9話 おっさん、お姫様だっこ
「ちょっ、そんな事までしなくても……」
俺に土下座されたヒカリンは少しの動揺を見せた。
「き、気持ちは受け取ったから。じゃあ回復するね。『無限の音寵』……『二次元譜な回帰録』」
そう言って彼女はまたもや不思議なリズム調の音楽を口ずさむ。
「まるっと入れ替え、崩壊まわして快方に♪ 改善まわして全快に♪」
するとみるみるうちにクレアさんの浅かった呼吸は深くなり、苦しそうに悶えていた表情も安らかになった。
どうやらヒカリンが何かして、クレアさんの容体が劇的に回復した事がわかった。
「よかった、よかったよ……クレアさん……」
「ア……ア、アシェリートさ、ま?」
そこで俺は思わず抱きついてしまっていた。すぐにセクハラになりかねない行為を自粛すべく、慌てて身体を離す。
「クレアさんが無事でよかった」
「アシェリート様が、わたしを……助けて下さったのですか?」
「いや、この人に頼んで助けてもらった」
「まったく、おじっ……君が必死に言い募るからだよー」
クレアさんはヒカリンと俺の顔を何度も見返し、その後じっと俺を見つめて朗らかに笑った。
そして女児騎士は、戸惑いながらも俺の頭をそっと撫で始めた。
「ありがとうございます。その、ア、アシェリート様も無事で何よりです」
女児騎士の笑顔は、守りたい者を守り切った者にふさわしく誇らしいものだった。頬を朱に染めて、ぽりぽりと鼻の頭をかいている仕草が歳相応で、少しだけ可愛らしいと思ってしまう。
それから俺は率先して味方の負傷者や生存者がいないか探していった。
正直に言えば死にかけの敵兵も救いたかったが、精神的にも物理的にもそんな余裕は持ち得てなかった。
とにかく、一刻も早くこの血塗れた地から離れたくて、無我夢中で怪我人を救護テントへヒカリンと共に運んでいった。
「おい見ろよ」
「スタインのブタ王子が……負傷兵を助けてるぜ」
「あんな必死に……お貴族様じゃなかったのか?」
「ちぃ。あんな坊っちゃんがやってんだ。俺らも手伝うぞ」
軍全体の指揮はクレアさんが受け持ってくれた。負傷者であるロリエルフさんに指揮を任せるのは少し心苦しいけど、軍内部の詳しい編成を把握してない俺よりもクレアさんの方が適任なはずだ。
だから俺は一人でも多くの兵士を救おうと決めていた。視聴者からは『負傷兵を抱え込むと軍の負担が増える』『行軍速度が下がる』などのデメリットも上げられたけど、目の前で命を落とそうとしている人間を見捨てるなんて簡単にできない。それにまた敵が襲ってこないとも限らないし、少しでも安全を確保するためにも自分の所属する軍の兵数は多くしておきたい。今、傷を負って倒れている一人の兵士が俺を守る盾になるのだから。
そんな打算的な計算が働き、俺は全力で赤い血をこぼす兵士達を担ぐ。
応急処置の施し方は、視聴者のアドバイスを参考にした。
救えなかった、手遅れだった兵士も少なくはなかったが、歯を食いしばって傷に呻く兵士を黙々と搬送してゆく。
「まさか……役立たずで傲慢、タダ飯喰らいと言われたスタインのブタ王子がここまで活躍するとはな」
「見なおしたぜ、アシェリート様」
手伝ってくれた荒くれ者たちが、声を上げて肩を叩いてくる。
「がははは、今夜は酒が美味くなりそうだ」
「よかったら、一緒に一杯どうですか」
「安酒ですがぁ、勝利の美酒といきましょうや」
「スタイン家の名に恥じぬ、いい初陣でしたぜ。アシェリート様」
そんな男衆にガシッと肩を組まれれば、鼻にくる汗臭さはあったけど不快感はなかった。むしろ一緒にこの地獄を乗り越えた連帯感のようなものが芽生えていて、不思議と口元は緩んでしまう。
部活動でのチームワークの果てに得た勝利、仕事で同僚との連携で獲得した達成感。それにも勝る、死地を共にしたという仲間意識が俺を笑顔にさせたのだ。
正直に言うと飲みたい。
キンキンに冷えたビールをグッと飲みほして、乾いた喉を潤したらどんなに爽快だろうか。労働の後の疲れた身体を癒すには酒一択と決まっているだろう。
それにこんな戦場でどんな酒が飲めるのかも気になってしまったし。
「いいな。一杯どころか、二杯でも三杯でも飲みたい気分だ」
多大なストレスと緊張、プレッシャーについ解放感を求めて兵士達に本心をもらしてしまう。
「おおう! お堅い貴族様とは大違いだぜ」
「おおう! 気取った貴族と違ってアシェリート様はイケる口か!」
「こりゃあ、ちっちぇえくせに、肝っ玉も腹の脂肪具合もいっちょまえ以上だぜ!」
「うおおおお!」
兵士達が盛り上がりを見せ始めると、すぐにクレアさんが仏頂面で現れた。
「こら、無礼だぞ貴様ら」
「「「申し訳ありません!」」」
彼女はそそくさと、兵達から俺を引きはがしてしまう。
