑みと共に差し出された画用紙には、私らしき黒の制服姿の女の子が緑の怪物と戦っている姿がクレヨンで描かれている。色が足りなかったんだろうな。私の制服は黒ではなく紺だし、ゴブリンは緑ではなく青緑だ。右手に棍棒、左手にバッグを持って仁王立ちする私の奇妙さが何だか笑える。
「アカリちゃん上手だね! ありがとー!」
妹のように可愛いアカリちゃんを抱きしめて頬ずりをする。「へへー」と嬉しそうに笑うアカリちゃんマジ天使。
「……俺より懐かれてね?」
「部活ばっかりで家にいないからでしょ。ケイちゃんはいっぱい遊びに来てくれるもんねー」
「うん!」
おばさんの言葉にアカリちゃんが満面の笑みで頷く。マジ天使。
「え……お前ダチいないの?」
可哀想な人を見るかのような目で見つめられ、思わず「いるわ!」と肩パンしてしまったのはご容赦いただきたい。
その後、アカリちゃんが眠そうに目を擦ったのでお暇することにしたのだが、家はすぐ隣だというのにおばさんがコウタに私を送るように言いつけたため、ほんの数メートルの距離を一緒に歩いている。
「おばさん心配性だなぁ」
「な。俺よりお前のが絶対生き残る確率高いぜ」
「確かに」
既に二度ゴブリンと戦って勝利してる私と、バスケばっかりやってきただけのコウタなら私の方が生き残るかもしれない。そんなことを考えているとスマホを取り出したコウタが「ほら」と差し出してくる。画面にはゴブリンの目撃情報などを交換し合うスレッドが映し出されていた。
「これによると、常に現れてるわけじゃないみたいだ」
「ガセじゃないの?」
「動画がついてた。誰とも戦ってないのに突然すっと消えたんだよ」
「ふぅん……何か条件があるのかな。時間とか天気とか?」
「時間じゃねえかって考察が多いな。確証はねえけど」
「じゃあ、現れる条件も時間?」
「この一週間、目撃される時間はいつも同じ時間だ。昼の一時台と二時台、それから夕方五時台、六時台。それより後の時間とか午前中に目撃したって話は一度も出てない」
昼の一時から三時、それから夕方五時から七時までの間――時間を決めて現れるということだろうか。取り出したスマホを確認すると二時五十分。ネットの考察が正しければ今は現れる時間だ。
「この一週間、ここら辺でゴブリン見た?」
「お前が見たんだろ、うちの母親とアカリと一緒に」
「その後。見たって話聞いた?」
「俺は聞いてないな。……もしかして、一度倒したエリアは出てこないとか?」
「さぁ、どうだろ……そうだと良いんだけど」
そもそもそのエリアがどこからどこまでの範囲を示すのかも分からないのだ。最初にゴブリンと戦った場所とスーパーは徒歩で十分ほどしか離れていないから、もしエリアというものが存在するのだとしてもそれを区別するのは市区町村ではない。ならばもっと小さな単位でのエリアだろうか。一丁目と二丁目――それだと狭すぎないだろうか。
「学校いつから始まるのかな」
相変わらずスマホにかじりついたままのコウタに問いかけると「それなぁ」と溜息が返ってくる。
「休校になっちまったもんな」
得体の知れない怪物が襲ってくると分かっていて、生徒たちを登校させるわけにはいかないと全国で学校が休校になっていた。おかげで毎日ヒマな日々を送っている。
父は自転車で出勤してるが、今のところゴブリンに遭遇してはいないらしい。車の交通量はやはり大きく増えたが、ある都市部では渋滞中に襲われたなんてこともあったのだとニュースで見た。今はバイクか自転車が良いと言われているらしい。
「そういや、聞こうと思ってたんだけど」
「ん?」
「ステータス見れるようになったって本当? レベルもあんの?」
ずいと突き出されたスマホには、自称ゴブリンを倒した者によるレベルアップとステータス出現のコメント。
「これが出てからネット大盛りあがりでさ。ゲームの世界きたってゴブリン探し回ってる奴もいるみたいだぜ。女子高生でも倒せるんなら自分にも倒せるっつって挑んで病院送りになった奴もいたっぽい。これはニュースでも言ってたよな」
そうなのだ。私の動画が出回ってからというもの、遊び半分でゴブリンに挑んで病院送りになった者が少なからず出たのだとワイドショーで言っていた。あの動画の女子学生はたまたま運が良かっただけなので、絶対に挑まないようにと釘を差しているのを見て何とも言えない気持ちになったものだ。まるで私が悪者みたいじゃないか。命懸けで頑張ったのに。
