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観測室のメリル  作者: 伊和春賀
転生と価値
28/37

青葉勇太の願いⅠ

そろそろ10万文字だなあ……。

「おはようございます」


 勇太はそっと(ささや)く少女の声で目を覚ました。


「うわっ。なんだ、お前!」


 (つや)やな少女の唇が、彼の眼前にあった。しっとりと濡れたその唇が再び開く。


「私はこの観測室の主にして、あのお方の代理人です」


 少女はその黒い瞳で、じっと勇太を見つめていた。安楽椅子に座る勇太は、きょろきょろと辺りを見回している。


「どこだ、ここ……」

「ここは観測室です。私はプラネタリウムと呼んでいますが」


 少女の背後、すなわち、観測室の壁一面には、配線剥き出しの無骨な機械が、所狭しと並んでいる。上を見れば、黄金色に輝く星飾りが無数にぶら下がっていて、その隙間には、ウサギ、ウシ、クジラなどの可愛らしいぬいぐるみや、地球や月を模したボールも吊り下がっている。その上に広がるのは、どこまでも続く真っ黒な暗闇であり、頭上に吊り下がるあれこれが、果たしてどこから吊るされているのか、それを誰にも分からなくさせているのだった。


「プラネタリウム?」

「星がとても綺麗でしょう?」


 少女は細長い指先で、頭上を指差した。

 黄金色の星飾りが、ゆらゆらと揺れている。ぬいぐるみやボールもまた、それと一緒にゆらゆらと揺れているのだった。


「あれが星? 作り物でしょ」

「そうですよ。だからこそ、美しいのです」

「どこが?」

「分かりませんか?」

「そんなの、分かるわけないよ」

「そうですか」


 少女は指先をゆっくりと下ろした。


「それで、どこなんだよ。ここは?」

観測室(プラネタリウム)です」

「そうじゃなくて!」

「観測室は観測室ですが?」

「ふざけているの? それとも、頭がおかしいの?」


 勇太はこめかみを指差すと、その指をくるくると回した。


「何が言いたいのか、理解できませんね」

「僕は部屋にいたはずなんだ! 何が起きたか、早く言わないと、今に痛い目を見るぞ。僕のお父さんは、警察官なんだからな」

「そうですか」

「お前なんか、お父さんにかかれば――――」


 勇太は半ズボンのポケットを漁った。しかし、そこにはスマートフォンはおろか、財布さえない。空っぽのポケットから出るのは、ゴミや砂ばかりだった。


「おい、僕のスマホはどうした」

「そんなもの、最初から持っていなかったではありませんか」

「お前が取ったんだろう! 返せ!」


 勇太は椅子から立ち上がり、少女に飛び掛かった。一見、ひ弱そうに見える少女を、腕っぷしでねじ伏せられると思ったのだろう。しかし、少女は彼を軽くいなし、片手で椅子に押し戻した。


「まあまあ、落ち着いてください」


 少女は勇太の額を指で押しているだけだった。そうであるのに、勇太は一切、動けなかった。どれだけ力を入れようと、まるで接着剤でくっつけられたかのように、椅子から動くことができなかった。


「何するんだ。離せよ!」

「分かりました」


 少女は微笑んだまま、指を離した。行き場を失った勇太の力は、そのまま、彼を椅子から弾いた。すんでのところで、床に手を付いた勇太であったが、そのせいで、手首を痛める結果となった。


「何するんだよ!」


 勇太は少女を(にら)んだ。


「あなたが離せと言ったのではないですか?」

「そうだけど……、そうじゃない!」


 少女は、手首を押さえる彼を見ながら、彼がそうしたように、こめかみを指差すと、それをくるくると回した。


「話になりませんね」

「なんだと!」


 勇太は顔を真っ赤にして、再び、少女に飛び掛かろうとした。しかし、手首の痛みを思い出し、そのこぶしを引っ込めた。


「本当なら、お前なんか、ぎったぎたにしてやるのにな」

「そうですか」

「今日のところは、我慢してやるよ」

「何がしたいのですか?」


 首をかしげる少女を見て、勇太はむっとした表情になった。そんな彼を一瞥(いちべつ)し、少女は天井から垂れさがる星飾りを引っ張った。ガコンという音がして、ひらひらと、古びた手帳が落ちてくる。少女はそれをキャッチすると、パラパラとページをめくっていった。


「それで、あなたの名前は、青葉勇太、ですよね?」

「どうしてそれを⁉」

「私は知っている。あなたの何もかもを」


 少女は手帳を最後までめくると、それを閉じた。そして、天井裏に投げ捨てた。


「あなたがどうして観測室に来ることになったのか。私は全てを知っている」

「それなら、早くここから出せよ」

「それは出来ません」

「どうしてだ!」

「それは、あなたが一番、理解しているのではないですか?」


 少女は勇太の額を指差した。その指先は真っ白の包帯で覆われていた。


「どういうことだ」

「ここに来る人間は、(しか)るべき理由を持ってやってくる。あなたはそれを満たしたから、ここに送られたにすぎないのです」

「もったいぶらないで、早く言えよ!」

「では、言いましょうか」


 少女は大きく息を吸い込んだ。


「あなたは死にました」

「僕が死んだって? どうして、そんな嘘をつくの? 僕はここにいる。今も生きているじゃないか」

「いいえ。あなたは死にました。だから観測室にいるのです」

「嘘つきは泥棒の始まりだって、ママに教わらなかった?」

「嘘つきはあなたでしょう」

「僕が嘘つき? じゃあ、証明してみせてよ。僕が死んでいるっていうことを」

「証明……?」


 首をかしげる少女を見て、勇太は見下すような笑みを浮かべた。


「ほら、出来ないんだろ」

「いえいえ。出来ますよ。ただ、そんなことをするまでもないかと」

「今度は言い訳か?」

「では聞きますが、どうして、あなたの靴は、そんなにびっしょりと濡れているのですか?」

「え?」


 少女が指差す勇太の靴は、確かに濡れていた。浸されたように、水をぽたぽたと垂らし続けている。彼の足元の水たまりは、どんどん広がっていく。


「あなたのズボン、上着、そして、髪も――――」


 言われた順に、勇太はそれらに触れていく。どれもがぐっしょりと濡れていて、ぼたぼたと水を落としていく。


「いつの間に……。いつ、濡らしたんだ」

「最初からそうでしたよ?」


 少女は壁際の装置まで、ゆっくりと歩いて行った。煙を吐き出すゼンマイの前で、彼女は立ち止まった。


「そんなことは、なかった。だって――――」

「あなたの感覚が嘘をついていただけですよ」


 少女はゼンマイを回した。蒸気が噴き出し、笛のような音が響き渡る。


「あなたの現実を、お見せしましょう」


 蒸気の音が消えた。少女はにやっと口角を上げた。

 長く、白い髪が、ふわりと舞う。少女は両手を広げ、宙に浮いた。



 少女を中心に、観測室が回転する。



 無機質な床は、少女の上に。天井の暗闇は、少女の下に。足元の星飾りの群れは、どこかへ逃げようとでもしているかのように、必死に揺れている。

 勇太は安楽椅子から放り出された。椅子は、逆さまになって床に、いや、もはや天井というべき場所にくっついている。もはやその椅子は、勇太の手に届かない場所にあった。だが、彼はどこまでも落ちることはなく、少女の目の前で浮遊し始めた。


「これがあなたの現実です」

 

 少女の口の端から、小さな泡が逃げていく。彼女の白い髪は大きく広がり、水流に任せて、ゆらゆらと漂い始めた。

 それを掴むように、勇太はもがいていた。


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