18話 自己創造の化身
妹が失踪したと知って、すぐに警察に連絡を入れた。
もちろん『ユーチューボ界の闇』なんて内容は話していない。自分の身に起きた事をあらいざらい吐きたかったが……なんとしても、どんな手段を活用しても、妹を取り戻したくて、発狂しそうになる気持ちを死に物狂いで抑えた。
なるべく冷静に、正確な状況を警察に述べていきながら、少しでも手掛かりがないか自分自身で確認していった。午前中いっぱい警察とやり取りをし終えた感想は、とても丁寧な対応ではあったけど正直あてにはできない。
「捜索届けは受理されたが……」
芽瑠が夜中に家を自ら出て、どこかへ行くなんてありえない。かといって誰かが自宅に忍び込み、芽瑠をさらったとも考えにくい。人が入り込んだ形跡は一切なかったのだ。
「考えられる可能性はだた一つ……」
警察に事情や状況を説明すればするほど、それしかないと確信できた。
どうして俺は失念していたのだろうか。
俺があの世界にいたのならば、同じユーチューバーである芽瑠もあの世界にいたのだ。そして……失踪したという事は……ヒカリンの説明を信じるならば……。
…………ふざけるな。
俺の妹が『ユーチューボ界の闇』で死んだ?
芽瑠が消失してしまった?
そんなものは到底信じ切れなかった。
受け入れられるはずがない。
芽瑠はどこに、どこへ行ってしまった?
「俺達が何をした!? どうして芽瑠が、死ななきゃいけない!?」
あの子は生まれながらに苦労が絶えなかった。
いつも寂しそうに何かを我慢し、何かを悟ったように踏ん張り続けていた。自由に歩けない足と向き合い、他人と自分の差を痛感しながら耐え忍んできた女の子が、小さな幸せを胸にただひっそりと善良に生きてきただけなのに。
「死んでいいはずがない。どこかにいるはずだ……俺が探し出す」
アルバイトの派遣など行ってられるか。
休む報告と事情は朝一番に連絡をしたが、派遣会社から何件もの電話が入っていた。ドタキャンをしてしまった事は申し訳ないと思うが、事態が事態なのだ。どうせ、出勤しろとの仰せだろうから意図的に無視し、俺は家から飛び出した。
芽瑠を探しだすための写真を印刷し、この子を見かけたらすぐに連絡してくださいと書いた紙をそこかしこに張り出していく。
ただただ、走り続けた。
狂いそうになる自分を抑えて、芽瑠がどこにいるのかをひたすら探し続けた。
「あぁ、すみません」
不意に通行者と肩がぶつかってしまい、俺は気もそぞろに謝る。
衝突の衝撃で、芽瑠の捜索紙が何枚かこぼれおちてしまった。それを拾おうとした刹那、肩にかけておいた鞄が一人で動き出した。
いや、ぶつかった相手が俺の鞄をひったくったのだ、中身の財布ごと。
「ま、待てっ!」
すぐに追いかけようとしたが、それはできなかった。道端に落ちた芽瑠の顔が、俺の何よりも大切な妹を放置する事などできなかった。落とした写真を一枚残らず拾い上げた後、俺は犯人を追いかける。その時には既にひったくり犯の背はだいぶ小さくなってしまっていた。
「誰か! その男を捕まえてっくれっ! 誰かッ」
周囲の人々に必死に呼びかけるが……何事かと驚くものの、遠巻きで見送るばかり。
案外に冷淡だな……いや、こんなものか。
誰だって面倒事には巻き込まれたくないよな。
「はっ、はっ、まてぇ……」
追いかけるのも限界が来てしまう。
元々走りまわりながら、芽瑠の捜索願いの張り紙を着けていた俺の体力はとうに尽き、とてもじゃないが犯人を捕まえる事はできなかった。
「おうぇっ……」
胃から込み上げる不快感も我慢できず、道端で嘔吐してしまう。
流れ出るモノは何も口からではなかった。両目から滴る雫が冷たいコンクリートに落ちるのを無言で眺め、思う。
俺にもっと体力があって。もっと早く走れて……長距離なんて楽に移動できたら……。
あんな奴は捕まえられたろうに。