「……私のせい、かな」
「んぁ? 何言ってんだよ。自己責任だろ」
間を置かず返ってきたた言葉にホッとする。お前のせいだって言われたらどうしようかと思った。
「動画アップしたのだってお前じゃねーんだし、気にすんなよ」
「身バレしたら怖いなぁ……」
「――で、どうなんだよ。あんの? ないの?」
話を戻してくるコウタの食いつき具合が怖い。どうしたものかと頭を掻き、どうせ他の人達が言ってるなら構わないだろうと結論を出す。
「……まぁ、あるけど」
「あんの!? マジで!?」
「ちょ、ネットに書かないでよ? 友だちにも言わないで。絶対だよ」
「分かってるって。んで、どんな感じ? 蓮見って強いの?」
「どんなって言われても……ステータス見たいって念じたらここら辺に出てくるんだよ。3Dみたいに文字だけ浮かぶの」
「レベルは?」
「2になってる。倒した時に上がったって声が聞こえたから、元々は1だったんだろうね」
「声!? どんな声!?」
「うーーーん……何か……システム音ってわけじゃないけど、本物の声でもないし……何かよく分かんない声。男か女かって言ったら女、かなぁ。多分」
「へぇー……いいなぁ、俺も見てーなぁ。こう――『ステータスオープン!』っつってな」
「ゲーム脳」
「夢が現実になるんだぞ!? なぁなぁ、ステータスどんなのが見えんの? 何て書いてあんの?」
キリがない。溜息を零した私はその後もコウタの気が済むまで話に付き合わされる羽目になった。
こうしてたくさん話をするのはかなり久しぶりだったのだが、意外と普通に話せるものなのだなと少しだけ安堵したのは内緒の話である。
***
それから更に一週間が経過したが、その間に様々な情報が私達の知るところとなった。
まず、ゴブリンが現れたのは日本だけではないこと。世界中のあちこちで現れており、その出現の法則も見えてきた。国ごとによって出現する時間が違い、日本では午後一時から三時の間と午後五時から七時の間に限られていると正式に発表された。拳銃を使っても倒せなかったこと、他国でも色々な武器を試したけれど倒せなかったこと、ゴブリンの棍棒を使えば倒せたことを鑑みるに、おそらく現時点ではモンスターの武器を奪って倒す以外の方法はないということ。建物の中に入ってしまえば中まで追ってくることはないということも分かっているが、車やバスでは襲われるということも分かっている。
電車については今のところ報告が上がってはいない。駅舎には入ってこないからか、ホームなどに現れることはないそうだ。だが、警戒するようにとお達しが出ている。
ネットで騒がれていたため、会見ではステータスについても触れられていた。
討伐者にはレベルというものがつくこと、ステータスが見えるようになること――けれどそれを得るためにゴブリンに挑んで返り討ちに遭う者も決して少なくはなく、中には後遺症が残るほどの重傷者も出たようだ。逃げるのが一番だが、挑まざるを得ない状況に陥った場合や、どうしても挑みたいという者は自己責任でということを何度も伝えていた。
午前中にはモンスターは出ないということで学校も再開されることとなった。
久しぶりに登校した学校ではやはりゴブリンの話でもちきりだった。制服の色が似ていること、名前が同じということで何人かから「あの動画って蓮見なの!?」と聞かれたが「まさか!」と笑い飛ばしている。何人が信じたのかは分からないけれど。それとなく探ってくる人もいるし、休み時間にはわざわざ他学年の人までやって来て「これ、貴方なの?」と聞かれた。本当に勘弁してほしい。何で私の名前知っているのか。
下校時間は三時から五時の間、もしくは七時以降と定められ、それ以外の時間に帰ることは禁止されている。私は三時過ぎに学校を出て帰るようにしている。コウタは七時以降に部活を終えて学校を出るようにしているらしく、帰ってくる時間が遅くなったとアカリちゃんがぼやいていた。
「幼稚園も再開されたんでしょう? 楽しかった?」
「うん! でもね、すぐに終わっちゃうんだよ」
「一時までに家に帰らなきゃだから、給食もなくてね。朝八時にバスに乗って幼稚園行って、十二時には帰ってきちゃうの」
