ミルク色のダイヤモンド1
珊瑚とシキが私立金葉学園に来てから五日目の朝のこと。
渡り廊下でつながる校舎棟に足を踏み入れた珊瑚は、一階ロビーの掲示板前に生徒が集まっているのを見つけた。
なんだろう、とみんなの後ろから覗いてみると、試験結果が張り出されており、自分の名前があるのが見える。
(あら)
ここへ来て受けた試験といえば、心当たりがあるのは到着した翌日に受けたものだけだ。
物心ついた時から家庭教師について勉強していたので、試験結果に順位がつくというのがなにやら新鮮で、どれどれと珊瑚は身を乗り出す。その気配に気づいた男子生徒が幾名か、それとなくずれて珊瑚のために場所を作った。
少し離れたところで彼らがささやき交わす声が断片的に聞こえてくる。……すげえな、いきなりトップかよ。知らない顔なんだろう? ……これまでの全国模試でも聞かない名だよな。
よく見ると、張り出されているのは上位五人の生徒のみだった。
その一番上に珊瑚の名前がある。
五名のみしか張り出されていない代わり、その五名の生徒は各教科の点数に至るまで詳細に情報が開示され、珊瑚と二位の生徒とでは、総合で二十点近く差がついていることがわかる。
なんだあの点数、ダントツじゃん、と男子生徒がささやく声。
そうか、自分はダントツなのか、と珊瑚は表情には出さずに思う。そしてその言葉をひそかに覚えて語彙に蓄える。
これがすごいことなのかどうか、正直なところ、今一つ実感がわかない。なんといってもわずか五十人足らず、高等部だけで言うならその半数だ。トップだと言われても、喜んでいいものかどうか。
もっと生徒数が多ければ一位の実感もあるのだろうかと思っていると、ふわりと甘い葉巻の香りがした。
「試験結果、見たかな?」
学園長だった。
彼が来たのに気づいた女子生徒が急にそわそわし始める。
「学園長先生」
「おはようございます」
「あの、私……カウンセリングの予約が採りたくて、でも取れなくて」
まあまあ、待って。というように彼は片手を上げて遮った。
「話をするのは、新しく入った人を先にね」
(話……)
それって自分のことだろうかと珊瑚は掲示板を見上げたまま憤慨混じりで思う。
わたくしのほうには、話すようなこと、ないけれど。
「君たちも最初にここへ来た時は不安だったでしょう。──真由子、カウンセリングの件はわかった。あとで話そう」
なおも名残惜しそうにする生徒たちを、さ、そろそろ予鈴だよ、と彼はさりげなく解散させた。
珊瑚もその流れに便乗する形で立ち去ろうとしたけれど、先手を打つ形で彼が話しかけてくる。
「学年一位とはすばらしいね」
「たまたまです」
必要以上の笑顔も、愛想も抜きで珊瑚はそうとだけ答える。
なぜかはわからない。わからないのだが、最初に挨拶した時も、行き止まりの小路であった時もそうだった。珊瑚の本能はなぜだか彼を警戒している。近づくな、そばへ寄るな、最速で離れるべし──と。
「私はカウンセリングの中で生徒たちの学力相談もしているが、君には必要なさそうだね」
「そうですか」
カウンセリングという言葉がまた出た。
入学前に渡されたカリキュラムの中にはなかった言葉だ。
そう思ったけれど、珊瑚は口にはしなかった。
この件について、自分から話の糸口を作らないほうがいい。そんな気がして。
「学園はどうかな、慣れたかな」
「おかげさまで」
だが、自分が彼を警戒していることはできるだけ気取らせたくない。勢い、笑顔の仮面は隙のないものになる。
「ここは外界から切り離された一種独特な環境だ。小さなことで思いつめたり、慣れない暮らしに体調まで崩すものもいる。そういう時のために、私はカウンセリングを行っているんだよ」
「──そう、ですか」
彼は胸につけた金属の名札を指し示す。
そこには横文字で、彼が医学博士の資格持ちであることが掘りこんであった。嘘か本当かはわからないが。
「難しいものじゃない。お茶を出して雑談するようなものだよ。気軽にいらっしゃい」
「なに話してんのー」
そこへ、場違いなほどの呑気な声でシキがやってくる。
いくら屋根続きの敷地内だといっても、既に登校時刻ぎりぎりだ。
