10話 おっさんと異世界のルール
「見て、この世界を」
俺を抱きながら空を駆ける彼女は、地平の彼方を指指す。
夕焼けで紅に染まるはずの夜との境界線は、いつの間にか様々な色に彩られ、まるで七色の宝石が輝くカーテンがなびいているように見えた。
「『虹穹の果て』と言われてるの。あれが出ると七聖天啓がなされる予兆だと囁かれ、ここのところ毎日でてるんだぁ」
よくわからないが、オーロラみたいのが日常茶飯事で発生するのは不思議すぎる。特殊な気候地帯なのだろうか……。
次に目についたのは、この距離からでも窺えるほどの巨大な生物の骨だ。それは山程の規模であり、しかも竜を象っていた。
いたるとこに何かがこびりついていて……あれは建物なのか? 頂上である背骨部分には城にも見えるような立派な建築物が鎮座している。
「あれは古竜の残骸よ。今もあの骨には強い魔力が宿り、それを利用してる竜人族の街があるの。『竜骨街エルーン』だったかな」
あんな迫力のある街は地球のどこにもない、と確証が持てる。
「あっちは海。明日にはおじさんが帰る『交易城都シュバルツ・スタイン』も見えるね」
海洋都市と城塞都市の二つの機能を持っている、と言えばいいのだろうか。
海に接した部分は街であり、そこから陸へと建築群が広がる度に高い高い城壁が設けられている。中心には立派な城が鎮座していて、都市の盛況さと偉大さを物語っていた。
しかし驚くべき点は城ではない。交易城都が隣接しているすぐ傍の海からは、一本の柱が天に向かって延びているのだ。水が竜巻のように、渦のようにうねりながら天へと昇っているのだ。あれは間違いなく海水であって、石材や木材で生成された塔ではない。
「あの水柱こそスタイン家が誇る、海の娘メディアーナ神の加護ね。荒き息吹を支配する嵐の娘、とも呼ばれているわ。あの水柱のおかげで君のハッシュトスタイン家は小国ながらも独立を保てているし、栄えある拝命六皇貴族の末席に名を連ねていられるの」
神と貴族……。
説明を聞いていく度に頭が混乱していく。
「完全なるファンタジーでしょ? 綺麗だよね」
この風景を一緒に眺めている視聴者から賛同するコメントが乱立しているように、俺はヒカリンにゆっくりと頷きかける。
「でもこの異世界は現実世界と繋がってるの」
「う、ん?」
「まずね、星座の位置が地球と同じ」
群青の空にはかすかであるが、星々が瞬き始めている。星座の位置なんて詳しくないけども、きっとそうなんだろうか。
「言語も日本語だったでしょ?」
確かに……。
「それに私たちの存在」
そう言ってヒカリンは自身の胸にソッと手を当てた。
「ちょうど1年前かな、この異世界が認識されるようになったのは。私達みたいな大手のユーチューバーは、深夜0時を回ると現実世界で強制的に寝ちゃうの。そして気付けばこの異世界にいるの。0時に魔法が解けるんじゃなくて魔法にかかっちゃうとか、おかしいよね。逆シンデレラ? だからここは『失われた幻想世界』とか『ユーチューボ界の闇』って言われてるの」
という事は……俺の本当の肉体(35歳)は今も日本の、自分の家のソファで寝てるのか。他のユーチューバーさんも同じ目にあっていて、この異世界には既に何人ものユーチューバーがいるのと。
少しだけ強張った身体がほぐれる。
前例が多くいるって事は、それなりに色々とわかっている事もあるのだろう。
「戻れます? 日本に」
「もちろん。戻れるって表現は少し違うけど、深夜4時になったら現実世界の肉体が起きるよ。でも『ユーチューボ界の闇』の方が時間の進みが早くて、だいたいこっちで1日過ごしてから現実に戻れるの。ちなみに私達の意識が日本にあるとき、こっちの異世界の時間は停止してるみたい」
「そう、ですか……」
「うん、だからおじさんと同じような人達はいるから安心して?」
安心はしたいのだが、俺とヒカリンには大きな隔たりがある。
一つ目は俺のチャンネル規模は弱小。そしてヒカリンは見た目が現実での姿そのままなのに対し、俺はこの通りぽっちゃり少年だ。
「この世界に来るユーチューバーには二種類の法則があるの。一つが『神精の取り換え子』で、おじさんみたいに異世界の人間と精神というか中身が入れ替わっちゃう現象かな」
ほ、ほう……。
単純に異世界に転移した、ではないようだ。
生まれ変わったとも違う……日本人の俺としても生きているわけだし。
「『神精の取り換え子』はね、妙な所で勘が鋭いっていうか、未来視でもしてるかのように突発的な行動が成功を導くケースもあるの。ただ、こっちの人物としての記憶が馴染むのに時間がかかるらしくって、異世界で目覚めたばかりが一番危険なんだよね」
俺の記憶、というかアシェリート・シュバルツ・ハッシュトスタインとしての記憶がないのはそういった理由なのか。これから徐々に戻ってくると……。
「混乱の渦中で命を落とすなんて珍しくないんだよね。その辺は私という大天才が助けてあげたんだから、感謝するべき」
もちろんだとも。
「もう一つのパターンは私みたいな人ね。『神精の異端者』と呼ばれてるわ。見ての通り、姿形が現実と全く同じでここにいる人達のユーチューバーね。最初の方は『転移者』って言い合ってたんだけど……神に遭遇したユーチューバーがそう言われたんだって」
「神?」
神が実在するのか。
さすが異世界だ。
「うん。とある神様が、貴様らはここにはいてはいけない者、時空を崩壊させし者、いないはずの存在『神精の異端者』なんだってさ」
「あの、質問がある」
「なに?」
「こっちに来てる他のユーチューバーのチャンネル規模って最低でも、どれぐらいです?」
「みんなそこそこ大手ばっかりだよ。少なくとも30万人はいるかな? じゃないと生き残れないし」
「30万……!?」
「うんうん、おじさんもそんなものでしょ? あとでチャンネル名教えてね」
「あ、いや……それって例外とか特例って今まであったりしました?」
「一つもないね」
「は、はい……」
どうして俺はここにいる!?
すくなくとも、あと100倍はチャンネル登録者が必要なはずなのに……。
「まっ、こんな物騒な世界だから先輩ユーチューバーが後輩くんを見つけたらなるべく面倒を見てあげよーって事になってるのね。おじさんを助けたのも、その範囲内よ。私の場合はちょこーっと事情があるけど、大天才だし、原則からはみ出てないし? 問題ないの」
相互にこの世界でユーチューバーは助け合っているのか?
「それで、ここからが重要な話だけどね。動画投稿サイト、ユーチューボにおけるチャンネル登録者の数とは……超越的な能力を持つユーチューバーの力の源であるんだ」
「んん?」
「私たちユーチューバーは、自身のチャンネル登録者数が、ここでの自分の能力値になるの」
「……は、い?」
「すなわち神にも等しい能力を持つユーチューバーを、仮に神と呼称するなら……現にこっちで神だと崇められてる存在も何人かいるけど。とにかくチャンネル登録者は、神に力を付与する信者と言えるの」
「……」
「チャンネル登録者が多い人はそれだけステータスを強くできて、逆に少ない人は弱いの。この世界じゃ生き残れないって事。おじさん、わかる?」
絶望的な説明が、ヒカリンの口から発せられた。
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