ほん怖風小話 ホテルを彷徨う少女
ほん怖風小話 ホテルを彷徨う少女
これはちょうどもうすぐ夏が訪れるというころのお話です。
私はクラブや家族との関係に悩み、大学を休んでバイトをしようと思いました。お金を稼ぐという名目もありますが、疲れた人間関係を清算したいという想いと気分転換を兼ねてのものでした。長期となると大変なので、短期でできる派遣系のバイトを探しました。そして、面接を受けることになりました。
面接とは名ばかりで、バイト歴はどうであるのかとか、どのくらいの勤務ができるかなどの質問ばかりでした。そこはホテル清掃を専門としていて、少し時給が良かったので、選んだのでした。一か月くらいで考えていたので、大変でも一か月を越えれば何とかなると思っていました。
「ちなみに、視えたりしますか?」
「え?」
突然の質問に私は訳が分からず、言葉を失ってしまいました。視えるとはどういうことなのか。
「あ、いえ。何でもありません」
そう言うと面接を担当してくださった女性は再び笑顔を張り付け直して、奥の方から書類を取り出してきました。
「現在、募集してるのが一か所しかないんです」
ホテルのリストが並び、一か所以外は赤い線が引かれていました。
「はあ」
私はひどく困ってしまいました。ここで帰れば何をしに来たのかという話になります。けれど、一か所しか募集していないというのはひどくおかしな話だと思いました。
「分かりました」
私は仕方がなく了承しましたが、そのホテルで少し気になるところがありました。一つは、時給の欄が何度も線で訂正されているのです。だんだんと高くなっていて、今では1200円となっていました。普通の額ではありません。一日最高六時間ということなので、高いのかと思いましたが、他のホテルは平均より少し高め程度です。後は、ホテルの場所でした。
「少し遠いですね」
もしかしたらこれで断れるのではないかと思いましたが、
「交通費は全額支給します」
と迫られれば、行かないわけにはいかなくなりました。
私は困ったことになったなあと思いつつ、まあ、頑張ろうと自分を奮い立たせました。
バイト初日。朝早くからホテルにつきました。私の仕事はベッドのシーツをはがして、新しいシーツに張り替える作業です。
初めは先輩と一緒に教えてもらいながら作業をすることになっていました。
「よろしくお願いします」
「……」
私は先輩のEさんに挨拶をしましたが、不愛想のまま挨拶をしてくれませんでした。そして、
「ちんたらしてるとみんなが怒られるから」
と私を嫌な気分にさせることを言ってきました。私は初日からこの職場が嫌いになりました。
私はあるフロアを任されました。そこはSフロアと言います。Sフロアにたどり着いた瞬間、私は嫌ななにかを感じました。
女性には「視えない」と言っていましたが、私は昔からはっきりとは見えないものの、何かいるとそれが何となく分かってしまいます。ホテルというのは奇妙な空間で、部屋にはきちんと窓がありますが、私たちが主に移動する廊下には一切窓はないのです。そして、微妙に見えないところで坂ができていて、それで変な気分になるのだと思いました。
「ボケっとしてないで」
Eさんにきつい口調で言われたので、私は一生懸命頑張りました。初めてなので、覚えることがたくさんあり、また夏場の暑い時なので、かなりの体力仕事でした。また、ホテルの清掃は時間勝負です。常にEさんに怒られながら、なんとか仕事を終わらせました。Eさんは初めての仕事であるというのに、出来て当たり前だという態度なので、私は常にいらいらしつつも、この仕事に向いていないのではないかと思いました。初日でやめたくなりました。
「ヘルプ行くよ」
Eさんはそう言ってべつのフロアに行ってしまいました。ヘルプとは別の階へと手助けに行くのです。この職場は常に人不足なので、六時間以上働かされることが常でした。そして、その間一切の休憩がなく、後に法律違反なのではないかという疑問が起こりましたが、それはすでに仕事を辞めてしまったあとの話でした。
私は体力がかなり限界で、それ以上に精神が壊れかけていました。初日から性格の悪い人と一緒になるのは辛いです。そんな時だからなのでしょうか。私はおかしなものを見ました。
ホテルの連なった廊下の先。その先にはシーツやらの倉庫があるのですが、その辺りに白い何かが通り過ぎました。じっくりとなんだろうかと考えると誰かがシーツの補充に来たのかもしれませんが、私にはレースのカーテンのような、もしくは、女の子の白いワンピースのようなものが見えた気がしました。
