青葉勇太の願いⅢ
祝☆10万字越え
「あなたの祝福は聞き届けられました。これから、あなたを異世界に送り出す準備をします」
そう言って、少女は天井にぶら下がるクジラのぬいぐるみを引っ張った。すると、赤い箱がすとんと落ちてきた。側面には可愛らしい猫のマーク、そしてRa226という文字が黒ペンキで、雑に書かれていた。
「これは、何?」
「この箱には、あなたの願いを実行するために必要なものが入っています。開けてみてください」
勇太はすぐさま、箱を開いた。光が溢れ出し、部屋中を包み込んでいく。その眩しさに目がくらむ。やがて、光が収まると、箱の中に、荘厳な装飾が施された剣と鎧が入っていることが分かった。それはゲームの中でしか見たことのない、きらびやかなものだった。
「すげえ!」
勇太はそれを手に取った。見た目の重厚感とは裏腹に、その装備は羽のように軽く、彼の手でも簡単に持つことができた。
「良い装備を手に入れましたね。ですが、それだけで十分ですか? 異世界は危険で満ち溢れているのですよ」
少女は、赤い箱の蓋を閉じ、そして、再び開けた。今度は、小瓶に入った青い液体があった。その透き通った色は、勇太の目を輝かせる。
「これも?」
「はい。必要であれば、何回でもその箱を開いてくださいね」
勇太は欲望のままに、箱を閉じては、開け、閉じては、開ける。剣、杖、鎧、ローブ、指輪、オーブ、ポーション――――、観測室はありとあらゆる装備や道具で、いっぱいになっていく。
「あれもこれも、素晴らしいものばかりですね。まさに一級の品々です」
「ふふん。これが勇者である僕の力かな」
「そうかもしれません。でも、こんな量、どうやって持ち運ぶのです?」
「あ……」
少女に指摘されて、部屋中に散らばる道具類に目をやる。それは、とても、彼一人で持ち運べる分量ではない。大人が数人がかりでも、きっと持ち出すことはできない。
ただ、勇太はどれかを選び取ることはできなかった。どれもこれもが、素晴らしい効果を発揮することは目に見えている。勇者たるもの、その全てを扱うに相応しい、そう考えていた。
「何でも入るものが必要ですね。持ち運びやすくて、軽くて――――」
少女はゆっくりと、Ra226と書かれた赤い箱を指差した。
「例えば、その箱のような、何でも入るものが……、ね」
勇太はその箱をじっと見つめていた。
今、観測室に散らばっている装備は全てこの箱から出てきた。剣も杖も鎧もポーションも、装備に道具に、全ては、この箱の中にあった。
『もしかして、この箱は、何でも出てくるのではないか』
勇太はそう思った。
何でも出てくる箱ならば、これさえあれば、全てを賄うことができる。赤い箱は、持ち運ぶには、少し大きいものの、この部屋に散らばる全てを持ち歩くよりは、はるかに楽であることは間違いない。
「ねえ、一つ質問なんだけど」
「何でしょう?」
少女は、ずっと微笑んでいる。
「この箱は、何でも出てくるの?」
「はい。あなたが望むものなら、何でも出てきますよ。それに、どんなものでも入れることができます」
「ふーん」
興味ない風を、勇太は装っていた。しかし、視界の端でちらちらと、赤い箱を眺めている。少女はそれに気が付きながらも、あえて黙っていた。
「そろそろ、あなたを異世界に送らなければなりません。支度は済みましたか?」
「あ、いや、ちょっと……」
勇太の視線は、なおも箱に向いていた。
「まあ、時間はいくらでもあります。最後まで悩むのも良いでしょう。私は準備をしますね」
少女は足元に散らばる道具をよけながら、部屋の隅まで歩いて行く。大きなレバーが付いた装置の前で立ち止まると、勇太に向かって叫んだ。
「足元に気を付けてくださいね」
勇太の目の前の床に円形の切れ込みが入った。それはゆっくりと開いていく。穴の上に乗っかっていた装備は、勇太が拾い上げた分を除いて、その中に飲み込まれていった。
奥深い暗がりの底が、振動を奏で始めた。
「危ないですよ」
少女がそう言っているのにも構わず、勇太は穴の底をのぞき込んでいた。すると、その先に白くて薄っぺらいものが見えた。それは急速に大きくなっていく。上昇してくるそれを、すんでのところで勇太はかわした。
現れたそれは、大理石の扉だった。ツタや草花をあしらった彫刻から、天使や悪魔の戦いを表した意匠まで、雄大な装飾が細部まで施されている。そのどれもが、知識のない勇太でも、素晴らしいものであると気付かせる。
「この扉は?」
「この奥に異世界があります。一度入れば、二度とは戻ってくることはできません」
扉は確かに大きかったが、観測室中に散らばる装備や道具を全て、一度に入れるには狭かった。そうであればこそ、あの赤い箱を持ち出したい。その気持ちがどんどん高まっていく。
「どうしました?」
少女は勇太の顔の隣で、にやにやと笑っていた。
「いや……。なんでもない……」
「ああ、そうだ。これ、いります?」
「それは?」
少女は蝋で封された、小さな封筒の表を読んだ。
「ええと。ステータスシート、みたいですね」
「よこせ!」
パシッと、少女の手から封筒が奪われた。中に入っていた紙には、攻撃力、防御力、魔力、俊敏性――――、全ての項目に、適正SSSの表示が並ぶ。その結果に、勇太はにんまりと笑った。
「当たり前の結果だよ。だって、僕はすごいんだから」
「そうですか」
少女は扉の横に立った。ゆっくりと、それは開いていった。白い煙のようなものが流れ出していく。その先には、王城の一室であろう、絨毯敷きの広間が広がっていた。
甲冑や絵画が並び立ち、その中心には、大きな玉座がある。そこに座る人物は、宝石が散りばめられた王冠を被り、偉そうにふんぞり返っている。その目線の先には、黒ずくめのローブを着た男がいた。何やら呪文らしき言葉を唱えており、よく見れば赤い絨毯の上には、白い光で魔方陣が描かれている。
「この先に踏み出せば、あなたの異世界生活が始まります」
「おー……」
勇太は、その光景に驚きつつも、その足は、赤い箱を手繰り寄せていた。
「心が決まりましたら。どうぞ中へ」
少女は微笑みながら、じっと、その場に立っていた。その笑顔の裏に隠されているものを、勇太が読み取ることはない。
勇太は扉に向かって一気に駆けだした。その手には、剣も鎧も、あらゆる道具さえ握られていない。駆け抜ける隙に、Ra226と書かれた箱を掴む。それを落とさないように、がっしりと抱えた。
その赤い箱とともに、青葉勇太は扉の奥へと消えていった。




