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孤独な珊瑚と三代目の蛇屋  作者: 小町 慧斗
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失われた顧客名簿2

 元来た道をたどらずに、あえて反対側の道を選んだのは、なんとなく、彼と同じ道を使って帰るのが嫌だったからだが、どうやらそれがよくなかったらしい。

 女子寮の建物はすぐ目の前に見えているのだが、肝心の道が続いていなかった。

 高い壁で囲まれた小道には人の気配もなくて、一本道だったのでずっと歩いていくと遂には行き止まりになってしまった。行き止まりだなんて嫌なことだわと珊瑚はため息をつく。まるで、これからの自分を暗示されているようで嫌になる。


 煉瓦と石造りの高い壁で校舎がぐるりと囲まれているのは、台風や湿気、海風などを考えに入れて校舎を守るためなのだろうが、実際そこに身を置いてみると、中の声を外へ漏らさないためのもの、のように思われて仕方がなかった。

 仕方ない、素直に引き返そうと決めて珊瑚が身を翻し、ひとつめの角を曲がった時。黒いマオカラーの上着に身を包んだ学園長がそこにいた。

 彼は襟元のホックを外して、そこから細い鎖つきのロケットを引き出し、表面の覆いを外して中にあるものに口づけているところだった。

 見てはいけないものを見た気がして、珊瑚の足が止まる。だが遅かった。

 きれいに編み込まれた髪の毛のようなものに唇を触れさせたままで、彼が珊瑚の方を見る。


「やあ」


 人がふたりようやくすれ違えるほどの細い通路だ。逃げ場などなかった。


「すみません、覗き見のつもりはなかったのですが」


「構わないよ。母と話をしていただけだから」


 ──遺髪。ふと珊瑚はそんなことを思った。親しい死者の髪をひと房切り取り、常に身につける習慣は各国にあるものだ。


「母、母とあまり言ってはよくないのでしたっけ。こういうの、日本ではマザコンと言いますよね。そうでしょ?」


 珊瑚は苦笑した。


「いえ、まったく、そんなことは」


 歩いていたら袋小路だったことを話すと、彼はなるほどと慣れた微笑を浮かべた。パチン、とロケットの蓋を閉じて襟元に落とし込む。


「その先は、通り抜けできないようになっているのです。島の地形と土壌の関係で、こちら側は危ないと建築士が言うのですよ。大まわりになってしまいますが、あちらから」


「わかりました」


「行きましょうか」


 自分も身を翻す学園長の後ろについて歩きながら、珊瑚はハッとして勢いよく背後を振り返った。


「なにか?」


 学園長が首をかしげて珊瑚を見る。


「いえ、なんでもありません」


 珊瑚は言いつくろったけれど、気のせいだろうか。今さっき、誰かの視線を感じたような気がしたのだ。

 もちろんそこには、誰もいはしなかったけれど。



 やけに長い午後だったような気がして部屋へ戻ると、シキはまだ帰っていなかった。

 二段ベッドの上の段にひっかけられた制服の上下はさっき見た時そのまま、動いてもいない。

 珊瑚は自分のベッドに腰掛けると、荷物の中から薄手の書類ケースを取り出して膝の上に置いた。

 それはごくありきたりな革製のものだったが、違うのは、ケースを守るように四隅から青い紐がかけられているところだった。


 花結び、と呼ばれるその結び方は、古来より、人には見られたくないものを鍵をかけることなく守る優雅な手法だ。

 ケースの中央に咲いている立体的な花びらを、珊瑚は丁寧にほどいていく。紐自体に仕掛けはないので、強引にあけようとすれは鋏で紐を切れば済むことだが、手を触れたことを知られないためには、また元通りに結んでおく必要がある。そのため、閲覧者の悪意を削ぐ効果が期待できるのだ。

