X・・・千人に襲われた女
真っすぐ伸びる道路。地平線や岩山が、近いようでなかなか到達しない。
「アメリカって、広いなあ・・・」
黒多菊菜は、たった一人でグランドキャニオンを目指して、コロラド、ユタ、アリゾナの経路で、レンタルしたやや古いアメ車で国道を走っていた。
「最高だよおおお!」
空も青く、ビルも家もないこの大自然を、独り占めしているような気分だった。
ガスンッ、ガスンッ!
「あれ、故障かな?」
グルルルルル、ル、ル、ル。
車が止まってしまった。
「やだあ、困ったなあ」
ガルルン。
またエンジンをかけてみるが、動かない。
「えええええっ!」
菊菜は、ハンドルに頭をつけて落胆する。
「こんなところで止まっちゃうなんて、まだ次の町までかなりあるんだから、もおっ!」
バタンッ!
ドアを開けて、外へ出る。
「うわああああ・・・」
真っすぐな道路、広大な大地、眺めだけは最高だが、それだけに、今の状況は、最悪である。
「ま、いいか。いくら何でも、車通るでしょ」
菊菜は、後ろの座席のバッグからジュースを取り出し、道路脇に座って飲み始めた。
「やっぱり、アメリカって広いなあ・・・」
そのまま大の字になって、空を見上げた。
「こんなところにいると、会社と家を行ったり来たりしてる生活が、ホントに馬鹿々々しくなっちゃう!」
ブワンッ!
「何っ!?」
周りの空気が、大きくブレた様な気がした。
「空が二つあるように見える」
空は、一つのはずだが、それを形成する空気が、エックス状に割れたような感覚だった。
「嘘でしょ!?」
起き上がって周りを見ると、車のある道路の先が二つに割れている。
「えっ、こっちも?」
車の後方も二つに分かれている。それは、エックス状に二つの道路がクロスしているのだった。
「そんな馬鹿な。さっきまで一本道だったでしょ!」
菊菜は、目を擦ったり、頭を叩いてみたりしたが、その景色に変化はなかった。
「私がおかしくなったんだろうか?」
遠くの景色も、地平線や岩山が、蜃気楼のように歪んで見える。
「どういうこと・・・?」
菊菜は、車の後ろへ向かい、道路を分かれ道まで歩いてみた。
「やっぱり、二つに分かれてる」
菊菜は、しゃがみ込んだ。
「どうしたらいいの?」
頭を掻く菊菜。
「あ、車だ・・・」
ブロロロロロッ!
勢いよく車が近づいてくる。
「助かったあ・・・」
菊菜は、立ち上がって手を振る。
ブロロロ、ロン・・・。
菊菜の車の斜め後ろに車が止まった。
「故障かい?乗ってく?」
中の運転手が声を掛けてくれた。
「お、お願いしま・・・」
菊菜は、慌てて口を押えた。
「乗らないのかい?」
男が座席から乗り出して、反対側のドアの外に立っている菊菜の顔を見る。
「可愛い子だね。乗りなよ」
男のシャツの袖は、片側が三つに分かれていて、そこから手が三本出ていた。つまり左右で六本、足が二本で、計八本ある。顔は、毛むくじゃらで丸く、目がミラーボールの様だった。おまけに車内は、蜘蛛の巣だらけだった。
「あ、大丈夫です。自分の車がありますから」
菊菜は、ゆっくり男の車から離れて行く。
「じゃあ、良い旅を」
男がそう言った。
「バイ」
菊菜は、手を振った。
ブロロロロオオオ・・・。
男の車は、猛スピードで走って行った。
「な、何なの?仮装?怪物?く、蜘蛛男?」
菊菜は、そのままヘナヘナと腰を下ろして、動けなくなった。
「ああ、水が無くなっちゃった」
車を待つ間に、水やジュースを飲み干してしまった。一時間ほど経っても、全く車がやってこない。
「何だろう、あれは?」
前方の片側の道の遠くに、黒い影が見え、菊菜の方に向かって進んできているようだった。
「な、何なの?」
しばらく見ていると、黒いガウンを羽織った男たち(たぶん)が、奇麗に四列になり、同じ動きをしながらやってくる。
