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孤独な珊瑚と三代目の蛇屋  作者: 小町 慧斗
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失われた顧客名簿3

 その夜、シキは消灯時刻を過ぎても帰ってこなかった。

 いったいどこで何をしているのやら、小さな島ゆえ、どこかにいるのは間違いないのだろうが、と珊瑚は先にベッドに入る。


(話したいこと、あったのに……)


 小さな灯りだけつけて眠らずに待っていると、やがて外に面した窓が開く気配がして、ガサガサ、と物音がした。


「……シキ、なの?」


 幾分びくつきながら言ったのに、うん、あたしー。とのんきな声が帰ってきてほっとするより先に憤慨した。なぜあなたは窓から帰ってくるのよ。


「遅かったのね、こんな時間まで、なにを……」


 眉をひそめてベッドから顔を出した珊瑚は固まる。シキはその手に、明らかに夜刀とは違う別種の蛇をぶら下げていたのだった。

 夜刀ならば、この数日でずいぶん慣れたつもりだった。部屋の隅で彼がとぐろを巻いていても、その尻尾が部屋の中ほどにはみ出ていても、またいで通れるくらいにはなっていた。だから自分なりにかなり蛇に慣れたつもりでいたのだが、今、シキの手にいる蛇は明らかに激昂しうねり暴れて、シキと言わず珊瑚と言わず咬みつこうとして口から鋭い呼気を出していたし、頭部はごつごつとした三角形で、瞳はぎらつく金色だった。


「いやあ、いい蛇いるわーここ!」


 珊瑚はベッドの内側に可能な限り身を隠して、片目だけ出す格好でシキに声をかける。消え入るような声になったのは、無理もなかった。


「なに……それ」


「ハブ。でも本当はさー、もっと南じゃないと生息してないはずなんだよねえ。ねえ、どうしてお前はここにいるの?」


「本人に聞くのね……」


 カッ、カッ。尻尾をつかまれていても大きく体をくねらせて、蛇は頭部をシキにぶつけていこうとする。それを、宙で二、三度手首をきかせてうまく攻撃態勢を解かせながら、めっとシキは蛇をにらんだ。


「こら、殺気出さないの。大人しくする!」


 ベランダにサンダルをハの字に脱ぎ捨てて、ひざ丈のハーフパンツに裸足という格好のシキに珊瑚はぞっとした。こんな無防備な格好で、毒蛇のいるようなところを平気で歩いていたなんて信じられない。


「ほら、ちゃんと覚えて。この子には咬みついたらダメだよ。意地悪もダメ。妙なことしたらわかってるよね、焼酎に漬け込んで売り飛ばすからね。あとあたしには咬みつけないことはもう覚えたよね?」


 その脅し文句って蛇屋としてはどうなんだろう、と思いながらおそるおそるに珊瑚は言った。


「あの……それを教えるために、わざわざ連れて?」


 そうだよ、とシキは当たり前のように答える。散歩しててがぶっとやられたら、嫌でしょう。


「なかなか気迫あふれるいい蛇だったよねー」


 ひとしきり言い含めると、シキは窓からひょいとハブを離す。ハブは音もなく、あっという間に闇に消えた。


「……夜刀は?」


「いるよ?」


 ほれっ。とシキはゆったりした白シャツの裾を胸下までめくる。

 すると細身のウエスト回りに、夜刀がいかにも慣れた様子で巻き付いていた。

 なにか? という感じでゆっくり夜刀の顔がこちらを向く。そのなめらかな頭部と小さな黒い目を見て珊瑚は思った。やっぱり、夜刀は、平気だわ。

 だがさっきの蛇は怖かった。顔も荒っぽかったし、瞳孔も縦だったし。


「あのね、シキ」


「なにー?」


 珊瑚は枕元の書類ケースを取り上げると、そこから一枚のコピー用紙を出してシキへと差し出した。


「これ。……あなたのお探しのものよ。コピーで悪いけれど」


 シキはきょとんとした。それから、えっという顔になる。

 驚き冷めやらぬ表情のままそれを受け取ると、息をするのも忘れたようにまじまじと見つめてから、どこか熱っぽい、うわ言のような口調で言う。


「ううん……そんなことない、コピーで十分だよ、ありがとう……これ、あたしが、もらっていいの?」


「いいわ」


 シキは自分の机の引き出しをあけたりしめたりしていたが、結局それを持ったまま二段ベッドの上段に上がった。小さなオレンジ色の明かりの中、シキがそれを大切に読んでいる気配がする。


