雨が続くのなら2
きりの良い部分で投稿したいので、本日は2部投稿します。こちらは1/2になります。
とは言うものの。
夜刀が外にいる可能性はどれほどあるだろうか? と自室へ戻り落ち着いて珊瑚は考えてみた。
中にいなかったから、外。そう考えたシキの気持ちは理解できる。
だが、中、というのはどこまで調べたらすべて調べたことになるのだろう?
珊瑚は机の前に腰掛けて頬杖をつく。
横長の勉強机の正面には、大きな嵌め込み窓がある。窓の向こうは見渡す限りの海原だが、今は墨汁を流したように黒一色で、珊瑚の顔が大きなガラスにはっきりうつっている。
ゆるやかに波打つ天然のくせっ毛は、肩から肘の先まで豊かに流れ落ちており、甘い印象を与える大きな瞳がじっとこちらを見つめていた。どこへ行っても、誰の口からも、なんて美しい、それに理知的な、さすがは御堂寺のお嬢様とほめそやされるのが常の容姿だ。
珊瑚は眉間に軽くしわを寄せると、頬杖をついたまま目を伏せた。
シキは、蛇が迷い込んでいそうな場所を探した。
(だけど、わたくしなら……)
この学園の全体図を、頭の中に浮かべてみる。
男子寄宿舎棟、女子寄宿舎棟、校舎及び生活棟。大小三つの四角形がつながっているこの学園は決して広いわけではない。複雑な造りをしているわけでもない。
シキがあんなに探して、夜刀が見つからないことの方が不自然だった。
何者かによって隠されている、と考えた方が自然だ。
とじていた目を、珊瑚はぱちりと見開く。
(わたくしなら──蛇が確保されていそうな場所を探すわ)
思い立つと、行動は早かった。
消灯時間までにはまだだいぶある。それに、なんといっても夜刀は相当大きさがある。彼を入れて置けるだけの場所、と考えるといくらかは探すところが限定されるに違いなかった。
万一蛇が暴れても人に聞かれないよう、人が頻繁には来ない場所、そして誰かが間違ってそこをあける確率が低い場所、と限定したのが良かった。
音楽室の予備の楽器ケースの中、備品が入っている物置の中の段ボールや工具入れに続いて、食糧庫まで調べたところで、彼に辿り着いた。
(見つけた……)
大型のクーラーボックスの蓋をあけると、濃灰色の蛇がふちぎりぎりまで詰め込まれて静かになっている。
「夜刀、夜刀っ」
蛇ってね、耳はないんだよ。
シキがレクチャーしてくれた知識がよみがえる。
だからあたしたちは音声で会話してるわけじゃないんだ。蛇はね、空間を伝わる振動を受け取って音を感知するの。
コツコツ、と珊瑚は爪で叩いてクーラーボックスの外側を振動させる。
「起きて、夜刀。しっかりして!」
床に膝をついてじっと見つめていると、ゆらあ、と蛇の体の表面がうごめく。
死んではいなかったことに安堵したが、同時に、その動きが普段と比べてひどく緩慢なことに珊瑚は気づいた。
(もしかして、弱っているんじゃないのかしら?)
