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観測室のメリル  作者: 伊和春賀
愛を貫く
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有住ルナの願いⅡ

 慟哭(どうこく)するルナの横で、少女は手帳から赤い汚れを落としていた。しかし、イチゴソースまみれの少女の手によって、染みは更に広がっていく。

「殺すつもりはなかったのに。それなのに。わたしは、なんてことを――――」

「愛する人に刃物を差し向けることは殺意ではないのですか?」

 少女は首をかしげた。

「違う。違うの。ハルトがわたしの方を向いてくれないから、それに気付いて欲しくて。それに、ハルトだって悪いんだ。わたしの話を、ちゃんと、聞いてくれなかった、ハルトが悪いんだ……」

「確かに、そうかもしれませんが、嘆いても結末は変わりませんよ」

「そんなこと分かっているわ」

 ルナは赤く()れた目を少女に向ける。血で汚れた顔が少女を見つめていた。

「あなたは、わたしを地獄に送るためにそこにいるのね。あなたは悪魔なのかしら、それとも天使なのかしら。いえ、この際、どっちでもいいか。どうせ、わたしは地獄行きだもの。ハルトを殺して天国に行こうだなんて、おこがましいほどにも程がある」

 その言葉に対して、少女は首を振った。

「いいえ。私は神の代理人です。悪魔や天使などという(まが)い物とは違いますので、一緒にしないでください。そして何故、天国や地獄などという妄想(もうそう)固執(こしつ)するのかは分かりませんが、とにかく、そのようなものは存在しないのです。ここから先にあるものは、あなた方の言葉で言えば、死後の世界に過ぎないのです。そこに天国も地獄も存在しません」

「地獄が存在しないなんて、そんな嘘付かなくたっていいのに……。もしかして(はげましているつもり? でも、分かっているの。わたしは地獄に――――」

「あなたは何も分かっていません!」

 少女はルナの肩を掴んだ。血にまみれたルナの上着がぐにゅっとずれた。

「な……」

「いいですか。天国や地獄などというまやかしに目を逸らさないでください。それらは人間が勝手に想像し、作り上げるだけに過ぎないのです。あなたは天国から帰ってきた人間を知っていますか。あなたは地獄から帰ってきた人間を知っていますか。そんな人間は一人として存在しないのです。臨死体験をしたという人がいたかもしれませんが、彼らはそんなことを言った時点で、本当に死んでいましたか。ここは死んだ人間だけが来られる場所です。天国や地獄を見たことがあるなんていうのは、ただの思い込みです。彼らはこの場所に足を踏み入れたことさえないのです」

 少女はまくし立てた。それをルナは目をぱちくりとさせながら聞いていた。

「わたしはあんなことをしたのに地獄に落されないの?」

「ないものに落としようはありません。あなたがその場で地の底に落ちることができるのなら、話は別ですが」

「それじゃあ、私は何のためにここにいるの」

「それは、あなたの願いを叶えるためです」

「わたしの願いを叶える?」

「そうです。あなたの願い事を何でも一つ叶える。それを行うのがこの観測所(プラネタリウム)であり、神の代理人である私の役目なのです」

 少女はルナの服から手を離した。その服には少女の手の跡がくっきりと残った。

「それは何でもいいの?」

「はい。何でもいいのです。神は全てにおいて平等ですから」

 少女は手を広げた。その勢いで腕に付いたイチゴソースが飛んでいった。

「でも、どうしてそんなことが許されるの。わたしはハルトを殺したんだよ?」

「善悪は、神の(もと)の平等において意味を成しません。神は全てにおいて平等であり、真に平等であるためには、全てを(かたよ)りなく平等に扱う必要があるのです。あなたの願いが叶えられるのと同じく、現世を生きた誰しもが平等に願いを叶えることができるのです。神は全てにおいて平等ですから、一つの生につき、必ず一つの願いを叶える権利が与えられるのです」

