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観測室のメリル  作者: 伊和春賀
転生と価値
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青葉勇太の願いⅡ

「何をしているのです? 息はできるでしょう?」


 少女はくすくすと笑っていた。


「ほんとだ……」

「これはイメージ。本当に、水の中ではありませんよ」

「なあんだ」

「もちろん、嘘ですよ。ここは水の中です」


 少女はその場でくるくると回転している。立体的で緩慢な動きと、それに合わせて漂っていく泡は、観測室に水が満たされたことを示していた。


「どうです? これで理解していただけたでしょうか?」

「僕が溺れたとでも言いたいの?」

「そうです。あなたは溺れて死んだのです」

「だったら、どうして、そんなことになったんだよ!」


 そう言った次の瞬間、勇太の頭の中に、最期の光景が浮かんできた。

 冷たい水の中でもがく勇太。それを見つめる、一対の冷たい視線。それが誰であるかまでは思い出せなかったものの、それに向かって『助けろ』と、最後まで叫び続けていたことは覚えていた。しかし、その影は一向に動かない。手を差し伸べるどころか、動く素振りすらない。まるで、彼が沈むのを、ひたすら待っているかのように――――。


「どうしました?」


 ぼうっとしている勇太は、少女の言葉で意識を取り戻した。


「いや……。何でもない」

「本当ですか?」

「何でもないったら。僕にかまうな!」

「そうですか」


 大きな泡を吐き出しながら叫ぶ勇太を、少女はつまらなさそうに見つめていた。


「それで、なんで僕はこんなところにいるんだ」

「あなたが死んだからです」

「それはもう聞いた。何度も言わせるな。僕が知りたいのは、もっと別なことで――――」

「別なこと……ですか」


 しばらく考えてから、少女は口を開けた。大きな泡が、浮かんでいった。


「これからあなたは死後の世界に送られます。ですが、死はこのうえなく辛いものです。じわり、じわりと体温が奪われ、冷たくなっていく。あなたが経験した苦しみこそが、まさに死であるのです。そのような辛い死を、どうして、人の子は、必ず味合わなければならないのでしょうか。それをあのお方は憂いております。しかし、死は絶対です。かつて、楽園にはアダムとイヴという二人の人間がいました。彼らは、あのお方が泥をこねて作り上げた傑作であり、いかなる(けが)れを有してはいませんでした。二人には死という穢れた運命はなく、また、その純粋さを保つためにも、清き生命の果実を食べて暮らしていました。しかし、いくら純粋といえども、僅かな穢れが生じてしまうのです。純粋な水に魚が()めないように、どこまでも澄みきったエデンでは、何物も生きることはできないのです。その穢れこそ知恵であり、穢れを知恵の果実として集めることで、エデンも彼らもは純粋さを保っていました。しかし、アダムとイヴはそれをかじってしまいます。ヘビに(そそのか)され、小さな知恵を得た彼らは、大きな知恵を求めてしまったのです。そうして、穢れた彼らは、楽園を追われました。清らかでなくなった彼らは、そして、彼らの子孫であるあなた方、人の子は、死から逃れられなくなってしまったのです。いくらあのお方といえども、一度、穢れきったあなた方を、再び、不死にすることはできません。それには世界を再編し、最初からやり直すしかない。つまり、世界そのものを根底から作り変えるしかないのです。けれども、人の子という地上の支配者が、皆々それを許すはずがありません。そこで、あのお方は考えました。不幸な死に、それに値するものを与えることで、その代償とすることにしたのです。それが祝福です。祝福を与えることで、人の子が死ぬ運命への慰めとしたのです。その祝福を与えるのがこの観測室(プラネタリウム)です。ここでは私が、あのお方に代わって、死者に祝福を与えます。優秀にも耐え難い死を乗り越えた死者に対しての、いわば、ご褒美です」


 少女の長い話を、勇太は黙って聞いていた。それは決して、彼が少女の話を理解していたわけではなく、単に、何にも理解できていないからこそであった。


「どうです? 理解はできましたか?」

「僕を舐めないでくれる? これくらい理解できるよ」

「そうですか。では、どのような祝福を受けるのか、考えていただけますね?」

「も、もちろん」


 とはいえ、勇太には、その『祝福』が何かは分からなかった。しかし、聞き返すことは、彼のプライドが許さなかった。だから、考えるふりをして、やり過ごそうとした。しかし、少女はそれを見透かしたのか、意地悪く微笑んだ。


「とはいえ、祝福を考えろと言っても、すぐには思いつかないものでしょうね」

「そ、そう、すぐには思いつかないものだよね」

「でしょう? そこで、私から提案したいと思うのです」

 

 少女はすいすいと、勇太の横まで泳いでいった。小さな泡が弾け、どこかに消えていく。


「例えば、異世界転生などいかがでしょう。あなたのような人間でも、大活躍できる、そんな祝福です」


 耳元でそっと囁く甘い声が、勇太の脳を溶かしていく。


「異世界転生……? 僕が?」

「あなたが生きていた世界では、転生をする話が、もてはやされているというではありませんか。あなたが、その主人公になるのです」

「僕が主人公?」

「誰もがあなたをしたう、まるで夢のような世界で、第二の人生を謳歌(おうか)するのです」

「第二の人生……」

「あなたの力があれば、強力なモンスターを倒すことも、魔王を倒すことさえも、容易(たやす)いでしょう」

「僕の力……」

「きっと、誰もがあなたを慕うことでしょう。可愛い女の子も、たくさん、あなたに()れることでしょうね」

「ハーレムも夢じゃない?」

「そうです。あなたが異世界転生の祝福を選び取れば、それは夢ではない」

「異世界転生か……」


 少女は、勇太の耳からそっと離れた。それでも、彼女の甘い言葉は、勇太の耳元に残り続けた。


 異世界というファンタジーの世界で、現実では考えられないような、素晴らしい力を持つ勇者となる。絶対的な力で、スライムを倒し、オークを倒し、ドラゴンを倒し、やがて魔王をも倒す。その威光は異世界中に広がり、誰もが勇者として勇太を褒め称える。権力も、女も、手中に収めることができる。


