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観測室のメリル  作者: 伊和春賀
別世界
3/37

柳岡悠の願いⅡ  

「ケケケ。ソロソロカ?」

 悠と少女の間に操り人形が現れた。木の骨格に少しだけ自然な色を付けた、どこかアンティークな風味のあるそれは、暗闇の天井の奥から吊るされていた。半透明な糸に支えられながら、操り人形は口をカタカタと言わせて、悠に話しかけた。

「今日ノオ客人ハオ前カ」

「うわあ、人形が喋った!」

「ソンナニ驚クナヨ……。チョット傷ツクゼ」

 操り人形はしゅんとするかのように、木製の丸頭をうなだれさせた。

「す、すみません」

「分カレバイインダ。トコロデ、メリルハ何デ床ニ座ッテイルンダ?」

 人形は少女の方を向き、肩の糸をピンと張らせた。首が傾いたようになる。一方で、少女はムスッとしたまま、答えようとも立ち上がろうともしない。ただ、天井にぶら下がる地球のボールを指差していた。

「あれ」

「ドレダ? アノボールカ?」

「高すぎる。今すぐ調整しろ」

「確カニ高イナ。後デ調整スル。マア、今ハ立チ上ガレ」

 操り人形にそう言われて、少女は悪態をつきながら、ゆっくりと立ち上がった。

「わざとそうしたな」

「ドウダカ」

「ちっ」

 少女は舌打ちをした。が、操り人形の、

「オ客人ノ前ダゾ」という言葉でハッとなったように、態度を改めた。数回、咳ばらいをすると、すぐに笑顔を作って悠の方を向いた。

「おほん。大変、お見苦しい姿を見せてしまいましたね。お詫び申し上げます」

「だ、大丈夫ですよ。気にしてませんから」

 悠は謝るほどのことでもないのに、と思っていた。ただ、見てはいけないものを見てしまった気にはなっていた。

「ソレデ、説明ハ済ンダノカ?」

 人形は少女に問いかけた。

「済んだよ」

「本当カ?」

「何? 私を疑っているの?」

 少女はきめ細かな指で、悠の手のひらを包んだ。じんわりとした少女の温かさが、心地よく湿った指先から伝わってくる。

「私、ちゃんと説明しましたよね?」

 わざとらしい上目遣いで、媚びるように悠を見つめている。包帯で隠れていない左目は、どことなく潤んでいる気がした。そんな姿を見てドキリとした悠は、首を縦に振らざるを得なかった。

「ほらね。私はちゃんと説明したんだよ」 

 パっと少女の手が離れ、それは少女の腰に当たる。渾身のドヤ顔を、少女は浮かべていた。そんな子供じみた得意げな表情を見た悠は、ひょっとすると少女は自分よりも年下なのではないかと思った。

「ハイハイ。分カッタヨ」

 操り人形は溜め息をつきながら、そう言った。少女は嬉しそうに微笑むと、くるりとその場で回った。少女の真っ白の髪がふんわりと広がった。

「それで、願い事は決まりましたか?」

「あ、ええと……」

 悠は答えに窮した。操り人形が天井から降りてきたからというもの、少女と操り人形のやり取りに気を取られて、何も考えていなかったからだ。悠がもごもごと何も言わないでいると、人形は半目を開いて少女を見つめた。

「オイ。マダ決マッテナイミタイダゾ」

「え……。そんなことはありませんよね? ね?」

 少女の細くてしなやかな指が、再び悠の指に絡みついた。ちょっと温かな少女の指は、彼を再びドキリとさせた。しかしそれも手伝って、悠の頭には願い事はまだ何も浮かんでいなかった。それに、一度きりの願い事は流石に気の迷いで棒に振りたくはなかった。それに、願い事が無駄になる可能性を、先ほどの少女との会話で示唆されている。悠はじっくりと願い事を考えたかった。

 悠はパっとその指を離した。操り人形は半目を開いたまま、少女をじっと見つめていた。

「何よ。さっさと決めさせればいいんでしょ」

「アマリ、オ客人ヲ困ラセルナ。サモナイト」

「さもないと?」

「コレヲ、アノオ方ニ送リ付ケル」

 そう言って、操り人形は自身を支える半透明の糸の一つを引いた。すると、天井の奥からひらひらと一枚の写真が落ちてきた。少女はそれを拾って見た。途端に顔が真っ赤になる。

「な、なんでこんな写真が! いつ撮った⁉」

「秘密ダ。デモ、他ニモイッパイアル」

「分かった。分かったから。ちゃんとやるから。それだけは、あのお方には送らないで」

「分カッタ。チャントヤレヨ?」

 操り人形は「キヒヒ」と奇妙な笑い声を挙げた。少女は手の中の写真をぐしゃぐしゃにすると、顔を真っ赤にしたまま悠の方を向いた。

「ゆ、ゆっくり願い事を決めましょうね」

「あの、その写真は?」

「な、なんでも、ないです。いや、マジで、本当に、何でもないから……」

 少女の動揺は思いっきり悠に伝わっていた。本当のところは写真の内容を、悠は気になっていたが、赤面して震えている少女をこれ以上刺激するのは良心が痛んだ。これ以上話題にするのはよそうと、悠は心に決めた。

「あの、ちょっと、飲み物を飲みませんか?」 

「え、あ、うん」

 少女の提案に悠は乗った。というよりも、乗らざるを得なかった。少女はカクカクと動きながら、部屋の片隅のスイッチを押した。雑にトレイが落ちてきた。次いでコップが二つ落ちてきて、最後に透明の液体が天井から垂れてきた。大半は床に零れたが、コップにも一応入っていた。少女はコップを拾い上げると、一気に飲み干した。もう一つのカップも同様に飲み干したので、悠の分は無くなった。

