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孤独な珊瑚と三代目の蛇屋  作者: 小町 慧斗
3/18

誓って言うけど生まれてはじめて3

 同じ夜のこと。

 珊瑚はベッドの中で、昼間のことを思いだしては眠れずに幾度も寝返りを打っていた。


 もういい加減夜も更けて、さすがにそろそろ寝なくては、と珊瑚がベッドの中で目をつむった時。

 コツコツ、と音がした。


 じっとしているともう一度、コツコツ。

 窓ガラスの鳴る音に、珊瑚が部屋履きをつっかけておそるおそるカーテンをあけてみると、そこにはシキの顔があった。

 あけろー。という形の彼女の口が動くので珊瑚が鍵をあけると、


「いったいどこまでが庭なんだよ、ここはっ!」


 彼女はいきなり怒りながら入ってきた。

 その首には昼間見たのと同じ、大型の青灰色の蛇が堂々と巻き付いていたので、珊瑚は反射的に二、三歩あとじさった。


「なんだよ」


 シキがそんな珊瑚をじろりと見やる。


「なに引いてんだよ」


「いえ……」


 ベッド近くまで遠ざかりつつも、珊瑚は曖昧に答えて話題を変えた。


「よく来られたわね。ここ、二階なのに」


「まあね。あたし、身は軽いから」


 そういう問題だろうか、と珊瑚はまじまじと彼女を眺める。

 鮮やかな緑色の半袖シャツはバティック織りで、くっきりした色と柄が日焼けした彼女の肌によく似合っている。


 短い黒髪には艶があり、彼女がひとりいるだけで、いつも静謐な珊瑚の寝室に、熱帯の花が咲いたようだった。


「御堂寺が資産家なのはわかったけどさあ」


 くせのある、毛先のはねた髪の中に手を突っ込んで、シキはがりがりと頭を掻いた。


「いくらなんでも、広すぎるだろー」


 珊瑚は否定しなかった。気持ちはわかる。住んでいる人間からしても、ここの敷地は幾分大きすぎるのだ。


「あとお前んち、門、いくつあるんだよ」


「ええと、みっつ」


 露骨にげんなりした顔をされて、珊瑚は心なしか小さな声になる。


「でも、どうやって入ってこられたの。うち、セキュリティは厳重なのに」


「蛇の道は蛇。……いかん、このことわざ、あたしが言うと比喩っぽくないな」


 そして彼女は珊瑚の正八角形の寝室をぐるりと見渡した。

 御堂寺家の西の一棟が珊瑚に与えられた居住区だ。その一番端に彼女の寝室はある。


 あまり広くない室内に大きめのベッドがひとつ置かれて、天井には濃紺の星空がややレトロなタッチで描かれており、その星のひとつから垂れ下がる格好でベッドを紗の薄布が包んでいる。


 枕元にはいくつものクッションが置かれて、寝台脇には内線電話が組み込まれている。

 じっくりと部屋を眺めてから、シキは口をひらいた。


「もっと、贅沢な牢獄みたいな場所に閉じ込められてるのかと思った。想像してたのと少し違うね」


「わたくしが、祖父や父に反旗を翻せばそうなるわよ、いつでも」


 シキは窓枠に軽く腰掛けた。黒の細身のパンツは七分丈で、裾からは敏捷そうなふくらはぎと足首が伸びている。


「それは、御堂寺だから?」


「そうよ」


「……ゴメン、来といてなんだけど、あたしそれほどこの家のことを知ってるわけじゃないんだ」


「大抵の人はそうだから、気にしないで」


 そう言って、珊瑚は軽く笑った。


「御堂寺はね」


 ──政治、経済、諜報、法曹、医療、軍事、宗教。

 珊瑚は抑揚をつけて暗唱してみせた。


 これらを統括、調整、管理するのが御堂寺だということ。それらはあくまでも裏で行われ、御堂寺の名前が表に出ることはないこと。戦後から現代に至るまで、政治や経済、その他諸々のことを動かしてきたこと。


 御堂寺の当主についているのは現在珊瑚の祖父であり、父はその補佐をしていること。ゆくゆくは珊瑚もその末席に加わり、最終的には当主候補となるべくして育てられていることなどを、淡々と珊瑚は語った。


 その口調には嫌悪もないかわり、誇りや喜びといった感情も浮かんでおらず、ずいぶん色んなものを端折って話してくれてるんだろうなあとそれを聞いてシキは思った。


「あなたに相談したいと思ったのは、わたくしの婚約についてなの」


「政略結婚、てやつ?」


 そう、と珊瑚はうなずく。


「見合い相手の名は東郷朝彦(とうごうあさひこ)。代々政治家を務める東郷家の孫息子にあたるひと」


 ふうん、とよくわからない顔をしてシキが相槌を打つのに、ごついネックレスよろしく首に巻き付いた青灰色の蛇が体をうねらせて反応した。うるせえな普通は知らねえよ、とシキがつぶやく。