「あたしはね……というかうちの一族はね。ずっとこれを集めようとしてるの」


 やがて、シキは小さな声で話しだした。


「母も、祖母も、曾祖母も。本当は、もっとたくさんあるはずなんだ。昔からの顧客台帳を完全なものに揃え直すことが、蛇屋の女全員の願い」


「そう……」


「それは、これまでの顧客を大切に扱うことでもあるし、蛇屋という、決して表舞台には出てこない屋号の女たちが確かにそこにいた歴史でもあるから。顧客台帳には、蛇屋がこれまでしてきたことのすべてが詰まってる。歴史であり、物語であり、信頼でもある。それを、少しでも完全な形に近づけたい──一枚でも、二枚でも多く」


「少しでもお役に立てたなら良かったわ」


 すごく嬉しい、感謝してる。とシキは掠れた声でつぶやいた。

 そこから、なんとなし、蛇屋ってどういうものなの、という話になった。二段ベッドの上と下とで、お互いに顔が見えないから余計に込み入った話がしやすかったのもある。


「蛇屋の歴史は長くてさ。昔っから、依頼に応じて女性たちの力になってきたの」


「女性だけ? なの?」


「男を助けたって話は聞かないよね。蛇屋は困っている女のためのもの、ってなぜだか決まってるんだよ」


「ふうん……」


「昔はさ、今以上に女性の立場が不安定だったじゃん。だから、そのせいじゃないかと思ってるんだけど。力の弱い者にこそ、助けって必要でしょ」


「昔って、どのくらい昔?」


「知ってる限りでは、四百年前のご先祖の話が伝わってるよ。口頭でだけど」


 まあ、と珊瑚は漏らした。それは、江戸時代以前ではないか。御堂寺家もそこそこ歴史のある家だけど、そこまでではないと珊瑚は内心舌を巻いた。


「本当はね、そういう歴史とか、かつての技術なんかもすべて台帳に記載されていたはずなんだけど、戦時中のごたごたで、あったはずの顧客台帳はすべて燃えてしまった」


「それは、痛ましいこと」


「そこでいろんな人が死んで、一度、蛇屋自体も途絶えたんだけどね。その当時だからこそ、助けを求める女たちは多いし、このまま蛇屋という稼業を途絶えさせてしまうのもどうかってことで、あたしの曾祖母が復活させて、改めて初代を名乗ったの」


 祖母が二代目、母は力が弱かったもんだから、ひとり抜かしてあたしが三代目に当たる、と説明するシキに、ふと珊瑚は尋ねた。


「お父様は?」


 素朴な疑問だった。

 話題にあがるのは女性親族のことばかりだったが、母がいて祖母がいるというのなら、父も祖父もいないわけではあるまい。だが返ってきたのは、うーん、というあいまいな唸り声だった。


「蛇屋って基本、女系だからなあ。……うるせえお前はノーカンだよ」


 早口で付け加えたのは夜刀宛てらしい。


「父方の誰かは蛇の研究者だそうだけど……その辺、母に聞けばわかるのかな? 会おうと思ったこともないし、どこでなにをしてるのかはよくわかんないなー。いないのが当たり前だったから、さびしいと思ったこともなくて。そっちは?」


「え」


 突然水を向けられて、珊瑚は声を詰まらせた。


「珊瑚の父親は、どんな感じ?」


 それをわたくしに聞くのね、と珊瑚は思った。

 どんな風に答えたらいいものやら、と考えていたらシキは続ける。


「手をつないで親子三人で買い物、とか、家族で食卓を囲んで笑顔で会話、とかさ。映画やコマーシャルで見るからイメージとしてはわかるんだけど、皮膚感覚では全然ぴんと来ないんだよね。だからよその父親の話が聞きたくて。珊瑚のとこは、どんな風?」


 ──政治、経済、諜報、法曹、医療、軍事、宗教。

 父親と言われてまず浮かんできたのがその一連の言葉だったことに、珊瑚はひそかに苦笑いを浮かべた。幼い頃からの刷り込みって、おそろしいわ。そう思いながらゆるゆると言葉を紡ぐ。