私は仕事が終わった後、早速責任者の方に電話させていただきました。
「何か視ましたか」
開口一番にそうおっしゃるので、この職場はどこか気持ちが悪いと思いました。私は何故か白い何かのことを思い出しましたがさっさと忘れて本題へと向かいます。
「シフトを少なくしてほしいのですが」
毎日は体力的に辛いというのと、Eさんと毎日顔を合わせると思うと我慢ができません。
「分かりました。まだ、何も視てないんですね」
「視てないって何がですか?」
すんなり了承されたのが気持ち悪くて、私は聞いていました。
「いえ。別に何でもありません」
私は答えてくれそうもなく、また、それほど興味がなかったので、それ以上聞くことはありませんでした。
次のバイトの日。
またもEさんと一緒で、同じSフロアでした。まだ覚えきれていないところを質問するとEさんはバカにしたように、面倒くさそうに教えてくれました。本当にいい先輩です。ぶち殺してやりたいです。
そうしてこの日も清掃が終わった時、またも、廊下の奥で白いものが横切った気がしました。Eさんは最後のベッドを仕上げているので、一体何があるのだろうと不思議に思った私は廊下の奥に行くことにしました。そこは廊下の明かりもあまり届かない場所でした。倉庫なのであまりお客様の目に触れたくないのでしょう。私は何気ない風を装い、中に入り込みます。そこはシーツだらけの部屋でここに私たちの荷物を置いていたりします。何かがこの倉庫の方に行ったのを見たんだけどな、と誰もいないことを不思議に思いながら、外に出ようとした時です。
ガランッ。
急な物音に私は飛び上がりました。何もないところで急に大きな音がしたのです。しかし、その音の正体はすぐに分かりました。ただのモップが倒れてきただけでした。
「あまり驚かさないでよ」
私はモップを再びかけ直しましたが、モップの倒れている先の、さらに奥の場所、ライトも当たらない場所に小さな木の扉を見つけました。映画などでしか見たことがない、古い西洋の真鍮のドアノブがついています。
私は無意識にそのドアノブに手を伸ばしていました。そして、その手がノブに触れる瞬間、
「トイレだよ、そこ」
いつの間にか背後にEさんがいて私を諫めるように言いました。
「ワシキ」
何を言われているのか分かりませんでしたが、ゆっくりと思い出すと、トイレの和式のことを言っているのだと分かりました。
その日はこれで終わりだったので私は帰りましたが、その間も不思議なトイレのことが頭から離れませんでした。
家に帰ってお風呂にゆっくり使ってから寝よう、などと思っていると電話がかかってきました。その電話の主を確認した瞬間、私は顔をしかめます。
「なに?ミカ」
私の友人でしたが、私が関わることを嫌になっているクラブに彼女は入っているのです。
「いや、元気かなって」
きっと私を引き戻しに来たのでしょう。なので、言います。
「私、バイト始めたから」
「え?マジ?夜中?」
「昼間。平日。」
「授業は?」
「休む」
「どこでやってんの?」
「Kってとこ」
「なんのバイト?」
私はホテルのことを言いませんでした。そこには一つしかホテルはないので、バレると面倒になると思ったのです。あと、ホテルというと誤解を招く可能性もありました。私のバイト先は普通のビジネスホテルです。
ミカは私が何も言わないのをみてとると、それ以上は聞いてきませんでした。
「でも、よくKでバイトやるよね」
「どういうこと?」
それが嫌味ではないことが私には分かっていました。ミカは地元の人間なので色々な噂に詳しいのです。
「いや、あそこさ、いい噂ないんだよね」
「治安が悪い?」
「うーん、別の悪さかな」
「どういうこと?」
「あそこさ――ザザッ――だったって――ザザッ――だから、今でも――ザザッ――」
「ごめん、電波が悪いみたい」
そして、プツンと切れました。私は大きくため息をつきます。そろそろ携帯電話を変えなければならないかもしれません。ここは電波が良好なので、おかしなところがあれば、それは電話機がおかしいのです。
私はミカの話が気になったので、また会ったときにでも聞こうと思いました。
朝礼前にTさんという方が話しかけてきました。
「あなた、Sフロア担当なんでしょう?Eさん、感じ悪いわよね」
「ええ……」