 傍目にはひとりでぶつぶつ言っているようにしか見えないシキに、珊瑚は続けた。


「彼はまだ十四歳なの。わたくしより二歳年下」


「年下が嫌なの?」


「そうじゃないわ。年下が嫌なんじゃなくて、彼が東郷勝彦(とうごうかつひこ)の孫だから、嫌なのよ」


 誰それ。の「だ」の形にシキの口がひらくより先に、蛇が体をくねらせる。


「だからどうしてそんなに詳しいんだお前は。うるせえ、一般常識じゃねえよそんなん」


 蛇と小声で会話しているらしい彼女を、珊瑚は黙って観察していた。


「あのさー」


「はい」


「その人、女遊び激しかったり、する?」


「するわね」


「金にも汚かったり」


「とっても」


 シキが無邪気に問いかけてくる内容に答えながら、珊瑚は少しずつ信じる気持ちになっていた。

 噂は、本当だったのだ。


 蛇屋の女は蛇と心が通じている。蛇と会話することができる。蛇を使役している。


 大伯母を通して聞いた噂はあいまいで、都市伝説にしか聞こえないものもあったけれど、今こうして目の前で見ると納得できた。彼女が演技をしているようにはとても見えない。


「その人の孫息子だから、性根も似通ってるんじゃないかと思って、それで、嫌なわけだね」


「まあ……そうね」


 というより、東郷の人間とかかわりを持つこと自体に生理的嫌悪を感じる。というのが本音だった。

 わたくしの見合い相手にするのなら、いくらでも、もっといい相手がいただろうに、よりによって東郷家の人間を選ぶなど、いったい祖父も父もなにを考えているのか、と珊瑚は胸の中でため息をつく。


「実際に会ってみたの? その孫息子もやっぱり嫌な奴だった?」


「まだ、会っていないわ」


「会わないの? 意外といいやつかもよ」


「ありえないわ。確率的にゼロパーセント。──というより、彼とのお見合いは、してしまったらおしまい、という類のものだから。会ったらドミノを倒すみたいに加速して話が進んでしまうでしょう。そうなったら、わたくしの意思なんて関係なし。そんなの、絶対に嫌。ノーよ」


 抗うのなら、事前に。徹底的に。

 こういう場合、それが正しいのだ。そう珊瑚が考えていると、シキは後頭部をぽりぽりと掻きながら言った。


「あー……あんたみたいな特殊な家だと、確かにそうかもねー」


 そう言われて、珊瑚はシキの顔をまじまじと見つめた。


「家が大きすぎるとさ、本人の意思って潰されちゃうよね。んーと、この場合見合いをさせたくないんだよね。相手に瑕疵が見つかればいいのかな。あ、そう。じゃあ相手が取り下げてくれるように仕向けるのはどう? ふーん」


 シキはなにやら蛇と相談しているようだった。

 珊瑚はその横顔を静かに観察する。

 よく見ると、とても整った中性的な顔立ちだった。


 化粧をしているようには見えないのに、目元に強い力がある。

 現代日本で、自分の結婚相手を自分で選べないなんて、ありえないよそんなの。そう頭ごなしに言われなかったことが嬉しかった。


 断れないなんて、そんなのあんた自身がしっかりしないからだ、とか決めつけて言われなかったことがこんなに嬉しいなんて。


「あのね」


 蛇との相談は終わったらしい。声をかけられて、珊瑚はハッとする。


「望みをかなえるための魔法のカードってさ、大抵の場合は、ないんだよ」


「……そうね」


「ほとんどの場合、考えていたよりややこしかったり、大変だったり、あてにしていたはずのものが使えなかったり、する」


 確かにその通りだと珊瑚はうなずいた。

 まっとうだ。彼女は真理を告げている。


 店で会った時もそう思った。彼女はたちの悪い新興宗教のように、もしくは開運セミナーのお題目みたいに、これさえすれば絶対に大丈夫、みたいなことは言わない。ひたすらまっとうに、正しいことを言う。

 それが耳に痛い、飲み込みにくいことであっても。


(きちんとした人だ)


 珊瑚はひそかにそう思って信頼を深くしたのだが、さらに驚いたのは次の言葉だった。


「だからさ、なにができるかまずは考えてみようぜ」


「考える……」


 あんまり驚いたので、子供みたいに繰り返すことしかできなかった。

 そう、とシキはうなずく。


「正面切って断るのはできないんだろ。当主の決定は絶対なんだろうから」


「そう、ね」


「要するに、どうすれば上手に回避できるか、考える時間が必要なわけだ」


「その通りよ」


「だけどここにいたらあっという間に見合いはセッティングされてしまうっていうなら、物理的に、逃げてみたらどうかな」


(──逃げる)