半袖の珊瑚の二の腕にうっすら鳥肌が立つくらい、その部屋は低温に設定されていた。そして、ニシキヘビは熱帯の蛇だ。もしや、ここの温度は彼には寒すぎたのでは。そう考えると、いてもたってもいられなかった。聞こえないのは承知の上で、珊瑚は夜刀に声をかけ続ける。
どうか通じますように。万に一つの可能性でも、わかってくれますように。
「お願い、ここからあなたを連れだしたいの。動いてちょうだい」
消灯時間までにはまだ間があり、そこら辺の廊下には生徒たちがいる可能性が高かった。クーラーボックスごと夜刀を連れだせば、誰かに見咎められてしまうだろう。それを避けようと、珊瑚は両手をぎりぎりまで蛇の方へと差し向ける。
「お願い、つかまって」
どこが頭かわからなかった鱗の中から、蛇の頭が姿を現す。心なしか今日はそれが小ぶりに見えた。
珊瑚が手を差し出しているのを、蛇はじっと見上げていた。
もどかしい気持ちで珊瑚は手を差し伸べ続ける。
「わたくしにくっついていれば、温かいから。体温をとってくれていいから。すぐに部屋に連れていくから」
蛇がゆっくりと、頭を珊瑚の手の平に近づけてきたのはそれから少ししてからだった。
ごく静かに、もどかしいほどの慎重さで蛇の頭部が珊瑚の手に触れてくる。
怖いとは思わなかった。それよりも、思っていたより体が冷えてる、とだけ思った。
珊瑚が動揺することなく、ただじっとしているのに気づいて、蛇はゆっくりと手の表面をつたいあがってきた。くすぐったいような、ぞわぞわするような。しかし思っていたほど不快ではなかった。
珊瑚はセーラー服の上着の裾を少しだけ持ち上げて、蛇を促す。いつもシキがしているように。色白の肌にぴったりと蛇が巻き付き、一周、二周する。
全部巻き終わるとさすがに重量感があった。
おそらく蛇が本気でそうする気になれば、自分の骨などはあっという間に何本もへし折られてしまうのだろうなと思う。
だが怖さは感じない。
夜刀が、自分を怖がらせないよう、できるだけそっと巻き付いてくれているのが肌を通して伝わったからかもしれない。
ひんやりとした蛇の体をじかに感じて、珊瑚はほっと息をついた。
よかった、これでシキも安心できる。そう思って。
だが、長い夜はようやく始まったばかりだった。
風の音がやけに大きく響いていた。
珊瑚が部屋へ戻ろうとして、曲がり角の多い廊下を歩いていた時、それは起こった。
バン。暴力的な音がして急にあたりが真っ暗になる。
まるで珊瑚の退路を断ち切るようなタイミングで起こったそれに、ふと珊瑚は足を止めた。
びっくりはしたけれど、さほどの恐怖は感じていない。
(──停電?)
珊瑚はゆっくり足を動かし、窓から外を覗いてみて、すぐにその可能性を打ち消した。隣り合う男女の寄宿舎棟ではどちらからも当たり前に明かりが漏れていたからだ。
珊瑚は息をひそめて耳に神経を集中させ、あたりの様子を伺う。
もう遅い時間だから、教員や事務員は全員帰寮しているのだろうか。そうだとしても別におかしくはないが、と珊瑚は胸ポケットから携帯を取り出す。
あたりを海に囲まれたこの島では、ひとたび日が沈めば外から入ってくる光源も皆無。一歩足を踏み出すのも怖い気がするような暗闇を、珊瑚は携帯を取り出してその液晶画面で照らした。
その人工的なあかりはそこだけを妙に心強く、現実感を持って照らすけれど、ふと目を上げると、そこだけ明るくなったことで周囲の闇とのコントラストがよりくっきり浮かび上がって、珊瑚はふと、ここへ来た日のことを思いだした。
力なく息絶えたヘリの操縦士の死体。
口の端からは白い泡と、ねじれた青黒い舌が覗いていた。
自分もあんなふうになるのかしらという思いが、胸をよぎってはすぐに消えていったので、珊瑚は微苦笑を漏らす。明らかに自然死ではない遺体を見たのは生まれてはじめてだったというのに、心のどこを探してみてもさほどの動揺はない。こんなところが御堂寺の血なのかと思うと、忌まわしく感じればいいのか、誇りとすればいいのか、迷うところだった。
