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孤独な珊瑚と三代目の蛇屋  作者: 小町 慧斗
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蛇屋の娘の本領、らしい1

「嘘みたい……」


 それから五日後。シキと珊瑚はヘリコプターに乗っていた。

 珊瑚は大きなトランクふたつ、シキの荷物はボストンバックひとつきり。ヘリが海上に飛び立ってしばらくしてもまだ、珊瑚はこれが現実のことなのか、それとも幸せな夢を見ているのか実感が持てないでいた。

 今までどんなに頼んでも学校へ行くことはできなかったのに。同年代の友達が欲しいという願いも、ことごとく却下されてきたのに。それが、こんなに簡単に叶うだなんて。


「ほんとに、嘘みたい」


 ため息をつくように珊瑚はつぶやく。

 私立金葉(きんよう)学園。それがその学校の名前だった。

 ヘリかフェリーでしか行くことのできない離島に建っており、そこは島全体が個人の持ち物となっているため、関係者以外の立ち入りは全面禁止であるらしい。それゆえ、一時的に避難や警備が必要な要人の子弟や、わけありの子女が多く集まるという話だった。

 らしい、だの、とか、だのといった言葉ばかりなのは、祖父から聞いた話だからだ。


『ちょっとだけ待ってて』


 そう言ってシキが去っていった翌朝、珊瑚は祖父に呼ばれた。多忙なはずの祖父が朝食を一緒にだなんて、どういう風の吹き回しかしら、と珊瑚は本棟のサンルームに向かったのだが、その席で私立金葉学園への編入学の話を聞いた。珊瑚はオレンジとグリーンのプチトマトを、真っ白なテーブルクロスに落っことすかと思った。


「学校、ですか」


 おじいさま、今、なんて。あまりの驚きに、本音はそう尋ねたかったのだが、祖父の性格上、「お前が理解できない話なのだったら、よしにしよう」とか言いかねない。

 珊瑚は懸命に平静を取り繕う。


「いつから、ですか。そしていつまで」


「一週間か、二週間か。今の時点でははっきりわからん。当座のところ、事態が収束するまでそこにいると思っておけばよいだろう」


「安全な場所なのですか」


 避難、もしくは隔離。祖父の口調はそんな気配が滲んでいた。


「短期間ならば、まあな」


 短期間ならば、まあな?

 珊瑚は眉をひそめて聞き返したい気持ちになったが、あまり言葉を返して祖父が提案を引っ込めては困るので、そこは黙っていることにした。もとより、本当に危険な場所であれば祖父が了承するはずもない。


「わたくしに、否やはありませんわ。もとより学校に通ってみたいと思っていましたし」


 冷たいコーンスープにスプーンを差し入れ、浮き実のブラックタピオカをすくう。

 シキだ。シキが手を回してくれたのだ。

 どうして、すごい、こんなに早く。

 嬉しさと高揚で顔が笑ってしまいそうになるのを堪えようと、ことさらゆっくりスープを口にする。


「では身の回りの荷物をまとめておくように。出発の日取りは、決まったらまた知らせる」


「はい」


「見合いの話は、保留だな。嬉しいか?」


 少なからず気を張っていたので、そう聞かれた時もそこまで動揺はしなかった。ただ、どう答えようかと一瞬迷って、正直な方にする。


「否定は致しません」


 祖父がじっと珊瑚を見つめている。なにかを見極めようとするように。珊瑚は黙ってスープを口に運び続けていた。


「嬉しいの!?」


 ふいに大きな声を出されて、珊瑚は我に返る。


「え、ごめんなさい、なんですって」


「ヘリ、嬉しいのかって聞いたの! ずっと海見てにやにやしてるから!」


 ヘリのモーター音がうるさくて、大きな声を出さなくては会話が成立しない。

 にやにやしてたかしら、わたくし。と珊瑚は自分の頬に手をあてた。

 してたかもしれないわね、とすぐに思い直す。

 小型ヘリの中にいるのは、珊瑚とシキ、それにゴーグル付きのヘルメットをかぶった操縦士の三人だった。アルミニウムの冷たい簡易座席に、珊瑚とシキは向かい合わせに座って斜めにベルトをかけている。珊瑚はシキの腕を引いて自分からも身を寄せると、耳元で言った。


