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観測室のメリル  作者: 伊和春賀
失われた青春
18/37

氷川愛衣の願いⅠ

前回の話で少女は死にましたが、特に気にすることなく次の話です


「おはようございます」


 安楽椅子に座るメイに、制服を着た少女は優しく微笑んでいる。


「何、この不思議空間は?」

「観測室です」

「はあ? 観測室?」

「そうです。ただし、私はプラネタリウムと呼んでいます」

「はっきりしないね」


 少女は少し考えるように、頬に人差し指を乗せる。しばらくして、その指先をメイに向けた。


「では、プラネタリウムでお願いします」

「人を指差すな」

「ごめんなさい」


 少女は肩をすくめた。そんな様子を見ることなく、メイは観測室をぐるりと見渡している。それが済むと、すぐに少女の方を向き直った。


「あんた、うちと同じ高校だよね?」

「どうしてそう思います?」

「その制服。うちの高校の制服だよね。それで何のつもり?」

「何のつもり、とは?」


 少女はとぼけるように首を傾げた。メイはいらいらしたように、頬杖をつく。


「あんた、ふざけているの?」

「ふざけてなんていませんよ。私はいたって真面目です」

「何が目的?」

「これが仕事ですから」

「仕事だって? これが?」

「はい。その通りです。私は、あのお方の代理人としての務めを果たしているだけなのです」


 少女は包帯を巻いた指先で観測室の天井を指差した。

 無数の糸に吊るされた星飾りが、きらびやかに輝いている。その光を受けて、ヘビやハト、キリンなどのぬいぐるみも、輝いているように見える。それらは天井から吊るされて、ゆらゆらと揺れていた。ただ、その奥は真っ暗闇が広がるばかりで、どこからそれらが吊るされているか、分かることはない。


「随分と、素晴らしい設定をしてるんだね」

「設定ではありません。現実に、そうなのです」

「皮肉が通じないとは。哀れね、あんた」

「私から見れば、あなたの方が哀れですよ」


 少女はくすくすと笑うように口元を覆い隠した。そんな少女を前にして、メイのいらいらは募るばかりだった。


「わたしは、あんたみたいな電波ちゃんに構ってあげる暇はないの。早く、ここから出して」

「それは出来ません」


 口の前でバツを作ると、小さく飛び跳ねた。真っ白の髪と、制服のスカートがふわっと広がる。


「出来ないだって? ふざけるんじゃない!」

「ふざけてはいません。私はいたって真面目に――――」


 メイの堪忍袋の緒が切れた。へらへらと話を続ける少女の長い髪を、メイはいきなり引っ張ったのだった。


「わたしは、あんたの茶番になんか付き合っている暇はない。さっさとここから出せ」

「ぼーりょくはんたーい」


 髪を引っ張られているというのに、少女の表情は何一つ変わることはない。棒読みの声からも、痛がるふりをしているだけと、すぐに分かる。そのことにメイは、うすら寒さを覚えた。


「な、何なのよ。あんた……」

「人の分際で、私に勝とうなどと思わないことです」


 少女はにやりと笑うと、その真っ白で長い髪を、包帯を巻いた自らの手で引き千切った。メイの手元には、白い髪の束が残された。


「自分の髪を引き千切るなんて!」

「とんだ茶番ですね。その髪は差し上げますよ」


 メイの手元には確かに少女の白い髪が握られている。そのはずなのに、目の前の少女の髪は、最初に見た時と同じ通りの、腰までの長さのままだった。

 気味の悪い髪の束を、メイは投げ付けた。それは、少女の顔に当たり、辺りに散らばった。


「本当に、何なのよ。あんた……」

「私はあのお方の代理人です」

「あのお方……?」

「あなた方の言葉で言えば、神です」


 口の中に入った髪を、少女はぺっと吐き捨てた。


「神……? 本気で言っているの?」

「はい。私は嘘をつきません」


 少女は星飾りに飛びついた。引っ張られたそれは、天井に向かって、音を立てて飛び去っていく。代わりに、古びた手帳が少女の手元に、ゆらゆらと舞い降りていった。


「私は神より賜った使命を、ただ遂行するのです。それが私の役目ですから」

「あんた、正気……?」

「はい。私はいつでも正気です。まあ、あなた方からすれば、正気から外れるのかもしれませんがね」


 制服の少女は手帳をめくっていった。紙の欠片がパラパラと落ちていく。


「何なのよ。もう……。ああ、なんかダメ。頭が痛くなる」

「大丈夫ですか?」

「誰のせいだと思っているの!」


 少女は怒鳴られ、手帳をめくるのを止めた。しかし、その表情はきょとんとしたものだった。


「あなたの彼氏のせいではないのですか?」

「どうしてそうなるのよ。ああ、もう……」

「少なくとも、私のせいではない。そう思うのですが」


 再び、少女は手帳をめくり始めた。そして、とあるページでその指を止めた。


「ああ。話すだけ無駄なのね。分かったわ」

「ところで、あなたが、氷川愛衣、でよろしいでしょうか」

「はいはい。そうだよ。わたしは氷川愛衣だよ」

「ありがとうございます。あなたが氷川愛衣なのですね」


 そうして、しばらくの間、星飾りのこすれる音しかしなくなった。少女は手帳を読むだけであるし、メイは観測室を見渡して、どこかに出口がないか探すだけ。メイが安楽椅子から立ち上がろうとも、少女は気にも留めなかった。だが、壁際に備え付けられたスイッチに、メイが触れようとした時、少女は慌てて彼女を引き留めた。