(ブレーカーが落ちたのかしら)
妥当な線で考えてみて、これも珊瑚はすぐに打ち消す。
ブレーカーが自然に落ちたと仮定するなら、落ちるような作業をしていた誰かが存在するはずだからだ。
そして、そんな質量の電力を使うような作業をしていた人物はいないはずだった。珊瑚がここへ来た時、人の気配が感じられないほどしんとしていたのだから。
(誰かが、故意に落としたと見るべきかしらね)
でも、誰が? なんのために? 考えてみたが心当たりはなかった。
それに、暗闇を怖がると思われているとしたら、それはずいぶん子供じみた嫌がらせだった。
人を呼んでブレーカーをあげてもらおうか、と考えて、人に頼むほどのことでもないと思い直す。
誰の仕業かは知らないが、こんなことできゃあきゃあ言うと思っているのなら、ずいぶんだろう。着替えから入浴に至るまで侍女の手を煩わせていた中世の姫君ではあるまいし、いくらなんでもそこまで世間知らずではない。
大小の四角形が並んでいる造りだから、分電盤の位置もだいたい同じところにあるのではないか、という珊瑚の予想は正しかった。携帯の明かりで照らすと、ブレーカーが確かに一本だけ下へ落ちている。
惜しむらくは、珊瑚の手が届く場所にはないという点だったが、別に、どうということでもないわと珊瑚は思った。踏み台を持ってきたらいいだけのことだからだ。
珊瑚にとって心強いことに、この建物の中はつい今しがた、あちこち夜刀を探して歩いたばかりだった。よく知っているという気持ちは、とろりと濃い闇の中を歩く恐怖を半減してくれる。
一階上にあがり、音楽室の椅子を借りようと思い立って、その戸口のところで珊瑚は足を止めた。
ばさばさばさっ。打ち付けるような音がする。入り口から見て正面にあたる窓がひとつだけあいており、そこから雨と風が吹きこんでいたのだった。
水を含んだカーテンが風にあおられて激しく上下する。
(さっきは……あいていなかったわ)
珊瑚はそっと眉をしかめて、教室の中に足を踏み入れた。
水浸しになっている床を注意深く歩いて、窓を閉めようと思った時。
ドン。強い力で、後ろから突き飛ばされた。
(──やっぱり!)
夜刀が、この部屋に足を踏み入れた時からやたらと体を固くさせて警戒していた。とっさに身をよじることができたのはそのせいだ。窓から落下することは避けられたけれど、冷たく濡れた床に珊瑚は膝と手をつく。
硬質な音を立てて、手からは携帯が飛んでいった。
珊瑚は床に手をついた姿勢のまま、上体をひねってそこにいる人影に向かって言う。
「なぜ、わたくしを敵視するの。寧々さん」
沈黙が落ちたのはわずかの間だった。
「なぜわかったのよ」
「殺気を隠すの、へたくそすぎるわ」
しばらく前から、寧々の視線を感じていはいた。不穏だな、と思ってもいた。だがこれといってなにも手出しをしてくる様子もないので、そのままにしておいたのだ。
傷つくだとか、なぜとかいう気持ちより、ここでこうくるか、という気持ちが一番強かった。
「それに、あなたのその香り。エルメスでしたっけ。……今だけつけるのをやめても、服にはかすかに染み込んでいますよ。ブレーカーを落としたのも、あなたね」
ほっそりとした人影は微動だにしない。
「そうよ」
「この部屋の窓をあけたのも? わたくしを誘いこんで、うまく海へ落ちれば事故ということになると思った?」
「あなたが、嫌い」
これまで抑えていたものが溢れた。そんな言い方だった。
「嫌いなのよ。御堂寺珊瑚。なぜ私の前に現れたの? 顔を見なければまだしも平和でいられたのに。わざわざ私の前に現れるだなんて」
凝り固まったものが滲むような声を聞いて、珊瑚は思う。これまで自分は学校へ通ったことがない。それなのに、同じ年頃の少女にこれほど憎まれる可能性があるとするなら──。
「あなたの名字は、わたくしと同じものね」