留学星
「笑うと顔が真ん中にくしゃりと集まり、怒ると体中に横じわが入る。せわしなく動く沢山の腕に、甲高い早口。留学星のフィパは優しくて面白い、最高の親友でした」
僕は柔らかい座席にもたれながら正面に座る夫婦に微笑みかけた。耳元では低いモーター音が響き、窓の外からは赤い空と乾いた褐色の大地が見渡せる。
僕はヒッユハユ星に来ていた。眼前の夫婦は現地人であり、特有の姿をしていた。
アーモンド型の目に角が取れた四角い顔。全身は横から見たら転がる滑らかなコロネのようだ。腕は二つで前足は六つ、後ろ足が一つあり、顔と手足が出て、他は収まるつなぎのような衣服を着ている。夫婦が相槌を打つのを確認してから、僕は口を開いた。
「――12歳の頃、僕と父、母は地球を離れて月に住んでいました。月には火星人や金星人、木星人、遠方からはシリウス星人まで様々な異星人が暮らし、仕事をしていました」
婦人が鮮やかな橙色の茶を差し出した。僕は礼を言ってから、話を再開した。
「フィパとの出会いは、僕が一人で小型の雪発生装置で遊んでいた時でした。宇宙人の千差万別な姿には慣れているつもりでしたが、彼のような姿は始めてだったので、酷く驚きました。何をしているの? という質問に、雪を作っているんだ、と返しましたが、宇宙共通語が不慣れだったので、雪のみ日本語で伝えたのを覚えています。装置からしんしんと降る雪をフィパは珍しそうに眺めていました。ヒッユハユ星人は視力が良いのですね。結晶が仔細に見えるようで、彼は綺麗な雪をすぐに好きになりました。その装置は誕生日に父から貰ったものだったので、僕は宝物を褒められたようで嬉しくなり、自慢げに雪の説明をしました。フィパは興味津々に足元にある白い小山を指先でつつきました」
そこで紳士の表情が僅かに曇ったのを見逃さなかった。僕は温い茶を一口だけ飲んだ。
「僕達はあっという間に仲良しになりました。時には約束をすっぽかしたり、冗談が過ぎたりして大喧嘩をしたけれど、仲直りも早かった。喧嘩はいつも僕が負けていました。だって、手が八本もあるんですよ。フェアじゃないでしょう?」
夫婦は揃って大笑いした。婦人は笑いを浮かべたまま僕の鼻や耳、首を指差して、自分の平坦で滑らかな顔に触れた。
「私達にも不公平に思えるものがあってよ」
フィパにも同じ指摘をされたのを思い出し、釣られて笑い声を上げてしまった。
「彼は建築を学びに月へ来たそうです。銀河間の交流が盛んな場所だから。ヒッユハユ星では多くの若者が留学星として他惑星へ行っているそうですね。僕達は家族ぐるみで親しくなり、家で夕飯も食べるようになりました。僕はフィパに地球の話をしました。母星では雪が大空から降ってきて、地上を真っ白に染める。その光景は美しいし、何より全身で遊べると。彼は目を丸くして、地球へ行きたいなぁと仕切りに言っていました」
紳士は窓外の荒い大地を前足で指した。
「此処は岩ばかりで乾燥していて、年を通して熱いまま。温度変化はありません。地球は恵まれていますね」
その時、老人が背後の扉から現れ、じきに目的地に到着すると僕達に告げた。僕は一旦話を止めて荷物を纏め、彼等もいそいそと準備をした。軽い振動の後、着陸したとのアナウンスが機内に響く。
卵型の飛行機から降り、熱い道をしばらく歩いていると、白いドーム状の建物が僕達の目に入った。優しい曲線を描いており、光の屈折によってきらきらと輝いて見える、繊細で見事な建築物だった。
入館した途端、息を呑んだ。一面の雪景色だった。
木造の家が建ち、植物が生えた緩やかな小山が並び、しんしんと振る粉雪が大地を白く覆っている。子供達がそこで楽しそうに雪を触ったり、掛け合ったり、斜面に細長い身体を転がらせたりして、はしゃいでいた。雪を団子状にしている子もいた。自由に遊ぶ子供達を見て、僕の胸に感動が沸き起こった。まるで地球のようだった。婦人は降り積もる雪に、感嘆の溜息を付いた。
「綺麗……。純白の宇宙空間にいるみたい。白く輝く星々。夢のようね」
僕は一度頷いて過去へ思いを馳せ、物語の続きを話した。
「――フィパは雪発生装置をすっかり気に入り、くしゃりと笑顔を浮かべて雪を見続けていました。僕の故郷は特に多くの雪が降ります。僕は彼と一緒に帰省するという素晴らしいアイデアを思い付きました。両親はそれを許したので、僕は得意げに誘いました。地球へ行って雪で遊ぼうよ! とね。フィパは大喜びしてくれました。装置で生成できる雪は少しですが、僕達は僅かな雪を掴み、投げ合って遊びました。二人で随分はしゃいで、地球へ行ったら雪合戦をしようか、スキーをしようかと計画を練りました。帰り道で装置をプレゼントしたら、凄く喜んでくれましたね」
