目と耳
今回の話には視覚障害者の料理の仕方を含んでいます。
都合上、番外編としては投稿しません。
美里は11時頃に家にやってきた。
私の家は別に広くはない、目が不自由な人のための設計になっているだけである。
両親が私に残した唯一のものだ。
過去が過去だけに愛着は湧かないが、手垢にまみれている。
1人で住むには寂しさを感じるので、今日美里が来たことで少しは賑やかに感じた。
美里は小さな鞄に必要なものを詰めてきたようで、私が荷物を預かった時はその異様な軽さに美里本人に理由を聞いてしまった。
美里は「1泊なんだし普通じゃない?」なんて言っていたが、本当にそうなのだろうか。
私の通っていた中学校では1泊の修学旅行ですらキャリーバッグをゴロゴロと転がしている女の子だらけだったのでそれが普通だと思っていた。
まあ、大きなキャリーバッグを持ってこられても置き場所に困ってしまうので良かったが。
それに、確かにお土産を入れたりはしないので十分なのかも。
もし忘れ物してたら私が貸してあげよう、そう決めてこの疑問を忘れた。
美里はうちに来るとまず家の中を探検し始めた。
子どもっぽいと少し感じたが、他の家とは少し異なる私の家を見て回りたいという気持ちも分からなくもなかった。
私はそんな冒険心に駆られた美里の後ろをぶつからないようについていった。
「うわ、トイレも普通だ」
《何を想像してたの》
「普通じゃないもの?」
特には想像していなかったようだ。
普通じゃないものとは何なのだろうか、「ココガベンザデス」なんて教えてくれるのだろうか。
そんなの落ち着けないからいやだが。
《最近のトイレは点字もついてるから》
「なるほどね」
そう一言感想を漏らすとトイレのドアを閉めて、洗面所に向かった。
「お風呂だ」
そりゃ洗面所なんだからお風呂くらいあるでしょ。
好奇心は旺盛なようだが、その好奇心の向いた先に得たものを表現するボキャブラリーはないようだ。
美里はお風呂のドアを開けた。
「うわ、押したり引いたりして開けるんだ。うちのは横に引くやつなのに」
《こういう方がちゃんと閉まってるか音で判断しやすいから》
「なるほど~。水が漏れたら大変だもんね」
お風呂で違うことと言えば手すりがついていることと洗面器を置く台がないことだろうか。
無論、美里もそれには気づくので、気づいたことをそのまま口で述べた。
滑って転ぶことのないようにつけられた横に伸びた手すりはシャワーの位置を知るのにも役立つ。
今のお風呂は基本的には滑ったりはしないので、手すりは転倒防止というよりは道しるべという方が機能的だ。
「お風呂広くない?」
《他のを見ないしそもそも見えないから分からないけど》
「ていうかバスタブがでかい。温泉じゃん」
《入りやすいように手すりと階段がついているからね》
美里は「ほえ~」とよく分からない擬音語をもらし、感心していた。
「こんなに広いなら一緒には入れるね」
「え」
驚きのあまりスマホのマイクを通さずに声を漏らした。
《一緒にはいるの?》
「ダメだった?」
《駄目じゃないけど》
その先に続く言葉が分からなかった。
単に裸を見られる恥ずかしさ?それとも年頃故の羞恥心?もしくは慣れていないから?
