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孤独な珊瑚と三代目の蛇屋  作者: 小町 慧斗
13/18

雨が続くのなら3

きりの良い部分で投稿したいので、本日は2部投稿します。こちらは2/2になります。

 珊瑚はとある仮定をぶつけてみる。

 確証はない。けれど返ってきたのは、血を吐くような叫びだった。


「好きで同じになったわけじゃないわ!」


 珊瑚はそこで確信する。


「出たいの! ……出たいのよ、この牢獄から! 出て自由になりたい、閉ざされた贅沢な場所だからこその陰湿も腐敗ももうたくさん! それに自分が利用されるのが、もっといや!」


 その気持ち、よくわかる。珊瑚は思ったけれど口にはしなかった。


「十二歳の時からもう六年よ、用のある時だけ出して、済んだらまた戻されるの。もういや!」


 珊瑚は陰鬱なため息をついた。


「罪深い人ね……お父様は」


 それを聞いただけで、もうなんとなく想像がついてしまった。

 寧々は自分の腹違いの姉なのだ。

 違う点といえば、彼女が愛人の子で、珊瑚は本家の、しかも本妻の娘であるという点だけ。もっとも、この点が御堂寺においては大きな差異となるのだけれど。


「幼い頃、私の名前は花柳寧々(かりゅうねね)だったわ」


 その名前、聞いたことがある。と珊瑚は記憶の引き出しを探る。確か、割と新しい日舞の流派の名前ではなかったか。


「御堂寺を名乗ることを許されたのは、ひとえに、高値をつけるため。好きな時に便利に使える手駒として! ……でも私はもう十八歳、もう時間がない!」


 なにか、認められるような結果を出さなくては。

 なにか、役に立たなくては。

 見捨てられて、捨てられる。今度こそ。

 そう思うだけで、寧々は足元がぼろぼろと崩れていくような不安と恐怖に浸された。


 寧々の母は、御堂寺道隆(みどうじみちたか)の子供を彼に渡すことをどこまでも拒んだ。それが、御堂寺の最高権力者である祖父の怒りを飼い、愛人の座を奪われ、花柳流も潰された。


 ──娘のお前に罪はないね。選ばせてあげよう。自分で。


 母の処分を決めたのちにそう告げた父の顔、それに口調。

 ぞっとした。父親が娘を見る時のそれではなかった。

 罪はないと言いながら、事務的というのよりもっと冷ややかだった。まるで多発する仕事のトラブルを片付けるような感情のこもらなさが、なによりも当時の寧々を傷つけた。

 だが選択を迫られる場で、傷ついていることすら寧々には許されなかったのだった。


 ──市井に落ちて這いつくばって生きるか、御堂寺の末席として生きるか、選びなさい。


 ずるい、と寧々は思った。

 どちらを選んだとしてもそれは地獄ではないか。

 この男の申し出を一蹴できたら、どんなに気持ちが良いだろう。

 だけど、そうするには彼女は踊ることを愛しすぎていた。幼少の頃から母と一緒に学び続けてきた日舞は、すでに寧々の血と肉になっていたのだ。切り離すことはひどく難しかった。


 日本舞踊にはお金がかかる。

 自分一人が生きていくならなんとかなるかもしれないが、働きながら、勉強しながら、踊りもは無理だ。破綻することが目に見えている。彼の申し出を拒んだら、きっと自分はこれから先、何度も何度もその瞬間を思いだして後悔するだろう。どんなことをしてでも踊りを続けられる道を選べばよかったと思うに違いなかった。

 また、自分が踊りを続けていれば、いつか再び花柳流を再建できるかもしれないという希望も捨てきれなかった。


 寧々は父親であるはずの男の前に三つ指をついて頭を下げる。

 末席においてください。なんでもします。

 それが十二歳の時だった。

 娘の土下座を目にしても、彼は眉ひとつ動かさなかった。ただこう言っただけだった。

 ──全寮制の学園に行ってもらう。そこでは大抵の望みが叶うだろう。そこで勉強し、御堂寺にとって役に立つ人間になるように。十八歳になるまでに、有用だと私が思わなかった場合には、一切の援助を打ち切る。

 寧々に反論は許されていなかった。


「あなたが、来るのは……知ってたわ。学園長ときたら、こともあろうに案内を私にさせるんだもの。あの男は、性格が悪いのよ」


 感情を吐き出して少し落ち着いたのか、寧々はやや声を落とした。


「最初は、嫉妬なんてしないと思っていたのよ。あなたと私では立場が違う、出発点が違う、あなたにはあなたの苦しみがあるに違いないって。他人と比べたって仕方ない、私は私の置かれた条件の下で力を尽くすしかないんだって……」


