夏島華菜の願いⅢ
『氷川愛衣の願い』という話からずっと続いています。
ちょっと分かりにくいので、サブタイトルを変えようか悩み中です。
「あれは、八月の中頃だったかな。皆で海に行った次の週だった」
「皆というのは?」
「飯島と鈴木。それとメイ――――、ううん、氷川と、ハルカ―――、高橋。あと、あたしを含めた五人でね、海に行ったの。高校生活の思い出にって」
「なるほど。その人たちは、高校のクラスメートですか?」
「うん。氷川と高橋は私の友達――――、だった。飯島は氷川の彼氏……で、鈴木は飯島の親友。クラスでは、よくこの五人でつるんでいてね。まあ、他にも話す人はたくさんいたけれど、とにかく、この五人で海に行こうって話になったの」
天井の星飾りを見ながら、カナは説明していた。記憶を整理し、当時のことを紡ぎ出していく。
「それは楽しかったのですか?」
「うん。楽しかった。良い思い出だった。バーベキューをしたり、花火をしたり、ね。でも、やっぱり、楽しかった時間は、そこまでだった」
少女は首を傾げた。
「その時間まで? それからは疎遠になったのですか?」
「うん。だって、あんなことになるなんて、思っていなかったから」
カナは俯いた。彼女の髪が、表情を覆い隠す。
「何があったのですか」
「飯島から連絡が来たの。話があるからって。何の話かって聞いてみたら、氷川にあげる誕生日プレゼントを考えていて、それを一緒に考えてくれないか、ということだった。もちろん、あたしは、協力することにした。メイが――――、氷川が何が好きかってことは、よく分かっていたから。でも――――」
「でも?」
「今、考えればおかしな話だったんだ。長い間、氷川と付き合っている飯島が、氷川の好みを知らないはずがないの。誕生日プレゼントだって、既に送ったことがあるはずだもの。でも、その時は、これっぽちも、そう思わなかったんだ。バカだよね……」
カナは大きくため息をついた。垂れさがった前髪の隙間を、それは駆け抜けていった。
「すると、飯島という人物の目的は、他にあったということでしょうか」
「その通り。飯島は誕生日プレゼントを選ぼうとは思っていなかったのよ。本当の目的は、あたし。でも、その時は気付いていなかった。だから、あたしは飯島と約束して、氷川の誕生日プレゼントを探すことになったのよ」
「二人きりでですか?」
「そうよ。二人きり。だから、つまり、飯島にとってそれは――――」
「デート、ということですね」
カナは頷いた。再び、ため息が漏れた。
「プレゼントを選んで、その終わりにファミレスに入った。食事をしながら、どうやってプレゼントを渡せばいいか、なんて話をしていたの。でも、飯島は急に話を切った。神妙そうな顔をしているから、どうしたの、って聞いたんだ。あたしは、てっきり氷川とうまくいっていないんだと思ったのよ。でも答えは違った」
「何を言い出したのですか?」
「『僕と付き合ってくれないか』だって。酷い話よね。あたしは聞き返した。『メイと付き合っているんじゃないの』って。そしたら、『これから別れる』だって。『じゃあ、今日選んだプレゼントは?』と聞けば、『お前と一緒に買い物がしたかっただけ』だとさ」
「うわあ。何ですか、それ」
「ただの浮気宣言よ。顔はカッコいいけれど、中身はクズだったみたい。確かに、魅力的な男だったけれど、氷川と既に付き合っている以上、彼と浮気なんてしたくなかった。氷川は私の友達だったし、それに――――」
「それに?」
カナは椅子の上でひざを折り、それを抱えた。
「氷川はクラスのリーダーだった。逆らうわけにはいかないような、そんな地位を築いていた。彼女の一声で、クラス中の女子が動くの。彼女に逆らったりしたら、それこそクラスになんかいられない。今思えば、ただの独裁者よ」
「でも、それでクラスは回っていたのでしょう?」
「そうだね。あたしも含めて、氷川の下にいることで、何事も上手くいっていた。上手くいっていたんだ……」
カナは折ったひざに、頭を乗せた。
「すみません。嫌なことを思い出させてしまったみたいで」
「いいの。これはもう、終わったことだから」
少し、くぐもった声で、カナは話を続けていく。
「でも飯島は、とにかくあたしと付き合おうとした。今思えば、理由がよく分かる。あいつは水着姿のあたしを、じろじろと見つめていた。ただの下心よね。その気になれば、ヤれるとでも、思っていたんじゃないかな。メイって、そういうことはしなさそうだからね」
「でも、あなたがそのようなことを、するとは思えませんが……」
「男っていうのは、思ったより下心で動くのよ。可能性が少しでも高いなら、その方を選ぶ。ただ、それだけ」
「そういうものなんですか」
「男はね、ケダモノなの。どんなに大人しく見えたって、中身はただの獣。昔、付き合っていた彼氏とは、それが理由で分かれちゃった。どこかで、ぬいぐるみからペニスが生えてきた、なんて表現されていたけれど、まさに、その通りだと思うわ」
