表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
観測室のメリル  作者: 伊和春賀
幸せな女
33/37

日隈梨夫の願いⅠ

年内最後の話

「おはようございます」

「ああ、おはよう……」


 無精ひげの男に向かって、少女は微笑んでいる。男は大きな欠伸をしながら、腕を伸ばした。


「どうですか。私のプラネタリウムは?」


 寝ぼけまなこをこすりながら、彼は観測室を見渡した。

 ぼやけた視界の端には、大量に吊り下がる星飾りが見える。それを見上げれば、カニやキリン、時計といった脈絡のないぬいぐるみや、地球などの惑星を模したボールが目に入った。その奥には、何もない暗闇が広がっている。


「ああ、ごめん。今、起きたばかりで、頭が回らないや…………」

「そうですか。なら、コーヒーでも飲みますか?」

「そうだね。お願いできるかな」


 少女は一礼し、観測室の壁際に向かって歩き始めた。そこでは、色とりどりの機械が、ピカピカとランプを輝かせている。その一つの前で少女は立ち止まると、巨大なスイッチを一息に押し込んだ。しかし、ランプは一斉に点灯したものの、それきり何が起こるわけでもなく、元の調子でランプは輝いている。

 そのはずなのに、少女の手にはコーヒーカップが握られている。コーヒーが並々と入ったカップの縁には、子供が書いたような、下手くそなネコのイラストが描かれていた。少女はそのカップを男に差し出した。


「ありがとう」


 男はコーヒーを(すす)った。てっきり、色合いからしてブラックコーヒーとばかり思っていたが、砂糖とクリームがたっぷりと入っていた。それはそれで、男には嬉しかった。

 コーヒーを飲むと頭が冴えてきて、周りの様子がはっきりと分かる。この部屋は、ドーム状になっていて、壁際には、スチームパンクを想起させるような、無機質な機械が並んでいる。一方で、天井からは無数の星飾りとぬいぐるみが吊るされ、少女らしいメルヘンを演出する。ただ、その二つが噛み合っているわけではなく、互いに互いの要素を殺しているように思えた。

 こんな奇抜な部屋を、男は見たことが無かった。そもそも、男は自分の部屋から出た記憶さえなかった。ただ、覚えている最後の記憶はあまりにも曖昧で、もしかしたら、出掛けたのかもしれないと納得して、コーヒーを飲み続けていたのだった。


「お口に合いましたか?」

「ああ。とっても美味しいよ。これは何の豆を使っているんだ?」

「秘密です。けれど、特別なものです」


 少女はにっこりと微笑んだ。それ以上、何も言う気がなさそうだったので、男は話題を変えた。


「そういえば、ここはどこなのかな?」

「ここは観測室です。私はプラネタリウムと呼んでいますが」


 少女は包帯を巻いた指先で、天井にぶら下がる星飾りを指差した。だが、それを見ても、男は何故、自分がここにいるのか、さっぱり思い出せなかった。そうして考えていた男の肩に、少女はそっと手を乗せた。


「どうしました?」

「実は、どうして僕がここにいるのか、分からないんだ。僕はこのところ、仕事に打ち込みっぱなしで、それで精いっぱいだったんだ。気付けば、数日飛んでいることだってあった。でも、早く完成させたくて、その――――」

「大丈夫ですよ。思い悩むことはありません。ここに来る人は誰しも、記憶の欠落があるものです」


 少女の言葉を聞き返そうとしたものの、その前に少女は、手近な星飾りを引っ張った。ガコンという音がして、小さな古びた手帳が、ひらひらと舞い降りてきた。少女はそれを拾い上げ、静かに読み始めた。


「あなたの名前は、日隈梨夫、でよろしいですか?」

「ああ、そうだが……。それは名簿なのか?」

「いいえ。この手帳には、あなたの全てが書いてあるのです」

「僕の全て?」

「あなたが画家であり、一心不乱に絵を描いていたことを、私は知っています」

「それは誰かに聞いたのか?」

「いいえ。ここに全て書いてあるのです」


 少女はぱたんと、手帳を閉じ、その表紙を男に掲げた。古びた手帳の表紙には、何やらタイトルのようなものが書いてあったが、とても読めるような字ではなかった。


「この部屋といい、その手帳といい、不思議なものばかりだ。それに君も……。そういえば、君は一体、誰なんだ?」

「私はあのお方の代理人にして、この観測室(プラネタリウム)の主です」

「あのお方? それって――――」


 男の言葉を、少女がそっと指でふさぐ。男の目の前で首を振る少女の髪が、ふわりと広がった。


「あなたの考えている、『あのお方』ではありませんよ」

「まだ言ってもいないのに」

「あなたのことです。きっと、尊敬する画家の名前を挙げようとしたのでしょう? でも、それは間違いです」


 それはあたらずといえども遠からずだった。男は尊敬し、そして、自分を導いてくれるであろう巨匠の名を挙げようとしていたのだ。


「それじゃあ、『あのお方』っていうのは?」

「あなた方の言葉で言えば、神です」

「神?」

「そう。私ともあなたとも違う、高みにいるお方」


 今度は、天井奥の暗闇を少女は指差した。その暗闇をいくら覗こうとも、その奥に何があるのか、うかがい知ることはできない。どこまでも、真っ黒な深淵が続くだけだった。


「何にも見えないけれど」

「神とはそういうものです。見ようとすれば見えず。見まいとすれば見えるのです」

「そう……、なのか?」

「ですが、私は常にここにいる。神の代理人として、あなたの前に」


 微笑む少女を見て、男は苦笑いした。どうやら、スピリチュアルな少女につかまったようだと、内心、焦り出していた。きっと、良からぬ企みに乗せられるに違いない。壺を買わされるとか、そんなことを男は警戒し始めていた。


「神は全てにおいて平等です。あなたがここにいるというのも、その平等ゆえなのですよ」

「はは……。そうなんだ」

「もはや何も恐れることはありません。全ては終わったのですから」


 話を続ける少女から目を逸らし、男はハッとなったような顔を作って、椅子から立ち上がった。


「ああ、そうだ。僕には用事があったんだ。この辺でお(いとま)させていただくよ」

「用事?」

「そう、大切な用事がね」


 男は出口を探した。しかし、壁はチカチカとランプを点滅させる機械で覆われている。観測室には、扉どころか窓すらないことに、ようやく男は気が付いた。その男の手を、少女は掴んだ。


「どこへ行くのですか。用事なら、今、こなしているではないですか」

「いや、別の用事がね……。それはそうと、出口はどこ?」

「出口なんてありませんよ。ここには入口があるだけです」

「は……?」

「まあ、落ち着いて、私の話を聞いてください」


 そうして、男は再び安楽椅子に座らされた。


「何か勘違いをしていませんか? 私はあなたに危害を加えることはありません」

「いや……、そういうのじゃなくて」


 目を泳がせる男をよそに、少女は話を続けていく。


「私は、あなたを祝福するためにここにいるのです」

「祝福……?」

「そうです。あなたは祝福されるために、この観測室(プラネタリウム)に送られたのです」


 少女は大きく手を広げ、くるっと回転した。白い髪がふわりと広がり、少女の服の裾もまた、大きく広がった。


「あなたはどうして、ここにいるのか分かりますか?」

「それは……、分からない」

「思い出してください。あなたはきっと、その理由を覚えているはずです」


 男は記憶を辿り始めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