「すごく嬉しい」


「そんなに嬉しいもんかね……やかましいし、意外と寒いし、そんないいもんじゃないと思うけどな」


 ヘリが珍しくて喜んでるわけじゃないんだけどな、と思ったけれど、別にいいか、と誤解は解かないでおくことにした。


「今日は? この間の……」


夜刀(やと)のこと?」


 蛇、と呼びつけにしてよいのか、彼女の相棒のことなので一応敬称をつけるべきなのか迷って、珊瑚は結局身振りで示した。


「この中に入ってるよー」


 だが、シキがすぐそこのボストンバッグを指さしたので珊瑚はぎょっとする。


「その中、着替えとかじゃないんだ……」


「着替えも入ってるけど」


「結構、大きかったわよね」


「丸くなれるから」


 そうじゃないんだけど。と珊瑚はちょっとこめかみに指をあてがいたくなる。通じているようでいて、微妙に通じていない。この会話をどうしたものか、と思っている珊瑚にシキが言い添える。


「ファスナーの横から空気も入るし」


 いや、そうじゃない。

 下着は。部屋着は。寝間着は。その他細々とした日用品は。

 落ち合った時、中型のボストンバッグひとつを手にして現れたシキに、軽装なのだな、さすが旅慣れているのだな、と感心したのだが、違った。

 学園の案内には、制服や教科書、生活必需品は基本的に揃っている、また、必要なものは申請を出せば取り寄せてくれると書いてあったけれど、それにしても洗顔道具とか化粧水とか、他にもいろいろとあるでしょう年頃の女性なれば。

 シキに追求したいことは山ほどあったが、蛇については自分の方が無知なので、蛇飼いにはこれが普通なのかどうか判別がつかず、珊瑚はこの件はこれ以上追及しないことにした。


「なんだよ」


「いえ、なんでも」


 珊瑚は自分のトランクを足のすぐ横に引き寄せ、そしてシキのすぐかたわらに無造作に置かれているボストンに目をやった。

 あの、なかに。いるのね。

 そして、そっとそこから視線をそらすと、おもむろにそのトランクを自分の体とそのボストンの間に差し入れたのだった。

 失礼にあたるとは思うものの、どうも、やはり、怖さが先に立ってしまっていけない。

 そこまで考えた時だ。ヘリが大きく傾いて、体ががくんと上下した。

 珊瑚はとっさに壁面の手すりに摑まる。

 かと思うと、妙な方向に強い重力がかかり、珊瑚のマットベージュのトランクが音を立てて床を動く。

 追いかけて、手を伸ばそうと腰を浮かせかけた珊瑚に、シキが黙って手を出して遮る。

 顔を見ると、ちょっと待て、というように真顔で首を振っていた。


「そうね」


 大人しく、珊瑚は据え付けの座席に座り直す。

 こんな時は、焦って動かない方がいい。シキの言うとおりだ。

 胃のあたりに不安な感じの負荷がかかり、いやでも緊張が高まってしまうのをまぎらわそうと、珊瑚は大きく深呼吸する。

 大丈夫、きっと気流が荒れているのだろう。


「ヘリでは、よくあることよね」


「まぁね」


 シキがそう言ったきりこちらを見ないので、珊瑚は首をかしげた。

 シキの視線をたどると、彼女はじっと操縦席を見つめている。その目つきは真剣で、ともすれば、このへたくそめ、と咎めているようにも見えたので、珊瑚はなだめるように声をかけた。