ちきしょう……。
どん底に落とされた気分だった。
すっかり色の失った世界を這いずるように、俺は帰路に着いた。
芽瑠のいない家へ。
◇
「おう、元気だったか?」
「ははは……それを今聞くのか? 貴也」
中学時代からの旧友、太田貴也から連絡がきたのは財布と鞄を失ってトボトボと帰路につく最中だった。妹がいなくなった事を貴也に話すと心配してくれたのか、わざわざ仕事帰りに会いに来てくれたのだ。
嫁さんもいて二児の父である貴也が、直帰しないのは珍しい。
「お前がそこまで元気がないのは、大学時代に人生初の彼女に逃げられた時だったか?」
「やめろよ、こんな時に傷をえぐり出すとか酷い奴だな」
「そんな酷い奴に、金を貸してくれって頼み込んできたのは誰だったか?」
大金を貸した途端に会えなくなった大学時代の彼女。彼女のために50万を闇金融から借りた俺は度重なる利子に苦しみ、学費を出してもらっている親にも相談できず、貴也に相談した。
女に騙された俺が悪い。しっかりと彼女を見極めなかった俺が悪い。親に言えない小心者の俺が不甲斐ない。
そんなだらしない俺に、貴也はただ肩を組んでくれた。
肩を貸してくれた。
金を貸してくれた。
こんな馬鹿な俺に、返せる保証のない男に、信用なんできない野郎に、何の嫌味もなく30万を貸してくれた。
貴也から借りたお金のおかげで、俺は借金を返済し終える事ができたのだ。
「お前だよ、貴也。どうせ今日も俺を救ってくれるんだろ?」
「からかいに来ただけだ。ほらビール買って来てやったから、あがらせろ」
なぐさめに来たんだろうが。
相変わらずだな。
貴也の屈託ない笑みが、俺の荒みきった心をほんの少しだけ洗ってくれた気がした。
「今はとても飲める気分じゃないが……来てくれてありがとな、あがってくれ」
◇
「本当にいないのな、芽瑠ちゃん……」
「あぁ、いない」
「そうか……」
プシュッと室内に虚しく響く音。
貴也がビールの缶を開け、無言で飲み始めた。
それから俺達はしばらく互いに会話をせずに、つまみを口へと入れていく。
「見える世界の色が、がらりと変わっちまっただろう」
芽瑠が消えて、灰色になった世界。大事なモノを失うってこういう感覚なんだなと、両親がいなくなった時も痛感したけれど……芽瑠の場合は一層それが深いように思えた。
その感覚を表す言葉が、貴也の口から出た事には少しだけ驚いてしまう。
貴也は高給取りの正社員で、綺麗な奥さんもいる。可愛らしい子共も二人いて、そんな幸せの絶頂期を謳歌していそうな旦那様が何を言いだすのか。
「なんだよ、貴也。お前にわかるのか?」
「あぁ、わかる……何かあったら俺が力になるから、何でも言ってくれ。芽瑠ちゃんの事も、捜索するんだろう? できる限りの事は協力するぜ」
「どうしてお前はそこまで……」
純粋に親友が心配してくれる事に胸が熱くなる。
「俺は貴也にお世話になりっぱなしで、何もできていないのに……」
同時にちょっとした劣等感も芽生えてしまう。
「俺も、世界の色を失った事がある」
「貴也も?」
「あぁ。中学の時、体育の授業の後でクラス全員の給食費がなくなった事件あったろ。あの時、唯一体育の授業を休んでた俺が一番に疑われたのを覚えてるか?」
あぁ……そんなような事もあったな。
結局その時は、全員の鞄の中身をひっくり返しても見つからなくて、犯人は分からずじまい。後に近隣の中学校でも同じ事が起きて、給食費を狙って学校に侵入した犯人が警察に掴まったって報道されたっけ。
「あの時、お前だけは俺が犯人じゃないって信じてくれたよな。いつもつるんでた奴らが疑念の目を向けて、仲良くしてた女子共が冷たい態度を取ってきて……あの時、たしかに俺は色のなくなった世界を見てた。こんなにも簡単に人間ってのは変わっちまうもんなんだな、と」
貴也は真犯人がはっきりするまで、クラスの奴らに軽くハブられていた。