「そっかぁ……それじゃ足りないよね」
「あのね、毎日ママが公園連れて行ってくれるんだよ! そこでみんなと遊ぶの!」
ゴブリンの出ない三時から五時の間だけ公園に集まり、何人かで遊ぶことにしたらしい。家の中で暴れられても困るからと苦笑するおばさんに「ママって大変なんだね」と言ったら「いつかはケイちゃんも通る道よ」と返された。その道を通る日が来るのか甚だ疑問である。
モンスターの出現時間が特定され、想定より早く学校が再開されたおかげか中間テストも問題なく実施された。中間テストを廃止して授業の少しの遅れを取り戻し、まとめて期末テストで――そんな案も出たらしいが、結局は中間も期末も両方やるということで決まったらしい。範囲がとんでもなく広くなってしまうことで生徒たちのやる気を削ぐことになってしまうだろうと危惧したのだと担任が教えてくれたが、たとえどちらだったとしても私のやる気は変わらなかったと断言できる。
テスト最終日。今日はまだ部活休止期間中にあたるということで、電車内はとんでもなく混んでいた。他校とテスト期間が重なってしまったというのもあると思う。
部活がないなら私と一緒に登下校しなさいとおばさんから口を酸っぱくして言われていたようで、部活休止期間に入ってからはコウタと一緒に登下校している。モンスターの出ない時間帯なんだから大丈夫だろうと言ったらしいが、「万が一のことがあったらどうするの!」と十分ほどお説教を食らったコウタは、その後は反論せず私と登下校することを決めたそうな。
「いや、あのさ……そんな嫌なら無理して一緒に行ってくれなくてもいいからね?」
そこまで嫌われていたのかとちょっとショックだったが、どうやら違うらしい。
「別にお前が嫌とかじゃねえよ。電車とか学校の近くとかでダチにからかわれんのが嫌なんだよ」
「あぁ……なら行きは駅まで一緒に行って、帰りは駅から一緒に帰れば良くない? おばさんには分かんないんだし」
「駅で待ち合わせすんのもメンドーだろ」
「アンタがメンドーだわ」
反論はなかった。
結局からかわれながらも二人で登下校していたのだが、それも今日までだ。明日からはコウタの部活が始まるから行きも帰りも一人になる。久しぶりに長い時間一緒にいたけど、思っていたより気まずくならなくて良かったと内心ホッとしていた。
「明日から朝練なんでしょ? 試合とか普通にやるんだって?」
「時間は限られるけどな。俺らの場合は屋内だし、出現時間を避ければ試合も普通にできるってさ」
そんな話をしながら電車に乗り込んだわけだが、間の悪いことに私達が降りる駅の手前で人身事故のアナウンスと共に電車が止まってしまった。再開の目処は立っていないと言われても、線路のど真ん中で電車の中にいる私達にはどうすることもできない。
そうこうしている内に時間は過ぎて行き、このままでは一時になってしまうではないかと車内が騒然とし始めた頃、漸く電車が動き出した。
「どうする? 間に合わなくない?」
「でも二時間も駅で時間潰せねぇだろ。腹も減ったし、俺今日金持ってねえもん。お前は?」
「私も五百円しかない……」
顔を見合わせた私達が出した答えは一つだった。
「ダッシュだ」
「先行っていいよ。椎名について行ける気がしない」
「馬鹿。どやされんの俺だぞ」
あんなにニコニコして優しいコウタのお母さん、そんなに怖いのだろうか。電車が駅につくと私とコウタは階段へ急いだ。同じことを考えている人もちらほらいて、改札までは競争だった。
駅を出る時にスマホを確認すると一時まであと七分。徒歩なら家まで十五分もかからないから走れば間に合うだろう。コウタなら。
そう、コウタなら。私は無理だ。そう告げると「でもお前二回もゴブリン倒したじゃねぇか!」と走りながら言われた。勘違いしないでもらいたい。
「パターン読んだだけだから! 全力疾走とは違うから!」
走りながら叫んだら息が切れた。どんどん広がっていく私とコウタの距離。気付いたコウタが舌打ちをして速度を落としてくれたので、やっぱり置いていく気はないらしい。こんな所で男気を見せなくても良いだろうにと思ったけど、単純におばさんに怒られたくないからって理由なのを思い出す。男気もクソもなかった。
「あと少しだぞ! 死ぬ気で走れ!」
