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観測室のメリル  作者: 伊和春賀
願いは一つ
10/37

品井憲汰の願いⅠ

この世界観で何故か水着回


(試験的に、段落ごとに行間を開けてみました)

「おはようございます」


 少女の甘い声で男は目を覚ました。


「お、おはよう」


 まるで深い眠りから目覚めた時のように、男は体が軽くなったような気分だった。欠伸と一緒に出てくる言葉にも、今まで感じることのできなかった鮮明さがある。しかし、おぼろげな視界はなかなか晴れなかった。目をこすり、何度も瞬きをしてやっと、かすんだ視界は鮮明になった。


「よく眠れましたか」

「ああ、おかげさまで」


 そう男は言ったが、いつから眠っていたのか、その記憶はなかった。むしろ、この上なく張り詰めた緊張のせいで眠れず、とても熟睡できるような状況ではなかったことを覚えている。しかし、今の気分はとても良かった。困難だった仕事を、ついに成しえたかのような快感が巡っていた。


 とはいえ、そんな気分も微睡(まどろ)みの中の仮初(かりそめ)であるのかもしれないと、男は目の前の少女の姿を見て感じていた。


 雪ウサギの毛皮のように真っ白の髪が腰まで伸びている少女。それが覆い隠している肌はとても血色がよく、艶やかなその色には、若さゆえの瑞々しさがあった。それに加え、身に着けているものは、白いスクール水着に、真っ白のニーソックスといった、幼さを強調しつつ、挑戦的で扇情的なもの。年相応ながら背伸びしているようにも見える姿は、極めて背徳的な魅力がある。しかし、顔の右側と右腕を完全に覆い隠している包帯には、痛々しさが見え隠れしていた。


 そんな少女を、男は知らなかった。記憶のどこにもそんな知り合いは存在しない。家族にも、親戚(しんせき)にも、こんな人はいない。例えこれが夢だとしても、それが、誰をモチーフにしたものかは分からなかった。


「ところで、君は誰なんだ?」

「私はこの観測室の主にして、あの方、つまり、神の代理人です」


 少女は包帯を巻いた指先で、観測室の天井を指差しながら答えた。


 男がそこに視線を移せば、無数の星飾りが天井を埋め尽くしている。その隙間には、クジラやトビウオ、水瓶(みずがめ)帆船(はんせん)をデフォルメしている、いかにも(ちまた)の女子高生が好みそうなぬいぐるみが見え隠れしていた。更には、地球や月を模したボールも、その間から吊るされていた。そのどれもが風もないのに、ゆらゆらと揺れていた。


「不思議なところだな。これは夢なのか?」


「いいえ。これは現実ですよ」


 少女はきっぱりとそう告げた。しかし、それは男の想定内の回答だった。


 こんな場所は現実に存在するはずがない。ざっと見渡したところで入り口も出口もなく、それらしい扉が隠されている風にも見えない。仮に、壁際に並ぶ装置がそれだとするならば、オーバーテクノロジーにも程がある。


 やはりこれは夢であると、男は確信した。最近、全く夢を見ていなかった男ではあったが、夢と現実の区別は流石につく。その二つを天秤(てんびん)にかけるのなら、前者が相応(ふさわ)しい。


「面白い夢だ」


 男は部屋中をきょろきょろと見渡していた。だが、いくら見渡しても、ここが小さなドームであることくらいしか分からない。壁面に取り付けられた用途不明の装置の数々は、色とりどりのランプを点滅させるだけであるし、天井に吊るされた飾りの数々は、ただ揺れるだけ。


 もはや少女すらも、ただそこにいるだけなのではないかと、錯覚してしまいそうになる。それほど、未知で満ちあふれていた。


「なあ、君」

「なんでしょう?」

「その装置は何をするものなんだ?」


 男は壁面の装置を指差した。とりわけ、どの装置の中でも大きく、最も奇怪な形をしているそれは、男の気を引いた。


「あれですか。飲み物を出す装置です」

「じゃあ、何か飲み物をくれないか?」

「承知しました。何をお飲みになりますか?」


 男は「コーヒー」と言ってから、「やっぱりココアで」と訂正した。白スクの少女は静かにうなずくと、その装置のスイッチを押した。ガタガタと音がして、ネジとランプが飛び出したり引っ込んだりしたかと思うと、その真ん中が開いた。中には熱々のココアが入った、ネコの肉球をあしらったカップがあった。


「どうぞ」


 少女に差し出されたそれを、男は受け取った。ココアの良い香りが鼻孔をくすぐる。だが、同時に違和感を覚えた。これが夢ならば、ここまで鮮明にココアの匂いを感じるだろうかと。そして、そのココアを一口飲み込んだ時、違和感はさらに増していった。


