品井憲汰の願いⅡ
毎週、投稿できるほど不思議な位にモチベーションが高い。次の話も、鋭意作成中!
パソコンに映し出された右肩下がりのチャート。並んでいく赤い数字。焦ったあまりに更なる失敗を重ね、膨れ上がっていったその数字。気付いた時にはもう、全財産よりも多くなっていた。逃げるように画面から離れ、気付けば、崖の上。雨風降りしきり、大波がとどろく眼下の岩肌に、遺書も残さずに飛び込んだ。それからの時間と浮遊感が、記憶の中に、恐ろしい現実として刻まれている。
男には、全てが克明に蘇っていた。
「俺は全財産を失った。気付いた時にはもう、取り返しが付かなかったんだ」
「そんなあなたは、辛い現実から逃れるために死を選んだ」
「そうだ。何とでも言ってくれ」
「悪くない選択だと思いますよ。生きることとは、死への一本道を突き進むこと。それは恐るべき絶望への道でしかないのですから」
少女は足元に置いておいたカップを取った。既に冷えていたのか、少女は躊躇うことなく、ココアを一気に飲み干した。空っぽになったカップの取っ手に指を入れ、少女はそれを天井に投げ込んだ。パリンとカップの割れる音がしたものの、それきり、何も落ちてくることはなかった。
「さて」
少女はスクール水着のしわを伸ばしてから、包帯を巻いた指先で男を指した。
「これからあなたは死後の世界に送られます。けれども死とは、泥沼にゆっくりと沈んでいくかの如く、この上なく恐ろしいものです。そんな耐え難い運命を背負った人の子の姿を見て、神は嘆き悲しみました。しかし、死は避けようがありません。その昔、ヘビに言いくるめられ、禁断の果実をかじったアダムとイヴが、エデンの園から追い出されたその時から、人は死の運命を背負わなければならなくなりました。これは絶対の約束です。これを破ることは断じてできません。しかし、アダムとイヴから長い時を経た人の子も、同じ罪で責められる所以があるでしょうか。たった一度の過ち、それもたった二人の人間の過ちを、いつまで背負う必要があるのでしょう。ですが、人の子である以上、アダムとイヴの置き土産を消し去ることは、不可能です。そこで神は考えました。人の子を救う手立てはないものかと。そして、思いついたのです。あなたたち人の子を祝福することを。地上を生き、そして死ぬという苦しみを対価にして、一つ限りの祝福を与えることにしたのです。それを行うのがこの観測室です。ここでは私が神に代わって、死者に祝福を与えます。優秀にも耐え難い死を乗り越えた者に対しての、いわば、ご褒美を与えるのです」
白スク少女の突然の演説を、男は黙って聞いていた。
「これからあなたには祝福が贈られます」
「一つ、質問があるんだけどいいかな」
「はい。なんでしょう」
男は少女が小休止を置いたところを見計らって、質問を投げかけた。
「その祝福とは、一体なんだろうか」
「祝福とはすなわち、願いです」
「願い?」
「はい。あなたが現世を生き、そして死んだ。そのことを対価として、あなたの願いを叶えて差し上げるのです」
なるほど、と男は思った。
「すると、ここは願いを叶えるための場所、というわけか」
「素晴らしい! その通りです!」
少女はよほど嬉しかったのか、男の手を掴んで飛び跳ねていた。
「おいおい。そこまで、はしゃがなくても」
「なかなか皆さん、理解してくれないのですよ」
「そうなのか?」
そう言われて、男は少し得意げになった。確かに少女の言い回しは難解であったが、要点さえ掴められれば、残りは疑問点だけを聞くだけで十分だった。それをここまで喜ばれるとは、よほど他の人は読解力がないのだと、せせら笑いたい気分になった。
「あなたには願いを叶える権利が与えられています。それを行使するのもしないのも、あなたの自由です。けれども、願いは一つ限りです。十分、考えてくださいね」
「それはどんな願い事でもいいのか?」
「ええ、もちろん。どんな願いことでもいいですよ。神は全てにおいて平等です。死んだ人は、等しくどんな願いでも叶えることができるのです」
少女は胸を張り、両手を広げた。さながら聖母のような立ち姿であったが、流石に、白いスクール水着とニーソックスでは、ただただ子供っぽいだけだな、と男は思った。
「どんな願い事でもいいのか」
男の脳裏には様々な願い事が浮かんでいた。その様子を、少女は黙ってニコニコと笑いながら見つめていた。
『世界中を旅行してみたいというのはどうだろうか。フランスにイギリス、アメリカに行ってみるんだ。いやいや、そんな夢は小さすぎるだろう。何でも叶うからには大きな夢の方がいい。
だとしたら、何がいいだろうか。世界中の旨いものを食べてみたい、とかか。いや、それは結局、旅行と同じ話だろう。小さすぎる。だったら、何がいいのか。
そうだ。金持ちになるというのは、どうだろうか。俺はそれを目指していた。確かに失敗したかもしれないが、願い事をするだけならノーリスクだ。けれど、金だけあってどうする。金を奪おうとする変な奴が湧いてくるかもしれないし、そもそも金はいずれ尽きる。却下だ。
では彼女はどうだ。いっそ、ハーレムを作れるくらい沢山の彼女を手に入れようじゃないか。でも、性格が悪かったらどうしよう。それにどんな美人だって、いつかはしわくちゃの老婆になる。それでもハーレムがいいか?