ちゃんと起きるから、お願い、もうちょっと寝かせて、わかってるからほんとにちゃんと起きるから。と言うので先に出てきた珊瑚だったが、危惧した通りシキはあれから二度寝に突入したらしい。いかにも今しがた起きました、顔も洗っていませんし着替えるだけでやっとでした、という風体の彼女は、だが珊瑚をことのほかほっとさせた。
「カウンセリングの話だよ、シキ」
「カウンセリング?」
学園長が彼女を呼び捨てにしたことに、珊瑚は意味なくむっとする。
「そう。ノイローゼになってしまう生徒も中にはいるからね。深い落ち込みを回避するには早期のケアが大切だから」
はあ。と気のない相槌を打って、シキは頭をがりがりと掻いた。いつにも増してあちこち跳ねた毛先が揺れる。
「でもあなたには心を開きたくないって生徒がいるかもしれないですよね。そういう時にはどうするんです?」
「そういう時には、また別の先生を招くさ。……君には、必要ないかな?」
「ないですねー」
そう、と表面上は何の問題もないように微笑んで、彼は立ち去っていった。そろそろ本鈴が鳴るよ、早く教室に入りなさい。そう言い残して。
ふたりきりになって、シキは露骨に眉をひそめた。
「で、実のところはなんの話よ」
「うふふ」
シキが学園長にきっぱりとした、無礼ともいえる態度で通したことが嬉しかった。
「うふふじゃないって。なんなのあいつ」
シキがむすっとして毒づいたので、珊瑚は一気に気が楽になった。学園長と一緒にいた時の胃の重苦しさが軽くなる。
「ほらこれ。結果が出たのよ」
「へー」
掲示板に張り出された結果表を見ても、シキはどこか他人事だ。確かに彼女の名前は乗っていないが。
「あなた、生徒番号何番?」
「えっ、そんなの覚えてないよ」
「確かわたくしと一番違いのはずよね」
珊瑚は掲示板の下に設置してある小型のタッチパネルを操作して、記憶にある十桁の番号を入力する。
「なんで覚えてるわけ!」
「たった十桁よ、普通覚えているでしょ。しかも上四桁は西暦だわ」
「無理だろー」
シキが言うのは無視して珊瑚はタッチパネルの前を譲る。えっ、なになに、としきりと目をぱちぱちさせている彼女に横から口を出して、画面を先へと進ませる。
「個人の成績。これでプリントできるんですって」
最後の確認ボタンを押すと、ほどなくして、小型のプリンターから試験結果が印刷されて出てきた。
「なんで手慣れてるのー」
「さっき、他の生徒がやっていたから、見様見真似でやっただけよ……えっちょっと待って、なんですって?」
シキが隠そうとしないので、自然とその用紙をふたり横並びの格好で見ることになった。個人的なものゆえ、なるべく見ないようにはしていたのだけれど、つい、目に入ってしまった数字があまりにもショッキングだったので、思わず声を上げてしまった珊瑚だった。裏返った声の大きさにシキがびくっとする。
「な、なにが」
「なに、この点数! ちょっとシキ、あなた」
ちらりと目に入っただけだが、この点数はいくらなんでもよろしくない、と思わされる一桁ないし二桁の数々が並んでいた。
珊瑚は掲示板を見直して、次の試験の日程を確認する。
予定表によると、自由参加のものも含めると試験は毎週末のようにあった。これはありがたいと珊瑚は思う。余計なお世話と言われてしまえばそれまでだが、それでも見てしまった以上は捨て置けない。珊瑚はシキの両肩に力強く手を置いた。
「一緒にやりましょう」
「だから、なにをさ」
「次の試験に向けて勉強するの。わたくし教えて差し上げられると思うわ。一週間でどこまでできるかわからないけど」
「ええー、あたしはいいって」
「よくありません!」
珊瑚の剣幕にシキはきょとんとしたが、珊瑚は引くつもりはなかった。シキにカウンセリングの話をしていた時の学園長の表情。そこに、わずかな嘲り、それと侮るようなものを発見していたからだ。
「あなた、あの男にあんな言い方されて平気なの? 君には必要ないかな、なんて皮肉たっぷりに言われて悔しくないの? わたくしは嫌ですからね、あんな人にあなたが侮られっぱなしなのは!」
「え、えーとね」
あれって皮肉だったの? とか言ったらきっと、火に油を注いでしまうんだろうなあとシキは口ごもる。
(皮肉だとしても、あたしは特に気にしないんだけど……)
いやだめだ、これもっと怒るやつだ、と思ったところでいよいよ本鈴が鳴り響いた。
「そうよ、よく考えれば、学力向上のためにはこの学園の授業形態は理想的なのだわ。一時間目からやるわよ、まずは実力の分析から」