兵士達もクレアさんには一目置いているのか、さっさと引き下がってしまう有様だ。傍から見てて、幼女に大人が顎先でこき使われているようにしか見えない。
「アシェリート様も悪ふざけはよしてください。飲酒は14歳になってからですよ」
俺……中身は35歳なんだけどなぁ。
でも、今のこの身体に酒は毒か……。
「もうすぐ日が暮れます。負傷兵への看護活動はもう我々にお任せください。小豚であるアシェリート様には本日の戦闘は厳しいものがあったでしょう。どうか、こちらの天幕でお休みになってください。ひとまずはここに陣を敷き、一晩明けたらすぐにスタイン城へ帰還します」
心なしかクレアさんの態度が軟化している。
戦闘中は事あるごとに苛立ちや侮蔑のこもる眼差しを俺に向けてきていたのに、今はなんというかちょっと穏やかな感じだ。
『つまり、好感度システムであるな』
『女児騎士の様子が、命を助けたあたりから柔らかくなりましたよね』
『恋愛要素とかもあったりするのか?』
『攻略対象か。ありだな!』
視聴者の声を聞きつつ、ヒカリンも伴って天幕の前へと案内される。クレアさんは、まだ色々とやる事があるらしくすぐにどこかへ行ってしまったので、俺とヒカリンの二人きりになってしまう。
このまま女子高生と一緒に天幕に入るのもちょっと気が引けるので、どうするべきか。
「ふぅー。ようやく落ち着いて話せるね?」
「あぁ、なんだか助けてもらった上に色々と手伝わせちゃって申し訳ない」
「ほんとだよー、人の話も聞かずにどんどん怪我人を助け出そうとするんだもん」
仕方がないだろう。目の前に死にそうな人がいるなら、助けるべきだろう。それが将来、俺の身を守る軍隊の一人となるならば、なおさらだ。
だけど、やっぱり無理をしていたのだろうか。
安心しきった途端、足腰が震えてその場で尻持ちをついてしまった。
「疲れた……」
恰好のつかない自分をごまかすようにして呟く。
「お疲れ様、おじさん」
自分の赤に染まった両手を見て思う。
生き残った俺達を照らす深紅の夕焼けを見て思う。
ずいぶんと遠くまで来てしまったんだなと。
一体ここはどこなんだ?
「日本にいたのに、いきなり剣と魔法のファンタジーな異世界に来ちゃうなんて誰でも驚いちゃうよ。大天才である私だって最初は途方にくれちゃったし」
「その口ぶりじゃあ……他のユーチューバーさんもここに?」
「うんうん、日本の有名ユーチューバーは深夜0時を回ると、この異世界に飛ばされちゃうんだよ」
有名ユーチューバー……俺はチャンネル規模3000人の弱小ユーチューバーなのだが。
「一部のユーチューバーの意見だと幽精界体がどうのーって話になってるけど。0時になったら魔法が解けるんじゃなくて、魔法にかかっちゃうとか、シンデレラの逆って感じ?」
普通に異世界って呼んでるけど、そもそもこの世界って何?
それと本当にヒカリンは、日本でユーチューボやってるヒカリンなのか?
「私たちが現時点でわかっている事を、キミにくまなく話す。それが新調律者に最も近くにいた、最有力者の務めでもあるの」
たくさんの疑問点が浮かび上がったが、まずは落ち着いてヒカリンの話を聞こう。それからじっくりと質問をすればいいじゃないか。
「じゃあ、この世界の秘密を……『ユーチューボ界の闇』について今から語るとしよう」
そう言って彼女は俺の手を取り、抱きかかえる。
「うぇっ!?」
「一見は百聞にならず、だよ。おじさん」
「アシェリート様!?」
「ちょっとの間、御子息様を借りてくよ~。心配しないでー」
護衛についていた兵士たちも『黄の冠位者』様が言うならば、と呆気にとられながらも納得してしまった。
俺は彼女の腕の中で、まさかこの歳になって女子高生にお姫様だっこされる日が来るとは想像もしていなかった訳で、思わず放心状態だ。
「『三次元譜な能力改変』――踏んで、跳んで、浮んでッ♪」
彼女が不思議な文言を吐けば、俺達は暮れなずむ空の彼方へと飛翔し始めた。
ヒカリンは宙空を散歩でもするかのように、その足が踏み込む度に浮かびあがって行くのだ。
ここまで本当に訳のわからない状況続きだが……頬打つ風は心地よく、雄大に広がる大地に差し込む茜色は絶景で、空を飛ぶのは爽快だった。
『ヒカリンとおっさん兄貴の夢のコラボ!? 笑』
『唐突に始まるイベント、ヒカリンとの空中ランデブー』
『女子高生と空中散歩とかwwww しかもおっさんの方がお姫様だっこされてるww』
『これはこれで需要があります。姉ショタは尊イイ!』
視聴者がはやし立てるのも無理はない。
片やチャンネル登録者3000人の小物。
片やチャンネル登録者600万人以上の超大物。
そんな俺とヒカリンの、おっさんと女子高生による夢の対談が始まろうとしているのだから。
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