だが、俺はどうしても日頃から馬鹿正直な貴也がそんな犯行に及ぶと思えなくて、何かの間違いだろうと周囲に言い回っていたな。
「あの時、俺にとって色づいて見えたのはお前だけだった」
貴也はグッとビールをあおり、二缶目に口をつける。
「そんでよー、お前の抱えてる問題と比べたら軽いんだけどよ。俺も実は、また一つ大事な色を失っちまってな」
大きな溜息と共に、貴也は下を向き始める。
どん底に落とされた俺が思うのもなんだが、親友のそんな姿は酷く惨めに映った。力なく垂れた両肩からは覇気はなく、表情はひどく暗い。
「妻が若い男と浮気してんだよなぁ……死にたいわ」
ただ一点をジッと見つめ、何かに耐えるように貴也は眉間にしわを寄せ、感情の窺い知れない顔で衝撃的な家庭事情を暴露してきた。
「結局、お前をなぐさめに来たとか言ってるけど、俺も愚痴を言いに来ただけなんだよ」
ふぅ、とビール缶をおろす貴也。
そんな憔悴しきった親友の姿を見て、ご縁の神様とやらは一体何をしているのだろうかと不満を抱かずにはいられなかった。こんなにも真面目な奴を裏切る奥さんなんて……。もし俺に、人と人との縁を結ぶ力があったなら、その未来を覗ける能力があったなら、絶対に貴也と奥さんを惹き合わせたりはしなかっただろう……。
「わりいな。親友が困ってるときに、俺がこんなんでよ。だから、少しぐらいは芽瑠ちゃんの捜索の手助けをさせてくれ」
すまない、と呟く貴也。
こちらこそ自分の事ばかりに気持ちが手一杯になってしまって、すまないと思う。
「貴也……俺に何かできる事ってあるか?」
「今日だけは飲ませてくれ」
「好きなだけ……飲めよ」
どうしようもなく最悪な気分なのだと、互いにカラ元気で笑い合った。
◇
「どうすればいいんだ、俺」
「どうすればいいか……俺だってわからねえよ」
俺の問いに貴也は酒を飲むペースを上げながら答える。
結局、俺も貴也と一緒になってビールをぐっと飲んでいた。正直、酒に頼らなければ、やってられない心境になってしまった。
「なぁ、お前の大事なもんって何だ?」
貴也が涙ぐみながら質問してきた。
「俺にはもう、子供達しかいない。お前も同じで芽瑠ちゃんだけだろ?」
あぁ、そうだった。
あとは親友のお前ぐらいだよ。
「なら、やれる事をやれよ。俺は子供たちのために金を稼ぐ。子供達が大好きな母親を消したくないから、離婚もしないし黙って耐え忍ぶ」
ほんと現実なんて無理ゲー、だよな。
お前のその決断は苦行そのもので、家庭に何食わぬ顔して裏切り者がいるその日常に俺だったら耐えきれない。
俺にしたって、芽瑠はいくら願っても帰って来ないだろう。
「ちきしょう……ふざけんなよ、ちきしょう」
理不尽すぎる。
「毎日毎日汗水たらして、ストレス抱えて家族のために仕事をしてるっていうのに……どうしてこうなっちまうんだ」
あぁ、俺にもどうしてこうなってしまったのかわからない。
だが貴也の決意にあてられ、俺もまた一つの決断を下す。
「やる事は決まった。辛いだろうけど、お互いがんばろう」
苦しんでるのはお前一人じゃない。
俺がいるし、貴也がいる。
「貴也。おまえ、すごくかっこいいよ」
貴也は現実としっかり向き合って、辛いけれど自分なりに前を向いて選択した。俺だってやらなければならない。
「ほんと、すごくかっこいい」
男泣きを続ける貴也を見つめ、俺は誓う。
そうだ。
他人任せにしてなるものか。
『ユーチューボ界の闇』に関する秘密、謎、芽瑠に繋がる手掛かりに少しでも近づけるなら、その全てを俺があばく。
そして、愛する家族を奪われた報復は必ず果たしてやる。
芽瑠を殺めた奴に、死よりも凄惨でむごたらしい復讐をしてやろう。
◇
気付けばクレアさんが裸で傍にいて、ヒカリンが立ち去る間際。
スタイン城での一室、俺が現実に戻る瞬間からのシーンで意識は異世界へと戻った。