なら、永遠の命というのはどうだ。不老不死だ。ずっと生きられたら、それは面白そうだ。だが、それでは孤独になってしまうのではないだろうか。独り身が寂しいことは身をもって知っているじゃないか。それをずっと続けられるか? 無理だな。
だったら―――――――』
男の考えはぐるぐる巡っていく。あれやこれやと、考えが浮かんでは沈んでいく。願い事のどれもが、綺麗な宝石のように輝いて見え、どれを選び取ることはできなかった。仮に、ある程度の選別ができたとしても、その欠点が見えてくる。そして、次から次へと新たな欲望が湧き出てくる。無限に広がっていく欲望の平原から、たった一つ限りの安住の地を決めることは、とても難しいことだった。
「いやあ。迷うね」
「それが人の性というものでしょう。欲深いのは人の特権です。時間はたっぷりありますので、どうぞ、ゆっくり決めてください」
「そうさせてもらうよ。それと確認だけど、どんな願いだって叶うんだよな?」
「はい。どんなことでも。神は差別も区別も致しません。神は全てにおいて平等ですから」
白髪の少女は微笑みながらそう言った。だが、少し飽きているようで、天井に吊るされていたはずのクジラのぬいぐるみが、いつの間にか少女の胸元にあった。それをムニムニと抱きながら、ただひたすらに男の回答を待っていた。
とはいえ、男は答えを決めかねていた。決まるどころか、候補は余計に増えていくばかり。とても一つにまとめられる気配がない。人の欲望に底はないと言うものの、それで困る事態に直面するとは、夢にも思っていなかった。
そうして、しばらく考えていた時だった。
天啓とも言うべき発想が、男の下に降ってきた。それは全ての選択しを得ることができる選択だった。たった今まで、そんな簡単な事に気付けなかったことを、情けなく感じるほどに。
男は気付かないうちに、頬を緩ませていた。それを見たスク水少女は、男が願いを決めたのだと、勘づいた。
「願い事が決まりましたか?」
「ああ。決まったよ」
「それでは、少々お待ちください」
少女は一礼すると、手にしていたクジラのぬいぐるみを天井裏に放り投げた。ぬいぐるみは暗闇の中に消えたかと思うと、再び天井にぶら下がった。それを確認した少女は、今度は地球のボールに飛びつき、引っ張り降ろした。
「ケケケ。ソロソロカ?」
奇妙な笑い声を挙げながら、アンティーク調の操り人形が、糸に吊られて降りてきた。それは男の目の前に垂れさがり、男が驚いた表情で見つめていた。
「人形……?」
「はい。こいつはあなたの願いを聞き届ける物です。これに願いを言うことで、あなたの願いは神に届けられます」
「コイツト言ウナ。デウス様ト言エ」
「はいはい」
口をカタカタと言わせながら喋る人形に、少女は二つ返事で答えた。
「ソレデ、何ダ、ソノ格好ハ?」
右人差し指の糸をピンと張り、操り人形は少女を指差した。
「水着よ。スクール水着って言うらしいね。それと靴下」
「ソウイウノガ、メリルハ好キナノカ?」
「まさか。好きで着ているわけじゃないわ。あのお方の好みよ」
少女は天井を指差しながら、そう言った。天井には相変わらず多くの星飾りがぶら下がっている。
「アノオ方モ大概ダナ。マア、応ジテシマウ、メリルモ大概ダガ」
「あのお方に逆らえると思っているの?」
「無理ダロウナ」
「でも、あんまり恥ずかしくはないから、まだマシかな。露出は少ないし」
あんなことやこんなことを言いつつ、人形と少女の不思議な会話が続いていく。それはすっかり男を置いてけぼりにしていた。
「あんまりお客人の前で、こういう格好はしたくないけどね」
「オ客人ノ前デ無ケレバ良イノカ?」
「それだったら、一応ね。こういう変わった服は好きだし」
「アノオ方ニ伝エテオク」
「待って。今のは無し。秘密にしておいてよ」
すっかり話の流れに付いていけなくなった男は、どこかで話に入り込もうと必死だった。「あの」と、声を掛けるも、白熱した会話は止まらない。だが、その様子にやっと気づいた操り人形が、そっと少女に触れた。それはちょうど少女の胸のあたりだった。
「ちょっと。いきなり、どこを触ってるのよ」
「オ客人ヲ忘レテイルゾ」
「あ」
ここでやっと、少女は男の方を振り返った。
「ごめんなさい。つい、会話が弾んでしまって……」
「いいよ。俺も長いこと、願い事を考えていたし、お互いさまってことで」