「どうですか?」

 

 妄想に浸る勇太に、少女は話しかけた。勇太は、勇者になったかのような気分になって答えた。


「おっと、この僕を異世界に送るのなら、タダじゃだめだよ。僕に相応(ふさわ)しい武器とか、防具とか、魔法が必要だよ?」

「もちろん、必要な物は、全て用意して差し上げますよ」

「本当に⁉」

「本当です。私は嘘をつきません」


 少女は壁際の装置まで泳いでいく。その装置は、今は、蒸気の代わりに泡を吹いていた。その中心のゼンマイに手をかけ、少女はそれを逆方向に回した。



 少女を中心に、観測室が回転する。


 

 無機質な床は、少女の下に。天井だった暗闇は、少女の上に。頭上の星飾りの群れは、ぽたぽたと雫を落としていく。

 勇太はいつの間にか、ずぶ濡れの安楽椅子の上に座っていた。当然、彼の服は濡れたままであった。最初と違うところは、少女の服も、ずぶ濡れになっていたことだった。

 

 少女は髪を絞った。水気を含んだ白い髪から、ぽたぽたと水が落ち、足元に大きな水たまりを作っていく。


「祝福は決まりましたね。それでは、それを叶えることにしましょう」


 手近にあった、地球のボールを少女は引っ張った。水滴を落としながら、そのボールは上下に揺れた。



「ケケケ。ソロソロカ?」


 濡れた天井の奥から、ゆっくりと操り人形が垂れさがってきた。さっぱりと乾いた子供服の隙間から(のぞ)く骨格は、まさしく木が組まれたもので、その自然な色合いは、どこか古めかしさを感じさせる。ただ、その目玉はだけは、木で作られてはいないようで、陶器(とうき)のように滑らかなそれは、(からす)のように真っ黒な瞳で、じっと勇太を捉えていた。


「な、なんだよ、これ……」

「こいつは、あなたの祝福を聞き届けてくれる人形です」

「コイツトハ、何ダ」


 人形は口をカタカタと言わせながら、苦言を(てい)した。


「こいつに、祝福を言ってくださいね」

「分かった。それじゃあ、僕は――――」


 少女は勇太の言葉を、慌てて遮った。


「ああ、まだです。まだ、準備はできていませんよ」

「気ガ早イゼ」

「その時になったら、ちゃんと言いますので、それまでお待ちを」

「何事モ、準備ガ肝心ダカラナ」


 人形はケタケタと笑った。


「ソレデ、説明ハ済ンダノカ?」

「済んだ」

「本当カ?」

「何? 私を疑っているの?」


 少女は白く、きめ細かな指で、勇太の手を包んだ。ほんのりとした温かさが、しっとりと湿った手のひらから伝わってくる。


「私、ちゃんと説明しましたよね?」


 わざとらしい上目遣いで、()びるように勇太を見つめている。包帯で隠れていない左目は、どことなく潤んでいる気がした。そんな視線から逃げるように、勇太は首を縦に振った。


「ほらね。私はちゃんと説明したんだよ」

 

 パっと手が離れ、少女の顔は人形の方を向いてしまった。勇太は残念そうに、自分の手を見つめていた。


「ハイハイ。分カッタヨ」


 操り人形は溜め息をついた。少女は嬉しそうに微笑むと、くるりとその場で回った。濡れた髪から水滴が飛んでいく。そして、水たまりの上で、ぴたっと止まった。


「さあ、早く、彼を祝福しようよ」


 少女は、水気を含んだ包帯の指先で、勇太を指差した。


「ダナ。ソウスルカ」


 少女は勇太に目配せをした。一方、勇太は既に夢想の中に入っていた。女の子に手を触られたこと、そして、それが、これから当たり前になっていく未来を想像していたのだった。


「あのー。聞いてますか?」


 勇太の肩を、ポンと叩く。夢から覚めた彼は、慌てて、返事をした。


「わあ! な、なに?」

「話を聞いてましたか?」

「う、うん。聞いてたよ」

「よし。じゃあ、始めよう」


 少女は人形の頭を叩いた。がくんと、その頭が大きく揺れ、目玉が一回転した。


「何ヲスル」

「始めるぞ」

「叩カナクテモ、分カッテイル」


 人形は勇太の方を向いて、口をゆっくりと開いた。


「サアサア、オ客人、コチラニ」


 少女は人形の隣で、黙って微笑んでいた。その服は乾いていた。勇太の服もまた、気付かないうちに乾いていた。


「祝福ヲ言エ」


 操り人形の目は瞬きすることなく、真っ直ぐ勇太を見つめていた。


「僕は――――」


 勇太は大きく息を吸い込んだ。


「異世界に行ってみたい」



「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ。願イハ聞キ届ケラレタ。可及的速ヤカニソノ願イヲ実行スル!」


 ガタガタと大きく揺れながら、操り人形は奇妙な笑い声を上げた。カタカタと擦れる木の音と、けたたましい人形の声が部屋中に反響していく。天井から垂れさがる星飾りは、まだ、濡れていた。



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