いろいろ仮説を立てたけれど、みんな違うようでみんな正しい気がした。
将棋でほぼ勝ちの決まっている棋士がどの詰み筋でいくのか悩むのと同じようなことだろうか。
別に私は勝ちも負けも何も決まってないけどね。
「なら入ろうよ」
《うん》
美里はいつも強引だ。
生きる剛速球という形容が適切なのでは、と思うくらい生き急いでいる。
あれをしよう、これをしようというのはいつも美里が言い出しっぺだ。
私はそれに連れ回されるように、文字通り手を引かれているが、それを悪くないと思っている自分がいる。
結局私の目である美里は耳である私を今日も今日とて引きずり回している。
美里の場合耳が不自由というのはどうとでもないのかもしれない。
「耳が聞こえない、だからなんなのだ、私は自分がしたいように生きる」、それが美里なのだと思う。
どうしてそう思えるのか私には分からなかった。
私の場合は目が見えないということはいつまでたっても自分の欠点に思えてしまう。
だから自分の可能性を消して、他人に合わせて生きてきた。
私の脳裏に両親が浮かんでは思い出してはいけないと消した。
私は目が見えない、迷惑はなるべくかけちゃいけない。
そう考えているなか出会った美里という私の目は、私のぼやけて見えない視界を鮮明にしていく。
昼休みにともにした嚥下、公園での少年たちの声、あの日舌で感じた甘み、どれもが私の中で鮮明に浮かぶ。
私は彼女に音を聴かせてあげられているだろうか。
自問自答などすることが愚かなほど答えは分かりきっていた。
「すごいなあ。お金持ちじゃん」
言った瞬間美里は「あ」と漏らした。
きっと気づいていたのだ。
私だって薄々気づいていた。
私たちは出会ってから学校がある日は毎日会って話した。
ない日もやりとりをした。
そんな美里と私が暗黙の了解としてお互いに触れなかった話題がある。
そう、私たちが一人暮らしをしているなんて『異常』だ。
私も、美里も、どちらもつらい過去があるに違いなかった。
私がこんなにネガティブ思考なのもそこが起源だ。
つらいから、嫌だから、思い出したくないからこそ、お互いにそれを理解して触れてこなかった「親」という問題がある。
そして、だからこその疑問がある。
どうして美里がそんなに明るくいられるのかが。
どんな人間であれ、目は前に、耳は横についている。
目の見える美里はいつも前向きに生きて、耳の聴こえる私はいつもそっぽを向いて生きている。
私と美里の違いは目と耳だけじゃない、もっと大きな差があって、私にないものを美里は持ってる。
「……ごめん」
《気にしないで》
《私は大丈夫だから》
私は笑顔を美里に見せた。
美里の目が見えて良かった。
この笑顔を見せてあげることができる。
この笑顔は紛れもなく私の本心だ。
謝らなくていい、謝らなくていいから、もっと私を連れ回してほしい、私に教えてほしい。
私は何もできないくせに求めてしまう、欲張りな人間なのだ。
12時になり、私たちのおなかもひもじさを感じ始めた。
1泊2日のお泊まり会で私にとっての一番の見せ場がこの昼食だ。
夕食は美里が作ってくれるらしく、自然とお互いの料理披露みたいになった。
作る料理は簡単でかつ昼食にも適している焼きそばだ。
私はまず冷蔵庫から野菜を取り出した。
野菜室や保冷室などは高さで判断がつく。
野菜は主に手触りだ。
キュウリなんかは長くて少し痛いとげがある、にんじんは先が細い円錐のようなかたち。
ピーマンやパプリカなどは見分けがつきにくいが私の場合は白い壁を背景にして照らして大体の色を調べて判断する。
私の場合は全盲ではなく、明暗くらいならわかるためかたちは定まらずとも、大体の色はわかる。
他にも香りなんかで判断することもできるが、私は衛生面的にこちらで判断する。
私は焼きそばに必要な材料を冷蔵庫から取り出し、まな板の上に並べた。
「へえ、すごいね」
《なれてるからね》
美里が感心しているのを得意げに思いながら私は野菜を洗った。
面倒なときはカット野菜を買ってしまうのだが、今日は私がそれを許さなかった。
野菜を切るのも意外となんとかなる。
にんじんの皮をむくのだって今はピーラーがあるし、包丁だって滑らないように刃先に気をつければ良い。
野菜を細かく切ることはできないので、どうしてもそれが必要な時はカット野菜に頼る。
私はにんじんをほどよく切り、その大きさを手で確認し、大きいと感じたものをもう半分に切った。
野菜を切り終えると次は炒める手順である。
私は火をつけてフライパンを温めた。
油を手で触りながらどれくらい注いだかを確認した後、フライパンに手をかざして温まったかを確認した。
私は野菜をフライパンに入れ、炒め始めた。
ちなみにお肉はなしの焼きそばだ。
お肉はいれると油がはねるし、炒まったかどうかの判断が音では難しいのでどうしても必要な料理以外には使わない。
野菜は逆に炒まったかどうかがわかりやすい。
野菜は炒めれば水分を出す。
そうすれば音が変わるので炒まってきたか分かるし、菜箸の刺さり具合でも判断がつく。
野菜さえ炒め終えれば後は麺と混ぜるだけだ。
粉末ソースをかければおなじみの香りが私の鼻を通る。
美里もそうらしく、「焼きそばの匂いだ」と感想をもらした。
ほどよく混ぜれば完成だ。
「私大盛りね」
美里が男子みたいなことを言ったが、きっとおなかがすいているのだろう。
私は自分のを気持ち少なめによそって食卓に並べた。