「はあ。ちょっと落ち着いてきたかな」

 少女は独り言をつぶやくと、トレイとコップを天井裏に投げ捨てた。また、ガシャンと大きな音がした。

「さて、あなたはどんな願い事をしますか。私はその願い事をなんでも叶えます。神は全てにおいて平等ですから、何も躊躇ためらう必要はありません」

 少女はまるで自分に言うかのように言葉を紡いだ。

「あ、いや。まだ決まっては……。少し考えても?」

「ええ、もちろんです。どうぞゆっくりと考えてください」

 少女はチラチラと操り人形の方を見ていた。操り人形はほとんど動いていなかったが、目だけは瞬きをするかのように、カチカチと揺れていた。

 悠は目をつぶり、願い事を考え始めた。

 悠には彼女はいなかった。モテるような容姿ではないし、スポーツができる方でもない。それは悠自身がよく知っていた。だが、目の前の少女のような可愛らしい彼女が一緒にいてくれたら、人生はきっと華やかなものになるだろう。誰もが悠をうらやみ、嫉妬するかもしれない。

 しかし、だからといって、そんなことを願ったとして、意味があるのかは分からない。

 まず、前提として悠は死んでいる。つまり、人生は既に終わっている。それに少女は言っていた。死後の世界については何も知らないと。例えば願い事で彼女を作ったとして、その彼女が死後の世界まで隣にいてくれる保証はない。もしかしたら、すぐに引き離されてしまうのかもしれないし、そうでないのかもしれない。

「もし僕が、彼女を欲しいと言ったら、それは叶うの?」

「もちろん。神は全てにおいて平等です。何でも叶いますよ」

「どんな彼女ができるの?」

「あなたが望むままの素晴らしい彼女ですね」

「その彼女とは、死後の世界で一緒に暮らせるの?」

「分かりません。そこは私の管轄外です。ですが、その彼女とあなたを別々に死後の世界に送ることにはなりますね」

 別々に、という部分に悠は引っ掛かった。ということは、彼女を願いで作り出したとしても、もう二度と出会えない可能性は残る。もしそうなってしまったら、ただの願い損になる。

 物や人はやめようという考えに、悠は辿り着いた。しかしそうなると今度は、何を願えばいいのか思いつかない。

 生き返ろうか、と悠は考えた。だが、すぐに首を振った。そんなことをして一体、何になるのか。何が面白くて、彼女も、待つ人もいない世界に戻るのか。出来ることなら、頭が良くなったり、イケメンになったりしてから戻りたい。

 だが、願いは一つだけと少女は言っていた。もし生き返ることを願ったら、イケメンにも天才にも成れないし、反対にイケメンや天才に成ることを願ったら、今度は生き返れない。両者を選び取ることはきっとできないはず。

 悠は頭を抱えた。もし、そのどちらも選べるような選択肢があるとすればそれは何か。仮に、この世に僕でも活躍できるような、そんな世界があれば――――。

 すると、生前、読み耽った小説が悠の頭に浮かんだ。彼のように冴えない人たちが、違う世界に行き、大活躍を収める小説を。その主人公に自分を重ねていく。


 悠の心は決まった。


「決めた!」

 悠はバチンと膝を鳴らした。待ってましたとばかりに、少女は悠の手を掴んだ。

「願い事が決まったのですか」

「はい」

 少女は声には出さなかったが、嬉しそうな表情で悠を見ていた。その証拠に、目がキラキラと輝いていた。

「では、あなたの願い事を叶えましょう」

 少女は悠の手を離すと、即座に操り人形の頭を叩いた。操り人形の頭はその勢いでくるくる回り、三周半したところで止まった。

「変態。時間だ」

「アア。分カッテイル。シカシ、変態トハナンダ」

「あんな写真を撮った奴は変態でいいんです」

 少女は拗ねたように口をとがらせた。

「……………。アノ方ニ写真ヲ送ルゾ?」

「やめて。本当にそれだけはやめて。謝るから。ごめんなさい」

「分カッタナラ、首ヲ直シテクレ」

「はい……」

 しょぼんとしたまま、少女は操り人形の首を直した。操り人形はカッと目を見開くと、大声を張り上げた。

「サアサア、オ客人、コチラニ」

 操り人形はカタカタと口を動かした。悠はその前に立った。

「願イ事ヲ言エ」

 操り人形の目は瞬きすることなく、真っ直ぐ悠を見つめていた。

「僕の願いは」悠は大きく息を吸い込んだ。


「僕が活躍できる異世界に行きたい」


「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ。願イハ聞キ届ケラレタ。可及的速ヤカニソノ願イヲ実行スル!」

 ガタガタと大きく揺れながら、操り人形は大きな笑い声を上げた。カタカタと擦れる木の音と、奇妙な人形の声が部屋中に反響していく。

 その音に呼応するように室内照明が明滅する。そのリズムに乗って、吊るされているぬいぐるみがくるくると踊り出した。地球や月は天井をくるくると巡り、星飾りはじゃらじゃらと上下に揺れる。

 明滅の間隔は段々と長くなっていった。それに合わせて、観測室の天井から吊るされたものが次第に消えていく。やがて、全てが無くなる頃、観測室は闇に包まれた。

 暗闇。静寂。悠の息遣いだけが響く。

 すると、スポットライトが悠だけを照らした。カラフルな光がそれを彩っていく。

 頭上には何かがキラキラと光っていた。が、それはすぐに消えていった。光の中に悠だけ残された。だが、頭上から降り注ぐその光は、そろそろ消えそうだった。 

 悠は目を閉じた。これで別世界に行ける。そう思った。

 スポットライトが消えた。何もかもが消えた。見えなくなった。


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