 中に入っていた書類は、たった一枚。

 それを手にして、珊瑚はしばらくの間もの思いにふけっていた。



「大伯母様は、どこでその、新しい蛇屋のことをお知りになったのですか」


 シキが珊瑚の寝室に忍び込んできた次の日のことだ。

 珊瑚は鎌倉の大伯母のもとを訪れていた。


「どこって」


 衣擦れの音をさせて、大伯母が手づからお茶を運んでくる。

 もう髪も白くなっているが、年中着物を着て帯をしめているせいか、その年とは思えないほど姿勢がよく、立って歩く姿は女の珊瑚から見ても、たおやかという言葉がしっくりくるような人だった。


「こういうことはね。ことさら公にしなくても、なんとなし、耳に入ってくるものなの」


 御所望のもの、これよ。と言って差し出されたのはかなりの年数を経過していると思われる和綴じの冊子で、大きさは普通のノートと同じくらいだった。

 受け取って珊瑚は、おや、と思う。

 薄かったのだ。びっくりするほどに。


「中を見てもよろしくて?」


 どうぞ、と大伯母がうなずいたのでひらいてみると、薄いのも道理で中身は一ページしかない。


「御堂寺家の女は、かつて一度しか、蛇屋を頼んだことはない、ということですか?」


「ちょっと違うわね。依頼者の部分をよく見てごらんなさい」


 初井ヒサ、とあった。聞いたことのない名前だ。

 かつて大伯母に仕えていた乳母の名前なのだと彼女は言った。


「これ……コピーさせていただいてもいいでしょうか」


「いいけれど。関係者以外は、他見厳禁よ。あなた、花結びはできた?」


「いえ」


 言うと大伯母は、そうね、あなたも十六歳、そろそろひとつくらいは結べても良い頃ね、と言って長い組み紐を持ってきた。


「知識としては知っているでしょう」


「結び方を知っている人間しかほどくことができない。エレガントな秘密の保ち方ですわ。もちろん相手がなりふり構わず奪う気なら、如何ともしようがないけれど、そこに手をかけたことを知られたくない、と思っている人間相手にならば、多少の抑止力にはなる」


「そうね。──そしてこれから教える結び方は、代々御堂寺の女に伝わってきたものなの」


 言いながら、彼女はくるくると細い指を動かして、あれよあれよという間にテーブルにあった大きなガラスの灰皿を結んでしまった。灰皿の中心には、厚ぼったい花びらがいくつも寄り集まった花が見事に咲いている。

 それは初心者にはいかにも難易度が高く思えたので、いそいそとテーブルの上を片付け、教える準備をする大伯母に、珊瑚はおそるおそる声をかけた。


「あのう、大伯母様……最初なので、できればもう少しやさしいものを」


「これの名前は、紫陽花」


 大伯母は珊瑚の台詞を無視して言った。


「今の季節にぴったりで、素敵じゃない? さ、一緒にやってみましょう」


 逃げるに逃げられなくてはじめてみると、大伯母は教え方が上手だった。

 隣に並んで一緒にやってみせるのだが、はじめの部分でもどかしいほどゆっくりとすすめる。そのおかげで、あとになるほど理解は進み、素早く手が動いた。

 ひどく時間がかかったと思うのに、時計を見ると二十分もたっていなかった。


「では、ひとりでやってみましょうね」


 そう言って大伯母は席を立ち、珊瑚が練習している間に顧客台帳のコピーをとってきてくれた。


「まあ、悪くないわよ。何度か練習すれば、もっとよくなるわ」


「ねえ、大伯母様」


「なあに」


「友達って、どうやってつくるの」


 珊瑚の台詞に、大伯母は目をぱちくりさせた。


「友達になってって、言えば?」


 珊瑚は横目で大伯母を見やる。

 これだから大昔の人間ていやだわ、今は明治じゃないんですよ、といおうとしてそれは飲み込み、かわりにこう言った。


「子供じゃあるまいし。わたくし六歳ではなくて十六歳ですわ」


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