返事も出来ない私は必死に足を動かすしかない。走って、走って、ひたすら走って。隣を走るコウタの余裕そうな声とか、それで全力なのかよと言わんばかりの視線が恨めしい。帰宅部を舐めないでもらいたい。
家まであと数十メートルというところまできて、漸くコウタが足を止めてくれた。ゼイゼイと肩で息をし、バッグから取り出したお茶を一気に飲み干す。ほんとつらい。二度と走りたくない。
「お前もう少し運動した方が良いよ、マジで」
「う、さい……げほっ」
悪態をつきながら、残り数十メートルを歩く。もう家が見えているし、道中にゴブリンの姿もない。私達は安堵しながらのんびり歩いていた。一応コウタがきょろきょろと辺りを警戒してくれているから、もし姿を見たら全力で家に駆け込めばいい。
「あー……疲れた……良かった、遭わなくて」
「俺はちょっと見てみたい気もしたけどな」
「やめてよ……マジで死ぬと思ったんだから……」
あとそれフラグだから――そう続けようとしたその時、右手側の方角から悲鳴が聞こえてきた。顔を見合わせる私とコウタ。
「……行ってみる?」
「行ってみない」
「ちょっとだけ。ほんのちょっと見るだけ」
「見つかったらどうすんのさ」
「速攻で逃げる」
「…………隠れて見るだけにしてね」
「おう!」
そういえばこういう奴だった。足取り軽く悲鳴の方へ向かうコウタの背を追いながら幼い頃を思い出す。興味が湧くとちょっと危険な場所でも平気で行って、そのたびに付き合わされた私は何度も酷い目にあった。私が鈍臭かっただけだけど。
そっと歩き進めること数分。私達が見つけたゴブリンは、私達が想像していたのとは明らかに違っていた。
「な、なぁ……お前が戦った奴も剣持ってたの?」
「まさか……な、何あれ……何で棍棒じゃないの?」
驚くことに、ゴブリンは棍棒ではなく剣を持っていたのだ。咄嗟に鑑定するとゴブリンソードと表示される。別種だ。更に驚くことにゴブリンソードの足元には血まみれの男が転がっている。生きてはいるようだが、あの出血量ではまずいというのは素人の私でもすぐに分かった。
すぐに逃げて警察と救急車を呼ばなければ。刃物を持ったモンスターなんて戦えるわけない。棍棒を持ったゴブリンだっていっぱいいっぱいだったのだ。絶対無理だ。
コウタのバッグを掴んで逃げようと声をかけようとしたその時、信じられないことにコウタが走り出した。しかもゴブリンソードに向かって。
「警察と救急車呼んでくれ!」
「ちょ、」
「あの人助けねぇと!!」
あっという間に遠ざかるコウタの背中を見ながら私はパニックに陥った。あんな危険物持ってるモンスターに駆けていくとか馬鹿じゃないの!? 死にたいの!?
とにかく早く警察と救急車を呼ばなければとスマホを取り出す私の背後から影が差し掛かる。一体誰だと振り向いた私は硬直した。
「グギャギャギャ!」
何とそこには棍棒を持ったゴブリンがいたのだ。振り下ろされる棍棒を、慌てて横に飛び退いて避ける。びっくりした! びっくりした! びっくりした……!!
一度に二体出てくるなんて聞いてない。振り回される棍棒をひたすら避けていると、悲鳴を聞きつけたのか先ほどのゴブリンの声を聞きつけたのか野次馬が現れだした。どいつもこいつも遠巻きに携帯で撮影するだけで助けてくれそうにない。あいつらの所に行けよと思ったが、ゴブリンは私に狙いを定めていて他へ行ってくれそうにない。
「いい加減に……っ、しろっ!!」
何度目かの棍棒を避け、思い切りバッグを振り抜いた。もちろん今日も辞書が入っている。最近ではバッグの中には辞書しか入ってない。残りは全て保管庫だ。バッグから取り出すように見せて保管庫から取り出しているのだ。そんな説明をしている場合じゃない。
振り抜いた辞書入りバッグはゴブリンの頭に命中した。そのままバッグを手放してゴブリンに向かって駆け寄り、棍棒を持つ手を思い切り蹴りつける。ガランガランと重そうな音を立てて落ちた棍棒を拾うと、その場でぐるりと一周して勢いをつけた棍棒で思い切りゴブリンを殴りつけた。
「はは……すご、」
もう棍棒のゴブリンに負ける気がしない。こんなことに慣れてしまいつつある自分に対して引きつった笑みが浮かぶ。