まだEさんは来ていなかったのでホッとします。
「でもあなたも大変よね。よりによってあのフロアだなんて」
「なにかあったんですか?」
そんな時、Eさんがいらっしゃったので私とTさんは黙ってしまいました。Tさんとの別れ際、「後で聞かせてください」と小さく耳打ちしました。
Eさんの仕事の正確さと速さは群を抜いていました。偉そうに言うだけの技術はあります。これで口さえよければ、文句はありませんでした。
「ねえ、あんた」
珍しく、Eさんが私に声をかけてきました。私はまた何か怒られるのかとひやひやしています。
「なんか視た?」
「え?」
Eさんからも言われて私はドキリとしました。Eさんはまじまじと私の顔を見ると、興味を無くしたように作業に戻られました。このホテルには本当になにかあるように思えてきました。
Sフロアの作業が終わり、次のフロアに行こうとカバンを持った時です。
ヴゥヴゥヴゥ。
地獄からの唸り声が聞こえたかと思いました。謎の多い倉庫にいたということもあるかもしれません。ただの携帯のバイブレーションにそこまで驚くだなんて。
着信はミカからでした。私はあまり出たくはなかったものの出ようと思いました。でも、Eさんに見られると注意されかねません。そんな時、またもこの前と同じように立てかけてあったモップが倒れました。その先にトイレがあったことを思い出し、私は携帯をもってトイレに行こうと思いつきました。流石のEさんもトイレをしていることを注意はしません。
ドアノブに手を伸ばした時、背筋がゾッとして後ろを振り向きました。誰もいません。そのことにホッとして、私はトイレに入りました。
トイレはかなり年季の入ったものでした。このホテルがいつからあるのかは分かりませんが、作られた当初から変わっていないのではないかと思えるほどです。
「なんなの、ミカ」
私は疲れ切った声でそう聞きました。
「ねえ、Kのホテルで仕事してるって本当?」
「何で知ってるの?」
「ホテルに入って行ったところを見た人がいて」
「もう関わらないでよ」
なんだか痴話げんかにも聞こえますが、ミカは同性の友達です。
「それより、聞いて。そこのホテル、ガチでヤバいの」
「え?」
最初は脅かしているのだと思いましたが、ここに来てからずっと抱いていた不信感がぶわっと噴き出したかのような感覚に襲われました。
「そこ――ザザッ――出る――ザザッ――辞めた方が――ザザッ――」
「ねえ、ミカ!ミカ!」
この時になって、これは携帯がおかしいのではないと気がつきました。そう。私は何かに邪魔をされているのです。
グゥワワワワワワワ!
「ひっ」
急に、何もしていないのに、トイレが音を立てて流れました。私は何も触っていません。何も触っていないのに!
トイレは詰まっていたのか、水が便器から流れてきました。
その水は赤い。
「ひぃ。ひぃい」
私はその場で腰を抜かしてしまいました。誰かに助けを呼ぼうとしましたが、上手く声が出ません。トイレのカギはかけていなかったので出られるはずです。でも、体が少しも動きませんでした。
私は便器を見ました。
そこから一本の白く小さな手が見えます。真っ白で、血が通っていないのがよく分かります。それはこの世のものではありませんでした。
便器の中から可愛らしい、そして背筋の凍る声が聞こえてきます。
「let’s play together.」
その声を聞いた瞬間、私の意識は急激に遠退いていきました。最後に見たのは、便器の中から現れた赤い血に濡れた金色の長い髪でした。
目を覚ました時、私は病室にいました。とても怖くて、傍に居た人に抱きついていました。
その人はいいました。
「視た、のね」
それはEさんでした。
「一体なにがどうなっているのか……」
「これをずっと持ってなさい。それともうあそこに近づいてはダメ」
Eさんは神社のお札を私に渡しました。有名な神社のお札で厄除けのお札でした。後に知ったのですが、それはかなり特別なお札だそうです。その神社で本当に霊に取り憑かれてしまった人にしか渡さないものだそうです。
「でも、バイトが」
「大丈夫」
そう言ってEさんは去っていきました。
次の日から、私は別のフロアの担当となりました。同じフロアのTさんからSフロアのことを聞きました。
このホテルは昔からここにあるのですが、それ故に、かなり外国人のお客さんが多いです。そして、何十年か前、このホテルで一人の外国人の女の子が行方不明になって帰ってこなかったそうです。ホテル中を探したのですが、見つからず、以降、時折、金髪の白いワンピース姿の少女が見かけられるようになったそうです。