「味がする……」

「当然ですよ。ココアですもの」


 そう言う少女の手にもココアのカップが握られていた。


「とことん、不思議な夢だ」

「ですから、夢ではありませんよ」


 少女はカップを足元に置いた。カップにはココアがたっぷり残されたままだった。


「夢じゃない? 本当に?」

「信用なりませんか?」

「あんまり」


 少女はスクール水着の襟元を引っ張ると、その隙間に手を入れた。前かがみになって、奥に手を伸ばそうとするので、少女の胸の膨らみとその奥の肌がチラチラと見える。男は見てはいけないものを見ている気分になり、目を逸らした。


 一方で、少女の方はそんなことに気が付いていなかった。それどころか、指先から逃げていくものを取るためだけに、半脱ぎになろうとしていた。肩ひもをずらし、肩を露出させ、ついには胸さえも剥き出しにした。そうしたあたりで、ようやく少女は、水着の中の探し物を掴んだ。その手には、茶色く古ぼけた手帳が握られていた。


「やはり、こんなところに物を入れるべきではありませんね」


 少女はめくれ上がった水着を元に戻した。そして、目線を反らしている男に気が付いた。

「どうかなされましたか?」

「いや、俺は何も見ていないぞ」


 男の言葉を疑問に思いつつ、少女は手帳をめくっていった。その音も、男には鮮明に感じられた。


「変な方ですね。そんなあなたのお名前は、品井憲汰、でよろしいでしょうか」

「ああ、間違いない」

「ではここで、はっきり言わせてもらいます。あなたは死にました」


 その言葉に驚いて、男は少女に視線を戻した。


「死んだ? 俺が?」

「はい。あなたは死にました」

「俺が死んだってどういうことさ」

「どういうことと言われましても……。あなたは死んだからここにいるのです」

「変な夢だ。死んだと言われるなんて」

「だから夢ではないと……。もしかして、記憶がありませんか?」


 少女の言葉で男は考え始めた。そういえば、ここ数日の記憶がない。昨日、何を食べたという事どころか、どこにいたかさえ覚えていない。最後の記憶といえば、電車に乗ったことくらい。それ以降の記憶は全くなかった。


「確かに記憶が飛んでいる気がする」

「はあ。道理で話がかみ合わないわけです」


 少女は溜め息をついた。


「いったい、俺に何があったんだ」

「そうですね。順を追って説明します。どこまで覚えていますか」

「最寄りの駅から電車に乗ったところから――――。というか、全部知っているのか?」

「はい。ここに全て書いてありますから」


 そう言って少女は手帳を男に掲げた。金釘流の汚い文字がびっしりと並んでいて、男にはそれを解読することはできなかった。


「読めない」

「大丈夫ですよ。私は読めますから」


 男の心配をよそに、少女はすらすらと手帳を読んでいく。


「電車に乗った。ということは覚えているのですよね」

「ああ。それでどこに向かったかは覚えていない」

「二駅先のようですね。その駅で降りたことは覚えていますか?」

「二駅先か……」


 少女にそう言われ、考えてみたものの、やはり男は何も思い出せなかった。二駅先の駅は、何もないことで有名だ。ただ海岸線が続くだけの寂しいところ。好事家(こうずか)には好まれるようではあるが、地元の人間にとっては、行く意味さえなかった。そんな何もない場所で降りて、一体、何をする気だったのか。男は記憶を辿るも、その道は途絶えていた。


「そしてあなたは、海の方へとまっすぐ歩いて行ったのです」

「海……。天気は?」

「雨です。嵐と言った方が適切かもしれませんが」

「なんで嵐の日に……」


 男はますます分からなくなっていた。


 わざわざ嵐の日に、そんな寂しいところに行く理由が見つからない。店も家も人もいないあの駅で、何をするつもりだったのか、疑問は深まるばかりだった。


「そして、あなたは死んだ」


 少女は躊躇(ためら)うことなくそう言った。その言葉に男は引っ掛かった。

 そう、男は死んだのだ。寂しい海岸沿いの駅で降り、海へと向かった。荒れ狂う風も雨も気にすることなく、ただ、海へと。

 

 それが答えであることに、男はすぐに気が付いた。


「身投げ……、か」

「当たりです」


 淡々とした少女の口調を前にして、嫌な正解を引き当てたものだと、男は皮肉めいて笑った。


「俺は海に飛び込んだんだ。そして、その理由は――――」


 それは考えるまでもなく、男の脳裏に蘇ってきた。できれば忘れていたかったな、と男は内心呟いた。


「思い出されましたか?」

「ああ。考えられる原因は一つしかない。嫌なもんだ」


 男は溜め息をついた。

表現力のなさを実感するなあ

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