バイバイ
俺が夏樹ちゃんと、丘の上の公園で別れてから数日が経った。
俺は、今まで以上にアミィと共に過ごす時間を大切にするようになっていた。
仕事は定時で切り上げ、同僚の誘いを断り、出来る限り早く家路につく。夕食を弁当で済ませることも減り、アミィと俺の二人で夕食を作る機会が増えてきた。
あの日起こったことは、俺の人生観すら変えてしまった。これが本当の意味での『愛し合う』ということなんだろうか。
自分の弱いところをさらけ出し、協力して、何とか乗り越えていく。アミィとそんな関係になれたことが、とても幸せだ。
そんなことを考えながら、俺はリビングでソファーに座ってテレビを眺める。隣にはアミィが俺にもたれ掛かって、並んでソファーに座っている。
「ご主人様?」
「何だい? アミィ」
「いえ、私、何だか、今とても幸せだなって、ふと思って。それだけです、ご主人様」
「実は、俺も全く同じことを考えてたんだ。俺達、通じあってるよな、アミィ」
「はい……私、ご主人様からは今日までにたくさんの幸せを貰ってきました。いつまでも、いつまでも、こんな時間が続くといいですね、ご主人様」
「あぁ、そうだな、アミィ」
俺達はソファーで寄り添いながら、部屋に流れる心地よい幸福感に身を任せていた。すると、その空気を切り裂くように部屋に電子音が響き渡る。
俺の携帯が鳴っている。この着信音、メールが来たみたいだ。メールを確認すると、送り主は、夏樹ちゃんだった。
『響さん、先日は申し訳ありませんでした。もし、私のことを許して戴けるなら、次の休日に、会えませんか? 会えるのであれば、その時は、アミィちゃんにも来てほしいです。お返事待ってます』
このメール、文面からしたら少なくとも、俺の顔も見たくないって感じじゃないよな。
さて、どうしたものか。俺はアミィに夏樹ちゃんからメールが来たことを伝えた。
「行きましょう、ご主人様。行って、全部ハッキリさせましょう? ご主人様だって、夏樹さんのこと、気になりますよね? 大丈夫、私も一緒ですから」
そうだよな、アミィ。俺は夏樹ちゃんに次の休日に会うよう返事をした。もう、俺は揺れない。夏樹ちゃんが俺に何を言おうと。俺は送信されていくメールを見つめながら、心に決めた。
…………
約束の休日がやって来た。場所は夏樹ちゃんに教えてもらった、丘の上の公園。
約束の時間の5分前に公園に辿り着いた俺達を、夏樹ちゃんが迎える。その表情は、今日の晴れ渡った空のように晴々としていた。
「こんにちは、響さん、アミィちゃん。今日は来てくれてありがとうございます。先日は、私、どうかしてました。ゴメンなさい、響さん」
「いや、俺の方こそ、夏樹ちゃんを傷つけるようなことをして、ゴメンね」
「謝らないでください、響さん。でも、私、あの後大変だったんですよ? 走って、転んで、走って、泣いて。部屋に帰ったらマリンちゃんったら、びっくりして飛び上がっちゃって! バカみたいですよね、私!」
夏樹ちゃんは必要以上に明るく振る舞う。一目で解った。夏樹ちゃんは、無理をしている。
それでも、俺は黙って夏樹ちゃんの話を聞く。ここで口を挟むのは、夏樹ちゃんへの冒涜に他ならない。
「私、マリンちゃんに怒られちゃいました。『響さんは悪くない、早く謝ってこい』って。私バカだから、何も解ってませんでした。あのときはあんな言い方しましたけど、本当は響さんがアミィちゃんを好きだってこと、何となく解ってたんですよ?」
明らかに嘘だ。マリンちゃんがそんな頭ごなしに夏樹ちゃんを叱るはずない。
それに、アミィを好きだと解ってたっていうのも、怪しいものだ。
「ゴメンね、アミィちゃん。アミィちゃんから、響さんを盗っちゃおうとして。私、どうしても我慢出来なかった。響さんのこと、好きになっちゃったから。こんな私のこと、許してくれる?」
そんな夏樹ちゃんの言葉に、アミィは慌てて返事をする。
「いえ! 私は夏樹さんのことを許すだとか許さないだとか言えた立場ではありませんから! それでも、敢えて私から何か言わせて戴くなら……」
そして、アミィは夏樹ちゃんの方を真っ直ぐ見て、言った。
「私はご主人様に選んでもらった以上、これからもご主人様を支えていきたいと思っています。ですが、それは夏樹さんにとってはとても苦しいことだということも解ります。ゴメンなさい、夏樹さん、私の方こそ夏樹さんに謝らなければなりません」
そんなアミィの答えに、夏樹ちゃんは満足そうに答えた。
「そうじゃないよ、アミィちゃん。響さんは悩んで、悩んで、最終的にアミィちゃんを選んだ、それだけなんだよ。だから、アミィちゃんが私に謝る必要なんかないの。それに、恋はいつだって早い者勝ち! だからこの結果は仕方ないのっ!」