幸せそうに遊んでいる子供達をぼんやりと眺め、僕は静かに言った。
「――次の日、このような連絡がありました。行けない。ごめんね、と。理由が分からずに一度も会えないまま、フィパは故郷へ帰りました。ショックでした。心に大きなしこりができ、酷く悩んだのを覚えています。あの笑顔は嘘だったのか、雪が嫌いだったのか、宝物をあげるんじゃなかったとも思いました。思い出に蓋をし、フィパの事を忘れようと努力しました。彼の事情を知るまでは。――数年後に月にある大学に進学した時、僕はやっと学びました」
心に残る罪悪感が染み出してくる。掌で溶けていく儚い雪に視線を落とし、僕は呟いた。
「フィパは、雪を触れなかった」
電子記事で読んだ文章と、添付されていた痛々しい画像を思い出す。
「ヒッユハユ星人は雪に触れると、皮膚にアレルギーのような炎症が起きてしまう。フィパはその事を知らずに雪で遊んだ。次の日、彼は苦しい思いをしていたんだ。心配をさせまいと、フィパはそのまま姿を消した。僕は、残酷で愚かな誘いをしてしまったんです」
紳士は丸い黒目を眩しそうに細め、励ますような声で言った。
「この星にも昔、雪があったと言われています。しかし、年月が経つ内にそれは幻のように消滅してしまった。私達は雪を伝説中の存在として育った。――ようやく母星も他惑星へ行く技術が身に付き、雪を間近に見る事ができるようになった。触れたいという憧れはあっても、諦めておりました。留学星の彼の事は残念でしたが、悔やむ事はありません。貴方がそれを可能にしたのですから」
博士のお陰です、と穏やかに婦人も言う。僕は首を横に振った。
「いいえ。この場景があるのは、フィパとの出会いと、貴方達の支援があったからです」
ヒッユハユ星人が安全に体感できる雪を生み出す。それが僕の夢となった。長年の実験を経て、僕は新しい雪を開発したのだ。傍目からは地球で見ている雪と変わらないが、この星にとっては大きな変化となった。
僕は施設の運行者である二人と、スポンサーである老人に低頭した。
「本当に感謝しています。地球へ戻っている間に、このような素晴らしい施設を作っていただいて。僕の念願が叶いました」
「こちらこそ。博士を信じて良かったよ」
老人は頬と背中の皺を深くし、夫婦は何度も頷いた。僕達が雪を見ながら取り留めもない会話をしていると、ふと名前を呼ばれたような気がした。
何気なく視線を向け、僕は目を疑った。幾つもの手をせわしなく振っている大人のヒッユハユ星人。彼に見覚えがあった。
「フィパ!」
思わず飛び出すようにして動き、僕達は丘の真ん中辺りで再会した。フィパは割腹の良い体格となり、顔付きも精悍になっていたが、笑顔は変わっていなかった。過去の雪の影響か、額と腕に軽い引きつれがあった。小さな女の子の手を前足で握っている。久し振り、と僕が言おうとしたら、彼は早口で先を越した。
「雪を開発した地球人が此処へ来たと聞いて、飛んできたんだ。やっと君に会えたよ」
フィパは口をすぼめ、申し訳無さそうに顔を俯かせた。
「君の故郷の誘い、とても嬉しかった。できる事なら行きたかったよ。でも……。夢を壊したくなくて事情が言えなかった。まだ子供だったんだ。――ごめんな」
「僕こそごめん。君を傷付けた」
「いいや。知らなかったぼくの責任さ」
彼は長い身体を縮め、八本の腕を僕の背中に巻き付かせた。僕も二本の腕を背中に回す。過去のしこりが、雪のように溶けていくのを感じた。今はどうだい? と僕が聞くと彼は嬉しそうに、にやりとした。
「どうにか建築家としてやっているよ」
「また技術を見せてくれないか」
フィパは声を出しかけて止めた。下を見ると、女の子が彼の衣服の裾を引いていた。
「パパ、遊んでいい?」
「ああ、いいぞ」
彼女は雪の上へ楽しそうに転がった。白い景色に視線を向けたまま、彼は呟く。
「あれ以来、心には夢がずっとあった。綺麗な幻に触れたい夢が。君は子供達だけじゃなく、ぼくにも希望をくれた。幾ら感謝しても足りないよ。ぼく自身の手で、夢の基盤が建設できたのだから」
フィパは娘に優しく声をかけた。
「なぁ、ユキ」
女の子は顔をくしゃっとさせ、八本の小さな腕をいっぱいに使って雪を散らした。