えええー、とシキが心から嫌そうな声を出したのは、珊瑚は聞いていなかった。シキの手首をしっかりつかんで、教室へ続く階段を小走りで駆け上がっていた。
珊瑚の教え方は、そのやさしげな外見と裏腹になかなかスパルタなものだったので、シキは早くもその日の昼休みには音をあげていた。
「昼休みは休ませてえー」
「あら、なにを言ってるの。時間は有限でしょ」
有限だからこそ遊べる時には遊びたいんだけど。などと言ったら珊瑚は目を吊り上げ、冷気を漂わせて厳かに正論でお説教を始めることは既に体験済みだったので、シキは口を尖らせて珊瑚のあとについていく。
珊瑚は図書室の中にある個室の勉強室を予約しており、扉を閉めるや、嬉々として教科書をひらいた。
そんなにも楽しそうに勉強をする神経がわからん、とシキは思う。
「勉強はね、苦手なものほど小さな階段を設定するのがコツなの。あなたの場合、圧倒的に基礎が足りないのが良くないのだとわたくし思うわ。さ、まずは午前中の復習ね。英語と数学、いってみましょ?」
「うえ、めんどくさ……特に数学」
「面倒くさいって思うのはそれ、老化現象よ」
珊瑚に言われてシキはぐっと詰まった。
ふわふわの髪に甘い顔立ち、きゃしゃな体つきに品のある立ち居振る舞い。珊瑚は一見、大切に育てられた苦労しらずのお嬢様に見えるが、その気になれば結構強気なことも言えるし、毒も吐ける少女なのだということを、この日の午前中でシキは実感していた。
「朝からずっと勉強してるんだけどあたし……」
「なにを当たり前な」
一言で返されて、シキは仕方なく、シャープペンシルの芯をかちかちと押し出す。
珊瑚の指示に従い、午前中にやったことのおさらいをざっくり五分ほどで済ませてから、簡単な問題集をシキは解いていく。
シキの手は日に焼けて活発そうで、シャープペンシルとの相性は見るからに悪そうだ。
「よもやこんな目に合うとは」
ぶつくさ言いながら、それでも机に向かうシキに珊瑚は言う。
「あら、いいことでしょう。どんな時でも知識や経験が増えるのはよいことよね。二兎を追ったら二兎とも得なくてはね」
「へーいへい」
うつむいて問題を解いていくシキを見ながら珊瑚は思っていた。
シキの学力は、おそろしくバランスが悪いと。
午前中に時間を割いて彼女の学力の現状把握をしたのだが、化学式などは相当細かいところまでよく知っているくせに、知らない教科はとことん知らない。
「わたくし……あなたの中学の先生に、呼び出しかけてお説教したい気分でいっぱいよ」
できた、と一枚のプリントを仕上げて晴れ晴れとした顔になるシキに珊瑚は言う。
「中学? うーん、その頃はどこにいたかなあ」
えっ、と驚く珊瑚にシキは説明した。十五歳で蛇屋の三代目を継ぐまでの間、母と一緒にずっと田舎で過ごしていたと。
「だから年中真っ黒。日焼けがさめる暇がないって感じ。野生児だったよね。沖縄と台湾を行ったり来たりしてたかな」
「ええと、それってもしかしなくても……」
そう蛇のため、とシキは白い歯を見せて笑った。
「沖縄と台湾の山の中なら、どんなガイドブックよりも詳しい自信あるよ。来たら、案内できる」
「行くこと、あったらね……」
「台湾は今でもたまに行くかな。あっちに武術の師匠がいるし」
「武術」
「蛇屋はいざという時、ありとあらゆることに対応できないといけないっていうのが代々の教えでさ」
「そうなの……はい、休憩はここまで。もう一枚いってみましょ」
「うえー」
「いちいち、うえーって言わないの。子供じゃないでしょ」
「ふえーい」
シキは嫌な顔をしたけれど、勉強を教えているうちに珊瑚は気づいたことがあった。
シキは決して頭が悪いわけでも、理解が遅いわけでもないということに。むしろ、理解力はある方だと思う。
これまで、シンプルでわかりやすく、かつ系統立てた学習の仕方に触れたことがないのかもしれなかった。回転は速いし、応用力もあるし、座学に対しての拒否感が先に立っているだけで、飲み込みも悪くない。
(飲み込み……)
ふと、テーブルの片隅に姿を見せている蛇と目が合う。
彼は食堂から失敬してきた生卵を口にくわえていたところだった。
≪失礼。少々おやつをね≫
夜刀は話しかけてみたけれど、珊瑚に伝わるはずもなかった。




