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孤独な珊瑚と三代目の蛇屋  作者: 小町 慧斗
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いつのまにか2

 手を伸ばして通話を切って、珊瑚は大きく息をついた。


「帰るわ」


 そもそもの始まりは、東郷朝彦との見合いを断るために蛇屋を頼ろうと思ったところからだった。

 だが、珊瑚を追って朝彦本人がここまでついてきた……。珊瑚がここに来たことで、学園長の母は珊瑚を手中に収めようと、学園長に指示を出した。珊瑚が動いたことで、いくつもの思惑の歯車が動き始めたのだ。


次第に自分を抑えられなくなった寧々も、ある意味では被害者だと言える。

 では、自分が動かずに大人しくしていたらよかったのだろうか。珊瑚は自問して、すぐに答えを見つけ出した。


 違う。そうじゃない。

 これで良かったのだ。自分の気持ちに従って行動し、動かさなくても良かった歯車を動かした。


(そこだけ見たら、わたくしは失敗した)


 でも、大人しくしていたらシキとは出会えなかったし、あんなふうに言ってもらうこともなかったろう。


(取り込む、ね……)


 舐められたものだと珊瑚は思った。

 闘争心に似た熱いものが胸に満ちる。


 もっと強くなりたい、そう思った。大切なものを二度とあんなふうに危険にさらしたりしないですむよう、力を手に入れるのだ。

 そうと決まったらすることやしたいことは山ほどあった。こんなことをしている場合ではない。


「珊瑚、帰るの?」


 薬が醒めかけの、どこかふわふわした声でシキは言う。


「当初の目的は、達成、された?」


「ええ、したわ」


 厨房の隅では、まっすぐに立てない学園長に、信田みさ子が肩を貸していた。坊ちゃま、痛みますか。すぐです。もうちょっとの我慢ですよ坊ちゃま、としきりに声をかけている。夜刀の締め付けで、どこか骨でも折ったらしかった。