「ダメですよ。その装置に触っては」

「なんで?」

「危ないからです。押さないでください」

「へえ、押しちゃいけないんだ」


 忠告をよそに、メイはぽちっとボタンを押した。出口が現れるものだと思っていたのだが、現実は違った。

 ビィーと警告音が鳴り響き、天井の星飾りが引っ込む。警告音がやんだかと思うと、二人の頭上を覆うほど大きなノズルが現れた。

 少女は大急ぎで、壁際のスイッチを押しなおそうとしたが、時すでに遅し。大量の生クリームが降り注いだ。それは観測室をべたべたに汚し尽くしていく。真っ白のクリームの塊になったメイは、唖然とした表情で、汚れきった自分を見ていた。


「だから、言ったじゃないですか。おかげで生クリームまみれですよ」


 じとっとした目でメイを見つめる少女も、制服を着ていることさえ分からないほど、生クリームでデコレーションされている。それでも、生クリームの雨は止まらない。それが止まったのは、二人のひざ下まで生クリームが埋め尽くした時だった。


「これは何? 夢?」

「現実です。リアルな現実です」


 少女は大きなため息をついた。巨大なノズルは、最後のクリームを少女にぶつけると、天井の奥へと帰っていった。ノズルの合った場所には、クリームで汚れていない、キレイな星飾りが埋め尽くした。


「どうなってるのよ」

「そう言いたいのはこっちです。何を勝手なことをしてくれたんですか」


 クリームの海を足でかき分けながら、少女はメイに近付いていく。クリームのせいで表情は読みづらかったが、その目は確かに怒っていた。


「ほ、ほら、わざとじゃないし」

「わざとじゃなければ、何をしてもいいんですか」

「こうなるって、知らなかったし」

「知らなければ、何をしてもいいんですか」

「そうじゃないけど……」


 少女はメイに詰め寄った。そして、メイの手をガシッと掴んだ。生クリームのオブジェと化した安楽椅子まで、彼女を引きずると、どかっとそこへ座らせた。


「うへえ。ぐにょぐにょする」

「全身、クリームまみれなのですから、これ以上汚れようと、どうでも良いではありませんか」

「そうだけどさあ。拭くものとかないの?」

「あると思いますか?」

「はは……。ないよね……」


 きっと睨む少女の視線に凄みを感じ、メイはそれ以上何も言わなかった。クリームまみれの手で、顔を拭う。同じように少女も顔を拭った。ぼとっと、クリームの塊が落ちる。


「責任を取れと、は言いません。ですが、することはしてもらいますよ」

「えっと、じゃあ、わたしは何をすればいい?」

「勝手な行動をとらないでください」


 メイは黙ったまま、ただただ、うなずいた。べとついた全身が、勝手な行動の末路を物語っていた。


「こんな状況で、本当は話を進めたくないのですけれど、仕方ありません。元に戻せるまでは、このままです」

「元に戻せるの?」

「まあ、いずれは。たぶんですけれど」

「はっきりしないなあ」

「そういう場所ですから」


 少女は手元にあるクリームの塊、もとい、古びた手帳の成れの果てを開いた。


「ところで、それは何?」

「これですか? これは鬼籍(きせき)です。ここには、あなたの全てが書いてあります」

「わたしの全て……?」

「はい。あんなことからこんなことまで、どんな些細(ささい)なことでも書いてあります」

「どうして?」

「そういうものだからです」


 少女はぐちゃぐちゃになった手帳を読むのを諦め、それを天井裏に投げ捨てようとした。しかし、クリームまみれの手帳は星飾りに引っ付いて、そこでぶらぶらと揺れ始める。少女は溜め息を付くと、メイの方に向き直った。


「ところで、どうしてあなたがここにいるのか、分かりますか?」

「あんたが、わたしをさらったんじゃないの?」

「私を何だと思っているんですか」

「電波な少女。しかも、不思議な力を使うヤバめなやつ」


 クリームまみれの指で、メイは少女を指差した。


「ヤバいですね、それ」

「あんたのことを言っているのよ?」

「まあ、そう思っていてくれた方が、話がすんなりと進みそうですね」

「そうかな?」


 メイは首を傾げた。しかし、反論するのはやめておくことにした。


「とにかく、現状をあなたに伝えるべきでしょう」


 少女は咳ばらいをした。次いで、手に付いたクリームをペロッと舐めると、その指先でメイを指差した。


「あなたは死にました」

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