「君が悪いわ」
菊菜は、後ずさりする。
「とりあえず向こうへ行こう」
その行列に巻き込まれないように、後方の二つの道の方へ向かった。
「えっ!」
後方の二つの道からも、黒いガウンを羽織った男たちの行進がやって来ていた。
「ど、どうしよう!?」
アタフタする菊菜。
「こ、こっちしかない!」
菊菜は、前方の分かれ道の、行列の来ない方の道を走った。
「はあ、はあ」
マラソンの選手でもない菊菜は、すぐに息切れしてしまう。
「はあ、はあ、もう見えなくなったかな?」
振り向くと、あの地点から、まだ数百メートル来ただけだった。
「あ、ぶつかる!」
三方向からやって来た黒い行列が、菊菜の乗って来た車の所までやって来て、鉢合わせになるところだった。
「え、どうして?」
その行列は、規則正しく合流して、菊菜の逃げて来た道へと向きを変えていた。
「こっちへ来ちゃうの?」
菊菜は、また逃げるように走った。
「はあ、はあ、喉が渇いた・・・」
もう走ると言うよりも、フラフラと前に身体が倒れそうだから、その勢いで前に進んでいるだけだった。
「どうして?走ってるわけでもないのに、なぜ追いついてきちゃうの?」
黒い行列は、確実に一歩一歩菊菜に向かって進んで来る。
「何人いるの?」
車の所には、もう残り少なく、曲がって行進している団体は、およそ千人程であろうか。
「何か持ってる!」
黒い行列は、長い光るものを二本持ち、頭の上で振りながら進んでいる。
「ひょっとして、剣?」
恐怖心を感じる菊菜は、とにかく追いつかれないように走った。
「はあ、はあ、疲れた、もうダメ!」
菊菜は、道路に寝転がり、大の字になった。
「ふう、ふう、ああ、こんな異国の地で、訳もわからない人たちに殺されちゃうのかなあ・・・」
菊菜は、涙が出て来た。
「帰りたいよう・・・」
菊菜は、ゆっくり起き上がり、今度は無言で走り始めた。と言うより、ヨロヨロ前に進んだ。
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ!
行列の足音が大きくなって来た。
「はあ、はあ、はあ・・・」
菊菜は、振り向かずに進んだ。
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ!
「どうして?私は走ってるのに、どうして、歩いてる人に追いつかれちゃうの?」
乾燥しているこの地では、涙もすぐに乾いてしまった。
「暑い・・・」
汗を拭う菊菜。
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ!
もう数メートル後ろまでやってきている気配がした。
「もう駄目だ。殺されちゃう」
シャキーン、シャキーン!
規則正しく足音と、持っている剣と剣が当たる音が、すぐ後ろで聞こえる。
「助けて、助けて・・・」
手を伸ばし、前を見てよろよろと歩く菊菜。
ブルルルルン!
「あ・・・」
前方から、黄色いバイクがやって来た。
「た、助けて!」
ブルルルルン!
手を伸ばす菊菜の横を、すんなり通り過ぎてしまったバイク。
キイイイッ!ブルルルルルン!
黄色いバイクは、黒い行列の前で停まり、すぐに向きを変えて戻って来た。
ブルルルルル。
「乗るかい?」
バイクの男が言った。
「の、乗せてください」
意識も朦朧としていた菊菜は、藁にもすがる思いで、バイクの後ろに跨り、男の腰に手を回した。
ブロロロロロン!
バイクは、行列に追いつかれる間際に、走り出した。
「た、助かった。ありがと・・・」
目を開けて見ると、男の胴体には、黄色と黒の縞模様があり、毛深かった。
「もう少し行ったら、君は、僕の餌だ!」
走りながら男が言った。
「な、何?」
チクッ!