「私も一度だけ見たけど、それ以降フロアを変えてもらって」
Tさんは昔話のように言っていました。私は熱中症ということで病院に運ばれたので、まさか幽霊に出くわしたなどとは言えません。
「でも、Eさんはそういうの視えない人なんだね」
私は決してそうは思いませんでした。Eさんはきっとあのトイレのことも知っています。もしかしたら、あのSフロアで何が起きたのかも知っているのかもしれません。
どうしてEさんはずっとあのフロアで作業をしているのか。今となっては分からないことです。
一か月後、私は復学しました。そして、ミカと直接会って話をしました。
「あのKってところさ、本当にかなりヤバいの」
「へぇ」
私はあまり思い出したくありませんでしたが、少し興味もありました。
「昔あそこ一体処刑場だったの。ついでに鬼門って言って、風水とかでヤバいところだから。時々幽霊を見たとか本当にあんの」
私は冗談のつもりでミカに聞きました。
「視たの?」
すると、ミカは急に顔を青くして、震え出しました。
「どうしたの?」
「ううん。大丈夫。でも、ミカ。あのホテル、本当に大丈夫だった?何か視たんでしょ」
「視たけど」
「いい」
「え?」
「言わなくていいから」
そう言ってミカは去っていってしまいました。
その日、久々にKのホテルのことを思い出して少し憂鬱でした。いつもカバンの中に入れていたお札を取り出します。
「なに、これ」
私は凍り付きました。お札は真っ黒に焼け焦げたようになっているのです。驚いた私がお札を地面に落とすと、パリンとお札は真っ二つに割れてしまいました。
私は怖くなりましたが、きっと大丈夫、と無理矢理自分を励まして、お風呂に行こうとしました。
私の部屋はユニットバスで、トイレとお風呂が一緒になっています。
私は沸かしてあった湯船を見ました。
真っ赤でした。
ズゴゴゴゴという音を立てて、私は何もしていないのにトイレがひとりでに流れました。
キィキィと音を立てて、水道の蛇口から赤い水が流れます。洗面台からは溢れ出した赤い水とともに、金色の髪の毛が流れてきました。
私は浴室から逃げました。
急いでバッグのところまで行って、割れたお札を握りしめながら、ミカに電話をかけます。こんな時、誰に電話すればいいのか分からなかったのです。
「ミカ!ミカ!」
電話からザザッ――と音が流れました。
私は慌てて電話から耳を離します。
そして、耳元からこう聞こえてきました。
「let’s play together.」
She seeks your friend killed her.
Fine…?
幽霊とかについて
なんだかほん怖っぽい作品を書きたくて。ただ、昨今のほん怖を見ると明らかにプロの作家が携わってるなというのがよくわかる。だからといってなんだという話でもあるが。
この作品であるが、一割ほど実話である。どこまでかというと、ホテルでバイトしてたということまで。あと、確かにホテルという場所はかなり不気味だ。
人がいるべき場所に人がいないと、どうしても違和感があるのだ。人の気配があるのに、人がいない感じ。清掃中のホテルはお客様がいないので余計にそう感じるのだろう。バイトするまでホテルなんかに行ったこともなかった人なので、その違和感のような恐怖をつくづく感じた。そして、より恐怖を感じさせたのは、ホテルの廊下に窓がないこと。そして、窓を開けないかぎり風のないことだろう。都会の人なら当たり前かもしれないが、田舎は夏場、ものすごく換気する。寒くなるまで常に窓を開けている。そんな環境なので、窒息死しそうで怖かったのである。閉所恐怖症の類では、とも思ったりした。
幽霊や怪談というのはきっとそういう普段は感じられない恐怖を無意識に認知しやすい方法で認知しているのではないかと私は思う。まあ、幽霊にどうして女性が多いのかとか色々研究すると面白いかもしれないが。人間の根源にあるのは純粋な恐怖だけなのだから。
ご覧になった方の中には、途中のキリの良いところで終わればよかったのでは?とお思いになるだろう。でも、ホラー映画って大抵最後はバッドエンドだ。ハッピーエンドで終わればホラーじゃない。要するに後味の問題なのだ。個人的にはハッピーエンドで終わってくれた方がうれしいのだけど。ホラーとか好きじゃないから。