「うちの父の話は……一般的な父親像とはかけ離れすぎているので、参考にはならないと思うけれど」


「そうなの?」


「まず、ほとんど家にいることがないでしょ。親子らしい会話を交わしたことも、そういえばないわね。普通だと、学校の成績はどうだ、とかそういう話もするのでしょうけど、わたくしが学校へ通ったことがないからそういう会話もなし。勉強の進度については、歴代の家庭教師とじかに話をしていたのじゃないかしら。……というか、むしろメールで報告を求めていたのかも。当主である祖父の補佐役をしていて、家にいることが少なかったから。後ろ姿を見かけたら、あ、今日はお父様家にいるのね、珍しい。と思う感じで」


「どこも一緒かあ」


 二段ベッドの上段でシキがため息をつく。


「いえ、わたくしたちのこれが普通ではないと思うけど」


 珊瑚は苦笑いで答えた。学校へ通ったことがなくて、同年代の他の子と比較ができなくても、自分の育ちが普通でなかったことはわかる。

 子供の頃から、適性を測るテストをことあるごとにされてきた。当時はただの遊びとしか思わなかったけれど。

 昔から珊瑚の記憶力は群を抜いていて、家に来る政治家の名前も、長々しい肩書も、話題に出たその人の家族構成も、一度聞けば二度と間違えることはなかった。だから今回の見合い話なのかもしれないと思う。七つの要素のうちでは、自分は政治に向いていると思われたのだろう。


(だから、東郷朝彦と……)


 父のことを、この日最後の話題にはしたくなくて、珊瑚は話をもとに戻した。


「さっきの蛇は、ハブだと言ったでしょ」


「うん」


「では、夜刀は?」


「それは難しいねえー」


 無難かつ、彼女が喜ぶであろう話題を振ったつもりだったのに、返ってきたのは意外にも、困ったような唸り声だった。


「顔からして、パイソン系なのは間違いないと思うんだけど」


「わからない、ことも、あるのね」


「インランドカーペットパイソンとあたしは思ってるんだけど、祖母はまた別のだと言うし。顔を見ても歯並びを見ても、ガーデンツリーボアはもっと違うし、強いて似てるのをあげるとするならボールパイソンのブラックバックかなとも思うんだけど、それもなんかね。ちょっとね」


 シキはそこから先もなにやらぶつぶつ続けていたけれど、珊瑚にはなんのことやらさっぱりわからなかった。


「もともと夜刀は、祖母の蛇だったのを引き継いだんだよね。だから実際のところは由来もよくわかんないし」


「どこかで捕まえてきたとか、なの?」


「野生のを? さっきあたしが庭先でハブを捕まえたみたいに?」


「そう」


 ありえん。とシキは断言した。


「こんな大型のニシキヘビが日本国内をうろちょろしてたら大騒ぎになるわ。大体この種の蛇が野生化できるほど、日本は温暖な気候ではないし。あっ、でも、オーナーが飼いきれずに不法投棄された個体が、たまに見つかってニュースになったりするよね。そういうことなら、ありえるかも……」


 祖母の時代はまだワシントン条約も今ほど厳しくなかったはずだし。とシキは呟いていたが、珊瑚は別のことを考えていた。


(ニシキヘビ……)


 大きな蛇が人や家畜を絞め殺して飲み込む絵面が浮かんでくる。


(ああ、そうだったの、ニシキヘビね……)


 さっき、ハブに比べてやさしい顔をしている、などと思ってしまったことを珊瑚は取り消したくなった。夜刀本人には、罪も責任もないけれど。


「へ、蛇って、種類で随分顔が違うものなのね」


 その件について深く考えてしまったら、今後夜刀との付き合いに支障をきたしかねなくなる気がして、話題をそらそうと口にしたのだが、返ってきたのは、わかる? とでも言うような明るい声だった。


「ワンコみたいだよねー」


(いえ、それは、どうかしら……)


「マムシやハブって悪人ヅラしてるけど、パイソン系の蛇はほんと可愛いよね。ゆーても、こいつはオヤジ顔してるけどさ」


 相変わらずよくわかるような、わからないような表現だった。

 だが、蛇のことを話している時の彼女は楽しそうなので、まあいいか、と珊瑚は思うことにする。


「よかったらさあ」


「ええ」


「今夜、一緒に寝てみる? もちもちしてて、気持ちいいよ。特に夏は」


「遠慮するわ。さあ寝るわよ、お休みなさい!」


 言って、珊瑚はかけ布団を鼻先まで引き上げて話を切り上げた。

 友好の気持ちはあるけれど、同衾までする気はさらさらなかった。



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