「ぬいぐるみにペニスですか。確かにそれは気持ち悪いですね」
「でも、飯島はそんなもんじゃない。ただのペニス」
カナは足を床に戻した。そのはずみで、床に置いたペットボトルが倒れた。
「きっと、あなたに告白した後でも、飯島という男は、氷川という女と分かれなかったのでしょう?」
「当たり。その日は、『考えておいてほしい』と言われて、お開きになったけれど、氷川と飯島が分かれたなんて話は、ついに、聞くことはなかった。でも、飯島のアプローチは日に日に激しくなっていった」
「例えば、どのようなことですか」
「しつこく、変なメッセージを送って来るとか、電話してくるとか。何度、あたしが断っても、やめようとしなかった。ブロックしようかと考えたけれど、メイのことを考えると、それもできなかった。メイが何かを察して、それで悲しんだら嫌だったし。飯島と付き合えることになった時の、メイの嬉しそうな顔を、あたしは壊したくなかったの」
「メイという、その女性は、飯島の浮気性には気付いていなかったのですか?」
「うん。気付いていなかった。最後まで」
「最後まで?」
「そう。気付いていたかもしれないけれど、認めてはいない」
カナは手と足を延ばした。頭上の星飾りの揺らぎは、次第に小さくなっていった。
「決定的だったのは、あの日。そう、メイの誕生日。飯島はどこにいたと思う?」
「その口ぶりだと、どちらの家でも無かったようですね」
「あたしの家に来たの。唖然としたよ。メイは彼氏と一緒に過ごすからって、自慢げにメールしていたのに、当の飯島の行動はそれよ? ホールケーキまで買っておいて、あたしの家に来たの。『やっぱり、お前じゃなきゃダメだ』って、何様のつもりよね。もちろん、すぐに追い返した。まあ、その後で、ちゃんと氷川の家に行ったみたいだけど」
「ああ、行ったには行ったんですね」
「飯島は、氷川を捨てるなんて、考えていなかったんじゃないかな。都合のいいように、したかっただけ。きっと。でも、学校が始まってから、飯島の氷川への態度が変わっていることには気が付いた。氷川は気付いてなかったかもしれないけれど」
天井に吊り下がるぬいぐるみを見ながら、カナは話を続けていく。
「しばらくして、ある噂が学校中を駆け巡った。氷川と飯島が別れたっていう噂がね」
「二人は本当に、別れたのでしょうか」
「ううん。別れてなんていなかった。あたしと付き合いたいから別れるなんて言うのは、やっぱり、見え透いた嘘だったわけ。でも、飯島の変なメッセージは尽きなかった。どんな精神構造してるんだか……」
「でも、噂が立つなんて変ですね。だって、二人は別れていなかったんでしょう?」
「そう。だからこそ、恐ろしいのよ……。その後は――――」
カナの動きが止まった。小さく震え、どこか一点を見つめている。少女はカナを抱き、背中を優しく撫で上げた。
「ありがとう」
「色々と思い出させてしまったかもしれませんね。でも、ここで吐き出してしまった方が楽になりますよ」
「うん」
深呼吸をして、カナは心を落ち着かせた。それでも涙ぐんでいる声で、話を続けていく。
「次の日から、噂には尾ひれがついた。氷川の彼氏を、誰かが寝取ったから、二人は別れたって。それが、誰か。そんなの、すぐに特定されたよ。それは、あたし。一番、氷川の近くにいたから、ひがみの対象になった。たぶん、それだけ」
「その件に、氷川という女は関わっていたのですか?」
カナは小さく首を振った。
「ううん。氷川はまだ、この件には関わっていなかった」
「まだ?」
「そう。まだ。この時は、ご機嫌取りを履き違えた、醜い奴らの暴走だっただけ」
「噂を勝手に考えた結果、その原因が偶然、飯島に言い寄られていた、あなたになってしまったわけですか」
「そういうこと。嫌な偶然よね……」
大きなため息が、少女の横をすりぬけていく。
「それから、あたしの物が無くなるなんてことは、日常になった。教科書は破れているし、バッグが接着剤まみれだったこともあった。トイレに入れば、水を掛けられるし、体操着が泥まみれになっていることだってあった」
「いじめが始まったのですね」
「でも、誰もいじめなんて言わなかった。誰もが気付いていたけれど、無視していた。だって、女王に逆らった女に居場所なんてないはずだもの。その矛先が、いつ自分に向くかなんて、分かったもんじゃない」
「でもまだ、事実はそうではなかった。違いますか?」
「うん。この時はまだ、氷川は、あたしの味方だった。いじめている奴らから、あたしを救ってくれたのは、他でもない、氷川だった」
カナは、そっと少女を離した。
「いじめを無くしてくれたことには、とても感謝した。でも、飯島があたしに詰め寄ってきているなんて、とても告白できるものではなかったの」
「確かに、それは無理ですね」
「でも、氷川の頭にはチラつくことがあった」
「誕生日に、彼氏が家に遅れてきたこと、ですかね」
「そう。薄々、飯島に女の影があることに気付いたの」
大きくため息をつくカナを、少女は優しく見つめていた。