そう言って、夏樹ちゃんは天をあおいだ。そして、夏樹ちゃんはアミィの方に向き直る。
「ねぇ、アミィちゃん。ひとつ、私と約束してくれないかな?」
「何でしょうか? 夏樹さん」
「これから、色々大変なことがあるだろうけど、響さんのこと、離しちゃ、ダメだよ? もちろん、私に出来ることなら何でも協力する。アミィちゃんだって女の子だもんね? 響さんじゃ解らないこと、色々教えてあげるから、ね?」
「はいっ、ありがとうございますっ、夏樹……さんっ……」
「泣かない泣かない、アミィちゃん。響さんも、これから先、アミィちゃんのこと、泣かせちゃダメですよ? その時は、私、許しませんからね?」
「うん、約束するよ、夏樹ちゃん」
俺は、初めて夏樹ちゃんに会ったとき、『強い娘だ』と思った。でも、それは間違いだった。夏樹ちゃんだって、人並みに恋をして、悩んで、決断して、失恋して。
それでも今、こうして俺とアミィの前に立っている。強い、強すぎる。夏樹ちゃんにかかる重圧は、おおよそ人間一人で抱えきれるものじゃないはずだ。
やっぱり、その背景にはマリンちゃんがいるんだろうな。今回のことだって、夏樹ちゃんが立ち直れたのは恐らくマリンちゃんのフォローがあってこそだろう。
夏樹ちゃんとマリンちゃんの姉妹としての、絆。俺にも妹がいたけれど、二人の絆は計りきれるものではない。
何だか、夏樹ちゃんとマリンちゃんを羨ましく思ってしまうな。
「それじゃあ、私はもう少しここにいますから。今日は来て戴いてありがとうございました。また一緒に、ケーキ、食べに行きましょう? 響さん、アミィちゃん」
「うん、それじゃあ、俺達は行くよ。行こう、アミィ」
「はい、それでは夏樹さん、今日はありがとうございました」
公園から出ようとした俺達を、夏樹ちゃんが呼び止める。そして、こちらに手を振りながら夏樹ちゃんが駆けてくる。
「忘れてました! 響さん、これ!」
夏樹ちゃんの手には、俺がなくしたハンドタオルが握られていた。しっかりと、握りこぶしを固めて。
「それ、どこで……?」
「響さんが落としたのを、拾っておいたんです。お返しするのを忘れてました。あ、もちろん、ちゃんと洗濯しておきましたからね? それでは、お返しします」
「ああ、ありがとう、夏樹ちゃん」
俺は夏樹ちゃんからハンドタオルを受けとると、今度こそアミィと一緒に公園を後にした。
夏樹ちゃんから受け取ったハンドタオルからは、夏樹ちゃんの手の熱をほのかに感じた。
それにしても、今日、夏樹ちゃんがアミィはアンドロイドだという点について言及しないでくれたのには助かったな。
アミィはまだ人間とアンドロイドとが愛し合うことの異質性に気づいていない。
いつかは話さないといけないことなんだけど、まだそのときじゃない。
これからアミィと過ごしていくなかで、上手いこと伝える機会が来るといいんだけどな。夏樹ちゃん、本当に、ありがとう。
…………
これでいい。これで私に出来ることは全てやりきった。最後まで、泣かずに響さんとアミィちゃんを見送ることが出来た。偉いぞ、私。
帰ったら、マリンちゃんまた私を誉めてくれるかな。多分、私、また泣いちゃうんだろうな。その時は許してね、マリンちゃん。
公園を風が抜ける。その風は、もうひんやりとしたものに変わっていた。夏が終わり、草木を枯らす季節がやってくる。
一際強い風で、地面から木の葉が舞い上がる。飛んでいく木の葉は、私の恋の終わりを告げているようだった。
響さん、私が響さんに恋した理由は、あまりにも子供でした。そう、理由なんてなかったんです。ただ、私は今まで体験したことがなかった感情に振り回されてしまっていただけなんです。
これまで恋なんてしたことがなかったものですから、盲目的に自分の感情に任せて、響さんも、アミィちゃんも、マリンちゃんも、碓井さんも巻き込んでしまいました。
でも、初恋なんてこんなものですよね。ただ、私は初恋をするのが遅すぎた、それだけのこと、私が子供なだけだったんですよね。
ゴメンなさい、響さん。こんな私の我が儘に付き合わせてしまって。それでも、私は響さんが好きでした。それだけは間違いなく本当ですよ?
響さん、私は、これからもマリンちゃんと一緒に人生を歩んでいきます。響さんのことを忘れることは出来ないけれど、何とか自分の気持ちに折り合いをつけていこうと思います。
バイバイ、私の、初恋。
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