「つまり――――?」

「つまり、生き終えた誰もが願いを叶える権利を持つ、ということです。まあ、あなたに与えられたのはあくまで権利です。行使するのもしないのも自由です」

 少女はその場でくるくる回り始めた。イチゴソースまみれの髪が、メリーゴーランドのように回っていく。

 そんな少女を見ながら、ルナは足を抱えて考えていた。 

「ねえ。どんな願いでも叶うって言ったよね。それに制限はないの?」

「はい。ああ、でも、強いて言うなら一つだけあります。あなたが死ぬ以前のことについては願えません」

「どういうこと?」

「私も詳しくは知らないのですが、親殺しのパラッドクスなるものを防ぐため、と神はおしゃっていましたよ、とにかく、あなたが死ぬより前のことには干渉できません」

 なおもくるくる回りながら少女は答える。

「そっか。じゃあ、ハルトを生き返らせるのは無理か」

「いいえ。不可能ではありません」

 汚れた包帯が巻かれた右足を軸にして、少女は立ち止まった。すぐに手帳を開くと、パラパラとそれをめくっていく。

「へ? できるの?」

「はい。神は全てにおいて平等ですから。泉川晴斗はあなたより後に死んでいるので可能ですよ」

「わたしより後に死んだ……?」

「はい。あなたの傷に比べて泉川晴斗の傷は浅かったようです。致命傷であることには変わりありませんでしたが、それでもあなたよりも、そうですね、あなたたちの世界で言うところの、二時間ほど後に死んだようです」

 ルナは足を強く抱きしめた。靴は脱げ、素足が椅子に乗っかっていた。足先はまだ、血で汚れていなかった。

「できれば喧嘩したこと自体をなくしたいんだけど、それは無理ってことだよね」

「はい。それはあなたが死ぬ前の出来事ですから」

「やっぱりそうか……」

「そうです」

 少女はにっこりと微笑んだ。だが、それをルナが見ることはなかった。

「もし仮に、ハルトを生き返らせてほしいって願ったら、どうなるの?」

「どうなる、というのは」

「ハルトはどのくらい生きられるの?」

「それは分かりません。あなたの願いが叶って初めて明らかになります」

「その手帳にも書いてないの?」

 ルナは顔を伏せながら、古びた手帳を指差した。少女は手帳の内容を目で追い、すぐに首を振った。

「書いてありませんね。何せ、まだ存在する未来ではありませんから」

「そっか。分からないのね」

「ですが、泉川晴斗の運命が変わるのは確実ですよ。もしも、あなたがそう願ったのなら、ですけれど」

 そう言って、少女は天井から吊り下がる地球のボールを引っ張ろうとした。しかしべたべたと汚れた手は滑り、何度もボールが逃げていく。それを四度ほど繰り返しところで、少女はやっとボールを掴んだ。そして、それを思いっきり引っ張った。