「痛い!」
お腹に何かが刺さった。
「は、蜂?」
男のお尻から、太い針が飛び出した。男は、蜂男だったのだ。
「きゃっ!」
思わず手を離した菊菜は、バイクから転げ落ち、道路に数回転回って止まった。
「何なの、ここは!?」
道路に横たわり、走り去って行くバイクを見つめた。
「痛いよお・・・」
身体のあちこちを打って、怪我もしてしまった。少し行列からは離れたものの、もう逃げる力が無かった。
「こんな所へ来なけりゃ良かった・・・」
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ!
また行列の足音が、菊菜に近づいて来た。
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ!
「もう駄目だ・・・」
覚悟を決めた菊菜は、立ち上がった。
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ!
シャキーン、シャキーン!
剣の音も、もうすぐ後ろで聞こえた。
「あがっ!」
菊菜は、剣で斬られたのを感じた。
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ!
シャキーン、シャキーン!
「あが、が、が・・・」
空を見上げながら、自分の最後を受け入れていた菊菜。
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ!
シャキーン、シャキーン!
「あ、あ、あ・・・」
菊菜は、しだいに自分が、千人程の黒いガウンの男たちに、切り刻まれて、小さくなっていくのを感じていた。
「終わった、私の人生・・・」
自分の一部が、道路に転がっている。
「えっ?」
今度は、自分が動き出したのを感じた。
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ!
黒い行列と一緒に、切り刻まれた自分の一部も、移動している。
「そうか、運ばれているんだ」
隣を見ると、自分の肉片が運ばれている。
「どうして意識があるの?」
菊菜は、切り刻まれ、解体された自分が、バラバラのまま行列に運ばれているのに、意識があることが不思議だった。
「死んでも、こんなふうに、意識があったりするのかなあ?」
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ!
黒い行列は、道路から外れて、土の大地を進んで行く。
「私が運ばれている・・・」
行列のそれぞれの頭の上に、バラバラになった菊菜の一部が、乗っかって進んでいる。その光景を見て、菊菜は、ハッと気づく。
「蟻の行列?」
どれくらい経っただろう、やがて行列の前に、大きな土山が現れ、その山の暗い洞窟の中に、行列は入って行った。
トントン。
車の窓がノックされた。
「あ、はい・・・」
居眠っていた菊菜は、その音に気づき、シートから起き上がると、窓の外を見た。
「故障かい?」
警官だった。
「帰りたいです!日本へ帰りたいです!」
そう言って、身体を乗り出し、警官に泣いて訴えた。
「な、何なんだお前は!?」
警官が菊菜の顔を見て、青くなった。
「家に帰りたいです!」
そう言って、開いた窓に手をかけていた警官の、その手を掴んだ。
「は、離せ!離さないと撃つぞ!」
警官は、ピストルを握った。
「ヘルプミー!」
帰りたい一心で警官の手を離さなかった菊菜。
パンッ!
「きゃっ!」
カンッ!
「うt!」
警官が放った銃弾が、菊菜の黒い頭に跳ね返され、警官の肩に当たった。
「だ、誰か助けてくれ!」
警官は、肩を押さえながらパトロールカーに戻る。
「な、何だあれは!?」
パトロールカーの向こうに、黒いガウンを羽織った行列が向かって来ていた。
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ!
ギュルルン、ギュルルン!
「動いてくれ!」
車に乗ってエンジンをかけるが、こんな時に限って動かない。
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ!
シャキーン、シャキーン!
「うわ、うわああああ・・・」
黒い行列が、すぐにパトロールカーを囲んだ。
菊菜は、その様子を、自分の車の中で見ていた。
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ!
黒い集団の一部が、菊菜の車の方にもやって来た。
「女王様、お帰りの時間です」
何人かが、菊菜を車から引っ張り出し、背中の上に担いだ。
「帰りたいよおおお・・・」
背中に羽の生えた黒い身体の菊菜は、車の中にあった無数の卵と共に運ばれて行く。
「ああ、ごめんなさい・・・」
パトロールカーの横を通ると、警官が解体されてしまっていた。何となく罪の意識を感じる菊菜。
「帰りたいよおおお・・・」
行列は、いつものルートを通って、土山の洞窟へと消えて行った・・・。