本当に1秒もこっちでは時間の経っていない事に驚きつつ、全裸で俺に迫りくる女児騎士の肩をそっと押し返す。
「クレアさん、服を着てくれ」
「ア、アシェリート様……ですが私は……」
俺は彼女を強く睨み、黙って先を促す。
さっさと服を着ろと。今は心底、そんな気分ではないと。
視聴者たちの声は聞こえない。
宙に浮かぶスマホを手に取り、ユーチューボチャンネルを開けばいつでも配信できるようになっていた。しかし、肝心の配信決定をタップしても反応はない。
となると、やはり俺の能力で配信開始をするしかないようだ。
4時間だけという制限がある以上、むやみに視聴者たちを頼るわけにもいかないし、ヒカリン曰く他のユーチューバーに自分の状況を安易に見せるのは危ないらしい。
これからは慎重に『幻想界への架け橋』を発動しなければ、と思い至る。
まずは芽瑠の手がかりが欲しいので、ヒカリンのところへ話を聞きにいこうとすると……脳内で機械的な音が響く。
:『自己創造の化身』より『体力増強Lv1』と『俊足』、『転移』、『真を見る心眼』を習得しました:
ふぅん?
呆けるクレアさんを完全にスルーして、俺は唐突に手に入った能力をすぐに試してみようとする。
『体力増強Lv1』に発動という概念はなかった。
どうやら常に体力が強化されているようだ。
そして『俊足』とやらは、単に走るスピードが速くなるというものだった。
なるほど、アシェリートの小豚体型にしては異様な程に素早い走りだ。幸いにしてアシェリートの部屋は貴族なだけあって、多少の広さを持っている。おかげで十分に自分の今の足の速さを試す事ができた。ちなみに疲れは感じない。
「アシェリート様? なぜ室内を駆け回っているのでしょうか?」
次に『転移』を試しに使用してみると、自分の念じた場所へ一瞬で移動する事ができた。移動の距離によって消費される魔力の増減数が変わる事もわかった。ベッドの端への移動は微々たるものだが、部屋の隅だと魔力が多少減った事を感じる。
「あの、アシェリート様……今、なにをなさいましたか?」
最後に『真を見る心眼』を発動し、『転移』を目撃して口をパクパクさせているクレアさんを見れば、なぜか現総理大臣の姿が重なるようにして俺の目に映った。彼女は日本では初の女性総理大臣として就任し、今話題となっている人物だ。50代半ばにさしかかってはいるが、潔いリーダーシップに国民から大きな支持を得ている。
一体このビジョンは何だ?
なぜ日本の現総理大臣とクレアさんがダブって見える?
これは……もしかすると、クレアさんと現実世界で繋がっている人物の顔がわかる類のスキルか?
思いつく限り思案した結果、俺の頭ではそれぐらいの予測しかできなかった。
しかし何故、こうも立て続けに四つの能力を手に入れたのか謎だ。
体力増強、俊足、転移に心眼、どれも優れた能力であり俺の欲した事のある……待てよ。そういえば、この『ユーチューボ界の闇』に初めて来る前、俺は何を願って現実で意識を失った?
妹の芽瑠がもっとチャンネル登録者を欲しいと言い、その願いを叶えるために俺は……酒と悔しさに溺れながら、もっと視聴者たちと繋がれたらと思い、自分の実力不足を嘆きながら寝落ちした。
そうか。
わかったぞ。
これが俺の能力か。
『自己創造の化身』、なんて悪趣味なスキルだ。絶望のなか、視聴者と繋がりたいと願い、『ユーチューボ界の闇』と現実を繋ぐ生配信ができた。絶望のなか、足がもっと早ければ、移動が一瞬で可能ならばと願い、俊足と転移を手に入れた。絶望のなか、人と人との縁を結ぶ力があればと願い、心眼を獲得した。
復讐を果たすには使い勝手のいい能力だと笑む。
現実で絶望を味わった際、願った事柄に関連した能力が開花します。
おっさんの最強が始まります。
能力の幅は未知数ですが限界はあります。
※死人を生き返らすなど