「ケケケ。ソロソロカ?」

 天井の暗闇の中から、アンティーク調の操り人形がゆっくりと垂れさがってきた。木でできた丸頭にはぶかぶかの羽根付き帽子が被さっており、人形の顔を半分だけ隠していた。

「何それ? おしゃれのつもり?」

「アア。人形モ格好良クシナイトナ。トコロデ、ドウシテメリルハ、ソンナニ汚レテイルンダ?」

「あれ」イチゴ色の染まった包帯の指で、少女は煙を上げ続ける装置を指差した。

「壊れた」

「オカシイナ。コノ間、新調シタバカリダゾ」

「嘘でしょ? 突然壊れたし、そのせいで私はイチゴソースまみれにされたんだよ?」

 少女は赤いソースでべったべたに汚れた手を人形に見せつけた。

「何ヲ出ソウトシタンダ」

「イチゴジュース。でも、どうしたらイチゴソースが降ってくるのんだよ」

「モシカシテ、別ノ事デモ考エテイタカ?」

「言われればそうかも」

 人形は木の口を開き、まるで溜め息をつくようにうなだれた。

「ハア……。ソウイウ使イ方ハ止メロト言ッタノニ……」

「私の使い方が悪かったとでも?」

「ソウダ。チャント直シテオクカラ、次カラハ正シク使ウヨウニ」

「はーい」

 少女は適当に返事をした。ルナはその後ろで、ぽかんとしたままそのやり取りを聞いていた。

「人形が喋ってる……」

「ココデハ人形ダッテ喋ルンダゼ」

 人形は鼻を伸ばしてそう答えた。

「あの、この人形は一体……?」

「これですか? あなたの願いを叶える物です」

「コレトハ何ダ」

 少女の雑な説明に、操り人形は苦言を(てい)した。白髪の少女はそれを一瞥(いちべつ)すると、すぐにルナの方を向いた。

「こいつに願い事を言うことで、その願いは神に届けられます。神は全てにおいて平等ですから、願いが叶わないことはありません」

「アア、神ハ全テニ於イテ平等ダ」

 操り人形は頷いた。その人形を少女は親指で指差した。

「でもまあ、こいつはこんな見た目ですし、信用なりませんよね。代わりに私が伝えますよ」

「メリルニ頼ムノダケハ、ヤメトケ。後悔スルゾ」

 少女は人形の頭を引っ叩いた。ガコンという音がし、人形の頭は床に落ちた。ついでに帽子は赤いソース溜まりの上に飛んでいった。

「痛イナア」

「あの、頭が落ちましたよ……?」

 ルナは人形の頭を取り上げようと、手を伸ばした。だが、血にまみれた自分の手を見て、それを引っ込めた。

 やれやれと言いたげに、人形の目は半目になった。

「メリルトイイ、オ客人トイイ、何デ皆、汚レテイルンダ」

 頭を失った胴体が、文句を言っているそれを拾い上げようとした。しかし、先に少女が人形の丸頭を拾い上げた。

「メリル、何スルンダ」

少女は、自身の服に付いた赤い汚れに人形の頭を押し付けた。べたべたとした汚れをたっぷり含ませてから、操り人形の胴体の上に戻した。

「これでお前もお揃いだ」

 少女はけらけらと笑った。人形は唖然(あぜん)として言葉も出なかった。

「オ客人ノ前ダゾ……?」

「あ……。これは失礼」

 少女は会釈した。

「ソレデ、説明ハ済ンダノカ?」

「うん。ばっちりだよ」

「本当カ?」

「本当。ですよね?」

 少女はルナに目配せをした。それに反応して、ルナは頷いた。

「わたしの願いを叶えてくれるんですよね」

「ソウダ。願イハ決マッテイルカ?」

「はい。決めました」

 ルナははっきりとそう答えた。操り人形はその姿を見て、ニヤリと笑うように口を開いた。

「珍シク仕事ヲシタナ、メリル」

「何よ。いつもは仕事していないとでも?」

「違ウ。俺ハ、メリルヲ褒メテイルダケダゼ? 素直ニ受ケ取ッタラドウダ?」

「はいはい」

 二つ返事で少女は答えた。

「さて、そろそろ始めようか」

「ソウダナ」

 少女はその場でくるりと一回転した。全ての汚れが消え失せ、少女の髪も包帯も純白に戻った。ついでに、少女が人形に付けた汚れもどこかに消えていた。

「ほら、あなたも」

 そう言って少女はルナの手を取った。ルナは少女の手に支えられ、踊るようにその場で回転した。ルナの服と肌から血の汚れが消え失せた。

「魔法みたいね」

「魔法ですから」

 少女はくすくすと笑った。ルナもそれにつられて微笑んだ。

「サアサア、オ客人、コチラニ」

 操り人形はカタカタと口を動かす。ルナは立ち上がると、その人形の前に立った。

「願イ事ヲ言エ」

 操り人形の目は真っ直ぐルナを見つめていた。

「私の願いは」ルナは大きく息を吸い込んだ。


「殺してしまったハルトを生き返らせてほしい」


「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ。願イハ聞キ届ケラレタ。可及的(カキュウテキ)(スミ)ヤカニソノ願イヲ実行スル!」

 人形はけたたましく笑うと、ゆっくりと暗闇の奥へと消えていった。観測所の天井では、星飾りが少しだけ揺れていた。


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