「風や気流の影響を受けやすいヘリや小型の飛行機では、このくらい揺れるのは珍しくないわ。仮にも操縦士はプロなのだし、大丈夫よ」


「いや」


 だが、片手でベルトを外してシキは立ち上がる。


「そうで、なくて」


「えっ、なに?」


「なんか違う」


 揺れに揺れているヘリの中で、シキは器用にバランスをとって後ろから近づくと、操縦士の肩に手をかけた。彼は、まったくと言っていいほど反応しない。

 珊瑚の胸に黒い不安がよぎる。操縦に集中しているだけなのだろうか。職務に忠実なプロフェッショナルだから? それでも、ちょっと顔をあげるとか、大人しく座っているよう注意を促すとか、してもよさそうなものだ。


 がくん。

 機体が再び大きく沈み込んだ。内臓を掴まれるような気色悪さに、珊瑚は奥歯を噛みしめる。

 シキはというと操縦士のヘルメットに手をかけて、咽のあたりに顔を近づけた。くんくん、と犬のように匂いを嗅いでいる。操縦士とはヘリに乗りこむ前にちらりとあいさつを交わしたのみだが、確か、二十代後半と思しき男性だったはずだ。印象は格別良くもなく悪すぎもせず。送迎する生徒を前にしてもガムをずっと噛んでいたのが幾分投げやりな態度といえなくもないけれど、上下つなぎの作業服を着込んだ姿は中肉中背で、これといって妙なところもなかった。

 深くかぶったヘルメットのせいで男の表情は隠れているが、操縦士の口元は半開きで、口の端からは白い唾液が垂れていた。


「ダメだ、これ」


「えっ?」


 聞き取れなくて珊瑚は声を張り上げる。


「死んでる」


 声はやはり聞こえなかったが、口の動かし方でそうとわかった。


(死んでる?)


 どういうこと、どうして。

 珊瑚はパニックを起こしかけたが、シキの行動は大胆かつ、素早かった。


「ええいくそ、重てっ」


 男の体を両手でつかんで横倒しにすると、空いた操縦席に自分がおさまる。

 男は横倒しになったまま、ぴくりとも動かない。


「えっ、あなた、操縦なんて」


「まーなんとかなる!」


「できるの!」


「蛇屋の娘、なめんな」


 やけくそのようにそう返しながら、もう彼女の両手は操縦桿をつかんでいる。珊瑚にはどれがどれやら見当もつかない計器を見る目つきは意外にも落ち着いていて、彼女にまかせておけば大丈夫なのかもしれない、そう思わされた。

 少し安心できたところで、珊瑚はちらりと操縦士の方を見る。

 死んだってなに、どういうこと。そしていつから。

 斜めになったまま動かない操縦士のゴーグルをあけてみる気には、ちょっとなれなかった。


(事故、なのかしら。それとも)


「危ないから立つな、座ってろ!」


 シキに叱られて、珊瑚は慌てて座り直した。


「……は、いいんだけど」


「えっ、なんですって?」


 シキが顔をしかめてなにか口にしたので、珊瑚は応じる。シキにはああ言われたが、やはり座席に座っていると操縦席との会話はしにくい。勝手な判断でベルトを外して、座席の真後ろに移動する。


「操縦はいいんだけど!」


 はい! と元気良く珊瑚は応じた。


「わたくしでなにかわかること、あるかしら!」


「ぶっちゃけ島の方向がわからん!」


「しまの、ほうこう」


 一拍おいて、今度こそ、珊瑚は甲高い悲鳴をあげた。


「うるせええ耳元で叫ぶなああ」


「だって、だってヘリで迷子なんて致命的じゃない!」


「そんなこと言ったって仕方ないだろう! じゃお前わかんのかよって話で!」


「ごめんなさいわかりません!」


「燃料切れになる前に見つかるといいなあ! 島の名前なんだっけ黒石島(こくせきとう)だっけ!」


「いやあああああ」


「くそー、なんでヘリにはナビがついてないんだよ。車みたいにさー。空には標識もないしさー」


「知りませんわ!」


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