コウタはバスケ部で鍛えた素早さで剣を避け続けていたが、棍棒を持つゴブリンとは段違いに素早いゴブリンソードに対して攻撃のタイミングを掴めずにいる。
そういえばこの棍棒は素早さが下がる効果がついていたはずだ。ゴブリンソードの持つ剣を鑑定すると、やはりというか素早さが3上がる効果があると表示される。
こうなったら一か八かだ。背後にいた野次馬連中に救急車を呼んでくださいと叫んでコウタの元へ駆ける。駅からの全力疾走で足がガクガクするのだが、私ちゃんと生きて家に帰れるだろうか。
「椎名!」
「おわっ、おま、それどうしたんだよ!?」
「後ろから来たんだよ! 何で二体同時に出てくるわけ!?」
「俺が知るか! こいつ素早くて全然隙がねぇんだよ!」
「これ使って!」
棍棒を渡すと受け取ったコウタが「重ェよ!!」と叫ぶ。そんなの知ってる。素早さまで下がる低性能ぶりだが、攻撃力は申し分ないのだ。
「こんなんでどうしろってんだよ!? 重くて全然動けねぇし! おわっ、あっぶね!」
「あいつが思いっきり振り下ろした時に合わせて打ち込めば弾き飛ばせるでしょ!?」
「俺がやんの!?」
「私より早く動けるでしょうが! 誰のせいでこんなことになってんの!?」
「俺だけど!! あークソッ!! 弾けなかったら助けてくれよ!」
「殴る準備はしとく!」
辞書入りバッグを握りしめて叫ぶと、コウタは引きつった笑いを浮かべながらゴブリンソードと対峙した。少しずつ動きを見極めて棍棒を合わせて振っていく。素早さは劣るものの、ちゃんとついていっている。ゴブリンソードにも苛立ちが見え始め、攻撃が単調で大振りになりつつあった。
「頑張れ!」
「腹減った!!」
「死亡フラグは建てないで!!」
「もっと応援ねぇの!?」
叫びながらもコウタの動きはどんどんゴブリンソードの攻撃に合っていく。
やがて、その時が来た。
「お、らぁっ!」
上段から思い切り振り下ろされた剣に対して、下段から思い切り棍棒を振り上げる。ゴブリンソードの手から弾かれた剣がくるくると回転しながら私の方へ飛んできた。距離は充分にあるのに大袈裟に避けた私は、大きな音を立てて転がった剣を慌てて拾い上げる。
「こ、れでっ、終わりだ!!」
渾身の力でコウタが棍棒を振り下ろした。地面に叩きつけられたゴブリンソードがぴくぴく痙攣するが、いつまで経っても光になる気配はない。
「まだ生きてんの!?」
震える腕で起き上がろうとするゴブリンソードから思わず後退るコウタ。私は自分の手の中の剣を見た。
まさか本人の武器じゃないと倒せないなんてことがあるのだろうか。分からないが、早くしないとゴブリンソードが起き上がってしまう。
「もう一発!」
今度は下段から振り上げるようにしてゴブリンソードを攻撃する。仰向けに吹っ飛んだゴブリンソードはやはり弱っているものの消える気配はない。
「どんだけ粘るんだよ!?」
「これでやらなきゃ駄目なのかも……」
剣を手にゴブリンソードへ向かうと、眉を寄せたコウタが慌てて私を呼んだ。
「おい、ケイ――」
「だ、大丈夫……大丈夫、大丈夫……」
起き上がれずにいるゴブリンソードと目が合った。剣を握る手に力が篭る。これで思い切り突き刺せばゴブリンソードは倒せるはずだ。何度も棍棒で殴り殺したのだからできる。
そう思うのに体は動かない。方法が違うだけで、することは一緒のはずなのに。もう殺したのだから今更怖がってる場合じゃない。分かっているのに何故か体は動かない。
呼吸が荒くなっていくのが分かる。いつの間にか近くまで来て撮影している野次馬の一人が「早くやれよ」と声までかけてきた。
「俺がやってやろうか? つーかこれ、俺がトドメ刺せば俺にもステータス出来んじゃね!?」
「マジかよ! じゃあ俺やる! 剣寄越せって!」
次々に声を上げる野次馬達。私達が戦っている間は遠くから撮影するばかりで助けようともしてくれなかったくせに、ゴブリンソードが虫の息になった途端に調子が良すぎる。
不意に私の手に誰かの手が重なった。野次馬の誰かかと思ったが違う。コウタだった。目が合うと真剣な顔のコウタが頷き、それだけでコウタの覚悟が伝わった気がした。
深呼吸をすると先ほどまで渦巻いていた恐怖が薄れていく。コウタの手に力が篭る。私達は同時に剣を掲げ、一息にゴブリンソードに突き刺した。
この時、手に伝わった感触を私は一生忘れないと思う。