 それを目の隅で見送って、珊瑚は言う。


「朝彦の件は本人にきっちり断ったから、いいのよ」


「そっか」


 ええー、僕まだ全然諦めてないよー。と、本人がいたら言ったろうが。


「で、いつ帰る?」


「いつでも。早ければ早いほどいいわ」


 調理台から下りようとするシキの足が震えているのを見てとって、珊瑚は両手を差し出した。そこに、ちょっとためらってからシキが手を乗せてくる。


「外の空気を少し吸ったら? 気持ちいいわよ」


 珊瑚はシキの手を取ったまま、厨房の奥にある扉をあけた。

 重い鉄の扉を開けると、思った通り、そこは外に通じている。

 夜のうちに台風は通過したらしく、東の空には朝日があがろうとしていた。


「なるほど……ここにつながってたのか」


 ボートを繋いでおく木の杭が、ぽつんと海面から顔を出している。ドアから木の杭までは、でこぼこのあるコンクリの階段が続いており、階段の先は海水に洗われていた。

 そこをふたりはゆっくり降りて行って、中ほどのところにそれぞれ腰掛ける。

 潮風が吹いてきて、珊瑚の長い髪を揺らす。シキは、犬か猫のように頭をふるふるさせた。


「具合、どう」


「ん、だいぶまし」


「お水、飲む?」


「欲しい」


 珊瑚は階段を上がっていって、厨房の水道から、新鮮な水をグラスに一杯汲んだ。

 厨房には、もう誰もいなかった。学園長は、信田さんはこれからどうするのだろうという気持ちが胸によぎる。けれどそれはほんの一瞬だった。


「はい」


「ありがと」


 グラスの水をほとんど一気に飲み干して、シキは両手にグラスを包み込んだ。

 しばらくの沈黙が落ち、口をひらいたのは珊瑚だ。


「ごめんなさい」


 え、というようにシキが顔をあげる。


「わたくしのせいで、あなたをこんな目に合わせて」


「なんで。こっちの台詞だよ。あたしがついていながら、ごめん」


 グラスを包むその指先が、まだ今ひとつ元気がないように思える。隅々まで元気が充電されていないような。


 珊瑚が沈黙していると、シキは、くそお、と言って頭を両膝の間にうずめた。


「今回あたし、全然いいとこなしじゃん!」


「え、そう?」


「むしろ、どこをどうみたらそうじゃないのさ……」


「それは違うわ。……全然違うと、わたくし思う。あなたがいてくれて、あの言葉を言ってくれたから、わたくしは勇気が出せたんだと思うの」


 シキは自己嫌悪真っ只中の、じとっとした目つきで言った。


「あの言葉ってなにさ」


 自覚がないのか、と珊瑚は目をぱちぱちさせた。


「内緒」


「なにそれ!」


 シキが口を尖らせた、そこに、上から声がした。


「あなたたち、なにしてるの!」


「よかった、無事だね」


 珊瑚とシキはおそろいの角度で声のしたほうを見上げる。

 上の階の窓から、寧々と朝彦が身を乗り出していた。


「僕たち、やっぱり、個人的に連絡先交換したほうがいいと思うよ」


「危ないじゃないの、そんなところでなにしているのよ! まだ波も高いっていうのに……」


「危なっかしいんだよね、なんか君たち。あ、寧々さん、あなたもね」


「なんですって」


 寧々と朝彦は口々に言いながら、コンクリ階段に降りてくる。


「いくらこの学園に嫌気がさしたからって……泳いで出て行ける距離ではないわよ、死にたいの」


「なんで詳しいのさ。やってみたことあるわけ」


 飄々と会話する朝彦の頬にも、今朝は疲れの色が見え隠れしている。そんな彼を見上げて、珊瑚は言った。


「あなた、知っていたのね。ここのカメラや盗聴器のこと」


「ええまあ」


 朝彦は肩をすくめる。


「ここについた初日に、一応セルフチェックしたら、すごかったからね。まあ恥ずかしげもなくあっちにもこっちにも、あるわあるわ」


 その会話を聞いても顔色ひとつ変えない寧々も、この学園の、生徒を監視するシステムについては知っていたものらしい。


「寧々さんは知ってるよね。この学園がなんのために作られたものなのかさ」


「完璧なシェルター」


 朝彦に水を向けられて、短く、寧々は吐き捨てた。

 それだけじゃないでしょ、と朝彦は苦笑いを漏らす。


「間違ってないけど、それだときれいすぎるよ」


「完璧なシェルター、もしくは、完璧な檻、よ」


 そうだねと、朝彦は深くうなずく。


「あなたは、諜報なのね。東郷朝彦」


 珊瑚が言うのに、朝彦は視線を動かして彼女の方を見た。その瞳には何の色も浮かんでいない。


「政治なのだとばかり思ってた。でも違うのね」


「うん。祖父が政治家なのは本当だけど」


 政治、経済、諜報、法曹、医療、軍事、宗教。

 御堂寺家が管理・統括する七つの事業を、朝彦はつるつると暗唱してみせた。まるで、生まれながらの御堂寺の人間のように。


「今の御堂寺に、弱いところが諜報なんだってさ。僕があなたと結婚して御堂寺に入れば、それがうまいこと強化される」


「それによって、あなたの家も利益を享受できる」


「──だね」


 なるほど、と珊瑚はようやく今回の見合い話を正確に理解する。

 おかしいと思ったのだ。いち政治家の孫など、御堂寺の本家に婿入りさせるにしては、どう考えても釣り合わない。

 だけど、『諜報』としてなら。


「そういう話だったのね……」


 朝彦はにこにこしている。


「うちにとってももちろんいい話だけど。でも前にも言ったでしょう。中途半端なバカは困る」


「それでわたくしを観察していたのね」


「そゆこと。君は合格」


 親指を立てて満面の笑みの朝彦から、ぷいと珊瑚は顔を背けた。


「試されて、合格だからOKと言われて喜ぶ女などいないわよ」


 これに、寧々がいやそうな顔をしたのが視界に入って、言ってしまってから珊瑚は気づいた。そんなつもりはなかったとはいえ、寧々に対する痛烈な皮肉だったのだと。


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