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考察・メモ

異世界転生とデウス・エクス・マキナ

作者: 民間人。

 異世界転生が、しばしば煙たがられるところを目にする。私自身、所謂「なろう系」と呼ばれる、異世界転生作品には憤りを全く感じないではないが、その需要が意味するところをおおむね理解しているのだという確信も持っていた。

 ところが、つい先日、物書きの知人と語らう中で、少々興味深いものを見出したので、以下に紹介したいと思う。


 まずは、私が考えていた従来の考え方、つまり異世界転生とは解放であるという点について、理解していただきたい。

 これは、異世界転生とは、現世からの解放であり、満たされない生からの解放であり、自らを縛る鎖からの解放である、と言う主張である。厳しい人間社会の中で、私達は時に傷付き、散々苦しめられ、元より強くある自尊心が一層精神を苛み、そしてそれらに押しつぶされる事がある。それらの枷を解放してくれるものが「異世界転生」であり、彼らは自らの思うとおりに世界を貶め、そしてほしいままに動かすという快楽を愉しむ。それを酷く低俗な発想だと述べる者も少なくはないが、私見では、必ずしもそうとは言えない、と考えている。それは人間の優位に立ちたいと望む心的欲求の極致であって、人間が遍在的に内包する承認欲求としては、一等優れた効果をもたらす。異世界転生を解放と捉えると、この仮想世界は成程私達の理想郷であり、仮に満たされない生の中にあっては、それに縋りつくのも又道理であると言える。

 しかし、一定数の読者からは、それはあまりに歪に映ってしまうのである。端的に言うと、「努力なく、世界の覇者、とな?」という具合である。これも又道理で、世界の多くの指導者たちはたゆまぬ努力によってその地位を得たのであって、特に歴史的偉業を成し遂げた人物などは、その傾向が一等強い。尤も、国の覇者ならば、血統によってなり得たであろう。異世界転生に対する違和感は、ことこの「非現実的な違和感」と呼ぶべきものに集約される。


 ここまでの考え方には理解しえない部分はほぼないだろう。以下からは、目敏い同志の言葉によって(恥ずかしながら、私の誤謬によって引き出されたものだが)、私が見出したもう一つの考え方について、書き留めていく。

 これは、「異世界転生者とは、デウス・エクス・マキナでもある」という発想である。デウス・エクス・マキナ、即ち機械仕掛けの神とは、物語の幕切れを一方的に行いうる存在であって、一般的な定義を借りるならば、解決不可能な問題を解決して、物語を動かす万能の存在とでもいうべきだろうか。その歴史は古代ギリシア演劇にまで遡り、劇場に至る際に、神が舞台装置に乗って現れる事がしばしばあったことから、このように名付けられたと言われる。

 余談ではあるが、私はこの名前、デウス・エクス・マキナと言う名前が、如何にもその者の本質をついたものに感じられるために、非常に好んでいる。彼らは機械仕掛けの神であり、物語を機械的に終わらせられる、一種の終息装置なのである。

 さて、アリストテレスが難色を示し、ゲーテが物語に織り込んだこの機械仕掛けの神が、異世界転生者とは、ここまでの解説でも十分に理解しうるだろう。そう、彼らは問題を解決へ導く万能の人であって、必要とあれば絶望を赤子の手でもひねるように解決してしまう。行き止まりを無理やりこじ開けるダイナマイト、それが異世界転生者であり、その役割は実に、デウス・エクス・マキナに似通っているではないか。

 或いは、彼らの慣れ親しんだ仮想世界とよく似た仮想世界に現れたメアリー・スーと呼べるかもしれない。二次創作界隈において重要なアクターとなりうるメアリー・スーに関しては、少々論を異にするのでこれ以上の言及は避けるが、異世界転生者の担う役割について、ここまでで概ね理解できたと思う。


 そして、次に、従来の考え方と、もう一つの考え方を繋ぐのである。異世界転生者とは、「機械仕掛けの神」であり、「解放」である。解放は自身の欲求不満からの解放であるのだから、その主体は異世界転生者=私でなければならない。そして、解放された私は、異世界転生者、即ち機械仕掛けの神に至るのである。

 機械仕掛けの神たる自己の役割は物語を正しく(あるいは望むままの形で)終息させることにある。それらの絶望的な問題を細分化し、多くの問題を解決して見せた異世界転生者即ち神あるいは私は、人々に信仰され、そして望ましい者達を供物として召し抱える。自己承認欲求の境地を、彼らは神に見出したのかもしれない。

 人間は、科学の発展に伴い、生物を人工的に作り出し、或いはその組成を組み替える、神の創造を模倣するような力を手に入れた。模倣は模倣であって、完成には程遠いとしても、人は少しずつ、神の領域を目指そうと足掻き続けている。科学によって万能の造物主に成り代わろうとする愚行は、創作の中にも、見出されたわけである。

 そして、この危うい機構が生み出した魔物は、今再び批難を受けている。丁度それは、機械仕掛けの神と言う手法が、多くの賛否を産み出したのと同じように。


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