 珊瑚にとってはあまり良くない印象の言葉ではあったが、シキの口から出るとそんなでもない気がするのが不思議だった。


「そのお見合い、いつなの?」


「一週間後よ」


 うーん間に合うかなあ、とシキが首をひねる。

 あけ放たれた背後の窓から風が吹いて、シキの短い髪を揺らした。


「外のさ、どこか、見合い相手も家の権限も及ばないようなところに行って、静かに、じっくり策を練るんだよ」


「そんなところ、あるかしら」


 ある、とシキは自信たっぷりに答えた。


「多少はかりごとの匂いはするし、和やかなところとも言い切れないけど、それでもあんたが構わないなら」


「はかりごとの匂いには、幼い頃から慣れているわ」


「だろうと思った」


 シキはにまっと笑う。

 あ、笑うと魅力的だわ、この人。こんな場合だというのに珊瑚はそんなことを思う。


 かわいいというのではない。美人というのもちょっと違う。だけど、目を細めて笑ったその顔にはなんともいえない人好きのする魅力があった。


「完全に隔離されていて、関係者以外は入りこめない場所をひとつ国内に知ってる。……入るのは普通難しいけど、あたしは仕事柄コネがあるし、あんたも問題ないと思うんだ」


「えっ、一緒に……行ってくれるの」


「行くよ?」


 もちろんでしょ、なにを言ってるの。というようにシキはきょとんとした。


「それは、わたくしの依頼を受けてくれるということなの」


「それは今の時点じゃまだわからないじゃん」


 ここでもまた、フェアな物言いをシキはした。


「今の状況だと、見えてない部分が多すぎるよ」


 女の子らしいとはお世辞にも言えない、節の目立つ指を立てて、その指を順々に折りながらシキは説明した。


「できることと、できないこと。真実と、嘘と、知らされていないこととの割合。事実がいくつも見えていれば、そこから未知の部分を推測することもできるけど、今はまだあまりに手中の事実の量が少なすぎるだろ。」


「だから、いったん隔離された場所へ避難することにして、そこで一緒に考えてみようぜ。今回の話を断るのは本当に無理なのか、それとも難しいけどできないことじゃないのか。もしくは、いくつかの条件が満たされればできることになるものなのか。……その時点であたしが力になれそうなら、そこで改めて依頼を受けるよ」


 彼女の話はまだ終わっていなかったのに、胸の奥底から、なにか熱いものがこみあげはじめていた。

 ありがとう、そう言いながら相手に飛びつきたかった。内側からこみ上げるものが大きくて、なんだかじっとしていられない気持ちになり、珊瑚はきゅっと膝頭に力を入れる。


「逆に、考えてみた結果なにも打てる手はないってことになるかもしれない。あたしは、安請け合いはできないから、そうなってしまった時は残念なんだけど」


「それでもいいわ」


 もう我慢できずに、珊瑚は即答していた。

 一緒に考えよう。たったそれだけの言葉がこんなにも嬉しいだなんて、自分はどれほど孤独だったのだろう。背筋を伸ばして珊瑚は言う。


「それでもいい。やってみてだめなら、あきらめられるわ。やってもみないであきらめるなんて嫌」


 わかった、とシキはうなずいてから真顔になった。


「欲しいものは、実はこちら側にもあるんだ」


「なに?」


「報酬とは別に、もし、あたしがこの件を受けると決めたら、そちらにも協力してほしいことがある」


「言ってみて」


「顧客台帳が、欲しい」


 顧客台帳。はじめて出てきた単語だった。


「欲しい……いや、現物を譲り受けたいというよりは、見せてほしい。写させてくれるだけでいい。原本は必ず返す」


「あの、それ、わたくし持っていないわ」


「大丈夫。紹介状を見たよ。あなたの大叔母様は昔の蛇屋とつながりがあったようだね」


(昔……)


「台帳ってね、蛇屋と客とで同じ内容のものを必ず一部ずつ保管する習いなんだ。あんたに紹介したってことは、大伯母さまのところには当時の分の台帳が必ずあるはず」


 大伯母に聞いてみようと珊瑚は思った。


「わかったわ」


「じゃ、話はまとまったな。……避難場所の手配に数日かかるかも。一週間後までには必ず間に合わせるから、ちょっとだけ待ってて」


 言うべきことを言い終えたシキが、来た時と同じように窓から帰っていこうとするその背中に、珊瑚は迷ってから声をかけた。


「あの」


「なに?」


 どうしても気になっていたことだった。聞いていいのかどうかわからない。でも聞きたい。結局は我慢できなくなって口をひらいた。


「──あなたの顔、どうしてキリトリセンがついているの」


≪教育的指導の名残ってところかね≫


 シキの代わりに蛇が答えたが、もちろんのこと、珊瑚には聞こえるはずもなかった。




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