 音楽室の中は依然として暗闇なので、彼女の表情はうかがえない。


「だけどね、顔を合わせているとね。──押さえられないの。ざわざわするのよ」


 感情をこじらせすぎて、自分でも制御しきれない衝動に寧々の声が掠れる。


「あなたはあまりに天真爛漫で。聡明で。環境への適応力もあるわね。おまけに、友人と一緒に金葉へですって? ありえない」


 まだ友人なわけではないのだけど、と言いかけて珊瑚は口をつぐむ。

 それに。天真爛漫って。

 彼女の目に自分はそんなふうに見えていたのだと、初めて知った。


「なにからなにまで。いったいどれだけ手に入れれば気が済むのよ」


「こんなことを言うと……余計にあなたに嫌われるだけなのはわかっているのですけど」


「なによ」


「他人を陥れる時には、感情で行動してはいけないのだと、よくわかりました」


「その冷たい物言い! あの人そっくりね、さすが親娘だわ!」


「言われると思いました」


 珊瑚は苦笑する。


「普通は、父親に似ていると言われたら嬉しいものなのかしら? よくわからないわ。個人的には、苦々しいですが」


「なにを言うの。あなたは本家のお嬢様。跡取りとみなされるほどの人でしょ。すべて与えられて大切にされてきたはずだわ」


「そう思われるってことは、理解してます」


 その時、あの腹痛が再び襲ってきた。

 ちくん、と下腹を指すような痛みだ。語尾を不自然に震わせる珊瑚に、寧々は異変を感じ取ったらしい。


「どうしたの」


「なんでも、ありません」


「どこか痛いの?」


「夕方から、少し腹痛が。持参の痛み止めを飲んだので効いてきたと思ったんですが」


 言うと、寧々が奇妙な憐憫混じりの声を出した。


「そうか。……あなた、今まで一度もカウンセリングを受けてないんだものね」


「どういうことですか」


「あの人たちの良く使う手よ。薬を仕込んでわざと体調を悪化させ、相談させるように仕向けるの。言ったでしょう、性格が悪いのよ」


 あの人たち。たちって誰だろう、と珊瑚は思った。

 学園長がその中に含まれているのはわかるけれど。


「知り合いもいない、頼れる人もいないこんな場所で、体調が崩れると気弱になるでしょう。そうやっておいて、徐々に依存させるように仕向けるのよ」


「卑怯な、やり方ですね」


「だから嫌だと言ったでしょう、こんな場所」


 心の底からそう思っているのがわかる口調の寧々に、珊瑚は正面から向かい合った。

 姿勢を正し、呼吸を整える。暗いから表情はわからないとしても、声で真剣さは伝わるはずだと信じたかった。


「そこをどいてください、寧々さん」


 眉をひそめた気配がした。

 あまりに珊瑚が落ち着きすぎているように感じたのだろうか。寧々は吐き捨てるように言う。


「むかつくわね」


「お願いします。シキを探しに行きたいんです。そんな思惑が張り巡らされた場所で、ひとりにするわけにいきません」


「あなたは、暗闇で突き飛ばされても、自分が薬を盛られたと聞いても動揺も最小限で。私のことも罵らないのね。言っておくけどあの窓の下はすぐ崖よ。歩道もないわよ」


「知っています。先日、迷いましたから」


「本当にむかつく」


「生死にかかわるような薬をいきなり盛ることは、いくらなんでもないでしょうし、今はそれよりシキのことが心配なんです。──確かに、落ちたら危なかったかもしれませんが、結果的には、無事でしたし」


「あなたのことやっぱり嫌いだわ。……さっき、もっと力を込めて突いてやったらよかった。仏心なんて出すような相手じゃなかったんだわ。馬鹿だわ、私は」


「寧々さん」


 静かにひとつひとつ説明したことが仇になった。寧々が再び感情をむき出しにし始めるのを、珊瑚はもどかしい思いで聞いていた。

 無理やりに立ち去ることも、できなくはない。寧々にしがみつかれたとしても振り払うことはできるだろう。年頃も同じ女の子同士なのだし。だけど、そうしたやり取りすら、今は惜しい。


「腹が立つわ。理屈じゃないのよ、あなたをなんとか膝まづかせたいの。行くなら行ってみなさいよ、簡単には行かせないから」


「寧々さん」


 興奮した彼女の意識を此方へ向かわせるには、幾度か呼び続けなくてはならなかった。


「暗いから、近づかないと駄目でしょうか。これくらいで見えます?」


「?」


 寧々が首をかしげたのが見える。

 こちらから見えるということは、向こうからも見えるということだ。


「ねえ寧々さん。これ、なあんだ」


 白い変形セーラー服の胸元をひらいた。

 夜刀が、心得たようにそこから顔を出す。鎌首をもたげた大型のにしきへびと寧々の目が合い、直後、絹を裂くような悲鳴があがった。


「上出来です、夜刀」


 素早く胸元を整えて、夜刀を隠しながら、珊瑚は寧々の脇をすり抜けた。

 床に落ちた携帯を途中で拾って、音楽室を出る。

 途中、珊瑚は一度足を止めて後ろを振り返ったが寧々が追いかけてくる気配はなかった。

 自室へ戻り、エアコンの温度設定をあげて部屋をあたためる。

 夜刀はしばらく珊瑚に巻き付いていたせいか、さっきよりは元気になったらしい。自分から体をほどいて二段ベッドの上段に大人しくおさまった。その様子はまるでシキの留守を守るようだった。


(シキに……連絡したいわ)


 夜刀が見つかったと知らせてあげたかった。

 けっこう激しく落としたというのに、奇跡のように傷ひとつない携帯を見下ろしながら、珊瑚はその時気がついた。


(そういえば……携帯の、番号も知らない)


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