「そうですね。ありがとうございます」
少女は深々と礼をした。男もそれにつられて会釈をした。
「ソレデ、説明ハ済ンダノカ?」
操り人形は二人の間に割って入り、少女の方を振り返って尋ねた。
「済んだよ。我ながら完璧だね」
「本当カ?」
「うん。あ、でも、肝心の願い事を聞いてなかった」
半目になった操り人形をよそに、少女はわざとらしく舌をペロッと出した。その仕草には、どこか憎めない愛らしさがあった。
「すみません。願い事は何でしょうか」
「ああ、それなら――――」
男はそれを言うのを待ってましたとばかりに、大きく息を吸い込んでからこう言った。
「俺の願いを増やしてほしい。できるよな?」
「願いを増やす、ですか……」
少女は操り人形に向かって、目配せをした。人形はくるっと向きを変えると、ガラス玉のような目玉で男を見つめた。
「本当ニ、ソレデ良イノカ?」
「ああ、そうだ。願いは何でも叶うんだろう?」
「アア。願イハ何デモ一ツ、叶エラレル。神ハ全テニ於イテ平等ダカラナ」
「だったら、願いを増やすという願いも可能なはずだ。違うか?」
「勿論、可能ダ」
その言葉を聞いて驚いていたのは、少女の方だった。
「へえ、可能なんだ」
「オイ。知ラナカッタノカ」
「覚えておくよ。忘れなければ」
人形は溜め息をつくように口を開け、がっくりと頭をうなだれさせた。
「神ニ為セナイ事ハ無インダゼ」
「そうなの? だって、ほら、この前――――」
「メリル!」
慌てて人形は少女の口を塞ごうとした。だが、手が届かないので大声で叫んだ。
「オ客人ノ前ダ!」
「あ、うん。流石にこれは、言ってはいけないね」
「分カレバ宜シイ」
男は、少女が言い掛けた事の内容がとても気になった。しかし、願い事が増やせたら、それで聞けばいいことだと、男は考えた。その方が手間は省ける。何故なら、願いは何でもよいのだから。
とはいえ、こんな思い付きをした人間が他にいるのか気になった。案外、こういう願いをする輩は多いのかもしれない。
「俺と同じ願い事をした人間は他にもいるのか」
「一応、居ルニハ居ル。ダガ、少ナイナ」
その言葉を聞いて、男は更にほくそ笑んだ。前例があるのは仕方ないにせよ、それでも他の人はあまり、この素晴らしい願いに気付かないらしい。既に男には全能感が芽生えていた。こんな単純明快で素晴らしいことに気付けないとは、なんて愚かなことだろう。それに比べて俺は賢い、と心のうちで、男は自身を褒め称えていた。
「本当にその願いでよろしいのですね」
「ああ」
「後悔しないでくださいよ」
少女はやる気を失いながら、そう言った。男はそんな少女を見て、本心ではこんな願いを通したくないと思っているのだろうと、考えていた。
しかし、ルールはルールだ。どんな願い事でも叶うのなら、この願いも叶うべき願いでしかない。男の願いは、揺るぎようのないものになっていた。
「さて、話は済んだし、そろそろ始めようよ」
「ソノ格好デカ?」
「仕方ないでしょ。今はこれしかないんだから」
少女は身に着けている白色のスクール水着を摘まんた。やれやれ、と言いたげに人形は首を振った。
「仕方ナイカ。オ客人、コンナ格好ヲシタママダガ、許シテヤッテクレ」
「別に気にしていないさ。どんな格好だろうと、俺の願いさえ聞き届けてくれれば、それでいい」
「アリガトヨ、オ客人」
操り人形はカタカタと口を動かした。その隣に、スク水の少女は立った。風は吹いていないが、白い髪がふわりと揺れている。
「サアサア、オ客人、コチラニ」
操り人形に導かれ、男はその目の前に立った。
「願イ事ヲ言エ」
操り人形の目は真っ直ぐ男を見つめていた。その隣では、白スク少女が欠伸をしていた。そんな少女を気にすることなく、男は調子よく口を開ける。
「俺の願いは」
男は口角を上げた。まるで自分の才能に惚れ込んだかのような笑みだった。
「叶う願いを増やしてほしい」
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ。願イハ聞キ届ケラレタ。可及的速ヤカニソノ願イヲ実行スル!」
人形はけたたましく笑うと、ゆっくりと天井奥の暗闇へと消えていった。観測所の天井では、星飾りが大きく揺れた。それにつられ、ぬいぐるみたちも騒がしく回っていた。




